30.想いのスフレナート

――繭の眠りにいる莉音を起こして見せればお前の勝ちだ。


 投げかけられた条件に戸惑う。繭に閉じ込めているのが月神ならば、何の力もないオレにどうこうすることなどできるようになど思えなかった。オレに莉音を諦めさせるための無茶ぶりかとすら思ったほどだ。


「ちょっと待ってくれ、どういうことだ!? あんたが莉音をこの繭に閉じ込めたんじゃないのか!?」


 そう問いかければ、涼しい顔をしたルイスの顔で、月神は言った。


「どうもこうもない。この繭は莉音の心の傷を癒やすためのものだ。繭の厚みは莉音が受けた心の痛みそのもの。そして、これを生み出したのは莉音自身で、オレは少しその手助けをしただけだ。オレに待つことはできても、どうこうすることはできない」


 『オレから取り返してみせるんだな』って言葉はなんだったんだ……?


 そんな状況で決闘などしている場合ではないだろうにと思いつつ、慌てて繭に駆け寄る。そして、手にした剣で繭を切り開こうとしたときだった。


 オレを守った剣が、繭に振れる寸前で緑色の光になり、オレの中へと吸い込まれて消えた。まるで、剣が意志を持って、その繭を斬ることを拒むかのように。


 それに驚き戸惑ったものの、剣がダメならばと、淡い銀色の光を放つ繭に手を伸ばす。そうして、あと少しで触れると言ったところで、ルイスの声が響いた。


「一つだけ、忠告をしておく。その繭は傷付けた者に対し、身を守るために容赦なく襲いかかる」


 その忠告を受け、伸ばした手が触れる寸前で止まる。『傷付けた者』が誰を差すかなんて明白だ。だからこそ、オレは彼女と話したいとそう思ったのだから。


 振り返るオレをエメラルドのような瞳が真っ直ぐ見つめ、静かな声音で問いかけてきた。


「それでも莉音の心に、痛みに触れる覚悟がお前にあるか?」

「……その覚悟ならもうしてきた」


 泣かれるかもしれない、怒るかもしれない。……そもそも、許してくれるかもわからない。それでも謝って、話をして、叶うならもう一度始めたいとそう思ったからここにいるんだ。


 その想いを乗せて返せば、彼は『ふん』とどこか不満げな様子を見せながら言った。


「なら、お手並み拝見と行こうか」


 尊大な様子で腕と足を組んだ前世のオレが、宙に浮く。その姿は違和感しか覚えなかったものの、それを気に掛けている場合ではないと、眠る莉音に向き直る。


「莉音……」


 彼女を包む繭は、見た目的にはただの銀色の糸が織りなす繭玉にしか見えない。それにそっと触れた瞬間だった。


――リオン前世の私じゃなくて、莉音今の私を見て。

――苦しい。痛い。辛い。

――莉音今の私じゃダメなの?


 繭に触れた瞬間、莉音の声が頭に雪崩れ込む。それと同時に、オレを拒絶するようにバチッと稲妻のようなものが弾け、焼け付くような痛みが指先に走った。たぶん、これが月神の言う莉音の傷……オレが傷付けた痛みに対する彼女の想いなんだろう。


「莉音、ごめん。オレ、お前のためだと言いながら自分のことばかりで、お前の言葉を聞かないで傷付けた」


 オレを遠ざけ、押し返すように繭の厚みが増し、脳裏に響く莉音の泣き声が増す。相変わらずバチバチと鳴り光る繭の糸をそっとかき分け、手を伸ばして続けた。


「出会ってから悩んで悩んで、選択したことが間違いだったって認められなくて、陸には散々怒鳴られたし、恵茉にもあわや怒鳴られるところだった。オレが不甲斐ないばっかりに、お前今ここに閉じこもってるんだよな」


 迸る銀色の光が、バシンと頬を叩いた瞬間、痛みと灼熱が襲う。それに一瞬だけ、繭の動きが止まった気がした。まるでオレを叩いてしまったことに戸惑うかのように。


 その瞬間、繭が莉音を閉じ込めているのではなく、何となく繭そのものが莉音の心なんじゃないかと唐突に思い至る。自分を守りで固めてもなお、傷付く原因になったオレを傷付けるのを躊躇うそれは、莉音の根底にある優しさに見えた。だから、中に踏み入るのではなく、繭ごと抱きしめて言った。


「オレは強くもないし、莉音に思ってもらえるような人間でもないかもしれない。また間違えて傷付けるかもしれない」


 そんなの嫌だとばかりに、身体を刺すように銀の光が電気のように迸る。なかなか痛かったが、それが彼女の嘆きで痛みなら、オレは甘んじて受け止めるべきだと思い、腕に力を込めて続けた。


「それでも、オレは……莉音と一緒に生きていきたい。もっと莉音の笑顔が見たい。喜ぶ顔が見たい。幸せに……したいんだ」


 その言葉に、押し出そうとする繭の力が僅かに弛み、光が一瞬止む。


「ルイスだった頃のオレはリオン=レスターシャのことが本当に好きだった。何よりも大切だった」


 繭が震え、再び押し出そうと力が入り、再び銀の光がパチッと小さく弾けるが、構うことなくオレは言った。


「その頃と同じくらい、本当は嬉しかったんだ。莉音がオレを好きだと言ってくれたこと……。本当はそれに応えて、抱きしめたかったんだ」


 そう告げた瞬間、頑なに閉ざされた莉音の目が、微かに震えた気がした。それと同時に、押し出そうとしていた繭が動きを止める。そんな繭の中にいる彼女に届くように、祈りながら続けた。


