15.センティメンターレな涙と迷い

 オレの目の前にあるのは、愛した彼女が眠る墓。


 彼女は言った。


 絶望に打ちひしがれるオレに、『どこにも行かない』と微笑んで。

 言われなければ、大切なことすら思い出せずに、剣をただ振るえば守れると思っていた愚か者のいる場所が……。彼女のそれに関しては何もできないオレのいる場所が、彼女の居場所なんだと。


 オレと出逢って、本当に彼女は幸せだったんだろうか。

 オレは彼女にとっても、ただの疫病神だったんじゃないのか……。


 オレは――……。


***


 思わず、ハッと目が覚めれば、そこは暗い自室だった。携帯を見れば、起きるにはまだ少し早く、二度寝するには心許ない時間。ぼやけて見える画面の原因を、手で拭ったときだった。


――オレは、彼女に愛されるだけの資格があったんだろうか……。


 いつも見る前世の夢とは少し違う、昏い夢で聞いた言葉が過る。でもその声は紛れもなく、オレ……だったように思う。ただ、そう思うには、危うさはあっても幸せな最近よく見る夢とは、どこか何かが違っていた気がした。


「疫病神、か……」


 ルイスが自身をそう考える理由として考えられるのは、両親の死だ。それはもう別の夢で見た。


 それがわかってしまうからかもしれない。無性に声が聞きたくて、気付けばそのまま通話ボタンを押していた。数回のコールが途切れる。


「おはよう、類。珍しいわね、こんな時間にかけてくるなんて」

「おはよう、母さん」


 その声を聞いて、やっと夢から覚められた気がする。オレの家族は生きてるんだと、そう思ったら言葉に詰まった。というか、ただ声が聞きたいだけで、理由がなかっただけに、今更焦った。挨拶をしたあと、頭が真っ白になって用件も言わずに黙り込んだ息子に、母さんは静かに問いかけた。


「何かあった?」

「いや、別に……。少し、声が聞きたくなっただけ」

「そう……」


 穏やかに相槌を打った母さんは、少し考え込んだあといつもの調子で言った。


「蓮もいるし、大丈夫だとは思うけど。あんまり根詰めすぎないのよ? お父さんも愛も慧も、年末に元気に帰って来るの待ってるから」

「うん」

京伽けいかさんも陸くんが帰ってくるの楽しみにしてたから、よろしく伝えておいてね」

「わかった、伝えとく」


 それからもう一言二言話して通話を切ったときには、目が覚めたときの憂鬱さは気にならないほど収まっていた。そうして、まだ目尻に残っていたそれを拭うと、オレは少し早い身支度を始めたのだった。


***


 そんなこんなで迎えたクリスマスコンサートの翌日。冬日和の中、オレは一人、最寄り駅前の入り口に立っていた。


 すぐ傍にある花屋の店先にはポインセチアが並び、クリスマスツリーが飾られている。今年はクリスマスイブもクリスマスも平日だからか、周りはカップルの待ち合わせが多い。独り身的には何となく居心地が悪い桃色の空気に、思わず吐き出したため息が白く染まって消える。


 空風からかぜに首を竦め、羽織ってきたコートのポケットに両手を突っ込む。時間を確認しようかと時計台を見上げたそのときだった。パタパタと駆け寄ってくる足音と共に、待ち人の声が聞こえた。


「類先生、待たせちゃってごめんなさい」


 その声に振り返れば、クリーム色のピーコートに赤と緑のチェックのプリーツスカート、編み上げブーツという出で立ちの莉音が、息を切らして立っていた。駐輪場から走ってきたんだろう。キーホルダーのついた自転車の鍵らしきものを握りしめたまま、頬を赤く染めて息を吐き出す彼女にオレは笑って言った。


「別にそんな待ってないし、待ち合わせ時間ちょうどだから謝る必要はないぞ?」

「でも鼻、赤いよ?」

「……まぁ、今日は冷えるからな」


 実のところ、何だかんだでオレも楽しみで、待ち合わせの三十分も前に来ていた。……なんて、さすがに言えない。ずっと横にいたせいか、花屋のお姉さんの視線が心なしか生暖かい、ような気がする。いや、気のせいだきっと。


