第30話 ディミトリという男の顔


 ◇


 ディミトリが目覚めたのは翌々日の朝だった。


「ここ……は……?」

「ご安心ください。ディミトリ殿下の邸宅でございます。ひとまず、こちらを」


 まだうつろうつろとしているディミトリの背中を支えてくれるのは、ひょんなことで出逢った家政婦、コジマさんで。

 濡烏のような髪をみつあみに纏めているのが、清楚なメイド服にすごく合っている。ただ短めの前髪の下には、ラベンダーとアイスブルーのオッドアイ。それを奇抜と言う人もいるのかもしれないが……ただ、ディミトリには可愛いとしか思えなかった。その瞳の色が映える肌の白さで、目の造形もぱっちりとしていて、だけど鼻が少しだけ低めで。出会った時は雰囲気から年上のようだったが、こうして見ると同い年も納得の美少女だ。


 今いる場所も彼女の言う通り、場所も馴染みある自分の寝室。

 そんな彼女が用意してあった吸呑に、ぼんやりしながらも口を添えれば――あまりに苦い液体に、ゴッホゴッホとむせせざる得ない。


「なにこれっ⁉ にっっが‼」

「良薬口に苦しでございます」


 だけどそんな不満、いつも通り無表情なコジマさんが聞いてくれるはずもなく。

 有無を言わせず吸呑を咥えさせられたディミトリは、目にたくさんの涙を浮かべながら嚥下を繰り返して。「ご褒美です」と差し出されたチョコレートを渋い顔で口に放り込む。


 ――あ、美味し。

 甘いチョコだ。だけど塩でも入っているのか。その強めの塩気がチョコの甘さを引き立ててくれると同時に、薬の苦さを上手い具合に誤魔化してくれる。これも彼女の手作りだろうか。薬の直後にこれを差し出してくるあたり、まさに匠の技としか称しようがない。家政婦の匠だ。


 そう考えるのと同時に、ディミトリは吹き出す。


「ふふ……家政婦の匠って……」

「どうなさいましたか? まだ酔っ払っておりますか?」

「酔っぱらい……?」


 そこでようやく、自らが置かれた状況を思い出す。

 カフェで買い物に行ったアイーシャとコジマさんを待っていた時。頼んだ飲み物が変な味がすると違和感を覚えたときには目が回っていて。それが強い酒だと気がついたときには、もう相手の為されるがまま。それからの酩酊状態のときに、何が起こったのかまるで覚えていないけれど――


「もしかして、またコジマさんが助けてくれたの?」


 その質問に、彼女は珍しく即答せず。そして小さく眉根を寄せた。


「私は……ただ手伝いをしただけでございます」


 その時、ドシドシと騒がしい足音が近づいてくる。そして「失礼しますわ」とノックされたと同時に、その扉は一気に開かれた。


「ミーチェ‼ 体調は大丈夫なの⁉」


 飛び込んできたのは、もちろんディミトリの婚約者であるアイーシャ=デゼル=シェノン第三王女。だけどその綺羅びやかな巻き髪は、いつもよりもハリがないように見える。よく見えれば、彼女の業火のような瞳の下に珍しくクマができているように見えた。


 ――俺のせいだな。


 誘拐されそうになった自分の後始末に追われているのだろう。すぐさまそう見当付けたディミトリは眉根を寄せる。


「アイーシャこそ……ごめんね。俺が不甲斐ないばかりに――」

「馬鹿なこと仰っしゃらないの! ぶっ飛ばされたいんですの⁉」


 そう叱咤しながら詰め寄ってくる彼女の目には、うっすらと涙が見える。それになおさら気落ちしながらも、ディミトリは「ごめん」と謝ることしかできなくて。 


 それに、アイーシャは嘆息する。


「まぁ、それだけすでに頭が回るなら話が早いわ。コジマさんには悪いけど……ちょっとだけ二人にして貰えるかしら? 色々と先に報告したいことがあるの。あなたにもあとで要点は説明するわ」

「かしこまりました。それでは、私はお茶でも淹れて参ります」


 常に、コジマさんは『家政婦』として振る舞おうとするから。今も使用人として適切な距離を保つべく頭を下げ、粛々と寝室から出て行く。


 扉がパタンと静かに閉じてから、アイーシャは「さて」と説明を始めた。

 ディミトリに薬を盛り、さらにそのまま廃人にしようとしたとして――オスカル=リーチは逮捕された。彼は自分ひとりで犯行を企てたと豪語しているが、それが通じるはずもない。その父であるジョセフ=リーチも事情聴取の最中であるという。


