32.月夢のセレナーデ
「類先生、退院おめでと~!」
そんな莉音のかけ声と共に、パァンとクラッカーが方々から鳴らされる。自分に向けられて降りかかった紙吹雪と紙紐を払いつつ、苦笑しながら言った。
「もう半月経ってる上、なんかだいぶ大事になってるような……」
「莉音ちゃんの快気祝いも兼ねてるからね。細かいことは気にしない気にしない」
そう言って、陸が肩を組んで、オレにグラスを渡す。快気祝いということだが、未成年者もいるからということで、そこに入ってるのはただのオレンジジュースだ。そのグラスをみんなと鳴らすと、思い思いにテーブルに並べられた食べ物を皿に取って行く。
集まったのは、莉音と陸の他に、場所として八剣家の居間を提供してくれた蓮さん。唐崎母娘に、月村教授夫妻、そして珍しく宝条先輩も来てくれた。……まぁ、お約束というか、マールスさんも洩れなくくっついて。
そんな彼女が例の薬学部の人だと名前と共に伝えれば、莉音が驚き声をあげる。
「えっ、じゃあ、あの漢方薬調べてくれたの、咲良先輩だったの!?」
宝条先輩との夢も見ていたのか、初対面かつ年上ながらも、莉音は臆した様子もなく彼女の名を呼ぶ。開口二言目に彼女から『調子が狂うから普通にして頂戴』との一声で、陸相手の時とは違い、その口調も砕けてる。対する宝条先輩も、いつもよりほんの少し嬉しそうに目を細めながら、すまし顔で答えた。
「ええ。多少は効いたって聞いたし、月島くんからも大丈夫だとは聞いたけど、もう調子は平気なの?」
「たぶん……?」
そう言って、小首を傾げる莉音に、『自分のことでしょう』と言わんばかりに先輩の目が呆れた様子で細められる。けれど、それを気にした様子もなく、莉音はホッとした様子で嬉しそうに言った。
「そっかぁ、咲良先輩だったんだぁ……」
そんな莉音の反応に、目を瞬かせた宝条先輩は、ニヤリと笑みを浮かべて問いかけた。
「あら、もしかしてヤキモチでも妬いてたの?」
「ち、ちがっ……」
『違う』と続きそうだなと、少しばかり苦笑いを浮かべたときだった。
「……わなくないけど」
そんな言葉が、ポツリと紡がれ、宝条先輩とオレの目が見開かれる。それにどう反応していいのかわからず、オレは手元のグラスを傾け誤魔化す。そんなオレを一瞥した先輩は、小さく息をついて言った。
「心配しなくても大丈夫よ。莉音しか見てないもの、彼」
「ぶっ……!! ちょ、宝条先輩!?」
思わず小さく噴き出し、口元を拭う。
今ここに誰が揃ってると思って……!?
そう思い、そーっと月村夫妻を伺えば、いつも穏やかな月村先生の顔が引き攣っている。その隣に立つ奥さんはと言えば『あらあら』と楽しげだ。こんな形ではなく、一度ちゃんと挨拶はしておくべきかと悩んでいた中の出来事に、オレの頭の中はパニック状態に陥る。
そんな中、オレの肩をガシッと掴んで声をかけてきたのはニヤリと笑う蓮さんだ。
「お前も隅に置けないな?」
「い、いや、これはその……」
悲しげな莉音の視線と、じろりと不機嫌そうな月村先生の視線に板挟みになる。もういっそこの勢いで、先生に挨拶してしまおうかとまで思い始めたところで、恵茉が横からそっと蓮さんの袖を引いて言った。
「類さんが困ってるから、そのくらいにして、お父さん」
「いや、悪い悪い、つ……い……?」
軽い調子で笑っていた蓮さんの言葉が、不自然に途切れる。というか、自然に彼女の口から出ていたせいで、一瞬気付くのが遅れたそれにオレも目を見開く。
そんな中、慌てて動いたのは蓮さんだった。
「か、唐崎っ!?」
いつもどおりの蓮さんの呼びかけに、恵茉はしばし視線を彷徨わせる。そうして、数回ほど深呼吸をすると、両手を後ろで組み、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「それ、お母さんと籍を入れたら、『恵茉』ってちゃんと直してね?」
告げられた彼女の言葉に、蓮さんが泣きそうな顔でくしゃりと綻ばせて笑う。そんな彼の隣で口を覆う末菜さんの目から、涙が伝い落ちて行く。そんな三人……特に恵茉の事情を知っている陸が、三人に向けてクラッカーを鳴らした。
