第42話 その頃キール坊っちゃんは⑤
◆ ◆ ◆
今日は、王国からの定期視察が来る日。
三年に一度、帳簿の改ざんがないか、不正に税を取り立ててないか等、三日三晩かけて精査されることになっている。先日、その役員が今日到着すると連絡があった。
「あ、ああああああ、終わりだ……お父様、お兄様、申し訳ございませんでした。このアスラン家、僕の代で……」
その役員が来るよりも早く――現アスラン家当主ザナール=アスランは神に祈りを捧げていた。
「神様救世主様魔王様、とにかくなんでもいいのでこの僕をお助けください……‼」
シェノン王国は基本的に国を挙げた主教的思想はない。お隣のバザール公国は強く神を信仰しているが、シェノン王国では宗教は個人の自由とされている。現にザナール含め、アスラン家に宗教家がいたという記録はない。
――まぁ、都合よく自分を助けてくれれば、何でもいいんだよね。
神様だろうと。くまのぬいぐるみだろうと。家政婦だろうと。
縋る対象など、自分を助けてくれさえくれれば、何だっていいのだ。
八歳キールが困った時真っ先に思い浮かぶ相手が、黒髪で無表情の家政婦であるように。
奥の部屋からどんどんと母親がぬいぐるみを壁打ちしている音が響く中、兄は胡散臭そうな神様の名前を列挙していて。
そんな様子を、キールは最後の晩餐とばかりにバナーナを食べながら見守っていた時だった。ロビーから差し込む光が一瞬途切れる。いきなり訪れた夜に兄が「ひいっ」と悲鳴をあげた時には元の日差しが戻っていたのだが……未だ「この世の終わりだ」と丸くなっている兄を尻目に、キールはバナーナを食べきってから玄関の扉を開けた。
すると、バッサバッサと。
空を遮る黒い翼に、キールはキラキラとした感嘆の声をあげる。
「すごーいっ! 黒曜騎士団だぁっ‼」
「出迎えご苦労ですわっ!」
その黒い飛竜から。飛び降りてきたドレスのスカートに慌ててキールは目を閉じて。
「あなたがアスラン家三男のキールで宜しいわね?」
目を開けると、まばゆい金髪をくるくるにしたお姉さんがにっこり微笑む。
「わたくし、視察を担当させていただきますアイーシャ=デゼル=シェノンと申します。以後、お見知りおきを」
「お、王女様っ⁉」
予想以上の大物の登場に、途端我に返るキール。
――なんで、王女様が……?
王家に連なる名前をコジマさんからしっかり教わっていたキールは、目の前のアイーシャが第三王女だとわかった上で、顔にたくさんの疑問符を浮かべていた。
王家に次ぐ公爵家なら王族自ら視察に来るのもわからないでもないが……アスラン家は辺境伯だ。国境の守りの要とはいえ、王都からは遠い。わざわざ王女様が来る理由なんて、たとえ飛竜に乗ってもないと思うのだが……。
アイーシャ王女はキールをまじまじと見てから苦笑する。
「なるほど。あなたがコジマさんの名付けの親ね?」
「え?」
――どうして今、コジマさんの名前が?
「まぁ、楽しい話は後でいくらでもできるから。とりあえず中に入らせてもらうわよ。当主のバカール……じゃなかった、ザナールさんはいるかしら?」
「え、あ、中に……」
圧力に押されるがまま扉を大きく開けば、王女は「失礼するわよ」と中へずんずん進んでいく。大人というには、まだ少し早い。そんな華やかなお姉さんの背中をぼんやりと見ていると、キールの背後からくつくつとした笑い声が聞こえた。
「黒曜騎士団を馬車代わりにするとは、大した肝っ玉の姫さんだよなぁ」
黒い軽鎧とマントを纏った精悍な青年だった。彼は手慣れた様子で飛竜の頭を撫でてから、ゆっくりと凝視するキールに近づいてくる。そして同じように、キールの頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「ずいぶんとデカくなったなぁ。覚えてるかぁ? おまえがまだこんっっなに小さかった時、一回会ってるんだぞ――サンの結婚式ン時な」
――サン……お姉さん。
サン=コールジア。それがコジマさんの正式名称だということを、もちろんキールは知っている。
キールはよく覚えていないけれど。コジマさんが『コジマさん』になった由縁は、自分らしい。まだ三歳だった自分は滑舌があまりよくなく、彼女のフルネーム『サン=コールジア』をうまく言えなかったというのだ。さん、こーるじあ。さん、こるじあ。しゃん、こーじあ、しゃん、こじま、しゃん。コジマさん。何度も何度も上手に言おうと繰り返していた自分が、どういうわけか『コジマしゃん‼』と満面の笑みで呼んだことから――コジマさん。
