28.眠り姫とトゥレモロ・トリオ

――莉音ちゃんを好きだと思うのなら、それがお前の……類の答えで、気持ちじゃないの?


 陸の言葉に、ずっと心の奥で燻り続けていた感情が顔を覗かせ、当たり前のように心の真ん中へストンと嵌まる。それと同時に急に視界が開けた気がした。


 莉音のことが好きだ。


 そう思う気持ちは、ルイスに引きずられているものじゃないかとずっと思ってた。だけど、そうじゃない可能性に、心は『そうだ』とばかりに彼女への想いを溢れさせる。


 最初は警戒してたはずなのに、いつの間にか心を許してくれた莉音。似合わない変装をして尾行をする姿や、人から注目されると優雅に対応できずに慌てふためいた姿が可愛らしくて。翳りのない年相応の屈託のない笑みを向けてくれるようになったことが嬉しくて。泣いて笑って、怒って喜んで、コロコロ変わる表情を傍で見ているのが楽しかった。


 気になったきっかけはリオンの生まれ変わりだったし、ほとんどピタリと重なるものもたくさんある。それでも、好きだと感じたものの半分以上は、リオンだった頃のそれとは少し違う、莉音だからこそのものだった。


 もしかしたら、一番区別できていなかったのは、莉音に対してではなく、自分自身に対してだったのかもしれないと、今さらながらに思い至る。ろくに知らない相手なのに惹かれるなんておかしいと、その納得の行く理由をルイス前世のオレの記憶があるからと思い込んでいたのかもしれない。


 ようやく辿り着けた答えに、胸のつかえが取れた気がした。


「そうか……。オレ、ちゃんと莉音のことが好きだったんだな……」

「ようやく目が覚めた?」

「……悪い」


 呆れたように笑う陸に、苦笑いを返す。ただ、それでもまだ残っている問題を思い出し、浮き足立ちかけた気持ちにブレーキがかかった。


「けど、例えオレの気持ちが前世の自分のものじゃなかったとしても、オレが莉音の眠りの原因なら傍にいることはできな……」

「それは違うと思います」


 『できない』と言おうとしたところで、遮るように恵茉が口を挟む。それに対して、オレと陸が振り返れば、彼女は真顔で静かに言った。


「類さんは原因なのかもしれないけど、莉音の眠りをいち早く解放できるのもたぶん類さんですよ」

「え?」


 恵茉の言葉に戸惑い声を上げれば、それは陸も同じだったのか、声が被る。そんなオレたちに彼女は続けて言った。


「あの子の眠りって、私が遭遇しただけでも、基本的には最低で三時間、最長で丸二日とかなんです。でも、類さんが莉音に触れたあの日は、一時間と経ってなかったって言ってましたよ?」


 初めて聞かされた内容に驚き、思わず目を見開く。そんなオレの様子を見て、彼女はやや俯き、やるせなさそうに微苦笑を浮かべた。


「類さんと出会うまでは、本当に頻繁で。私たちの前で笑って見せてたし、冗談っぽく言ってたけど、それでもふとした瞬間どこか不安そうにしてたんですよ、あの子。それが類先生と出会ってから頻度も減って、一時期は全然なくなって、それでようやく元気になったんです」


 そう言って顔を上げた恵茉は、オレを真っ直ぐ見つめて言った。


「だから、私思うんです。類さんは眠りの原因かもしれないけど、同時に理不尽な眠りから守ってたのも、助けられるのも類さんだけなんじゃないんですか?」


 告げられた言葉に、オレは息を呑み、言葉を失った。


 彼女の言うとおりであったならと思う反面、そんなオレに都合のいいことがあっていいのか、とも思う。オレが傍にいることで、改善するのならむしろ傍にいたい。けれど、『逆に悪化したら……』と、動かない莉音の姿を思い出し、震えそうになる手を握りしめた。


