第13話 その頃キール坊っちゃんは①


 ◆ ◆ ◆


 黒髪を編み込んだ家政婦が踵を返した。

 本当の姉のように慕っていた女性が、屋敷から出ていってしまう。キール=アスランは置いてけぼりだ。彼女の背中を見送ることしかできない。


 ――いや、僕がついていける方がおかしいんだ。


 だって自分はアスラン家の三男坊で。弟として、未だ当主として板についていない兄を支えていかないといけない存在なのだから。


 コジマさんはいつも通り淡々とした様子で、バタンッと玄関の扉をしめる。


「どーしてだっ! どうしてあの女は欠片も狼狽えたりしないんだっ⁉」


 その直後、彼女を追い出したキールの兄ザナール=アスランは頭を掻きむしりながらわめき始めた。


「クビだぞ、クビ。女一人で屋敷を追い出されて、どこに行くつもりなんだ? まさか、女の癖に森の中で野宿でもするつもりか? 森を放浪しているという怪物に食われるぞ⁉」


 ――いや、ひとまず『家政婦小屋コジマさんの家』に帰るんだと思うよ?


 コジマさんを『家政婦』と徹底させたのはザナールである。家政婦は主と同じ屋敷で寝食を共にすべきではないと十五歳だったコジマさんを追い出したのは兄自身である。


 ――いつもコジマさんはどこで寝ていると思ってたんだろう?


 それに森を放浪している怪物とは、おそらくコジマさんの飼っている『イヌ』のことだろう。あの巨体を怪物と称する気持ちはわからないでもないけど……それでも、飼い主を食べるはずがない。たとえ襲われたとしても、あのコジマさんなら容易く返り討ちにできそうだ。


 ――二年も一緒に暮らしていたんだから、そのくらいわかってもいいと思うんだけど。


 キールはコジマさんと暮らして五年になるが――ザナールは学園に滞在していたので、コジマさんとは実質二年の付き合いになる。学園を卒業し、家に戻ってきたときには、すでに兄の婚約者が家にいて。結婚式を挙げたと思ったら、父と兄がほぼ同時に亡くなり、自分が当主になった。


 狼狽える気持ちがわからないでもないけど、キールからすれば唯一残ってくれた血縁者だ。しかも、八歳の自分よりはるかに大人の二十歳。本当なら、もっとしっかりしてもらいたかったのに。


 ――そんな僕を支えてくれたのが、コジマさんだったんだけど。


 十五歳の若さで最愛の相手を失くすという経験をした令嬢は、今出ていってしまった。


 ――僕がしっかりしなくちゃ。


「ね~え、ザナール様。あのメイドさん、さっき婚約者って――」

「ああああああっ、もう腹立つっ! 腹立つ腹立つ腹立つ腹立つッ‼」


 愛人の全うな質問を無視して地団駄を踏む兄を置いて、キールは部屋へと戻る。

 とりあえず、もうすぐ夕食の時間だ。




「キール、大変だ‼ いつまでも夕食を呼びに来る者が……」


 それはコジマさんが朝に焼いてくれていたパンの残りを、キールがモグモグ食べている時だった。食堂にズカズカ入ってきたザナールの言葉が止まる。そして突如、キールのまだ小さな肩を揺さぶり始めた。


「そのパン! どーした⁉ まさか盗んできたのか⁉」

「普通に厨房に置いてあったよ。まだいくつか残ってたから、コニーさんと分けなよ」


 毎朝一日分のパンを焼いていてくれていたコジマさんである。

 ちょうど夕食の準備時に追い出されたのでおかずは何もなかったが、そのパンはしっかりと三種類作り置きされていた。なので、今日の夕食はそのパンとそのまま食べられそうな野菜まるかじりである。足が早そうな物を選んだつもりだ。


 ――そもそも、僕がちょっと盗みに行けるくらいの距離にお店なんて何もないじゃん。


 御者もいない、足になってくれる人すらもいなくなったのだ。森の中にぽつんと建ってる屋敷など、陸の孤島もいいところである。


 ちなみに狼狽しっぱなしのザナールは、とっくに自室でパンを食べていた愛人コニーにも同じような問答をしたらしい。結局その日、一番多くパンを食べたのはザナールだったようだ。




 その翌朝。


「キール、大変だ‼ もうパンがない……」


 厨房でパン生地を捏ねていたキールは「おはよう」とのんびり挨拶をする。

 その様子に、ザナールは目をパチクリさせていた。


「……キール。何をしているんだ?」

「ん。見ての通りパンを焼こうと」

「なにを阿呆な⁉ そんなのは下々の者の仕事だろう⁉」

「下々も上々も、そもそも他に誰もいないし」

「…………」

「兄さんもパンが欲しいなら、手伝ってくれる?」

「そ、そんな真似、ご当主さまができるかっ‼」


 そう叫んで、ご当主さまザナールは厨房を出ていったのだが……。

 ちなみにその後、見かねた愛人コニーがパン作りを手伝ってくれた。さらにサラダと目玉焼きまで作ってくれて。「懐かしいわぁ」なんて言いながら作る手際の良さはさすが大人。


 ご飯を食べながら話を聞いたところ、コニーはザナールに見初められるまでは踊り子として働いており、当然自分のことは全部自分でやる生活だったらしい。


「坊やには悪いけど……アタシはそろそろ出て行かせてもらおうかなぁ?」

「どうか僕らのことはお気になさらず。当面の生活費の目処はありますか?」


 その申し出はとても有り難いとキールは思った。食い扶持が減るに越したことはないのだから。かといって、兄にいきなり『家事仕事をしろ』と言われるのも酷だろうし。


 その上で出ていった後のことを心配したキールに、コニーはゆるく微笑む。


「ありがとう。でも、大丈夫よ~。ザナール様から買ってもらった宝石が山程あるから。売れば当面いい暮らしできるわ~」


 そうして愛人コニーは昼過ぎにあっさり屋敷を出ていった。大人の足なら夜までに宿舎町に着くとのこと。有り難いことに、そこから取引のある行商人に対して食料や生活用品をたくさん持ってすぐに来るよう、手紙を出しておいてくれるという。


「薄情者~~っ‼」


 なんてザナールは泣き叫んでいたが、さらにコニーは二人で食べれば三日くらい余裕で保ちそうなほど、大量のパンを作り置いて行ってくれたから――兄も女性を見る目は悪くなかったのかもなぁ、なんて、キールは思ったりもした。

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