26.眠り姫の見果てぬ夢
学校から帰って、着替えを済ませたところでインターホンが鳴った。授業がある日だと、類先生が来る時間。だから少しだけ、本当に少しだけ期待してしまってた。
だけど、画面の向こうにいたのは、類先生じゃなかった。
「陸先輩……」
インターホンごしに映っていたのは、今世では知り合って間もないけれど、よく知ってる人だった。
遊園地の一件以降、恵茉ねえの息抜きのお茶に誘うと、いつも二つ返事を返してくれる類先生の友達。そして、私と類先生同様、前世の記憶がある人。
そんな彼を迎えるために、解錠ボタンを押して一声かけて玄関に向かう。ドアを開けたら、陸先輩は眉をハの字にさせて、困ったように笑って言った。
「突然ごめんね、莉音ちゃん。……いや、莉音って呼んだ方がいいのかな?」
その言葉で、彼が来た理由をだいたい察した。記憶があると聞いているから余計にそう感じるのかもしれないけど、陸先輩は確かにあの頃とあまり変わらない気がする。それに少し複雑な気持ちになりながら、できるだけ笑顔を貼り付けて返した。
「どっちでも、陸先輩の呼びやすい方で大丈夫ですよ」
「そっか……。なら、今までどおり、莉音ちゃんって呼ばせてもらうよ」
私の意図に気付いたのか、少しだけ寂しげに、でもそれ以上にホッとした様子で陸先輩が笑う。そんな彼の心遣いに胸が一杯になるのを感じつつ、居間に案内する。
昨日、類先生が座ってた場所に座る陸先輩の姿に、寂しさを覚えつつ、無言の沈黙の中でお茶の準備をしていく。砂時計が半分を過ぎた辺りで、沈黙に耐えかねた私は、ガラスのティーポットの中で踊る茶葉を見つめながら問いかけた。
「類先生から話、聞いたんですよね?」
前世の記憶につられて、敬語が崩れそうになるのを抑えながらそう言えば、頷き返す彼の目が私を見る。
「途中で喧嘩になっちゃって、ざっくりと、だけどね。……あのバカがごめん」
二人が喧嘩したということにも驚いたけれど、そのあとに続いた言葉にも思わず息を呑む。
今の私は月巫女じゃないし、彼も護衛騎士じゃない。さっきも暗に、
落ちきった砂時計を見て、茶こしを通しながらティーカップに紅茶を注ぐ。それを俯き気味な陸先輩の前に置いて言った。
「陸先輩が謝ることは何もないでしょ?」
「莉音ちゃん……」
気遣わしげな碧眼に『昔も今も彼には心配をかけて、気を遣わせてばかりだな』と、思わず苦笑しながら続けた。
「今だって、私のためにわざと呼び方そのままにしてくれたんじゃないんですか?」
そう言えば、へらっと少しだけ困ったように彼は笑った。
どこまで類先生から話を聞いてるのかはわからない。けれど、私が前世と今の自分の境で揺らいでることを察する程度には聞いてるんだろうなと思う。だから、敢えて問いかけた。
「正直なところ、陸先輩から見た私は、月巫女のリオンと同じですか?」
私たちと同じように記憶のある彼の本音を知りたかった。正直、『そうだ』と言われたらと思うと怖い。それでも、知らないことには何をどうしたらいいかもわからないから、ただただ彼の返事を待つ。
そんな私に、陸先輩はふわりと微笑んで言った。
「莉音ちゃんはリオンと同じ存在かもしれないけど、でも違うと思うよ。あのバカがルイスと同じであって違うのと同じように、ね」
「……そっか」
その言葉にホッとする反面、心のどこかで『リックならこういうときに嘘をつかない』と思っている自分に苦笑する。前世の自分として扱われたくない癖に、結局私も前世の記憶と関係を頼りに判断しようとしているから。
知り合ったばかりの大学生として見たら、本音を言ってるかの判断はつかないから、と言えば仕方ない話かもしれないけれど。前世の記憶があるっていうのは、便利な反面、厄介だな……なんて思った。
そんな私に陸先輩は言った。
「類もそれはよくわかってるはずなんだ。だけど、莉音ちゃんの眠りの原因が自分だと知った衝撃もあって、アイツも線引きを見失ってるんだと思う」
「線引き……」
それは何を――誰と誰を区別するための線引きなんだろう。私とリオン? それとも類先生とルイス?