驚いた様子で恵茉が振り返れば、彼は柔らかな笑顔と共にウインクを返す。そんな陸の笑顔につられるように恵茉もふわりと笑えば、月村夫妻や宝条先輩たちの手元からもクラッカーの音が鳴る。
クリスマスから約一月半。もっとかかるかと思っていたものの、恵茉はそれを乗り越えたらしい。その姿に思わずホッと息をつかずにはいられなかった。
オレのそれと被るように、隣から小さく息を吐き出す声が聞こえ、ふと振り返れば莉音と目が合う。どうやら考えていたことは同じだったようで、二人で笑い合ったあと、オレたちも少し遅れて三人へクラッカーを鳴らしたのだった。
***
そんなこんなで、オレと莉音の快気祝いが終わったあと、オレたちは二人並んで道場の縁側に座り、やや曇り気味なガラス越しに月を見ていた。
「今日は恵茉の部屋に泊まるのか?」
「うん。お父さんがちょっと渋い顔してたけど、でもちゃんと外泊の許可はもらったよ」
「そ、そうか……」
渋い顔をしてたのか、そうか……。いやまぁ、一人娘だし、そうだよなぁ……。
思わず今後のことを考えると、胃がキリキリしたものの、授業や実習で私情は挟まないはずだ、恐らく、きっと。そんなことを思うオレの横で、暖房だけ入れた薄暗い道場を見回し、莉音が言った。
「八剣先生って剣道の顧問だけじゃなくて、道場の師範もしてたんだね」
「ああ。オレと陸もちょくちょくここで稽古をつけて貰ってる」
「そうだったんだ」
そう返すと、莉音は再び窓の外に浮かぶ満月を見上げる。彼女とぶつかったあの日に、オレが蓮さんとスーパームーンを眺めたのもこの場所だった。
「敷地内だと、ここから見る月が一番綺麗だから、泊まるなら一緒に見たかったんだ」
「うん、本当だね。私、類先生とこうして一緒に綺麗な月を見れて嬉しい」
彼女の返事に思わず振り返れば、ほんのり頬を染めた莉音がオレを見つめていた。
「ち、違った……?」
「いや、違わない……けど、よくわかったな?」
「だ、だって、ルイスだったときの告白の言葉、月だったし……」
「……覚えてたか……」
ルイスだった頃は、本音を問われて文字通り熱でぶっ倒れる寸前、『好き』の代わりに告げたのが『月が綺麗』という言葉だった。まぁ、それを除いても、今世では何の因果なのか、有名な作家の逸話にもあるから、伝わる人間には伝わる告白方法だ。あまりに照れくさくて、遠回しに忍ばせたものがバレると、余計に恥ずかしさが増したけど。
「類先生、顔真っ赤」
「莉音だって真っ赤だろ」
そう言い合って、二人で小さく笑い合ったあと、肩を寄せ合い、ポツリと呟いた。
「それにしても、なんで今になってオレたちの記憶が戻ったんだろうな?」
「あ、それは月神さまが働きかけたからみたい」
「え?」
返って来るとは思っていなかった答えに、思わず振り返れば、莉音が記憶を辿るように言った。
「月を通してずっとこの世界も見守ってたみたいなんだけど、すれ違ってもお互い見向きもしないから、力の強まるスーパームーンの日にこの世界に干渉したんだって」
その言葉に、目を瞬かせ、少しばかり唖然としながら問いかけた。
「すれ違ってたのか……?」
「駅とか電車とか街中でもたまにすれ違ってたみたいだよ、ここ三年くらい」
「三年っていうと、オレが大学入ってから、か……」
人の多い都内とは言え、住んでいる場所も近い上に、通う高校と大学も割と目と鼻の先。そんな環境だ、偶然すれ違いが起きていてもおかしくはない。
ただまぁ、関わりのない相手にどれだけ意識を向けるかと言えば、なかなか難しい。だから、そういう意味では干渉してくれてよかったと言えばよかったんだろう。……できれば、莉音の身体の負担がもっと少なく、穏便にして欲しかったけれど。
というか、急に莉音の眠り病が再発したのは、オレが莉音に対する気持ちに蓋をしようとしてたから、じゃないだろうな……。いや、でも陸のキレ具合を考えても、オレの迷走の度合いは相当だったらしいし。太陽神もいたのなら、むしろ、オレの荒療治なんてのもあり得たんじゃ……。
あれこれ、やっぱり原因オレか? オレなのか?