「とりあえず、行くか」

「うん!」


 触れるか触れないかの距離で並び、二人で駅構内に向かう。


 莉音は宣言通り、定期考査で見事に順位を上げた。今日はそんな莉音と約束したご褒美を兼ねた外出だ。デートではない。周りからそう見えるかもしれない、とは思うし、オレはデートだと思っているものの、彼女からすればただの付き添いだ。


 電車で都心まで出たオレたちが向かったのは、大きな美術館。何でも月をテーマにした展示会をやっているらしく、ご褒美と称して例の恵茉ねえさんの代わりに付き合ってほしいと言われてここにいる。


 いつもならその幼馴染に付き合ってもらうらしいけど、受験生ということもあって予備校で忙しいのだとか。かと言って、月村先生が貰ってきたというチケットを無駄にするのも嫌だし、一人で行くのもつまらないから、ということらしい。


 夜空に浮かぶ月を描いたチケットを受け取りながら、問いかけた。


「莉音も月が好きなのか?」

「うん、好きだよ。類先生も好きなの?」

「ああ」


 『月巫女だった影響か?』と思いつつ、月の何が好きかを互いに話しながら、二人で館内に足を踏み入れる。


 有名な絵も展示してあるらしく、中はそれなりの人がいた。ゆったりとした流れに乗りながら、順に作品を見て回る中、一枚の絵画の前でオレの足が止まった。それは、満月が浮かぶ夜の海の中、月を切なげに見つめる人魚の絵。足を止めたオレの横から絵を覗いた莉音が、オレを見上げて問いかける。


「類先生はこういう絵が好きなの?」

「好き、というか……共感、かな」


 そこに見えているのに、手を伸ばせない。届かない。今の自分の状態に引きずられているのもあるんだろうけど、月を見上げる人魚に自分を重ねてしまった。このまま眺めても苦しくなる一方だし、流れの邪魔になるのも気が引けてそこから離れて次の作品へと足を向ける。


 そうして見て回っていたら、今度は莉音がピタリと足を止めた。彼女が足を止めたのは、月下で幸せそうに微笑む恋人と思しき男女の絵。その姿にふと、前世の記憶が過る。


 いろいろあって、ルイス前世のオレがリオンに想いを告げたのも、満月だった。


――私も、ルイスのことが好き。


 夢で見ているだけなのに、声や表情、抱きしめた感触、果ては肌を刺すような寒さと対象的な温もりでさえも、昨日のことのように鮮明に思い出せる。


 ともすれば、引きずられそうになる甘い記憶を振り払い、莉音を振り返ったオレは息を呑んだ。


「莉音……?」

「え? あ、あれ……? なんかこの絵を見てたら急に胸が詰まっちゃって……」


 静かに涙を流していた莉音が慌てた様子で涙を拭う。ハンカチを差し出せば、素直に受け取って目に当てる。そうして、彼女の涙が落ち着くのを待って、残りの絵も順に見て回ったのだった。


「月夜に愛を囁く恋人、かぁ……」


 絵はがきに添えられた解説を読んだ莉音が、しみじみと呟く。休憩がてら入った館内のカフェスペースで、彼女が手にしているのはショップで買った絵はがきセットに入っていた例の絵だ。


 なるほど、そういうのを描いた絵なら、幸せたっぷりなのも頷ける。


 ブラック珈琲を飲みながら内心で呟いたオレに、彼女はうっとりとした顔で言った。


「恋ってなんかこう、憧れるよね」

「……そうか?」

「類先生、ノリ悪い」


 不満げにジロリと睨まれたものの、恋に憧れるという感覚がオレにはよくわからなかった。好きな人に恋い焦がれることはあっても、こんな恋をしたいと望んだことは、前世にしろ今世にしろ、少なくてもオレはない。


「そういうのは普通、女子同士でするものじゃないのか?」

「男の人はしないの?」

「全くしないわけじゃないが、女子ほど盛り上がるかと言われると……オレはあまり縁ないな」


 陸とも恋バナなんて基本的にはしないし。……いや、莉音のことを相談しているあれは、恋バナの部類に入るのか?