 オレの答えを待つようにジッと見つめる二人の視線に、ゴクリと唾を飲み込んで口を開く。


「オレは、莉音の傍にいても、害に……ならないのか?」

「それはやってみなきゃわからないし、判断するのは一番の当事者である莉音ちゃんと、お前自身だよ」


 手放しの肯定はさすがになかったものの、冷静な返事に『それもそうか』と思う。オレが莉音のそれに遭遇したのは、事故のときを含め二度だけだ。その事実に対し、宝条先輩が『事を性急に進めすぎ』と言った言葉が過り、自分がいかに冷静じゃなかったのかを把握して思わず苦笑する。


 そんなオレに陸は小さく息をついて言った。


「とりあえずさ、莉音ちゃんに約束取り付けて、そのひっどい顔洗って。それで放課後、莉音ちゃんに会いに行って、もう一回ちゃんと二人で話しなよ」


 それに頷き、ずっと放置していた携帯を手に取れば、一件の未読通知。メッセージアプリを開けば、それは莉音からだった。


――もう一度、会って話がしたいです。


 あんな風に突き放してもなお、そう働きかけてくれた彼女の気持ちに胸が詰まる。今すぐにでも会いに行きたくて、謝りたくて、逸る気持ちを抑え、返事を打つ。


――オレも、もう一度ちゃんと話をしたい。放課後、会いに行ってもいいか?


 打ったメッセージを迷わず送信したときだった。携帯のバイブ音が鳴る。音の出元は陸だ。携帯のディスプレイを見た陸が怪訝そうな表情で、恐る恐る電話に出る。


「もしもし……。あ、月村先生、どうされ……。え? ええ、昨日は少し用事があって伺いました。……いえ、特に変わりはなかったと思います」


 月村先生がどうして陸の携帯の番号を知っているのかと思ったものの、それよりも、陸の返事が気になった。内容から察するに莉音のことのようで、何かあったのかと思いながら様子を見ていたときだった。陸が血相を変えて『えっ!?』と声をあげると、半ば焦った様子で言った。


「これからそちらに伺ってもいいですか? はい……はい。わかりました。では、また後ほど。失礼いたします」


 ただならぬ様子に不安が過り、携帯の通話をオフにして唖然とした様子でディスプレイを見つめる陸に問いかけた。


「陸、月村先生なんだって?」

「莉音ちゃんが昨日の夜から目を覚まさないばかりか、ほんの少しずつ体温が下がって、心拍数が下がってるって……」

「えっ!?」


 思わぬ報せに声をあげたのは、オレだけじゃなく、恵茉もだった。


「昨日の夜、教授が帰ったときには眠ってて、朝には起きるだろうと思って様子を見てたんだって。だけど起きなくて、念のため病院に運び込んで検査してたら、そこで少しずつバイタルが落ちてきてることに気付いたみたい」


 陸の言葉に心臓が凍り付く。その一方で、何故陸に連絡が来たのかとも思う中、オレの思考を読んだように彼は続けた。


「それで昨日の夜、最後に会った人が誰かを調べて、インターホンの記録で最後に訪ねたのがオレだったから、大学にオレの連絡先を聞いて電話してきたんだって」


 そこで言葉を切った陸は、携帯をギュッと握り締めて言った。


「教授が莉音ちゃんを見つけた時間を聞く限り、タイムラグは数時間あったみたいだけど……。こんなことならすぐ帰らず、せめて教授が帰って来るまで傍にいるべきだった。再発したって聞いてたのに……」


 くしゃりと自身の前髪を掴み、後悔を露わに陸は顔を歪める。きっと、オレたちのことを知って、莉音のフォローに動いてくれたんだろうと思う。すぐに帰ったのは、恐らく莉音に一人で静かに考える時間が必要だと判断してのことだったんだろう。だからと言って、起きたそれは陸のせいじゃない。そう伝えたくて、彼の肩にそっと手を置いて言った。


「お前のせいじゃないだろ。仮に居合わせたとしても、誰にも起こせないって話だ。どちらにしても同じだったかもしれない」

「それは……そう、かもしれないけどさ……」

「それに今は月村総合病院に行かないと、なんだろ?」


 そう言えば、陸はハッとした様子で目を見開いたあと、苦笑いを浮かべて言った。


「よくわかったね」

「月村先生なら自分のところに運び込むだろうしな」


 もう陸も大丈夫だろうと判断し、オレは部屋の外へ向かう。そんなオレの背中に戸惑ったように陸がオレの名を呼ぶ。襖に手をかけて振り返れば、困惑した様子の陸と恵茉がオレを見ていた。


