エピローグ
春のテネラメンテ・カルテット
それはだいぶ暖かくなり、桜も咲き始めた四月の頭のこと。新学期があともう数日で始まるその日、オレたちは道場にいた。
「それにしても、一年浪人して再受験なんて思い切ったね、恵茉」
そう呟いたのは、チェロの確認をしていた陸だ。気付けば『恵茉ちゃん』から『恵茉』に呼び方を変えた親友と、つい先日、従兄弟になったばかりの恵茉の間にも何か変化があったらしい。恵茉は蓮さんに買って貰ったばかりのポータブルタイプの電子ピアノを前に、指のストレッチをしながら言った。
「自分でも思いきったなと思います。さすがに反対されるだろうと思ってましたし」
苦笑しながら語る彼女の様子に、少し前に同席した直談判の図を思い返す。そんな中、恵茉が続けて言った。
「でも、自分がなりたいものを考えたとき、これだって思っちゃったんです」
「それが音楽の先生だったの?」
そう問いかけたのは、弓の毛に松脂を塗る莉音だ。彼女を振り返り、微笑んで恵茉が頷き返す。
「そ。楽典だとかピアノの実技だとかを考えると、正直一年で足りるかなって感じなんだけど。それでも、自分の気持ちに蓋をして後悔するのはもうしたくないから、やれるだけやってみようと思って」
――お父さんたちのようになりたいから、音楽の教師になりたいんです。
父親が亡くなるまでは、ピアニストになるのが夢だったと恵茉は語った。ただ、父親が亡くなってからはろくに練習していなかったこともあり、ピアニスト自体は諦めたのだとも。
そして、もう一度検討する機会を与えられた彼女が見つけた夢。それは、実の父親から教わったピアノで、新しく父親になった蓮さんの後を追いかけることだった。
実の父親を忘れたくもないし、ピアノそのものにも触れていたい。そして、蓮さんに向けていた想いの中には尊敬もあったからこそ、失恋はしてもその気持ちだけは大事にしていきたいのだと。そんな欲張りな想いに悩んだ末に行き着いた夢が音楽教師だったんだとは、家族会議のあとで恵茉からこっそり聞いた話だ。
「まぁ、唐崎
「え、唐崎 奏佑って、類が好きだったピアニストの?」
「『好きだった』じゃなくて、亡くなった今だって好きだ」
目を瞬かせ過去形で言う陸の言葉を訂正する。
進路に迷っていた恵茉の背中を押したのは陸だったみたいだけれど、彼女の父親のことまでは知らなかったらしい。それでも、割とすぐ落ち着きを取り戻すといつもの笑顔を浮かべ、陸は恵茉を振り返って言った。
「ピアノは門外漢だから手伝えないけど、共通テストの手伝いなら今度はオレも手伝うから。遠慮なく言ってね?」
「で、でもさすがにそれは申し訳ないですし……」
「気にしなくて大丈夫。オレが手伝いたいだけだから」
ウインクを飛ばす陸の様子に、助けを求めるように彼女の瞳がオレを見る。そんな彼女に、オレは小さく息をついて言った。
「まぁ、本人が手伝いたいって言うならいいんじゃないか? 英語は陸の方が得意だし」
「そう、なんですか?」
「陸の母親は帰化した元アメリカ人だからな」
それはまだ聞かされていなかったのか、マジマジと見つめる恵茉に、『任せて』と言わんばかりに陸は親指を立てる。そんな彼に、恵茉はおずおずといった様子で提案を受け入れたのだった。
そんな二人のやりとりを眺めるオレの隣で、莉音は準備を整えたバイオリンを片手に呟いた。
「それにしても、まさかこの道場、防音仕様になってるなんて思わなかった」
「稽古の音だとか耐久性の問題が出始めた頃に、蓮さんがコントラバスを始めたらしくて。その練習場所も兼ねて、ちょうどいいからってじいちゃんが空調・防音仕様の道場に建て替えたんだって聞いてる」
「……じいちゃん」
静かに反芻された単語に首を傾げるも、『何でもない』と嬉しそうに笑みを浮かべて返される。それに疑問符を飛ばしつつ、目下確認しないといけないことを思いだし、問いかけた。
「そう言えば、莉音。楽譜はぶっつけ本番、当日のお楽しみって言ってたが、何を選んだんだ?」
「二人がどういうの好きかわからなかったから、春っぽいのとか、合わせ易いかなって思った曲をいろいろ選んでみたよ」
そう言って、莉音が鞄から出したのは楽譜の束。それを覗き込んだ陸は感心したように言った。
「へぇ。有名どころのクラシックから邦楽までいろいろ集めたんだね」
「どうせ弾くなら、みんなでいろいろ選べる方がいいかなって思って」
そんな二人の横にやってきた恵茉もまた楽譜に目を通していく。すると、ある楽譜を前に彼女は目を見開き、『あ……』と小さく声をあげた。それに目敏く反応したのは陸だ。
「恵茉、何か気になるのあった?」
彼女の横から覗き込んだ陸が、その曲のタイトルを読み上げる。
「パッヘルベルのカノン?」
「小さい頃、お父さんに教わって、莉音と二人でよく弾いてたんです」
