27.月とストレピトーソ・デュエット

 陸と言い争った翌日。朝を迎えたことはわかっていたものの、何もする気になれず、オレはぼんやりベッドに寝転んでいた。


 天井の木目を見ているはずなのに、目を閉じなくても浮かんでくるのは、莉音の顔ばかりで、心がどんどん重くなる。


 そんな中、少し前に、休むことも放っておいてほしいことも伝えたはずの蓮さんが、襖ごしに声をかけてきた。


「類、何があったのかは知らないが、飯くらいは食え。あとで食べるっていって、結局そのまま昨日の夕飯も食べてないだろ。医者になるなら、体調管理も仕事のうちじゃないのか?」


 蓮さんの言葉に、モヤがかかったように鈍い頭で『確かに』と思うものの、動く気力は一向に出ない。何か答えないととも思うのに、まとまりのない思考から返事の言葉は浮かばず、無言のまま時間だけが過ぎていく。


 そんなオレに対し、襖の向こうで蓮さんがため息混じりに言った。


「ここに置いておくから、せめて水くらいは飲めよ」


 コトリと何かを置くと、足音が遠ざかる。出勤前に気を遣わせてしまったことに罪悪感がわいても、それ以上の無力感に埋め尽くされて起きようという気はわかない。


「莉音……」


 脳裏に焼き付いて離れない莉音の泣き顔に、胸が苦しくなる。それはリオンの生まれ変わりを泣かせたことへのルイスの罪悪感なのか、莉音を泣かせたことに対するオレの罪悪感なのか。その答えは未だに出ない。


 そんな中、どれだけの時間が過ぎたんだろう。突然、スッパーンと小気味いい音が部屋に響いて、ビクッと身体が跳ねる。音がした方――廊下に通じる襖を見れば、全開になったそこには、一目でわかるほどに怒り心頭状態の恵茉がいた。


 制服姿の彼女を見て『まだ自由登校前だろ』とか、『なんで今ここにいるんだ?』と戸惑い固まる。それと同時に、心の片隅で『ああ、これは莉音から話を聞いたな』とも。


 ベッド脇までツカツカとやってきた彼女は、オレを見下ろすと顔を顰めて言った。


「なんで莉音を拒絶した類さんが、莉音と同じくらい辛そうにしてるんですか?」

「……恵茉には関係ないだろ」

「あるからここにいるんです」


 記憶のない彼女にどう関係あるのかわからず、ぼんやり眺めて目に入ったのは、緑色の制服のリボン。それを見て、『莉音の制服のリボンは赤だったけど、いつも髪につけてるのは初めて会ったときから緑だったな』と、ものすごく場違いなことを思い出す。そんなオレに、恵茉は至極当然とばかりに腕を組んで言った。


「莉音は私の大事な幼馴染で、類さんは今、私の逃げ場所兼同居人なんだから」

「……オレたち二人のことには関係ないだろ」

「気になって二次試験対策に身が入らないんですけど」


 睨め付けるように見つめる彼女の様子に、思わずため息がこぼれる。どこまで本当かわからない理由はともかく、友人のためとなるとお節介焼きになるのは前世と変わらないらしい。正直それは、今のオレにとって、あまりありがたくない事実だった。


「私もわからないなりに一晩よくよく考えました。だけど、類さんの話を聞かないことにはどうにもならないと思ったから聞きに来たんです」

「何も話すことなんかない」

「何もないわけっ……!」


 恵茉がオレのスウェットの襟首に掴みかかったときだった。彼女の声を遮るように、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る。間を空けてもう一度。でも『宅急便です』などの声は聞こえない。


 訪問販売か何かかと思い、居留守を決め込もうかとも思ったが、そう考えている間もチャイムは一定の間隔で鳴り響く。それは心做しかやや苛立ったように、徐々に間隔も短くなっている。


 それに対し、オレよりも先に恵茉の方がキレた。……まぁ、最初からキレていた気もするけれど。


「ああ、もう! ちょっと見てくるんで、類さんは逃げないでくださいね!?」


 ビシッとオレを指さして言い置いた彼女が、階下へ駆け下りていく。その姿に、莉音がオレの話し方を『固い』と言って指さして、思わずツッコミかけたことを思い出す。


 今世で出逢ってまだたった数ヶ月だというのに、ほんの些細なことから、莉音と交わした様々な会話が蘇る。彼女を突き放したのは自分だと言うのに、未練がましいことこの上なくて、そんな自分に嫌気が差す。


「辛いなんて、どの口が言うんだよ……」


 あまりにも情けなくて、ベッドに身体を沈め、交差させた腕で顔を覆う。そうすると、真っ暗な視界に彼女の姿が過る。


――私、類先生のことが好きなの。


 最後に会ったときに告げられた言葉と涙が再生され、彼女の幻影に対し、そのとき飲み込んだ言葉が口を突いて零れ落ちた。


「オレだって……好きだよ」

「なら、それでいいじゃん」


 よく知る声で返事があったことに飛び起きれば、開いたままの襖の前に陸が立っていた。その横には玄関に向かった恵茉の姿もあるところから察するに、先ほどからチャイムを鳴らしていた来訪者は彼だったんだろう。