「急いで支度してくるから十分……いや、五分だけ待っててくれ」


 そう言って、オレは二人の返事を待たずに、廊下へと駆け出したのだった。


***


 タクシーと電車を駆使して受付に駆け込む。部屋番号を予め聞いていたらしい陸の後について、病院の最上階にある個室へ向かう。息を切らして辿り着けば、何かを持って部屋から出てきた看護師とすれ違う。


 それを見送り、扉をノックすれば、するどい返事が返ってきて、思わず陸と二人で姿勢を正す。そして、陸が名乗れば、その空気は和らぎ、『入ってくれ』と返ってきた。


 陸に続いて部屋に入れば、月村先生は驚いた様子でオレたちを見たあと、僅かに微笑んで言った。


「栗原くんに恵茉ちゃんも来てくれたのか……」

「莉音、さんは?」


 そう問えば、浮かない顔で教授がベッドを見る。そこには、入院着に身を包んで眠る莉音の姿があった。


 入院着の隙間から伸びる線は点滴と機械に繋がっていて、モニターの方は電子音と共に綺麗な波形が描かれている。けれど、そこに出ている数字は、正常範囲からやや小さい。


 月村先生の表情とその数値的に、改善が見られていないことを把握して、思わず拳を握る。


 そんな中、別の看護師がやってきた。内容的に、先生が執刀する予定手術の時間が迫っていたらしく、そのために声をかけたようだった。


 月村先生は目を覚まさない莉音をじっと見つめたあと、一度目を伏せて息をついたあと、オレたちを振り返り言った。


「すまないが、妻が戻ってくるまでの間、私の代わりに傍にいてやってくれないか?」


 それに一も二もなく頷けば、彼はホッとした様子で微笑んだあと、後ろ髪を引かれるように莉音を一瞥して、部屋を後にした。


「莉音……」


 眠る莉音の傍にしゃがみ、目が覚めることを祈って、その手を握る。けれど、待てど暮らせど、彼女が目を覚ます気配はない。それに焦りを見せたのは恵茉だ。


「なんで……? この前は類さんが触れたことで起きられたって言ったのに、なんで目を覚まさないの?」


 そう呟いた彼女もまた、莉音の頬に触れて言った。


「莉音、起きなさい! 類さん、来たんだよ? だから……きゃっ!!」


 突如、バチっと静電気のようなものが走り、オレと恵茉は思わず、莉音から手を放した。すると、帯電するかのように、彼女の体の周囲に銀色の光が煌めく。


「何、これ……」


 唖然とした様子で恵茉が呟く中、夢で見たよく似た光景が頭を過り、オレは凍りついた。そんなオレの横で、陸もまた、驚きを隠せない様子で呟く。


「銀色の光……まさかこれ、月神の……いたっ!」


 一瞬強まった光が、陸を拒むように迸った。光に触れた彼の右手は火傷したように赤くなり、その様子から夢と同じ現象だと確信する。


 夢では……前世では、その現象は彼女自身の寿命を削っていたからこそ、止めなければと手を伸ばす。


「莉音……、っ!」


 夢の中ではオレを拒まなかった光が、オレの手すらも拒む。それは莉音の拒絶を表しているようで胸が痛んだ。


 それでも、どうにか止めたくて、迸る痛みに歯を食い縛りながら、手を伸ばし呼び掛けた。


「莉音、起きてくれ。話したいことがあるんだ。どうしても、お前に伝えたいことがあるんだ。だからもう一度……」


 そうして、莉音の手をもう一度握った瞬間、銀色の光が強まり部屋中を照らす。それと同時に、急激な睡魔に襲われ、身体が傾く。


「類っ!」

「類さん!」


 今眠るわけには行かないのに……。


 そう思いつつ、二人の呼び掛けを遠くに聞きながら、オレは意識を手放したのだった。




※ トゥレモロ:震えるの意

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