今日だけで何度も思い出してる類先生の言葉が過って、『私じゃないな』と結論づけようとしたときだった。
「莉音ちゃんにリオンを重ねないようにって、いつも言ってたんだ。それが最近どんどんダブってたことも悩んでた」
「それって……」
類先生は
絶望しかなかった中にほんの僅かな光が差し込んだ気がして、思わず陸先輩をマジマジと見つめる。そんな私に、彼は真顔で続けた。
「少なくても気持ちが何もないわけじゃないのは確かだよ。アイツがそれを、ルイスのものと判断するか、類のものと判断するかはわからないけど」
「そっか……」
てっきり、類先生の想いはルイスとイコールなのかと思ってた。いやでも、さっき、陸先輩が言ったばかりだ。『類先生もルイスと同じであって違う』って。
それによく考えたら、私の知る類先生の在り方はルイスと違うな、とも気付いた。料理とか、前世はむしろ壊滅的だったはずだし。何なら楽器も弾いたりしてなかったはずだ。
そんな類先生は、ルイスに強く引っ張られてるのかもしれない。でも、悩んでくれる程度には向き合おうとしてくれてたんだと、そう思うと現状は何一つ変わってないのに、胸が温かくなった。
「ありがとう、陸先輩」
「これくらいしか、今のオレはできることないから」
「ううん。すごく心強いです」
今日、ようやくほんの少しだけ笑えた気がする。今なら立てる気がするほどに、陸先輩がくれた言葉は私にとって希望の光だった。そんな私の様子に、彼はホッとしたように笑って言った。
「何かあったらオレも協力するから、遠慮なく連絡してね」
そうして陸先輩が帰っていったあと、部屋のベッドに寝転んで携帯を操作する。
――もう一度、会って話がしたいです。
昨日までしてた他愛のない会話のあとに、全然空気の違う文章がポコンと送信されて、胸が苦しい。昨日の昼まで毎日楽しくて、少しは近付けたかなと思ってたのに、どうして今はこんなに遠いんだろう。
「既読、はつかないか……」
『いつも割とすぐ反応があったのに』と思う反面、どれだけ彼が時間や気持ちを割いてくれてたのか、今更ながらに気付く。失いかけてやっと気付くなんて、本当にバカだ。
「類先生……」
名前を呼べば、類先生の言葉がまた蘇ってくる。
――オレが誰より何より、お前をリオンの生まれ変わりっていう肩書きで見てしまってるんだ。
そう言った類先生は笑ってたけど、声はすごく泣きそうで、苦しそうだった。
「私のこと、いつから気付いてたんだろ……」
出会ってからの数ヶ月を振り返ってみても、大きく変化した気はしない。むしろ、初めて会ったときが一番ぎこちなかった気がする。あれがもし、単純に私の塩対応のせいだけじゃなかったとしたら。
そう考えてよくよく思い返せば、最初会った時にすごく驚いてたような気がした。それと同時にある言葉が過る。
――月神と剣にかけても構わない。
類先生はラノベで見たシーンだって言ってたけど、あれは前世での騎士の誓いの言葉だ。ラノベが前世の夢のことで、もしも、そのとき既に夢を前世のものだと認識していたんだとしたら……。
「もしかして私、前世の自分に勝ち目ないのかな……?」
前世の自分が恋敵とか、何をどうしたらいいんだろう。せめて、恵茉ねえとかが恋敵だとか、目の前にいる人が相手だったらまだ足掻きようがある気がする。いや、恵茉ねえが恋敵っていうのも、勝ち目がなさそうだからヤだけど。
ふと、類先生と恵茉ねえで想像してみたけど、しんどくなってきたから考えるのは止めた。今考えなきゃいけないのは、そっちじゃなくて、類先生とのことだと頭を切り替える。
この辺りは、夢を記憶として認識した途端、鮮明になった記憶を取り戻せてよかった点かもしれない。月巫女だった頃は、辛くても顔に出せなかった分、頭の切替はそれなりに早い方だったから、そのときの経験をこうして活かせるし。
目を閉じれば、軍服姿のルイスと、私服姿の類先生の姿が浮かぶ。見た目の差なんてほとんどないに等しい。何でもいいから、もっと二人に向ける想いの差を見つけたくて、名前を呼んだ。
「ルイス、類……」
名前までそっくりとか、本当に紛らわしい。名前の響きがそのままの私が言えた義理じゃないけど。
だけど、そう思う反面、口に出したことでハッキリとわかったこともあった。
「呼ぶだけで苦しくなるのは前世の名前じゃなくて、類先生の名前なのに……。それでも私じゃダメなの……? 好きでいちゃ、ダメなの?」
涙で視界が滲んで、画面がよく見えない。
月巫女だった頃は、恋をしちゃいけないんだと知ったとき、すごく辛かったし、絶望もした。それでも、あの頃はルイスが同じ気持ちだと、遠回しでも教えてくれたから、一緒にいたから頑張れた。
今は恋をしても咎められないのに、一番傍に居て欲しい人だけが傍にいない。
「類先生、会いたい。声が聞きたいよ……」
気持ちが届かないことが、返って来ないことが、こんなに辛いだなんて知らなかった。
これを受け入れた恵茉ねえはすごいと思う。私は無理だ。気持ちを返してほしくて、振り向いてほしくて、好きだと言ってほしくて、諦めることなんてできない。行き場のない想いが涙になって溢れ、枕に顔を埋めて泣いた。
そうして、泣きじゃくった私は、気付けば夢の世界に引きずり込まれていったのだった。
***
「リオン、会いたかった……」
そう言って抱きしめてくれたのは、ルイスだ。懐かしい、遠い記憶の中の『私』の大好きな人。
だけど、彼は私が求める人じゃない。私が今夢で会いたいのは彼じゃないの。
前世があったからこそ今があるんだって、それはもうわかってる。だから否定するつもりはないけど、でも今私が抱きしめてほしいのは……。
そう思った瞬間、目の前のルイスの姿が類先生に変わる。私が向けてほしかった笑顔を浮かべて、姿を変えた彼が言う。
「莉音の傍にいる。莉音が望むなら、オレの命が尽きるその時までずっと」
違う、それは私に向けられた言葉じゃない。リオンに向けてルイスが言った言葉だ。
頭ではそうわかってるのに、でも心は抗えなくて、私がほしい愛を囁く彼の腕の中で、瞼がすごく重くて目を開けてるのが辛い。
「ずっと
暖かくて心地良い声が私を包んでいく。まるで晴れた日に干した布団にくるまるように暖かくて、瞼を持ち上げられない。抗えない。
「オレは
大好きな声と同じ声に告げられた言葉に、涙が溢れたけれど、それを拭うこともできないまま、私の意識は深く深く沈んでいった。
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