20.積もる言葉はアモローソ

「きゃーーーー!!」


 盛大な悲鳴の直後、バッシャーンと大きな水しぶきを上げて、水中に乗り物が落下する。独特の浮遊感がどうしても苦手なオレとしては、あまり乗りたいとは思わないんだが、乗ってる莉音と陸はものすごく楽しそうだ。


 最初こそ、恵茉の顔色を見つつ動いていたものの。どちらかと言えば、普段どおりにする方が、彼女の元気が出ていたらしい。途中からは気を遣うというよりも、もはや遠慮なく、『あれ行かない?』、『これ行かない?』と莉音は提示しまくっていた。


 その甲斐あってか、昼を食べる頃には、覇気のなかった恵茉の顔にも、微かに笑みまで浮かぶようになった。……昼食後に乗った回るティーカップの乗り物で、莉音と陸が遠慮なくハンドルを回しまくるまでは。


 三半規管がやられてグロッキーになったオレと恵茉に、二人は申し訳なさそうに世話を焼いてくれた。そんな中、時計を見た恵茉がチケットを取り出して言った。


「ファストチケットの時間もありますし、私の代わりに莉音をお願いできますか?」


 そんな恵茉の言葉に、陸が反応する前に莉音が反応した。


「え、でも、二人を置いて行くのは……」

「一人じゃないし、もう少し休めば平気だから。それにせっかく取ったのに勿体ないじゃない」


 そう言って、元は莉音と恵茉が乗るはずだったアトラクションへ、彼女は二人を送り出した。それから、乗り物が落ちてくるところが見える場所に移動し、今に至る。


 満面の笑顔で手を振ってくる莉音の胆力に感心しながら手を振り返す。そんな中、隣で一緒に待っていた恵茉がポツリと呟いた。


「月島先輩すごいですね……。莉音のあのペースに難なくついていけるなんて……」

「祭りとかみんなで騒いで楽しむものは基本的に好きだからな、アイツは」

「ああ……。確かに好きそうですよね。女の子を軟派しまくってそうなイメージあります」


 第一印象というか、一番最初の行動のインパクトが強すぎたのか、恵茉の目が心なしか据わる。朝とは別の意味で死んだ魚のような目をする彼女に、オレは苦笑いをしながら言った。


「アイツ、見た目も言葉も軽薄そうに見えやすいが、その実、オレよりもよっぽど人に誠実で優しいヤツだよ」

「え?」


 呆気に取られたように、琥珀色の瞳がオレを仰ぎ見る。ついでその目が疑わしげに細められた。


 ……まぁ、初めましてであれだと、どこのプレイボーイだよって思うよな。オレだって中学時代はそう勘違いして敬遠してたし、気持ちは何となくわかる。


 そう思う反面、口ではああ言ってても、女子と二人きりで出かけている姿を、少なくてもオレは見たことがない。あそこまで気障ったらしい行動を取った相手は、前世でも今世でもそれぞれ一人に対してだけだ。そして、今世のその一人に多大な誤解をされかけている状況を目の当たりにしていると、さすがに手助けをしたくもなる。


「アイツはだいたい他人のためにいつも動いてるんだ。それにオレも何度も助けられてる。ちょっと今日は最初から飛ばし過ぎな印象はあるけどな」


 ルイスやリオンのために、ずっと影で動いて支えてくれていたリックの姿が脳裏を過る。そしてそれは、何もオレ達に限らず、エマに対してもそうだった。そんなリックと陸は、同じではないものの、前世の記憶を最初から持ってるからなのか、その本質部分はほとんど変わらないように思う。


 そんなオレの言葉に、恵茉は戸惑った様子で目を見開いたあと、手すりを掴む両手に力を込めて俯きがちに言った。


「なんでですか……? 私、類さんとだってつい数日前に知り合ったばかりだし、月島先輩なんて今朝名乗りあったばかりじゃないですか」

「なんで、か……」


 前世で知り合いだったかもしれないから、なんて言えるわけがない。だけど、仮に記憶がなかったとしても動かなかったかと言われたら、それを選ぶ自分の姿は想像がつかなくて。そこにある理由を探りながら、それを口に出した。


「たぶん、陸も同じこと言うと思うけど『そうしたかったから』かな」


 そう伝えれば、呆気に取られた様子で彼女がオレを見上げる。ただすれ違うだけの相手なら、確かに手を貸したりはしなかっただろう。それでも、今はこうして関わってる。


「オレは恵茉の気持ちを聞いた。そして、蓮さんと末菜さんの気持ちも」


 少なくても、八剣家と唐崎家の間に起きてることを今一番理解しているのはオレだ。そして恵茉の事情を一番理解しているのは、きっと莉音で。陸は彼女の事情のどれにも疎い。


 その中でオレは、恵茉がこれまでどう過ごしてきたかを知らないし、女心も正直今世でもよくはわからない。莉音は蓮さんや末菜さんが何を想っての選択だったかを知らないし、恵茉をよく知っているだけに下手に触れられない。その点、陸は人の懐に入って行くのが得意だし、気持ちを汲み取るのも、空気を変えるのもお手の物だ。


