9.変化はアダージオ

 『はぁ……』と小さく息を吐いた黒髪ショートボブの女性は、腕を組んで言った。


「月島くんの外見が瓜二つだから、もしかしてとは思ってたけど……。まさか、月島くんだけじゃなくあなたもいる上、二人とも記憶まで持ってるとは思わなかったわ」


 陸が紹介してくれた薬学生――宝条ほうじょう 咲良さら先輩は、前世ではセレーナ=デル=サルト、他国の巫女だった女性だ。彼女は陸をジロリと睨めつけて言った。


「ていうか、月島くん――いえ、陸。あなた、私が記憶持ちだと気付いてたなら言いなさいよ」

「いや、別にオレだって確信があったわけじゃないし。それと宝条先輩、オレを下の名前で呼ぶのはやめてね」

「何故? 前世と大して変わらないじゃない」


 『宝条先輩を下の名前で絶対呼ぶな』とは陸の言葉だ。あまりにも真剣に言われたから従いはしたものの、オレも彼女の疑問に同意だった。別に前世のオレと彼女も親しくはなかったから、下の名前で呼ぶ気は現時点でないけれども。それなりにリックとは関わりがあったらしい彼女にまで強いる意味は、全くさっぱりわからない。


 そんなオレたちの視線に陸は、げんなりとした様子で言った。


「だって、絶対面倒なことに……」

「お前たち、オレの咲良に何をしている?」


 突如増えたのは、薄い色素の髪にはしばみ色の瞳の男。どこか外国人訛りのある発音にも驚いたものの、宝条先輩の後ろから抱きしめた男の顔に、オレは驚きを隠せなかった。そんなオレの隣で、陸が頭を抱えて恨めしげにぼやく。


「ほら、言わんこっちゃない……」

「これは私のせいじゃないでしょ」

「そのうち死人が出かねないから、この期に及んで無自覚とかホンット勘弁してほしいんだけど!?」


 普段、人当たりのいい陸がここまでツッコミ全開というか、地で接しているところを見るのはなかなか珍しい。珍しいんだが、それ以上に目の前の男の存在に驚き過ぎたというか、彼に記憶があるのか否かわからず、思わず身構える。


 そんなオレを余所に、突如乱入してきた男は陸を睨めつけながら言った。


「お前、馴れ馴れしいな。咲良のなんだ?」

「ただのサークルの後輩で、それ以上でも以下でもありません!」

「そうなのか?」


 彼の問いが、未だ抱きしめたままの彼女に向く。……というか、わざわざ人目を避けるために端を選んだはずなのに、思いっきり目立ってるこの現状どうしたらいいんだろうか。


 そんな現実逃避をする中、目の前で会話が繰り広げられる。


「そうだけど、マールスには関係のない話でしょ。どうしてここにいるのかは知らないけど」

「会いに来た」

「……知らないけど、大事な話の最中だから帰って」


 出てきた彼の前世と変わらない名前と、彼女のやや冷たい対応にも目を瞠る。前世で二人が一緒にいるところを目にしたことは基本的にないが、それでもリオンから聞いた印象とはどこかかけ離れて見えた。


 抱きしめたまま無言で見つめるマールス……さんに対し、宝条先輩は彼を真っ直ぐ見て言った。


「帰らないなら二度と口聞かないけれど、いいかしら?」

「わかった」


 そう言うと、彼はあっさり彼女を放し、瞬く間にいなくなった。


 ……どこの忠犬だ。


 前世では『緑の殺戮者ブラッディーキラー』の二つ名で恐れられた男と思しき人に、内心でツッコミを入れつつ、そっと宝条先輩に尋ねた。


「今のはマールス=サリヴァンじゃ……?」

「家名は前世と違うけど、そうね」

「……オレの記憶違いじゃなければ、恋人……でしたよね?」


 その問いに対し、彼女はやや目を伏せ気味に言った。


「前世の話よ。今世でまで、彼が私の恋人にならないといけない理由なんてないもの」


 彼女の言葉は、オレが莉音さんに対して思っていることと大差ないように感じるものだった。それに目を瞠る反面、何となく彼女の葛藤も垣間見えた気がした。


「すみません、不躾なことを聞きました」

「構わないわ」


 ツンとした返事に『ツンツンして見えるけど、話してみると優しい子なんだよ』と語ったリオンの言葉が脳裏を過り、ふと笑みがこぼれる。そんなオレの様子にどこかバツが悪そうに咳払いをして、彼女は言った。


