3.月の巫女と騎士
「ルイス、リック。今日の任務は月巫女様をお守りすることを最優先とし、そのための判断はお前達に一任する。護衛騎士の名に恥じぬよう、必ず守りきって見せろ」
厳かに告げたのは、漆黒の髪に赤い瞳の男性。彼は騎士団長だ。そしてオレは月巫女を、命よりも大切な彼女を守る護衛騎士。
そんな当たり前のことを、今の今まで忘れていたかのような錯覚を覚える。大事な任務の前だと言うのに、全くおかしな話だ。
あり得ない思考を意識の外に追いやり、隣に立つ騎士と声を揃えて敬礼する。その後、団長から出された指示に、戸惑いお互いの顔を見やる。
柔らかい金色の髪を朝日に煌めかせた彼は、碧い瞳に諦めを滲ませて肩を竦めた。そんな相棒を見ていて、ふと違和感を覚える。肩程度の彼の髪はもっと長くはなかったか、と。子供の時分から、そこまで伸ばしたことはなかったはずなのに、何故かその髪はもっと長く、胸まであったような錯覚を起こす。
それに戸惑いながらも、守るべき彼女の侍女から言付かり、オレは彼女の元へと向かう。ドアに隔てられた向こうに居たのは、白いドレスに身を包んだ彼女だ。
三つ編みに編んだ海のように青い髪を揺らしながら、彼女が振り返る。瑠璃のような青い瞳が、オレを見るなり見開かれ固まった。見慣れない化粧はいつもより濃いように思うが、不思議と似合っていて、綺麗だった。思わずかける言葉を失うくらいには。
彼女は彼女で呆気に取られた様子で、口を開かず、気まずい沈黙が降りる。何かを話さないと、と思うのに言葉が出てこない。
――……い。
沈黙を破るように微かに何かが聞こえる。その声は聞き覚えのあるものに思えるが、どこから聞こえるのかがわからない。
――……きろ。目を覚ませ。
目ならとうに覚めているのに、何を言っているんだろう。そう首を傾げたときだった。
***
「いい加減起きろ、類!」
その声と共に、突然目の前に現れたのは、やや赤みを帯びた茶色の目。瞳に呆れの色を滲ませた彼の髪は漆黒だ。そして、その顔は隣の部屋で待っているはずの人に瓜二つだった。
「団、長……?」
「なんだ、また夢見たのか? オレは団長じゃなくて、
そう言って、彼はオレの頭を軽く小突いた。
「蓮……?」
「……お前、本調子じゃないなら、やっぱり病院に行くべきなんじゃないか?」
「病院……」
「先週の金曜日、月を見ていて転んで、頭ぶつけたって言ってただろ」
その言葉と共に、別の情報が記憶として雪崩れ込む。いや、雪崩れ込んだんじゃない、こっちが現実だ。
気遣わしげに見つめる蓮さんに、オレは苦笑しながら言った。
「大丈夫だよ、蓮さん。夢がリアル過ぎるだけで他は何も問題ないし」
「本当か? 嘘だったら承知しないぞ」
「本当だって」
じとーっと見つめる蓮さんの目は、ちょっとどころかかなり疑わしげだ。そんな彼は嘆息して言った。
「姉さんからお前のことを頼まれてる以上、ここにいる間はオレが保護者代わりだってこと、忘れるなよ?」
「……オレ、これでも成人してるんだけど?」
「一回り以上年下で、社会にも出てない学生なんて、オレからすれば子供と何ら変わらないんだよ」
「ならオレも蓮さんじゃなくて、蓮叔父さんって……」
そう言った瞬間、彼がにっこり笑みを浮かべる。でも、その目は全然笑ってない。
「悪い。今ちょっと聞いてなかったんだが、何か言ったか?」
「……ナンデモアリマセン」
「よろしい。ならさっさと支度しろ」
蓮さん曰く、三十代の男にとって、呼び方というのは非常にデリケートな話なのだとか。そう聞いてはいたものの、まさかここまで嫌がるとは思わなかった。
そんなことを考えている間、時間が待ってくれるはずもなく。ふと見た携帯が表示した時間に、オレは慌ててベッドから飛び出し、身支度を始めた。
階下に降りれば、座卓には一人分の食事が並んでいる。雑穀ご飯に根菜たっぷりの味噌汁、納豆に漬物、目玉焼き。母方の実家――
手を合わせ、それを食べていると、きっちりスーツを着込んだ蓮さんが顔を見せた。
「今日は職員会議があるから少し遅くなる」
