第38話 残された男の覚悟


 ◆ ◆ ◆


 ディミトリがダンスを覚えたのは、シェノン王国に来てからだ。

 第三王女の婚約者として、嫌でも社交界に出ることは少なくない。その時に、少しでもアイーシャに恥をかかせないよう。なにより自分が「女々しい」と嘲笑われないよう、まず一番に覚えたことがダンスだった。


 そうして二年間必死に訓練した彼は、今宵ひとりでダンスを踊る。シャドーダンスだ。まるで、最愛の女性がその腕の中にいるように。蕩けるような微笑を浮かべて、彼は堂々と背筋を伸ばし、ステップを踏んでいた。


 その様子を、観衆はせせら笑う。たとえどんなに巧みなステップを踏もうとも、彼らの評価は上がらない。やれ哀れだの、やれメイドにも見捨てられただの。優雅な管弦楽の合間からそんな嘲笑が聞こえようとも、彼は眉をしかめることなく、最後まで堂々と踊りきった。


 ――アイーシャはこれをやるつもりだったんだね。


 平気な面をしながらも、精神的な負担はかなりのもの。

 それをやってのけるつもりだった女の子に、改めて尊敬の念を抱きながら、会場の脇に戻ろうと踵を返すも――彼女は、パチパチと拍手をしながら近づいてきた。


「見事なダンスだったわ。さすが王子。バギール公国の方って、みんなダンスが得意なの?」

「……お祭りの時には、身分関係なくみんな踊り明かしているそうです。まぁ、俺は参加したことないんですけど」

「まあ。それじゃあ、これからたくさんこのシェノン王国で踊れるといいわね?」


 ――それはあなたの手の上で、てことかな?


 そんな嫌味返しを、レティーツァ=エーギル=シェノン第二王女にするのは悪手。「そうですね」と愛想笑いを返せば、彼女は改めてお辞儀カーテシーをした。


「改めてご無沙汰ね、ディミトリ。ねぇ、あの可愛らしい連れの女性はどこに行ったの?」

「ご無沙汰にしております、レティーツァ殿下。彼女なら、少々所用で席を外しておりますが」

「その所用を聞きたいのだけど?」


 王女殿下はゆるりと目を細める。こうした顔は、アイーシャが公の場で見せる顔付きと酷似していた。さすが年子の姉妹。だけど、同じ赤い瞳だとしても……その瞳の冷徹さが、まるで違う。


「じゃあ、質問を変えましょう。わたくしの可愛い妹はどこかしら? 最近あの子も周りに不幸が有ったでしょう? 姉として労ってやりたかったのだけど」

「それが俺にも。レティーツァ殿下こそ、ご存知ありませんか?」

「ふふっ、知ってたら聞かないわよ。でも……」


 王女は口元を艶やかな扇で隠す。そしてそのまま、ディミトリの耳元に顔を近づけた。


「小耳に挟んだのだけど……最近わたくしの可愛い妹のまわりに、怪しげなメイドが付き纏っているんだとか?」


 だけどその声は、特に潜めず。何のための耳打ちか。ディミトリが顔をしかめたのは、無駄に薫った香水の匂いだけではない。


 ――この腹黒め。


 だけどレティーツァも、ディミトリの反応は予測通りと言わんばかりに、尚ほくそ笑んでくる。


「ほら、メイド風情のくせに。まるでアイーシャとともだちのように振る舞っているそうじゃない? アイーシャも馬鹿だから、簡単に騙されちゃって。ドレスの面倒まで見ているそうね。その上で、もう一度聞きたいのだけど――あなたのメイドとわたくしの妹は、どこに行ったの?」


 その問いに、会場がざわつく。

 まるで、そのメイドがアイーシャに取り入って、彼女に危害を加えたようにも聞こえるから。

 それは事前に、コジマさんと『とんだ悪党だね』と予測していたこと。その予測通り事が運んでいるのは、むしろこの王女様の可愛らしさ所以か……などと考えようとして、ディミトリは肩を竦める。