 そんなことを考えている中、彼女が注文した苺のショートケーキが運ばれてくる。先にきていたロイヤルミルクティーと合わせ、何とも幸せそうに口に運んで行く彼女がふと手を止めて問いかけた。


「類先生は好きな人とかいないの?」

「……藪から棒だな」

「いいじゃない。減るものじゃないんだし」


 好きな人はと言われれば、今のオレがその感情を向けているのは目の前の莉音だ。ただ、それはオレの恋なのか、ルイスの恋なのかがわからなくて、ハッキリとした答えを未だに出せていない。だから、オレは努めていつもどおりを装いながら言った。


「さぁ、どうだろうな」

「ケチ。教えてくれたっていいじゃない」

「こういうのはおいそれと口に出すものでもないだろ」


 口を尖らせる莉音にそう返せば、『それはそうかもしれないけどさぁ……』とあからさまに不満そうな声が返って来る。そんな彼女に、オレは逆に問い返した。


「そういう莉音はどうなんだ?」

「私?」


 幼馴染の代理にオレを選ぶくらいだ。彼氏とかはたぶんいないんだろう。それでも好きな男がいるなら、オレはただ自分の自己満足で莉音を守ることに徹すればいい。その方がシンプルでいいかもしれない、と少し逃げ腰な考えが過る。そんなオレに対し、彼女はしばし考え込んで言った。


「私は……、どうだろう……」

「なんだ、オレと同じ返事になってるぞ?」

「ち、違うもん。私自身、判断できてないだけだしっ!」


 最初こそ苦笑で返せたものの、恋か否か判断ができない『誰か』の存在に、どす黒い感情がわき上がるのを自覚した。


「ほー……どんなヤツなんだ?」

「教えないっ!」


 そう言って彼女は、頬を赤く染めてそっぽを向く。その顔は、ルイスと一緒にいるときにリオンが見せていたものに重なり、見ず知らずの『誰か』に対する嫉妬を抑えられない。


 思わず目が据わりそうになる中、莉音は気恥ずかしげにポツリと言った。


「ただ、付き合うならありのままの自分を見てくれる人がいい、かな」

「……え?」


 その言葉と表情に心臓が鳴る。……いい意味でも、悪い意味でも。


「類先生が家庭教師としてくるまでにも、お父さんの紹介で医者を目指してる男の人と何人も会ったことあるんだけどね。今まで莉音として見てくれた人はいなくて、月村院長の娘とか、病院を継ぐために必要な女っていう風にしか見られたことがなかったの」


――月巫女っていう立場を除いた私って一体何なんだろうって思うの。


 脳裏を過ったのは、前世の彼女がふと洩らした言葉だ。誰も彼もが月巫女と呼び、名前を呼ばない中で自分というものを探していたリオン。もしかした似たような気持ちを莉音も抱いていたのかもしれない。


 そんな中で、家庭教師としてやってきた医学生のオレを、今まで莉音が出会ってきた男たちに重ねて警戒するのも無理なかったのかもしれない。……ていうか、一体今まで何してきたんだ、これまで会ったっていうそいつら。


 顔も知らない男たちに思わず敵意を抱きかける中、莉音は続けて言った。


「だから、いつか結婚するなら、私を真っ直ぐ見てくれる人とちゃんと恋ができたらいいなって、そう思うの」


 莉音を真っ直ぐを見る人、という言葉が突き刺さる。


 リオンの生まれ変わりというレッテルを貼って、フィルター越しに見ているオレも、莉音がこれまで会ってきた男たちと大して変わりないのかもしれない。そんなオレが莉音の隣を望んでいいとは到底思えなくて。浮き足立ちかけた心に『勘違いをするな』と喝を入れながら言った。


「そう、か……。そんなヤツに出会えるといいな」

「うん」


 上手く笑えていたかはわからない。それでも、莉音を本当の意味で幸せにできる男が、彼女を好きになってくれたらいいなと思う。


 ただ叶うなら、莉音が心から想い合える相手が現れるまで、もう少し……。あともう少しだけ、傍にいることを許してほしい。


 楽しげに恋に抱く夢を語る莉音を見つめながら、そんな身勝手な願いをオレは心の中で呟いた。




※ センティメンターレ:感傷的の意

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