31.モルモランドの夢恋紡ぎ
差し込む陽の光に、ふと目を開ける。見覚えのある白い天井に、また眠っちゃったのかなと回らない頭で思う。それにしてはいつにも増して喉がカラカラで、とにかく何か飲みたくて起き上がろうしたときだった。
「莉音!?」
聞き慣れた呼び声に振り返れば、そこには今にも泣きそうな顔をした恵茉ねえがいた。
「恵茉、ねえ……?」
「よかった、目を覚ましたのね」
「く、るしい……」
呼びかけたら、少しきついくらい抱きしめられた。それに喉も渇いてるだけじゃなくて、声すら掠れ気味で上手く出せない。そんな状況に戸惑う中、恵茉ねえは目元を擦ったあと、苦笑しながら……でも、すごく嬉しそうに言った。
「あ、ごめんなさい。つい……。ナースコール押さないとね」
恵茉ねえがベッドのスピーカー越しに、私が目を覚ましたことを伝える中、チラリと部屋を見回す。見覚えのある作りの部屋に、話を終えた恵茉ねえに問いかけた。
「ここ、もしかしてうちの病院?」
「そうよ」
「莉音!!」
ガラッとドアを開けて駆け込んできたのは、お父さんだ。どんなときもノックとかを忘れる人じゃないのに、ここまで走ってきたのか、息も上がってる。
「お父さん、だい……」
「よかった、バイタルが戻ってもなかなか目を覚まさなくて心配していたんだ」
恵茉ねえに続いて、大袈裟なお父さんの反応に私は思わず目を瞬かせる。そんな中、看護師さんが入ってきて、血圧だとか何だとかの検査をして、挙げ句に腕に刺さった点滴から採血までして、勢いよく出て行く。
今まで見た記憶のない反応に私が戸惑っている中で、私はようやくお父さんと恵茉ねえから、一週間も眠っていたことを聞かされた。しかも今回はただ眠っていただけじゃなく、身体の機能が一時、死まで覚悟するほどに弱っていたのだとか。
少し遅れて駆けつけたお母さんや陸先輩も総じて似たような反応をしたから、相当危なかったんだなぁとどこか他人事のように受け止めた。その反面、陸先輩と一緒に来なかった一人に、ズキンと胸が痛む。
今回見た夢の内容がすごく幸せだった分、現実では違うんだなと気持ちが落ち込んでいく。そんな中、検査結果を持って戻ってきたお父さんが笑顔で言った。
「特にこれといった異常はないようでよかった」
それに頷いて笑って返す。今はとにかくこれ以上心配をかけるべきじゃない。そう気持ちを引き締めたときだった。
「あとはこれで栗原くんも目を覚ませばいいんだが……」
「……え?」
お父さんが告げた言葉に、私は思わず固まる。そんな私に、お父さんが語ったのは、信じられない事実だった。
***
目を覚ましてから三日。経過観察のために入院していた私は、自分に宛がわれた部屋の隣の病室にやってきていた。小さな電子音が鳴り響く個室で横になって眠るのは、夢でも見た類先生だ。
「なんで、今度は類先生が眠っちゃってるの? 意味わかんないよ」
居場所さえ伝えてあれば、基本的に病棟内では自由に過ごせるようにまでなったけれど、まだ類先生は目を覚まさない。
彼を心配してやってきた類先生のご家族は、お父さんの勧めで今はホテルで休んでいる。だから、今ここには私と類先生だけだ。そんな中、思い返すのは、陸先輩と恵茉ねえから聞かされた話だった。
二人の話によると、眠ってしまった翌日、類先生もお見舞いにきていたらしい。そして、彼が触れて呼びかけた瞬間、私の身体が銀色の光に包まれたのだとか。その光は類先生を一度は拒んだらしい。それでも私に呼びかけてもう一度触れて、光が強くなったと思ったら、私の手を握ったまま、類先生は倒れるように眠ったんだって聞いた。
そして、それを聞いて思い出すのは、夢の中でも眠っていたときに聞こえた声。
「ねぇ、あれ、ただの夢じゃなかったんだよね?」
類先生やルイスの姿に変化した月神さまと、類先生がいろいろと難しい話をしてた気がする。そこは正直記憶が朧気だ。でも、そのあと私に呼びかけてくれた言葉はちゃんと覚えてる。
「ねぇ、早く起きてよ……。夢じゃないんだって、教えてよ」
月神さまは、私たちを待つ者のところに帰れって言った。だから、類先生だけを帰さなかったはずはない。だって、類先生のことを娘婿って言ったんだから、認めてくれたはずだし、そんな彼を帰さないなんてないはずだ。
そう、思うのに……このまま目を覚まさなかったらどうしようって、不安になる。
「類……。お願いだから、目を覚まして」
小さい頃に聞いた眠り姫の話とは逆だし、眠り姫って渾名をつけられかけてたのは私の方だけど。今の私には月巫女としての力なんて何もないかもしれないけど、それでも何もせずにはいられなくて。
類先生の目が覚めることを祈りながら、ずっと呼んでみたかった呼び方で呼んで、僅かに開いた唇にキスをした。
夢見てたロマンチックなものとはほど遠い、すごく胸が苦しくて切ない、私のファーストキス。これで目が覚めてくれたらいいのにと、そう思いながら目を開けたら、今まで何の反応も見せなかったはずの類先生の瞼が微かに震えた。
そんなまさかと思いながら、息を呑んで見つめていたら、そっと目が開いて、緑の瞳に泣きそうな顔の私が映る。
「莉、音……?」
掠れ声で呼ばれた名前に、視界が滲む。そんな私に彼はホッとしたように微笑んで言った。
