29.月の神と月の剣

 ふと目を開ければ、目の前に広がるのは澄んだ宵闇の空と、銀色に輝く満月だった。薄もやもない綺麗な夜空に浮かぶ月が綺麗だなと、ボンヤリとした頭で思う反面、風が運んできた潮の香りと草の匂いに目を見開く。


「ここ、は……」


 身体を起こせば、オレは崖のような場所に仰向けになっていたらしい。ふわふわとした草が潮風に揺れ、薄紅色の花弁がひらりと視界に舞い散る。


 今は真冬で桜の咲く季節じゃないと思う反面、どこか既視感を覚えるその光景に記憶を探っていたときだった。


「ここは、オレとリオンが別れて再会した丘だ」


 聞き覚えのある声に振り返れば、そこにはルイス――私服を纏い、ポニーテールを靡かせる前世のオレがいた。そして、彼の後ろにある森に根を張るように、大きな繭のようなものが浮かぶ。記憶の中ですら見た覚えのない繭をよくよく見れば、僅かに透き通った糸の奥に見えた姿に目を瞠る。


「莉音!?」


 そう、繭の中にいたのは、胎児のように膝を抱え込んで目を閉じた莉音だった。名前を呼んでも目を覚まさないことに、焦りと不安が広がっていく。


「なんで莉音をこんな場所に閉じ込めてるんだ!? お前は誰だ!?」

「オレはオレだ。ルイスであり、そして、莉音が望む類だ」


 ルイスの姿が揺らいだと思えば、一瞬の瞬きの間にオレの姿へ変わる。どう考えても現実の世界とは思えない状況下で、オレと莉音がここにいる元凶と考えられる得体の知れない相手に思わず叫ぶ。


「類はオレだ!」


 ルイスにも類にも一瞬で変化できるヤツが、オレであってたまるか。


 そんな思いで叫んだオレに対し、オレの姿をしたそいつは淡々と言った。


「お前は彼女の望む類じゃない」

「莉音が望む、オレ……?」


 繰り返された単語に引っかかりを覚え、その真意に考えを巡らせる。けれど、それはあっさり本人の口から語られた。


「オレはお前と違って彼女を悲しませない。泣かせたりしない。全てから守る」

「莉音を閉じ込めておきながら何を……。莉音の命を危険に晒してるのもお前の仕業じゃないのか!?」

「危険になど晒していない」


 ここに来た経緯は全く覚えてないものの、それでも徐々に生命活動を弱めるような数値を出していた機器は覚えてる。それを思い出し睨むオレに対し、彼は相変わらず淡々とした様子で続けて言った。


「元々オレが分け与えた命だ。それを回収することで、莉音を天上に連れ帰るだけのこと。永遠に老いも死も苦しみもない楽園でその傷をオレが癒やす」


 『分け与えた命』という単語に一瞬首を傾げるも、聞き覚えのある言葉に何かが引っ掛かった。その正体を知るため記憶の掘り起こしを試みた瞬間、前世でリックがリオンに言った言葉が過る。


――月神さまに命を助けられて、その力の恩恵に預かってる点で言えば、ある意味リオンとは兄妹みたいなものかもね。


 莉音はリオンの生まれ変わりだ。そして、前世でリオンの命を救うと共に月巫女と呼ばれる所以の力を授けたのは……。


「お前、まさか……月神、なのか?」

「そうだと言ったらどうするんだ?」


 オレの顔をした月神が、どこか嘲笑うような笑みを浮かべる。ようやく浮かんだ表情に、沸き上がる何かに突き動かされるままに叫んだ。


「どうしてこんなことをするんだ!? オレたちを転生させた挙げ句に記憶を戻したのは、あんたじゃないのか!?」

「そうだ。そうでなければ、お前たちが同じ時代、同じ世界、同じ国に生まれるわけがないだろ?」


 まるで当然のように告げる月神に対し、これまで散々悩み続けて溜め込んでいた感情が爆発した。


「それでオレたちを出会わせて、一体何がしたいんだあんたは!?」

「オレじゃない。全てはリオンが生を終える間際に願ったことだ。争いのない世界で、もう一度お前達と生きたいと。オレはそれを叶えたまで」


 告げられた言葉に虚を突かれる。リオンが最期にそんなことを望んでいたなど知らなかった。けれど、大地の巫女――セレーナ前世の宝条先輩とは、もっと別の形で出会いたかったとは、何度か聞いた記憶は確かにあって。それを思えば、彼女が最期に望んだとしても何ら不思議ではなかった。