「原因はどちらかと言えば、前世の私なんじゃないかな。目が覚めるときにね、『ごめんなさい』って聞こえたの」
「……もしかして、オレ口に出してたか?」
「うん、出てた。前世もそうだったけど、たまーに心の声だだ漏れるよね」
そう言って、莉音がクスクスと鈴がなるように笑う。その内容にオレはぐうの音も出なくて、ふいっと月に目をやる。
莉音の話を聞いて、月を見たことで、もう一つ何となく腑に落ちたことがあった。
「オレさ、子供の頃からずっと月が好きで、何でなんだろうって理由を探してたんだけど。今やっとわかった気がする」
「何?」
首を傾げる彼女の頬に手を伸ばせば、ほんのり頬が染まる。そんな彼女の頬をそっと撫でて言った。
「きっとオレは、無意識に月にリオンを重ねて、ずっと莉音を探してたんだと思う」
「私?」
驚きを露わに目を瞬かせた彼女に、微笑みかける。
「月は月神の象徴で、それは月神の愛娘と呼ばれた月巫女の象徴でもあったからな」
「そっか……」
そう伝えれば、莉音の顔が嬉しそうに綻ぶ。けれど、何故かそれを一転、眉をつり上げた彼女は、人さし指を立てて言った。
「あ、でも、類先生。いくら前世の私でも浮気はダメだからね」
一瞬言われた言葉に呆けたものの、内容を理解すれば頬が緩んだ。『真面目に言ってるのに』と言わんばかりの彼女の額に、自分の額を当ててオレは言った。
「心配しなくても、オレが好きなのは莉音だ。もう迷わない」
「……な、ならいいけど……」
青い瞳を覗き込めば、莉音は口を尖らせ、気恥ずかしげに視線を逸らす。そんな様も可愛いなと思いつつ、オレは彼女の名を呼んだ。
「ところで、莉音」
「な、何?」
「いつまでその呼び方なんだ?」
「え?」
キョトンとした様子で莉音が小さく首を傾げる。意味が伝わってないらしい彼女に、オレは重ねて言った。
「家庭教師は継続……というか、月村先生に伝える前だったからそのままだけど、オレはずっと先生のままなのか?」
そう言えば、意味を察したのか、はたまた前世のやりとりを思い出したのか。ハッとした様子で莉音の顔が真っ赤に染まる。やや視線を彷徨わせたあと、彼女は恥ずかしげに上目遣いでオレを見上げて言った。
「る、類……?」
「よくできました」
恋人の口から紡がれた言葉に、嬉しさから額にキスを落とす。すると、莉音は顔の赤みを増しながら、触れた額に手を当てて、金魚のように口をパクパクさせて言った。
「類が陸先輩化した!?」
「……してないから」
思わず素でツッコミを入れる。『ていうか、陸先輩化ってなんだ』と思い、苦笑しつつ返した。
「そもそも陸だって、お前が思ってるようなこと、ホイホイとは普段しないからな?」
「え……? だって恵茉ねえのときはして……。……えっ!?」
オレの言葉の意味を理解したらしい彼女は、『信じられない』とばかりに目を口元を隠す。まぁ、親友に関する誤解が解けたのはいいんだが。
「そこは二人の問題だから、さておいて、だ」
いくらオレの親友で、彼女にとってはある意味兄貴分の存在であったとしても。目の前に恋人がいるのに他の男を思い出されるのは少々、いやかなり釈然としないから、彼女の意識をオレに戻す。
「お前がオレに名前で呼ばれたがったように、オレだって、お前に呼ばれる名前は特別なんだよ」
「そう、なの?」
「そうなんだ」
そう言って抱きしめれば、まだそれには慣れないのか、腕の中の彼女の身体が緊張したように固まる。まぁ、オレも別に慣れてるというほどではないから、心臓がバクバクいってるんだが、それには気付いてないらしい。そんな彼女にありったけの気持ちを込めて言った。
「それだけ莉音は、オレにとって唯一の大事な存在なんだ。今もこれからもずっと」
「ずーっと?」
「ああ、ずっと」
少し身体を離し、真っ直ぐ彼女の目を見てオレは言った。
「この先もずっと、莉音と一緒に生きていきたいと、オレはそう思ってるよ」
そう言えば、ぼふっという音が聞こえてきそうなくらい、莉音の顔が首やら耳まで含め、熟れた林檎のように真っ赤に染まる。
「両想いになった途端、そういうことさらっと言うのズルい……」
「嫌か?」
「ヤじゃない、けど……カッコよすぎて困るというか、心臓がもたない」
ポツリとぼやくように言った莉音は、目元まで両手で隠したものの。オレからすれば、そんな莉音の反応の方が可愛すぎて困るんだが。そう思いつつ、彼女の顔を隠している両手をそっと引いてその名を呼んだ。
「莉音」
「……んっ!?」
唇にそっとキスをすれば、莉音が真っ赤な顔で硬直する。そんな彼女があまりにも可愛くて、仕方なくて。オレは華奢な身体をそっと抱きしめて、その耳元で囁いた。
「愛してる、この先もずっと。二度と離さない」
その言葉に、小さく頷いたあと、莉音の腕が背中にそっと添えられ、返された温もりに対する喜びで頬が緩む。
そんなオレたちを、満月だけが優しく見守っていたのだった。
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