「それで、り……いえ、月島くんのメールにあった話は本当になの?」


 そんな彼女の言葉をきっかけに、オレたちは彼女を呼び出した本題に入ったのだった。


***


 そんなこんなで二度目の家庭教師の日。少しばかりやりにくい距離に四苦八苦しつつも、家庭教師としての仕事をこなしたあと、莉音さんがお茶を出してくれた。そして、彼女が茶請けの焼き菓子に手に待ったをかけて、オレはあるものを差し出した。


「何、これ?」


 差し出した水筒の蓋の中で揺れる液体を、彼女が訝しげに見つめる。


補中益気湯ほちゅうえっきとうという市販の漢方薬を溶かしたお湯……というか、健康茶に近いものです」

「ほちゅう……え?」

「簡単に言えば、眠り病に効果があるかもしれない漢方薬の一つです」


 説明のために覚えたものの、漢方薬の名前はどこか呪文にも似た難解さと長さがあるよなと、莉音さんの反応に苦笑しつつ、それの説明をした。すると、彼女は目を見開いてオレを見上げ、問いかけた。


「どうして?」

「いつ眠りに落ちるかわからないのは不安だろうと思ったので」

「でも、お父さんは何も……」


 想定内の反応に、オレは用意していた言葉を紡ぐ。


「今日ここに来る前、月村先生に諸々の説明をして、許可は貰ってきました。市販薬なので診断も必要はありませんし、飲むか否かは莉音さんの判断に任せる、とのことでした」

「私が決めていいの?」

「東洋医学を研究してる薬学部の人間を紹介してもらって聞いた話ですが、漢方薬は身体に合わない場合、飲めないこともあるそうです。だから飲めないと感じるなら、別のものを試した方がいいと聞いてます」

「そう、なんだ……」


 そう呟くと、莉音さんはごくりと緊張した様子で喉を鳴らしたあと、意を決した様子でそれを飲む。その味にやや顔を顰めつつ、彼女は言った。


「なんか微妙な味だけど、でも飲めないことはない、と思う」

「じゃあ、これを毎日一日二~三回、食前に飲んでみてください。あ、もし何か異常があったときは、飲むのをやめて月村先生かオレに教えてください」

「……わかった」


 素直に頷き、オレの差し出した市販薬の箱を受け取ってくれたことに、ホッと胸を撫で下ろす。これに効果があるか否かは未知数だが、少しでも効果があることを祈りたいところだ。


 そんなことを思っていたオレに、彼女はカップ握り締めたまま、問いかけた。


「けど、どうして?」

「ですから、いつ眠りに……」

「そうじゃなくて!」


 声を荒げる彼女の質問の意図がわからず首を傾げれば、青い瞳がオレを真っ直ぐ見上げてきた。


「栗原先生の仕事は家庭教師で、私の不安だとかそういうのは関係ないでしょ?」


 その言葉に『自分の事情に、オレは無関係なのにどうしてか』と聞きたかったのだと理解する。けれど、それは準備などしなくてもいい明確な答えがあった。


「オレは弟を助けたい。けれどそれは、弟だけに限らず手の届く範囲の人間全てに言えるから、オレは医者を目指しているんです」

「手の届く範囲……。そこに私も入ってるの?」

「もちろん。こうして関わってますから」


 リオンの生まれ変わりの可能性が高い分、他人よりもその気持ちは強いが、それは言う必要のないことだ。言ったところで、記憶のない莉音さんには意味不明な話でしかないし、何より……。