「たしかにオスカルがアイーシャたちが呼んでいるって声かけてきたけど……薬ってより酒かな。それはカフェの飲み物に入ってたし。オスカル一人の犯行だとは思えないかな」

「わたくしも同意よ。医術師は薬と言っていたけど……その前にあなたの看病をしていたコジマさんははっきりとあなたの状態を見て『酒による酩酊』と言い切っていたの。現に医術師の用意した薬もただの気付け薬のようだったから……医術師が敢えて診断を大袈裟にした可能性があると考えるわ」


 それに「あの医術師はお父様に手配してもらったはずなんですけどね」と鈍い顔で付け加えて。それにディミトリが「俺が今飲んだ薬は?」と尋ねれば、「あれはコジマさんが煎じたものよ」と安心の返答が戻ってくる。


「医術師が用意した薬は問題ないとコジマさんも言っていたけど、『僭越ならば、私の方がもっと効く薬を用意できますが?』なんて言われたら……ね。ミーチェもその方が安心でしょう?」

「ふふ……まあね」


 医術師に優る薬を用意できる家政婦とは如何に――と疑問に覚えてはいけない。だって、相手はコジマさんなのだから。


 だけど二人で苦笑してから、アイーシャの顔は再び渋る。


「しかも面白いことに、オスカルの供述と医術師の診断は合致しているのよ。オスカルがカフェの者を買収して、ミーチェの飲み物に薬を混ぜた――と。そしてオスカルはコジマさんが言うには、わたくしたちを運ぶ馬車を不自然な場所で止めて助けを乞うて来たそうよ」


 それってどういうことかしらね、とアイーシャは疲れた顔で不敵に笑って。


 ――オスカルが独断で、俺を助けようとしてくれたってことかな。

 きっと彼も何者かに自分の誘拐を命じられて。だけど彼の善意で助けてくれて。医術師の薬も、もしかしたらオスカルの善意が働いているんじゃなかろうか。


 ――いい人、だったもんな……。

 ディミトリにとっても、オスカルはそれなりに面識があった。仰々しい態度とプライドの高さが鼻につくが、貴族としての己を大事にしている故だ。父親のジョセフのことも誇りに思っているのだろう。ジョセフはシェバ大戦でも最後まで前線を死守しつづけた戦士として有名だから。父親のように忠義を貫く騎士になると、彼は常々言っている。


 だからこその、彼の英断だと仮定するならば――

 ディミトリもアイーシャも、共に奥歯を噛みしめるのみ。


「しかも、わざわざミーチェを連れ込もうとした酒場の近くで馬車を止めたんだもの。犯行に関わってない……わけじゃないとはいえ、絶対にもっと上の者の指示よ。わたくしとしては、オスカルは情状酌量で早く牢屋から出してあげたいくらいだわ」


 もちろんあなたの気が済めばだけどね、と、アイーシャは横目でこちらを見やり。


「アイーシャの心のままに」

「もっとはっきり言いなさいよ」

「俺の言葉じゃ、弱いから」


 ――情けないなぁ。

 本当なら、彼の善意に自分で応えたいけれど。

 生贄の自分じゃ、届かない。むしろ邪魔にすらなるかもしれない。だから、ここは第三王女の彼女の権力に縋るしかない。


 ――そして、俺は最低だ。

 そんな自分、いつ彼女が見切りをつけてもおかしくないはずなのに。


「……ねぇ、ミーチェ。わたくしは、あなたが婚約者で嫌だと思ったこと、一度もないんだからね。もちろん、あなたの才能スキルなんて関係ないわ」


 それでもこんなことを言ってくれる婚約者を、自分は肝心のところで裏切ってしまっているのだから。

 心の奥の、隠しきれない気持ちを。一目でバレていた裏切りを。

 せめて告げるのが誠意と思うのは、むしろ男らしくないのかもしれないけれど。


「……アイーシャ。俺さ――」

「聞きたくないですわ」


 暗い顔でうつむいたまま話そうとしたディミトリを、彼女は一蹴してきた。


「そんな顔のミーチェからの話など、聞きたくありません。言ったでしょ? 陰鬱とした顔は許さないって」


 はっきりとした否定を吐き出したあと、アイーシャが見せてくるのは、


「もっとイイ顔ができるようになってから、出直してらっしゃい」


 誰よりも気高い笑みを残した彼女は、踵を返す。そして扉を開けた時に鉢合わせたのは、黒髪家政婦のコジマさんだ。


「あら、もうお話は終わったんですか?」


 戻ってきたコジマさんの持つティーポットと二つのカップ。アイーシャは勝手にポットからカップに紅茶を注いで、それを一気に飲み干して。


「美味しかったわ。ごちそうさま」


 そうして颯爽と去っていく婚約者に――ディミトリは男らしいな、と苦笑するしかできなかった。

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