 全てはそんな彼女のささやかな最期の願いから始まったとは思わず、言葉を失ったオレに月神は侮蔑の眼差しを向けて言った。


「だが、お前は再び出会った莉音の手を離した。傷付けた。だからオレは夢で莉音に幸せを与えることにしたんだ」


 その言葉にオレは押し黙る。実際、オレは莉音が伸ばした手を振り払って泣かせた。その事実に拳を握り絞め、知らず知らずのうちに視線が下がる。そんなオレに月神は静かに問いかけた。


「莉音の手を離しておきながら、お前は何のためにここに来た?」

「オレ、は……」

「月巫女として生きたリオンのためか? それともここで今眠る莉音のためか?」


 今オレの目の前にいる月神が莉音の望むオレだと言うのなら、オレ本物はいない方がいいのかもしれない。


 そんな弱気な気持ちが過る。それでも、一度離してしまった手だからこそ、オレから離すことはもう二度としたくなかった。そんな想いを胸に顔を上げ、オレと同じ色の瞳を真っ直ぐ見つめて言った。


「オレは、莉音と話をしたい」

「何のために?」

「まだ間に合うのなら、一緒に生きていくための話をしたいんだ」

「ほう……」


 オレと同じ顔が、眉をピクリと跳ね上げ、ニヤリと笑う。好戦的な表情に違和感を覚えつつ、尻込みしそうな足に力を入れる。そんなオレに、彼は挑発するように口角を上げて言った。


「なら、オレから取り返してみせるんだな」


 そう告げた月神の姿が再度変わる。その姿は、全盛期の前世のオレ――軍服姿のルイスだった。


 ルイスが腰の剣を抜くのと同時に、オレの目の前にどこからともなく剣が現れ、地面に落ちる。エメラルドが柄に嵌まった見覚えのあるシンプルな剣を見て、相手を見れば、剣を構えたルイスが『拾え』とばかりに顎をしゃくり上げた。


 中身が月神とはいえ、相手は前世のオレだ。それが意味するところに、ゴクリと唾を呑む。迷ったのはほんの少しだったが、莉音を助けるためならばと、それに手を伸ばす。ズシッと手に掛かる重みに、怯みそうになる。


 前世では、多少の罪の意識こそあれど、手にすることも、振るうことも躊躇いはしなかったというのに。こんなところで、前世の自分と今世の自分の違いを実感することになるとは思ってもみなかった。


 それに苦笑いをしつつ、鞘から剣を抜いて構える。そうして、『来い』という声にオレは駆け出したのだった。


 正直に言えば、無謀だったとしか言えない。前世の記憶を頼りに、剣を振るっても身体が追いつかず、オレの剣は躱されてばかりだ。それに対しルイス月神が放つカウンターを寸でのところで避けたものの、剣先が頬を掠めて痛みが走る。それによろけつつ、距離を取って呼吸を整えながら剣を構え直す。


 なし崩しに雪崩れ込んだ決闘が始まって、十分くらいだろうか。相手は無傷で涼しい顔をして立っているのに対し、オレは致命傷ではないにせよ、あちこちに斬り傷を負って満身創痍状態だった。


「くそっ……。頭では動きの予測ができるのに……!」


 蓮さんが体力作りと称し、稽古をつけてくれていたからこそ、本当にギリギリで躱せているものの、それがなかったら初撃でやられていただろうと思う。それくらい、脳内のルイス前世のオレの動きに対して、今のオレの身体の動きが追いつかず、勝機が見えない。