「なぁ、莉音。もしも、許してくれるのなら……。もう一度だけ、オレにやり直すチャンスをくれないか?」


 繭が一際大きく震えると、形作っている銀の糸がハラハラと少しずつ解れ、青い光となって宙に消えていく。そうして、残すところ薄い水のような膜のみに包まれた莉音の身体がふわりと宙に浮かぶ。


「出会って、まだほんの数ヶ月程度だけど……。オレも――栗原 類も月村 莉音のことが好きだ」


 辿り付くまでに遠回りした想いを言葉に乗せて、そっと抱きしめれば、最後の膜も弾け、涙のように降り注ぐ。


 その瞬間、海のように青く長い髪の女性がオレの前にふわりと浮かぶ。その目は莉音と同じ瑠璃の青。半透明に透けている彼女――リオンは、ホッとしたような泣きそうな顔で微笑むと、莉音の中へ吸い込まれるように消えていった。


 そうして、ようやく直に触れた身体の温もりにホッと息をついた瞬間だった。


「類、先生……?」


 先ほどまで頭に直接響いていた声ではなく、耳から伝わる声に思わず身体を僅かに離せば、ボンヤリとした青い瞳と目があった。


「莉音……っ!」


 思わず、細い身体を夢中で抱きしめる。


 もう目を覚まさないかもしれない。失うかもしれない。


 病室で眠る莉音を見てからずっと押し殺していた恐怖が、安堵に置き換わるのと同時に、涙が溢れるのを止められなかった。小刻みに震える背中に、そっと暖かい手が触れる。


「類先生、泣いてるの……?」

「ここは莉音の精神領域だからな、精神体の今、どんな感情も隠すことはできないに等しい」


 オレのともルイスのとも違う声に振り返れば、そこには銀の長い髪の男が立っていた。その顔立ちは強いて言えば先ほど消えたリオンに似ていて、リオンがもし男に生まれて大人になったらこんなだったかもしれない、と思うほどに整っている。身に纏うのは白と宵闇色のゆったりとした服装。見た目は、確か古代ローマのトーガだったか。あんな感じの衣装だった。


 そんなファンタジーなコスプレのような格好をした美丈夫が誰かなんて、明白だった。


「月神、さま……?」


 莉音の呼びかけに、男――月神の銀色に光り輝く瞳がふわりと細められ、寂しげに微笑んで言った。


「もう傷付かないようにとも思ったのだが、やはりその男と一緒が良いのだな」


 その言葉に、腕の中の莉音がふわりと微笑んで頷けば、月神の顔に不満が滲む。そして、その目がそのままオレに向けられかけたときだった。


「娘が可愛いのはわかるが、それ以上は人の子の言葉を借りれば『野暮』というものだろう、月の」

「太陽のか」


 ふわりと天から降りて来たのは、緩やかなウェーブがかった金髪の女性だ。その身に纏うのは薄い黄色と赤であることを除けば、月神と大差ない。そして、月神が呼んだ『太陽の』という呼称から、前世でも多少名を聞いたことのある神の名が過る。


 前世で先見の巫女だったエマを守護していた、太陽神ソレイユ。月神フェガリの対だと言われていた女神の名前だった。彼女は、金色に輝く瞳を細め、月神を見つめると、小首を傾げながら問いかけた。


「よもや、私の娘の祈りが聞こえていないとは言わぬであろうな?」


 どこか威圧的な響きを伴った言葉に、オレも莉音も緊張で動けない。そんな中、月神は両手をあげ、ため息交じり言った。


「あいわかった。太陽のに免じて私は天へ帰るとしよう」


 そんな月神の言葉と共に、それまで記憶の中にある丘を形作っていた世界が、少しずつ崩壊を始め、光へと消えていく。オレたちを乗せた大地も、支えを失ったように緩やかに落下を始める。


 けれど、元々浮いていた神たちはその場に留まり、オレたちを一瞥すると背を向けて天へ向かう。そんな中だった、莉音が僅かに身を乗り出して口を開いた。


「あ、待って、月神さま!!」

「なんだ?」

「えっと、あの……」


 月神と太陽神が目配せすれば、女神は微笑みと共にかき消える。そうして、オレたちだけになった中で、莉音はありったけの声で言った。


リオン前世の私を助けてくれて、莉音今の私も守ろうとしてくれて、ありがとうございました!」


 その言葉にオレはもちろん、言われた月神も想定していなかったようで、目を瞬かせる。そして、やや呆けたあと、彼の神はふっと微笑んで言った。


「まさか、娘から直に礼を言われる日が来ようとはな。たまには気紛れを起こしてみるものだ」


 気紛れって……まさか、それだけで莉音は死にかけてたのか……?


 思わず内容に顔を引き攣らせれば、虚空に浮かぶ月神が意味深な笑みを浮かべる。


 ああ、これ、全部読まれてる気がする。というか、さっきここは精神領域だとか何だとか言ってたし。って、ちょっと待て。内心が読めるなら戦う必要性……いや、これ以上考えるのはやめよう。


「それが賢明だ、我が娘婿よ」

「……心を読んで返事するのはやめてください。……って、今なんて……?」


 どさくさに紛れ、何かものすごいことを言われた気がしたものの、オレと莉音は抱き合ったまま、その世界から弾かれるように急速に遠ざかる。薄れ行く意識の中、腕の中の莉音を離すまいと抱きしめたオレの頭に、月神の声が直に響く。


「帰るがいい。今のそなたたちを待つ者たちの元へ」


 そんな声を最後に、オレの意識は途絶えた。




※ スフレナート:解き放たれての意

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