 ただ、陸とは昨日口論をしたばかりで、そういうときは基本的にお互い一定時間距離を取るのが常だった。それだけに、まさかここに来るとは思ってもみなかった。


「陸、なんで……?」

「なんでって、こういうときのお前は放っておくとろくなこと考えないって知ってるからね」

「……別に放っておけばいいだろ」


 そう突き放すオレに、恵茉が口を開こうとする。けれど、それを押し留め、陸は苦笑しながら言った。


「お前さ、難しく考え過ぎなんだよ」


 彼の言葉に思わず反発しそうになり、『これじゃ昨日の二の舞だ』と口を閉じて、視線を逸らす。そんなオレに陸は、大きくため息をつくと、静かにハッキリと言った。


「お前が莉音ちゃんを手放すならオレが貰うけど、それでもいいわけ?」


 予想だにしなかった言葉に振り返れば、いつものヘラヘラとした笑みはなく、真顔の陸がいた。言われた言葉が性質の悪い冗談にしか思えない反面、可能性そのものを否定しきれなくて、思わず震え声で口を開く。


「は、なんの冗談……」

「本気だよ。莉音ちゃんがオレでいいって言うなら貰う」


 本気? 何が? 陸が莉音を?


 言っている意味はわかるのに、理解することを拒もうとする自分がいた。そんなオレに対し、陸は追い打ちをかけるように言った。


「もちろん、恋人になったらヤることはヤるけど、それでもいいんだよね?」

「陸、お前っ……!!」


 想像したくなかった光景が浮かんだ瞬間、思わず陸に飛びかかるようにダウンジャケットの襟を掴む。それでもなお冷めたままの碧眼に、どす黒い感情が溢れかけたときだった。


「ちょっと煽られた程度でそうやって独占欲剥き出しにして怒るくらい、お前の中の気持ちは決まってるんだって、いい加減気付きなよ、この鈍感バカ」


 ため息交じりに告げられた言葉に、持ち上げかけた拳を思わず止める。


 煽られた、つまり嘘だったということに、呆気に取られると同時に正直ホッとした。その反面、自分の気持ちがどう決まっているのかがわからなくて戸惑う。唖然として固まるオレに、陸は『仕方ないなぁ』と言わんばかりの苦笑いを浮かべて言った。


「お前、最初の頃、莉音ちゃんに塩対応されて、リオンだと思わなければ平気って言ってたの覚えてる?」

「それは、まぁ……」

「それが今はリオンとダブって見えるから、リオンを好きなのか、莉音ちゃんを好きなのかわからなくなってる上さらに、理由はどうあれフッた張本人のくせにものすごい凹んでるわけだけどさ」


 一息で告げられた容赦ない陸の言葉が、グサグサと心に突き刺さり抉っていく。ぐうの音も出なくて、顔を顰めることしかできないオレを真っ直ぐ見て、親友は問いかけた。


「オレ思うんだけど。お前、最初の頃の方が莉音ちゃんにリオンを重ねてたんじゃないの?」

「え……?」


 思ってもみなかった言葉に、襟を掴んだままだった手から力が抜ける。解放された首元を直しながら、陸は続けた。


「重ねてなければ凹まないでしょ。莉音ちゃんがリオンと同じものを自分に向けてくれることを期待してなければさ。初対面の相手に塩対応されたところで『何だよあの失礼な女子高生!!』って憤るとこだと思うけど?」

「それは……」


 そうなのかもしれない。実際、何も知らずに出会ったのなら、きっと陸が言うように思ったはずだ。けれど、だからと言って、今もリオンを重ねている現状は変わらない。そんなオレの内心を読んだかのように、陸は言った。


「今ダブって見えるのはさ、お前が莉音ちゃんにリオンを重ねたんじゃなくて。莉音ちゃんがお前に気持ちを向け始めた結果、リオンだった頃と同じようなことをしただけなんじゃないかなってオレは思うよ」

「そんな、まさか……」


 陸の言葉に心が揺れ動く。傍にいることを望んではいけないと思うのに、オレに都合のいい解釈をしてはダメだと思うのに。重なって見えた原因がオレにないのだとしたらと、期待に胸が膨らみそうになる。


「それにお前、ずっと言ってたじゃん。莉音ちゃんのことも、オレのことも、自分のことも、前世の自分たちとは違うって」


 オレが彼女に向けるこの気持ちが、ルイスのものでもなく、リオンに向けるものでもなく、莉音自身に惹かれていたのだと言い切れるのならば。少なくても、彼女の望む相手にはなれる可能性はあるんじゃないかって。


 それでもなお、莉音自身を見れている自信は持てなくて、視線を彷徨わせるオレに、陸はさらに続けて言った。


「お前さ、完全に記憶のあるオレのことだって、前世の名前で呼んだのは、お前が夢と現実の区別があやふやだった一回きりで、そのあと間違えたことなんて一度もないじゃん。つまり、お前は前世のオレたちと今世のオレたち、無意識でもちゃんと区別できてるんだよ、きっと」


 投げかけられた言葉に顔を上げれば、そこには窓から差し込む光を受けて、金色の髪がキラキラと光らせた陸の姿があった。彼の言わんとする言葉に胸が熱くなり、そこに宿る希望へ縋りたい衝動に駆られる。それでも尚、手を伸ばすことを躊躇うオレに、彼は言った。


「区別できてて、それでもなお、莉音ちゃんの泣き顔を見るのが死にそうなほど辛くて、オレに奪われたくないって思うなら。莉音ちゃんを好きだと思うのなら、それがお前の……類の答えで、気持ちじゃないの?」


 そんな陸の言葉は、静かにオレの心に響いたのだった。




※ ストレピトーソ:騒々しくの意

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