第32話 コジマさん、宝物を預ける。


 その後、特に第二王女レティーツァからの接触はなく。日々コジマさんが警戒を続けていても、週末はあっという間にやってくる。


「あの……アイーシャ様。どうして私が着替えるのでしょうか?」

「なによ、わたくしが買ってあげたドレスが気に食わないというの⁉」

「一言もそうとは申しておりません」


 すでに華やかな薔薇色にドレスアップし終えたアイーシャ様の隣で。

 コジマさんはメイドたちに着付けられていた。コルセットを巻かれるなど久しぶりだ。深く呼吸できなくなるから、あまり好きではなかった。酸素が足りなくなると集中力が削ぎれるというか……どうも感情的になりやすくなるのだ。こんな苦しいものを常に付けているから、貴族社会から嫌味や怨嗟が減らないのでは? などとも思ってしまう。


 ――姉妹への妬み、とかもね。


「どうしましたの? コルセット、もっと絞めてもらいます?」

「謹んで遠慮させていただきます」


 即答しながらも、赤い目の姉妹と比較するように思い出すのは、森の残してきた兄弟だ。色々難ありの次男だったが……命を取ろうとする姉に比べたら、毎晩ベッドを共にしていた兄弟はとても仲睦まじかったと言えるだろう。だからこそ、坊っちゃんキールを置いて来れたのだ。


 ――まるで遠くに来たような気持ちですね。


 領を出てから、二週間少々。

 アスラン領に戻ろうと思えば、半日程度で帰れる距離なのに。

 あの家政婦暮らしがはるかのことのように思えるのは、今の生活が充実しているからか。


 それは、まるで――


「コジマさん、さすがにドレスの時に“これ”は邪魔だから。メイドたちに預けてもいいかしら? それとも、わたくしの私室に保管しておく?」


 コルセットを絞め終え、指で軽く弾かれるのは――革で即席した写真入れ。その写真を敢えて見えないように裏返したままにしてくれるアイーシャに、コジマさんは小さく頬を緩めて。そして尋ねる。


「ディミトリ殿下から、何か聞いておりますか?」

「いいえ。でも服の下に持っておくくらいだから。大切なものなんでしょう?」

「……はい」


 その肯定に、アイーシャは目を細めてから。


「でも、ちょっと不本意だわ」


 と、嘆息混じりに腰に手を当てた。


「ミーチェから訊く前に、貴女に直接訊くわよ。わたくしたちは友達でしょ?」


 そう尋ねる彼女は、珍しく視線を所在なさげに動かしている。その中でも、チラチラと覗い見るようにコジマさんを捉えては、小さく口を尖らせた。


「……違うの?」


 ――可愛いっ!

 いじらしい愛らしさに、コジマさんも溢れそうとしている何にかを堪えながら。いつまでも沈黙は良くないと、辛うじて言葉を絞り出す。


「違わなく……ないと思うような……」

「何よ、その歯切れの悪い答えは」


 だけど彼女は口で文句言いながらも、その愛らしい顔を綻ばせて。


「じゃあ、わたくしの宝石入れに入れておくわね」


 ――王女の宝石と同価値とは。


 思わず苦笑してしまうほどの高価値に、あのひとはどんな顔をするのだろうと想像しながら。コジマさんは写真入れを自ら外し、友達アイーシャへと託す。




 生徒会主催の全生徒参加の定期パーティ。そんな行事があるのは、貴族学校所以だろう。

 毎回趣向が凝らされているそうだが、今回はシンプルなダンスパーティーとのこと。それでも入場などには独自のルールが設けられていた。そして主人が従者をエスコートする形で入場すること、というものだ。日頃の忠誠心を労う、との大義名分だが――アイーシャ曰く「ただのお遊びよ。恐縮する従者をからかいたいだけ」とのこと。


 なので、従者であるコジマさんにも、こうして華やかなドレスが充てがわられた。

 オレンジ色の華やかなドレスだった。今はフリルが流行りらしく、腰回りや袖にもたくさんのヒダがコジマさんの細い身体を覆っている。


 ――ひらひらひらひら邪魔ね……。


 ただでさえコルセットで苦しいのに、足や腕を動かすたびに布がまとわりつく。これじゃあ料理一つまともに出来ないじゃない、と胸中で悪態つこうとして。彼女は我に返る。


 ――今は『令嬢』をしなくちゃだったわ。


 『幻氷の令嬢ミラージュ・レディ』と呼ばれていた頃は、こんな元気な色を纏ったことなど、一度もなかった。いつも目の色に合わせたような、淡い寒色ばかり。元気な色といっても、実際は少し桃色帯びてもおり、そこまでケバケバしい印象を受けないのが幸いか。それでも、ぱっつんとおでこの真ん中で切られた前髪の印象も相まって、どうにも恥ずかしさを覚えずには要られないコジマさん。


 入場の順番待ちで主人と合流したコジマさん。ディミトリはエスコート役として、シックな礼服に身を包んでいた。基本はブラックスーツながらも、ベストやベルトが髪色と同じ銀糸で刺繍が施されている。中に着たシャツも襟元にフリルが施されており、ヒールの付いた黒革のブーツも相まって、しっかりと『王子』な雰囲気も残していた。


 だけどそんな恥じらう彼女を、当然主人ディミトリは開口一番褒めてくる――かと思ったら、彼はコジマさんをじっと見つめてはぽかんと口を開けていた。

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