4.月島陸の秘密

 今日最後の選択科目の授業が終わるや否や、オレは手早く荷物を纏めて講義室を後にした。他の学生や教授が行き交う廊下を、人を避けながら急ぎ足で進む。


 別に常に一緒に行動しているわけでもない、約束をしているわけでもない。だからこそ、学内にいるうちに捕まえないと、という焦りの気持ちが募る。もしも、今の時間の選択科目を相手がサボって帰っていたらアウトだ。


 そんな中、他の生徒に交じり、大学の門へと向かう彼を見つければ、思わず駆けだしていた。


「陸!」


 名を呼び、その肩を掴めば、それまで大きな欠伸をしていた陸が、そろーりと口元を引き攣らせて振り返る。げんなりとした様子の陸には申し訳ないが、そんなことに構ってる余裕はない。逃がさないように肩を掴んだまま、オレは努めて笑顔で問いかけた。


「今日、夕飯うちで食べて行かないか?」


 そんなオレの問いかけに対して、これ見よがしに大きくため息を吐き出して、陸は言った。


「朝といい、昼休みといい……。類って案外、しつこいよね」

「お前が変にはぐらかすからだろ」

「はぐらかしてないって」

「嘘つけ」


 失言をしたと言わんばかりの顔を見たあとで『オレは何も知らないよ』と言われて『はいそうですか』と納得なんかできるわけがない。それを知ってか知らでか、陸は困ったように苦笑いを浮かべ、オレに問いかけた。


「オレ、そんなに信用ない?」

「信用はしてる。けど、明らかに嘘をついてるとわかる返事に限って言えば、全くない」

「わー……いっそ清々しいくらいの一刀両だーん」


 周囲の目線が少しだけオレたちに集まる。それを避けるかのように、陸はオレの手を外して、足を進めた。小走りでその隣に並べば、彼は静かに口を開いた。


「世の中、知らなくてもいいことってあると思うんだよね」

「オレは知りたいんだ」

「なんで?」


 なんでと言われれば、その理由は極々単純だ。


「気になるんだ。夢で見た女の子が……」

「たかが夢でしょ」

「それでも!」


 自分でも思ったより大きな声が出て、慌てて口を押さえる。思わず立ち止まったオレに合わせ、陸も立ち止まる。静かに見つめる彼に、オレは僅かにつめた息を吐き出して、意識的に落ち着けた口調で返した。


「それでもオレには、どうしてもただの夢とは思えないんだ」


 不安なのか期待なのかよく分からない、自分でも驚くほど覇気のない声は、雑踏に消えていく。そんなオレを、陸は真っ直ぐ落ち着いた目で見て言った。


「聞いたら後悔するかもよ?」


 『それでも聞きたいの?』と言わんばかりの言葉に、オレは迷うことなく頷く。


「しない。したとしても、それはオレの選択の結果だし、甘んじて受け入れる」


 そう告げれば、陸は一つ息をつくと、夕飯のメニューについて確認をしてきた。まだ渋そうな顔をしてはいるが、話す気にはなったらしい。肉料理ということ以外まだ決まっていないと言えば『じゃあ唐揚げで』とリクエストされ、買い物がてら二人で帰路についた。


 そんなこんなで、蓮さんの分は別に取り置いて、二人で夕飯を済ませると、陸は食後のお茶を啜りながら問いかけた。


「で? お前は具体的にどんな夢を見てるわけ?」


 それに対し、オレは覚えている限りのことを話した。月巫女と呼ばれる女の子と、その護衛騎士をしているオレ。そして、陸や蓮さんにそっくりな騎士が出てくることも含め全て。


 そこまで話し終えると、陸は何か考え込んだ。たぶん、何から話すべきか悩んでいるんだろう。そんな彼に、オレは気になっていたことを問いかけた。


「陸、お前はどうしてルイスって名前を知ってるんだ?」


 その問いに、彼は難しい顔で頭を掻きながら言った。


「類ってさ、前世って信じる方?」

「前世?」

「そ。生まれる前の自分っていたと思う?」


 口調こそ軽いものの、真剣な表情で問われ、少しだけ考える。前世と聞いてもピンとは来ない、というのが正直なところだが……。


「実際がどうかは知らないが、世の中あってもおかしくはないかもな、とは思ってる」

「じゃあ、お前が今見てる夢、お前の前世だと思うって言ったらどうする?」

「え……?」


 オレが見ている夢は、ラノベのようなファンタジー要素が溢れているものだ。だから、何か関連があるんだろうとは思っても、無意識にあり得ないと除外して想定していなかった。それでも前世だと言われれば、不思議と納得いくものがあるのも事実だった。