「よかった……。目を、覚ましたんだな……」
――無事で、よかった……。
類先生の姿に、いつか夢で見た前世の彼の姿が――傷だらけで全身ボロボロになったルイスの姿が重なる。それに対して『ああ、これと似たようなことを私と話す度に感じていたのなら、類先生が悩むのもわかるかも』なんて、頭の片隅で思う。その反面、ものすっごく暢気な言葉に、本当にどうしようもなく腹が立った。
「『目を覚ましたんだな』、じゃないよっ! 前世のいつかのときも言ったけど、それ私の台詞っ!! 人がどれだけ心配したと思ってるの、類先生のバカっ!!」
一息に捲し立てたら、類先生は少しだけ吃驚したように目を見開いた。そして、癇癪を起こしてポロポロ泣きだした私の頬に手を伸ばすと、類先生は困ったように『ごめん』と言って小さく笑った。
***
目が覚めてからは、本当にバタバタだった。ナースコールを押したあとは、私よりも長く眠っていたからということで、あれやこれやと検査をされて、類先生は検査結果が出るまでは絶対安静と言われて、今もまだベッドの住人だ。
立て続けの検査で疲れ果てた様子の先生に苦笑しつつ、ベッド横にある椅子に腰かけて声をかけた。
「ねぇ、類先生」
「なんだ?」
「私、今回……すごく不思議な夢を見たの。ファンタジーな世界なのに、リオンとルイスじゃなくて、私と類先生がいる夢」
私の言葉に、類先生の目がほんの少し驚いた様子で見開かれた。それだけで、やっぱり夢じゃなかったんだなって半ば確信しながら続ける。
「繭に閉じこもった私にね、類先生がすごく大事なこといっぱい伝えてくれて、それで目を覚ますの。本当にすごく幸せな夢だったんだ」
今すぐありがとうって伝えたい。だけど、できれば夢じゃなくて、類先生の口から聞きたくて、もう一度言ってくれないかなと思いつつ、じっと見つめた。
きっとあれは夢じゃないとは思うけど、何か一つでもいいから、確定できる言葉がほしかった。
そんな私を見た類先生は身体を起こすと、初めて見る柔らかい笑顔で手招きして言った。
「莉音、傍に来てくれないか?」
請われるままベッド柵横に立てば、『もっと』とばかりに手招きをされる。それで、類先生の横に立ったら、そっと抱き寄せられた。さすがにそれは全く予想してなくて、固まった私の耳元で類先生は言った。
「傷付けてごめん」
「……うん」
夢で言われたものとは少し違うけど、それでも聞けた言葉に、落ち着いていたはずの涙が滲む。
「オレは、栗原 類は月村 莉音のことが好きだ」
「…………うんっ」
今の私に向けられた夢と同じ静かな言葉に、涙が溢れるのを止められなくて、声が震えて相槌を打つのが精一杯だ。そんな私の身体を少し離すと、類先生は私を真っ直ぐ見上げて言った。
「こんな未熟なオレだけど、それでもよかったら……付き合ってくれませんか?」
「……はい……っ!」
涙で先生の顔はにじんでよくは見えなかったけど、その手は少しだけ震えてて、頷き返したら、ホッとしたように息をつく声が聞こえた。
入院衣の袖で私の涙を拭うと、類先生は私の両頬に手を添えて言った。
「莉音、愛してる」
「私も大す……っ!?」
『大好き』と言い切る前に、類先生の顔がドアップになって、唇に柔らかいものが触れる。それが何かなんて問うまでもない。さっき寝てる類先生に私が触れたものと同じものだったから。
ただ心の準備ができてなくて、私はまた固まってしまった。顔が熱くて『絶対真っ赤になってるこれ』って、頭の片隅で思う中、類先生は私の額に先生の額を合わせて言った。
「夢よりももっと幸せにするから」
その言葉が嬉しくて、衝動に身を委ねて類先生に顔を近づけたそのときだった。
「類が目覚ましたってホント!?」
ガラッと病室の引き戸が開く音が聞こえて、私はあろうことか彼を全力で突き飛ばしてしまった。ハッとして見たら、先生がベッドに蹲ってて、あわわわとなりながら謝れば、『大丈夫だ』と返ってきてホッと息をつく。
だけど、ことはそれで終わりじゃなかった。
「え、えーと……。オレ、もしかしてこれ邪魔しちゃった感じ……?」
背後から気まずそうな陸先輩の声が聞こえて、慌てて類先生から距離を取る。
「いいいいいいいいいえ!? べべ、別にそんなことはぜぜぜぜ全然っ!!」
「莉音、どもりすぎ……。ちょっと落ち着け、深呼吸」
落ち着けと言われても、いろいろありすぎて落ち着く方が無理!
……と思ったものの、目の前で深呼吸をする先生のそれを見ていて、つられるように深呼吸をしたらちょっとだけ落ち着いた。それを見て類先生が微笑むと、傍にやってきた陸先輩がホッとした様子で笑って言った。
「その様子だとちゃんと地固まったみたいだね」
「……陸、手間かけて悪かったな」
「ホント、全くだよ」
そう言って、軽く肩を竦めて見せたあと、陸先輩は私を振り返って言った。
「莉音ちゃん、類が次バカ言ったら、遠慮なく連絡してね? オレがしばきに行くから」
そんな陸先輩の言葉に目を瞬かせたあと、私が思わず笑いながら返事をしたら、類先輩はちょっぴりバツが悪そうな不満げな顔で、そっぽを向いたのだった。
※ モルモランド:ささやくように、内緒話をするようにの意
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