 それぞれできないことがある反面、できることがある。だから、前世の頃のように、オレたちは今こうして一緒にいるんだと思う。


 莉音が恵茉を元気づけようと考えて悩んで、一人では難しいと判断してオレに連絡してきて。オレじゃ力不足で陸を巻き込んで。だからこうして繋がった。


 そこにあるのは、単純に助けになりたいという気持ちだけだ。


 例え前世の記憶がなかったとしても、それでも今のように繋がりがあったのなら、オレは同じ選択をした。それだけは断言できる。人生経験一人分少ないから、上手くできたかはわからないけれど。


 でも、それだけは言い切れるから、オレはオレにしかできないことをしようと心に決める。そして、現状ではオレにしか伝えられないことを言葉に乗せた。


「蓮さんも末菜さんも、浮ついた気持ちだけであの席を設けたわけじゃなくて。二人とも恵茉のことを想って動いてると知ったから、オレはこのままになんてしておきたくない」

「……私に受け入れろって言うんですか?」

「結果的にはそうなるのかもしれない」


 二人の想いがそう変わるとは考えにくい。だから、恵茉の失恋そのものはどうしようもない可能性が高い。


 それはきっと恵茉もわかっているんだろう。唇を噛みしめて睨むように見上げる彼女にオレは言った。


「今すぐ受け入れろと言うつもりはない。どれだけ恵茉を思っての行動だったとしても、二人がする話はどうしたって恵茉には辛い話だと思う。それでも、このまま逃げ続けても何も良くはならないだろ、恵茉も、蓮さんも、末菜さんも」

「それは……」


 瞳を揺らす恵茉に、酷なことを言っている自覚はある。どれだけ気力の必要なことかも多少の想像はつく。それでも、莉音も陸もいる今ならきっと、すぐには届かなくても心には残るかもしれない。それを半ば祈りつつ、続けた。


「恵茉が聞けそうだ、言えそうだと思った時でいい。せめて二人の話を聞いて、恵茉が思っていることや望むことを伝えた方がいいとオレは思う。そうしないと何も始まらないんじゃないか?」


 オレの言葉に対し、恵茉は俯き両手を握り締める。そんな彼女が不安げに視線を彷徨わせたそのときだった。


「一人で心細かったら、そこの生真面目バカを巻き込んだらいいよ。というか、言葉足りないからあれだけど、たぶん一緒に行く前提だと思うしね」


 ため息混じりに増えた声と肩にのしかかる重さに振り返れば、そこにはいつ戻ってきたのか、陸がいた。その隣には両手にドリンクを持った莉音も。


 陸は、戯けた調子でウインク混じりに続けた。


「今日みたいに気晴らしが必要なら、オレも協力するしね」

「月島先輩……」

「陸でいいって。それに類がさん付けなら、オレもそんな畏まらなくていいよ」


 肩の力を抜けと言わんばかりに、戸惑いがちに名を呼んだ恵茉の両肩をぽんぽんとやんわり叩く。そこへジンジャーエールを恵茉に差し出しながら、莉音が言った。


「今までどおり、恵茉ねえの悩みも愚痴も聞くよ」

「莉音……」


 差し出された飲み物を受け取り、オレたちを順繰り見回した恵茉は、手元に視線を落とすと、小さな震える声で『ありがとう……』と呟いた。


***


 短くなった日が落ちた夕方。オレたちは八剣家のすぐ傍の公園にいた。そんな中、緊張した面持ちで両手を握り締める恵茉にオレは言った。


「恵茉。オレが言っておいてなんだが、本当に平気か? 何もそんな今日の今日で無理しなくても……」

「平気、です。こういうのは早く行動しないと、決心が揺らいじゃいそうだし……。今日はお母さんも休みだけど、明日からまた仕事のはずだから、今を逃すと次いつ話せるかわからないし……」


 あのあと、蓮さんに連絡をしてほしいと恵茉に言われ、急遽八剣家で家族会議を行うことになったのがほんの二時間ほど前。その足でここまで帰ってきて現在に至る……ものの、言い出した当の本人は、緊張でガチガチだ。傍に寄り添う莉音も不安げに、オレをチラリと見る。


 いくら何でも、さすがに日を改めた方がいいんじゃないかと思い始めたとき、恵茉の前に移動した陸が口を開いた。


「恵茉ちゃん」

「大丈夫ですってば!」

「うん、わかったから。顔あげて?」


 やや強い口調で返す恵茉に、陸は静かに声をかける。その声音に俯きがちだった彼女が顔を上げれば、その両肩に手を置いて、陸は言った。


「類も一緒だし、大丈夫だって信じてるから。ちゃんと周りを見て、一人じゃないんだってことを忘れずに頑張っておいで。莉音ちゃんとオレはここで待ってるからさ」


 その言葉に恵茉の肩の力が抜ける。それと同時に、オレと莉音もハッとした。恵茉の緊張の原因は何も本人だけじゃない。彼女の事情を知っているオレたちの心配や不安も、それを増長させていたんだと気付く。


 そんな中、やや呆けていた恵茉が表情を引き締めて頷けば、陸は『いってらっしゃい』と笑顔でその肩をポンと叩いたのだった。




※ アモローソ:愛情込めて、優しくの意

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