「臨床実習前の医学生にできるのは、せいぜい調べたことを進言して判断を仰ぐ程度ですから」


 一般人よりも医学知識に触れられても、今のオレにできることなんてたかが知れてる。それでも彼女のためにできることをしたかった。リオンじゃなくても、前世のような関わりができなくても。それでも、かつて好きになった人と同じ顔をした彼女には、できれば笑っていて欲しかった。


 酷く独りよがりな自己満足だと思う。それでも手を貸してくれて相談に乗ってくれた陸と宝条先輩に今度何か返さないとなと、頭の片隅で考えていたら、俯いていた莉音さんがポツリと呟いた。


「……固い」

「固い、ですか?」

「それ!」


 ビシッと指をさされ、『人を指さすのはよくないと思うぞ』と場違いなことを思いながら、彼女の言う『それ』が何かに思考を巡らせる。そんなオレに彼女は郷を煮やした様子で言った。


「大学三年なら、少なくても私より五歳は上でしょ?」

「先月で二十一になったので、まぁ、そうですね」

「なら別に敬語使わなくてもいいじゃない」


――五つも年下の私に跪くこともないでしょう?


 前世でリオンに言われた言葉が過る。勝手に懐かしさを覚えつつ、オレはあの時と似たようなことを返す。


「でも、オレは仕事でここにいるので……」

「その仕事相手の私がいいって言ってるんだからいいの!」


 あの時とは違う、少しばかり強引な言い分に面食らう反面、どこか不安げに揺れるその目はどこか見覚えがあった。それがどこだったかと記憶を復習いながら、身分も今はそうあるわけでもないしなと口を開く。


「わかった。これでいいか?」

「うん!」


 そう言って満足げに、どこかホッとした様子で笑う莉音さんと、記憶の中のリオンの笑顔が重なる。リオンの記憶もなさげで、違う人生を歩んでいるはずの彼女に対し、オレの心臓が大きく跳ねる。


「あ、あと、莉音さんって変に畏まるのも禁止」

「……そこもか?」


――月巫女さまじゃなくて、リオン。


 感じていた既視感と記憶が、ようやく重なる。月巫女さまと呼んでいたリオンに請われ、初めて口調を崩し、名前で呼んだ月夜の記憶に……。


 そんなオレの形容しがたい切なさを知らない莉音さんは、真面目な顔で言う。


「なんか栗原先生にさん付けで呼ばれると、妙に落ち着かないっていうか、違和感で背筋がぞわぞわするし」

「ぞわぞわって……。オレは名前を呼ぶなってことか?」

「そうじゃなくて! さん付けなしで呼んでっていう話!」


 憤慨した様子で言うその言い方はあの時と全く違うはずなのに、それなのにどうしてか『リオンだ』と心が勝手に確信していく。反応から察するに、記憶は十中八九ない。だから、期待なんかしたらいけないと思うのに、心は勝手にそれを期待しそうになる。


 そして、言葉にしたら戻れなくなる予感を覚えつつ、オレはそれを口にした。


「……莉音、って?」

「そう。私も類先生って呼ぶから」


 前世でリオンの名を呼んだとき、彼女が浮かべていた花綻ぶような笑顔。それとほとんど重なるものが、莉音の顔に浮かぶ。そして、その顔でオレの今の名が紡がれる。


 そんな些細なことがどうしようもなく嬉しくて、頬が緩む。


 それと同時に、オレのこの気持ちはルイスとしてのものなのか、類としてのものなのか、どちらなんだろうと思う。


 その疑問に対し過ったのは、陸が以前言っていた『オレが陸なのか、リックなのかわからなくなることがあった』という言葉。親友が抱いていた苦悩の本当の意味を、オレはそのとき改めて思い知った気がした。




※ アダージオ:ゆっくりと、ゆるやかに

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