 そんなオレの様子を見たルイス月神が問う。


「どうした? もう終わりにするか?」

「まだまだっ!」


 呼吸はまだ整い切っていないものの、カウンターですら躱すのがギリギリの現状、相手に攻めさせたら終わりだと、剣を握り締めて駆け出す。少しずつイメージする動きに近付きつつある身体を動かし、剣を振るう。それらは躱され受け流されたものの、振り下ろした最後の一手にルイス月神は目を見開き、オレの剣を受け止めた。


 甲高い金属音のあと、鍔迫り合いながら、彼は眉間に皺を寄せて言った。


「何故、神であるオレに刃向かってまで莉音を欲する? お前が欲したのは莉音ではなく、リオンじゃないのか? だから手を離したんだろう?」


 その言葉は、容赦なくオレの心を抉り、その痛みに怯みそうになる。


「そうかもしれないとずっと思ってた、迷ってた」


 興味があるのかないのか、ただ冷めた目で見つめる相手にオレは言った。


「リオンを重ねて見るなんて、莉音に失礼だ。そんなオレが、莉音に好きだと言う資格なんかないと思ってた」


 そう言った瞬間、急に鍔迫り合っていた剣の重心がずらされ、マズいと思った。慌てて体勢を整えようにも、すでに前のめりになりつつある身体を立て直すのは容易じゃなくて。そこにルイスの剣の柄尻が容赦の欠片もなくオレの腹に食い込み、一拍遅れてその衝撃で身体を吹き飛ばされる。


 仰向けに地面を擦りながら飛ばされ、胃液がこみ上げかけるのを堪えて起き上がろうしたオレの喉元に鋭い刃が突きつけられ、思わず身体を強張らせた。


「ならそのまま何も言わず、触れず、莉音の前から姿を消せばよかっただろ。……そうするつもりだったんだろう?」


 殺気にも似た視線に、知らず知らずのうちに喉が鳴る。握っていた剣はなく、相手の動き次第で、オレは防ぐこともできずに死ぬかもしれない。それでも、今だけはどうしても引く訳にはいかなかった。


 地面をかいた手の中に、何か固いものが触れ、それを握り締める。


「それでも、オレはっ……! もう自分の気持ちに嘘をつきたくないんだっ!」


 みっともない悪あがきでも何でもいい。ただ、オレにとっての唯一を失うくらいなら、ここで死ぬことになったって構わなかった。


 だから、手の中にあるものを確認もせず、ただただ無我夢中で振り上げた。


 甲高い音が鳴り響けば、ルイスが持っていた剣が、オレの首を僅かに掠める。そのあと、円を描きながら遠くへ飛んで行くと、地面に落ちることもなく、光の粒となって虚空へ消えた。


 そんな中、オレの右手が握っていたのは、さっきまで持っていたのとは違う剣。鍔の中央には薔薇を象った意匠があり、その花びらの隙間から丸いラピスラズリが見えた。刀身にも僅かに装飾を施した銀色の剣が、緑の光を帯びて輝く。


 それを唖然と見つめるオレと剣をしばし見つめたあと、ルイス月神は大きくため息をついて言った。


「……ようやく辿り付いたのか、この大バカ野郎」

「え……?」


 殺伐とした空気が霧散するのと同時に、目の前の足が一歩遠のく。それに戸惑いを隠せないまま見上げれば、彼は感情の見えない目で言った。


「全く、前世の悔恨が魂に影響しているにしても、頑固が過ぎる。オレ月神の分身とも言える息子の言葉すら届かないなら、もはや諦める他ないかとも思ったが、まぁいい。最後の機会をやる」

「最後の、機会……?」

「繭の眠りにいる莉音を起こして見せればお前の勝ちだ」


 ルイス月神から告げられた無茶難題とも思える最後通牒に、オレはただただ驚きで目を見開いたのだった。

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