そう言って、恵茉は懐かしそうに少しくたびれた楽譜を指でなぞる。そんな彼女の様子に、陸が柔らかな笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、一曲目はそれで行こっか」
「え、いいんですか?」
「類もオレもその曲なら散々練習で弾いたし。問題ないよね?」
問いというよりも確認の響きのそれに、オレは迷わず頷く。それを見たあと、彼は莉音を見て問いかけた。
「莉音ちゃんも平気?」
「もちろん」
無事、一曲目が決まれば、パートごとの楽譜を莉音から渡され、それぞれ音の確認作業に入る。調弦が終わり、シンと沈黙が降りれば、四人で顔を見合わせ頷き合う。
そんな中、目配せした恵茉と陸が、呼吸を合わせて動き出した。恵茉の伴奏に合わせ、陸のチェロが静かな旋律を奏でる。そこへ二小節遅れて、莉音の伸びやかなバイオリンの音が混ざっていく。そうして、最後にオレもヴィオラを構えて三人の奏でる音に重ねていった。
ここ一週間、毎日のようにピアノを弾いていたとはいえ、さすがにまだ勘を取り戻し切れていないんだろう。恵茉の伴奏はたまに音やテンポをはずすこともあったが、陸はそれに難なく合わせていく。恵茉と演奏していたという莉音も、それに合わせるのはお手の物で。オレはそんな彼女の呼吸に合わせつつ、楽譜を追う。
四人で奏でる曲に耳を傾けつつ、半年弱の間にいろんなことがあったな、と思い返す。
事故で莉音とぶつかって、前世を夢に見るようになって。陸が前世の記憶を持っていたことを知り。莉音と出逢ってこのまま続けばいいと思っていたら、恵茉の失恋に立ち合うことにもなった。そして、今まで生きてきた中で一番悩んだんじゃないかってくらい悩んで、間違えて傷付けて。あわや莉音を失いかけて、やっと見つけた答え。
真剣な表情で楽譜を追いつつ、楽しそうに奏でる莉音をちらりと見れば目が合った。柔らかく細められた青い瞳に、オレの頬が自然と緩む。
また悩むかもしれない。間違えるかもしれないし、傷付けるかもしれない。それでも、莉音とこれからもずっと共にありたいと思う。もしも叶うのならば、親友の想いも報われる日が来てくれたら言うことなしだ。
そして、喧嘩をしたり仲直りをしたりしながら、この先も四人で変わらず楽しく過ごせることを祈りつつ、静かに曲が終わる。
初めてにしてはなかなか上手くいった四重奏に、莉音が興奮した様子で笑う。だいぶ緊張していたのか、恵茉はホッとしたように息をついたあと、バチッと陸と目が合えば挙動不審気味に視線を彷徨わせる。そんな従姉妹の様子に、陸は困ったように、でもどこか嬉しそうに笑う。
そんな三人の姿を見ていたら、胸がいっぱいになって、得も知れない感情がこみ上げた。それを誤魔化すように窓の外を見れば、春風に乗った薄いピンクの花びらが舞う。
寒く、時に痛い程凍てついた冬も終わり、春と共に新しい季節が巡る。そんな季節の移り変わりを感じる中、袖を引かれ振り返れば、満面の笑みを浮かべた莉音が言った。
「類、今度は二人でデュエットしようよ」
「いいよ。何がいい?」
そう問えば、まだ付き合い始めて二ヶ月の恋人は、真剣な顔で悩みだす。そんな莉音を見ながら、このかけがえのない一瞬一瞬を、この先も大事にして行こうと、オレは改めて心に誓ったのだった。
Fin
※ テネラメンテ:優しく、愛情を持っての意
******************
本文中で四人が演奏していた曲がどんなものか気になった方がいらっしゃいましたら、下記URL先の動画でお聞きくださいませ。
[ https://www.youtube.com/watch?v=5scbwhLvjMo ]
***
これにて夢現の想恋歌の本編は完結です。
ここまでお付き合いくださった方、本当にありがとうございました(*´∀`*)
何かと刺さりにくい作品かなぁとは思うんですが、楽しんでいただけてたら幸いです。
もし面白いと思っていただけたら、気軽に感想などを送っていただけますと創作活動の励みになりますので、よかったらよろしくお願いいたします(´∀`*)
近況ノートであとがき的なのを書きましたので、もしご興味ありましたら、どうぞ。
[ https://kakuyomu.jp/users/lyon0511/news/16816927860737659507 ]
また、今後は番外編と称して、類と莉音のその後、陸と恵茉の恋の過程をのんびりマイペースに載せていこうと思っているので、ご興味ありましたらお付き合いいただけたら幸いです(〃'▽'〃)
夢現の想恋歌~現代に転生した巫女姫と騎士が紡ぐは夢の恋物語~ 桜羽 藍里 @lyon0511
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