「もしそうだとしたら、夢に出てくるお前や蓮さんに似た人も?」

「蓮さんに関しては恐らく、としか言えないけどね」

「じゃあ、お前も夢を……?」

「それは違うよ」


 そう言って、陸は首を左右に振る。そして、湯呑みを揺らして弄びながら、伏し目がちに言った。


「オレはさ。最初から前世の記憶、全て覚えてるんだよね」

「……は?」


 夢でなければなんでだ、と思っていたところにまさかの回答が返ってきて、間抜けな声が出る。呆気に取られたのもつかの間、次に浮かんだのは疑問だった。


「いやいや、待て待て。それじゃ話の辻褄が合わないだろ」

「どの辺が?」


 首を傾げて問いかける彼の顔は、いつもどおりに見えてやや翳りがあるのは、たぶん気のせいじゃない。でも、オレにはその理由がわからない。だから、率直にぶつけた。


「中学、高校も同じだったけど、お前がオレに声をかけてきたのは高校で、いかにも初めましてって感じだっただろ」


 そんなオレの言葉に『ああ、それね』と苦笑を浮かべながら、肩を小さく竦めて陸は言った。


「『オレ前世の記憶があって、お前とも友達だったんだ』なーんて厨二病なことを言えると思う? 仮にそんなこと突然言われたとして、お前信じたの?」

「うっ、それは……」


 ほぼ確認で問われた内容に、思わず口ごもる。当時は今以上に軽いヤツだと思っていたし、オレとは対極のタイプだと思っていただけに、冗談と捉えただろうことは容易に想像がついた。そんなオレに陸は続けた。


「それに、前世なんて覚えてない方が楽だと思うし、思い出してないなら知らなくていいと思ったんだよ」


 静かにそう告げた彼の目はどこか遠い。その理由が気になり、じっと見つめれば、彼はポツリポツリと語った。


「今でこそあんまり気にしなくなったけどさ。時々、オレが陸なのか、リックなのかわからなくなることがあったんだ。記憶があったからこそ、お前が比較的近い場所に居たのも、正直怖かった」

「怖い?」


 何がどう怖いのかがわからず、ただ彼の言葉を繰り返したオレに、陸は言った。


「お前が見てる夢ってさ、幸せな夢?」

「幸せ……というか、そうだな。薄氷の上に成り立ってる幸せ……みたいなものは感じるな」


 全てを思い出せる訳じゃない。ただ、温かい日常の裏で、その日常を脅かす何かが蠢いている。そんな風に感じる夢だった。


 それはどうやら、陸も同じらしい。彼は一つ頷いて言った。


「正にそれ。だから、お前が記憶を持ってるのか持ってないのか、オレが接触することでどうなるのかが怖かったんだ」

「……でも、最初に声かけてきたの、陸の方だよな?」


 高校に入ってしばらくした頃。寝不足で倒れかけたオレにいち早く気付き、保健室に運んでくれたのは、当時苦手だと思っていたチャラ男――目の前にいる彼だった。


 教師も他の生徒も周りにいる状況で、隠していた体調不良に気付かれて驚いたのは今でもしっかりと覚えてる。その後、何だかんだとオレに声をかけてくるようになり、今がある。


 だからこそ、オレとの接触を怖がっていた、という言葉が俄には信じがたかった。そんなオレに、陸は苦笑しながら言った。


「進学先の高校にお前が居たのは、想定外だったんだけどさ。ほっとけなかったんだよ」


 その言葉の真意をはかりかねたオレの表情を読んだらしい。オレが問う前に、その答えが続けられた。


「医学部進学のために脇目も振らず、果ては自分の体調とか後回し。前世と変わらずそんな無茶するどっかの誰かさんが、ね」


 その言葉にようやく合点がいくと共に、礼を言いがてら改めて接点を持ったときに言われた言葉を思い出す。


――お前、医者になりたいなら、まずは自己管理からどうにかしなよ。自分の健康管理もままならない医者になんて、オレならかかりたくないね。


 当時は普段と違う態度に面食らったのと同時に、『なんて失礼なヤツだ』と思ったし、憤慨もした。それでも、陸の言葉は的を射るもので、その言葉は深く突き刺さった。


 そして、無理してると半ば強制的に保健室に連行されるようになって、気付けば今の関係になっていた。


 怖いと思いながらも、放って置けなかったという陸の言葉に、胸がじんわりと熱くなる。


「陸」

「ん~?」


 物思いに耽ってる間に、デザートのプリンに手をつけた彼は、間延びした返事と共に顔を上げる。


「ありがとな」


 話してくれたこと、不安を覚えながらもずっと傍で支えてくれたこと。いろんなことに対する感謝を伝えれば、彼はきょとんとしたあと、少しだけ照れくさそうに『どういたしまして』と笑う。それは、いつもと変わらないへらりとした笑顔だった。

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