その話を聞くたびに顔から火が出そうになるほど恥ずかしくなるキール八歳だが……普段笑わないコジマさんが、その話をする時だけは嬉しそうに頬を緩めるから。
大好きなお姉さんが喜んでくれるなら、と。そのまま『コジマさん』と呼び続けていたキールである。
そんなコジマさんの結婚式に来て、コジマさんを『サン』と呼び捨てにする黒い飛竜に乗ってくる精悍な黒髪の青年に――キールは極小数人しか心当たりがなかった。
「コジマさんの、お兄さん⁉」
「おう。一番上のアイザックだ。まぁ、今後ともよろしく」
そうポンポンと頭を叩かれながらも「それにしても辺境ってわりに、やたら緑が綺麗な土地だなぁ」なんて世間話(?)をしてくるアイザックに、キールが未だ目をぱちくりさせながら「はあ」と相槌を打っていると。
ずかずかと、ロビーからアイーシャ王女が戻ってくる。その奥を覗けば、生気が薄っぺらくなった兄ザナールがくにゃくにゃ~と階段から滑り落ちていた。
アイーシャはアイザックを見上げるや否や「ダメね」と両手のひらを上に向ける。
「コジマさんの言う通りだわ。下手な改ざんとかがないから罰する……とかにはならなそうだけど。それでも指導要員を寄越すだけじゃ始末に負えないレベルの経営難だわ。しかも一月足らずでここまで借金を背負えるってどういうことなの⁉ ある意味天才よ‼」
「まぁ、人間落ち始めたら早いっていうしな~。で、どうするんだ? サンの提案通りか?」
「全部が全部ってわけじゃないけど。でもあの
ペラペラと紡がれていく我が家の顛末に、キールは奥歯を噛み締めた。
――やっぱりうち、なくなるんだ……。
こうなる覚悟はしていたけど。それでもやっぱり、その時が来ると悲しくて。
泣かないように。泣かないように。
そう堪えている間にも、えらい人たちは話し続ける。
「なるほど? そしてこの坊っちゃんが育つまでの代理に当てがあるのか?」
「えぇ。卒業するまでは城から代わりの者を出すつもりだけど」
「卒業するまでとは――」
――ん? ぼくの話?
代理の人が卒業するまではさらに代理の人で、そもそも代理の人が誰の代わりをするのか……そんななぞなぞみたいな大本にいる人物が……ぼく?
「あ、あの……ぼ、僕が育つまでってどういう……」
おずおずと。それを訊くために口を開けば。
黒髪の騎士がニカッと笑い、胸元から一通の手紙を出す。
「キール=アスラン。妹のサンから手紙を預かっている」
――コジマさんから?
受け取った手は、どうしても震えてしまっていた。
嬉しいから? 悲しいから?
もう自分の感情すら、八歳の自分じゃ処理しきれないけれど。
それでも「えいっ」と勇気を振り絞って封筒を開ければ、そこには見慣れた文字があった。
先日はバナーナのおすそ分けありがとうございました。
追伸。もしよろしければ、私の弟子になりませんか?
「コジマさん……」
目から、自然と涙が溢れてきた。
コジマさんは、本当に最強だ。自分にとっての
母親みたいで。姉みたいで。先生みたいで。
いつも無表情で、やること為すこと完璧のくせに、なんかズレてて。
そんな大好きなひとが、自分のことを呼んでくれて。
コジマさんからの手紙を、キールはぎゅっと抱きしめる。
「また……本文と追伸が逆だってば……」
そんな少年に、アイーシャは言う。
「コジマさんは現在ディミトリ=スヴェン=バギールという隣国から来た王子の家政婦をしているわ。ひとまずはあなたもその王子の従者として学園で過ごしてもらって……もっと大きくなってから、領主を継ぐでも良し、そのまま執事の道を目指すも良し、というのが最善なのかとコジマさんは言っていたのだけど。どうかしら?」
「ちなみに坊主の身元引受人はオレになることになる――が、残念ながら、兄貴や母親と一緒に居たい、つーのは諦めろ。兄貴はさっき聞いていた通り、借金返済の義務があるし。あの未亡人を後妻として欲しがっている盟主がいるという。パッと聞いた様子だとかなりイイ条件だったが、子連れはダメとのことだ。母さんの幸せを望んでやるなら男らしく腹を――」
「――なります」
アイザックの言葉を遮って、キールは顔を上げる。
「コジマさんの弟子になります! ならせてくださいっ‼」
すると、黒曜騎士団の団長は妹と違い、豊かな笑みを見せてくれた。
「それは本人に言ってやれ。きっと喜ぶ!」
そう言われるのと同時に、キールはアイザックの肩に乗せられる。
せっかく普段より視線が高いのに。
キールの視界は涙で歪んで、せっかくの光景が当分楽しめそうにない。
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