 ――さすがに、ここまで俺の大事な人をコケにしてくる人を擁護したくないや。


 アイーシャには『全方位口説く天然女たらし』など散々言われることもあるが、これでも相手は選んでいるつもりである。

 それでも、レティーツァは続ける。


「あなたが最近雇ったというメイド……名前は何だったからね? 変な通称で通していて……ああ、たしか未亡人だったとか。可哀想ねぇ。婚約者が亡くなったあと、婚家からの扱いも酷かったそうじゃない? きっと心もひもじくなって……悪い道にねぇ、染まってしまってもおかしくはないわよね? そんな子を拾って、どうしたかったの? 同情? それとも不幸な人を見下して、自分は『可哀想じゃない』って思いたかった?」

「そんなわけ――‼」


 さすがに、ディミトリは慌てて否定しようとする。だけど、言葉が詰まって。


 ――くそ。


 否定しようとしても、しきれない自分がたしかにそこにいるから。自分よりも不幸な人を見て、まったく何も思わなかったと胸を張ることはできないから。


 ――それでも、俺は……‼


 王女は奥歯を噛み締めるディミトリを見て「ふふっ」と笑う。


「話が逸れたわね――それで、その可哀想なメイドさんはどこかしら? まさか、あなたが指示して妹に危害を加えようとしているわけがないでしょう?」

「……もちろんです」


 もちろん、それは違う。だけど、今コジマさんはここに居ない。


「さあ、違うなら早くメイドを出しなさい‼」


 どんなに促されそうとも、彼女がこの場に居ない事実だけは否定しようもない。実際、アイーシャ不在にいち早く気づき、探索に向かっている――そう言おうとしても、ここまで生徒会長であり、第二王女である彼女が、往々にして生贄王子ディミトリを問いただしているのだ。一体誰が自分らを信じてくれようか。


 それをわかった上で――ディミトリは口角をあげる。


「何を勘違いしているか存じませんが――俺はメイドなんて雇っていませんよ?」


 だって、この不条理な状況を覚悟した上で、ディミトリは約束したのだから。

 コジマさんに、『カッコよく』時間稼ぎをしてみせる、と。


「俺が敬愛する彼女は、家政婦・・・です」


 そうおちょくるのが、本当にカッコいいかは別としても。

 常に上から目線だったレティーツァの綺麗な面を崩せたのは事実だ。


「そんな屁理屈⁉」

「俺を怪しむというのなら、どうぞ好きにお調べください。自白剤でも拷問でも、ご随意にどうぞ。このディミトリ、バザール公国の名誉に懸けて、アイーシャ殿下に危害を加えてないと主張させていただきます」

「……言ったわね?」


 たとえ、王女の顔が愉悦に満ちたとしても。


「つまり、その発言が嘘だとしたら――それはバザール公国の反逆。我がシェノン王国への宣戦布告としてとってもいいのかしら?」


 ――やっぱり、それが目的か。


 つまり学園内の再戦派のトップは彼女と。なんともわかりやすい図式は、ディミトリの方こそ願ったり叶ったりだ。この問題をどうにかできれば、生贄王子としての役目も守れるのだから。


「どうぞ、ご随意に解釈していただいて結構です」


 ――俺ならやれる。

 ディミトリも綽々とお辞儀ボウ・アンド・スクレーブをして。だけど、笑みを崩さない。


「ただ一つだけ――すぐに、俺の家政婦はアイーシャ殿下を連れて帰ってきます。その時、アイーシャ殿下の主張が彼女の無実であったのなら、しっかりと彼女を貶す発言したこと、この場の全員の前で謝罪していただきたい」

「良いでしょう! では二刻四時間、あなたとじっくりお話・・しながら待つことにしましょうか。日付が変わる時までに、二人が戻らなければ……ふふっ、その前にあなたの方が、後悔と謝罪を口にしながらわたくしの足を舐めたくなるかも?」

「さすが、御冗談が上手いですね」


 ――コジマさん、俺やってみせるから。


 ディミトリは絶対に負けられない戦いに挑む。

 たとえ、見てくれがカッコよくなかろうとも。女々しい行為だとしても。

 ただ『待つ』という行為で彼女たちを守れるのなら、いくらでも無様を晒してみせよう。

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