「わかった。夕飯のリクエストは?」
「そうだな……肉で頼みたいが、あとはお前に任せる」
それに頷き返せば、蓮さんは『いってきます』と家を後にした。朝ごはんを片付け、隣の道場を含む戸締まりと元栓の確認をする。そうして、オレもまた男二人暮らしの居候先を後にした。
電車で数駅移動し、大学までの通い慣れた道を歩きながら、ふと思い返したのは今朝見た夢のことだ。
海のような青い髪の女性……いや、女子と呼んだ方がいいのだろうか。先週末の満月以来、毎日のように彼女――リオンという名前らしい――を夢に見る。
月の神に祈りを捧げる月巫女、と呼ばれる彼女を守る護衛騎士。それが夢の中の『オレ』に与えられた役目だった。しかも、その国で国王に並ぶ地位にいる彼女に対し、あろうことか夢の『オレ』は密かに恋をしている、なんて設定付きだ。
片や国の中心に据えられている巫女姫、片やかろうじて貴族に名を連ねているだけの騎士。しかも、その巫女姫の環境から考えるに、いかにもラノベとかにありそうな悲恋とか身分差の恋とか、そういう類いの設定だった。
だけど、それはあくまでも夢の中の話だ。そう、夢の話。だと言うのに、目が覚めていてもなお、彼女を思い出すと胸が苦しい。まるで夢の中の自分が、オレを侵食していくかのようだ。
実際、今朝もそうだったが、現実と夢の境界が嫌になるほど曖昧だ。夢の中のオレは、ルイスと呼ばれていて、本名と大差ない名前だからかもしれない。
或いは、身近な人に似た人が夢に出てきているからかもしれない。
ルイスの上司にあたる騎士団長は、目の色がガーネットのように赤いこと、髪がもう少し長いことを除けば、ほぼそのまま蓮さんだ。性格も顔立ちも、おまけに年齢と、オレとの血縁関係も。ルイスの両親の記憶は朧気だが、それでもその面立ちは似ている気がした。
そしてそれは、オレの家族だけではなく、もう一人いた。ルイスと同様に、月巫女を守る金髪の護衛騎士。彼は髪の長さこそ違えど、それを除けばほぼアイツと一致するくらいにそのままだ。
「おっはよ~」
軽快に肩を叩く感触と共に、聞き慣れた声で朝の定型文が背中から飛んで来る。振り返れば、今まさに思い出していた彼――月島 陸の姿がそこにあった。
南国の海のような碧い瞳に、柔らかくうねる金色の髪。太陽の光に輝くその髪は、首元で一つに括られ、肩から胸元に垂れている。
その姿に、軍服を着たリックという騎士の姿がダブる。よく言えば人好きのする笑顔、悪く言えばチャラチャラした笑顔。そんな表情一つ一つ取っても、他人の空似とは思えないほどにそっくりだ。
「類、難しい顔してどうしたの?」
「いや。なんでもない」
「……お前の『なんでもない』は何でもなかった試しがないんだけど?」
眇めるように見る彼に、オレは肩を竦めて言った。
「お前まで蓮さんみたいに、過保護なこと言うなよ」
「え、何。蓮さんにまで言われるくらいなわけ?」
「大した話じゃない。少し夢と現実の区別がつかないことがあるだけだ」
「ホントにぃ?」
疑わしいと言わんばかりの彼の反応も、本当に夢の中のもう一人の騎士とそっくりだ。それに対して『再現性の高い夢だよな』などと思いながら、オレは小さく息をついて言った。
「リックが心配するような話じゃないから気にするな」
「気にするなって言っても、ルイスの言葉じゃねぇ……。信頼性は低いよね」
「オイ、それどういう意味……って、え?」
投げかけられた言葉に噛み付こうとしたところで、はたと止まる。
オレは今、彼を何と呼んだ? そして、何と呼ばれた?
驚き言葉を失ったオレに、訝しげな顔を見せた彼は、ややあって、ハッと目を見開いた。まずいと言わんばかりに視線を逸らす彼の様子に、半ば確信する。恐らく聞き間違いじゃない。
「お前、なんで夢の中のオレの名前を知ってるんだ……?」
「え、夢……?」
戸惑った様子でパチパチと目を瞬かせる陸とオレの間を、僅かに冷たい秋風が静かに吹き抜けて行ったのだった。
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