12.月の静かな誓い
週末、都心の本屋で買い物を済ませた後、ブランチと称して陸と二人でアメリカンハンバーガーを食べていたときのこと。何か視線を感じて振り返ったら、物陰からこちらを見ている人物の姿に驚き、思わず顔を逸らす。
茶色のダッフルコートに何か引っかかりを覚えるものの、まさかこんなところで出くわすとは一つも思ってなかっただけにかなり驚いた。というか、なんでこっちをじっと伺ってるのかもよくわからない。背中に刺さる視線に戸惑い、久々に食べたハンバーガーの味は途中からわからくなった。
そして、本来の目的地に向かうために電車に乗り込んで、経路の確認をしていたとき、陸が声を潜めて言った。
「ねえ、類。なんか見覚えある顔の女子が二人、ずっと後をつけてきてるんだけど、もしかしてもしかしたりする?」
どうやら向けられている二人分の視線に、陸も気付いたらしい。今も人混みの隙間からビシバシと視線が突き刺さっている。正直『尾行するなら、そんな露骨に見るのはよろしくないと思うぞ』とツッコミを入れたい。
そんな気持ちに蓋をして、できるだけ振り返らないようにしながら言った。
「少なくても片方は莉音で間違いない。もう一人は、莉音の話によく出てくる幼馴染の『恵茉ねえ』だろうな、たぶん」
「『えまねえ』、ね。あの二人、顔も名前もそのまんまなんだね……」
陸が懐かしそうに、どこか切なげに笑う。何だかんだで、前世では一緒に過ごすことも多かった四人だからだろう。
リオンの護衛騎士だった
しかも前世でも、休息日――今で言うところの休日の
そっと陸の顔色を伺えば、困ったように笑って問いかけてきた。
「で、なんでオレたち、さっきから二人に尾けられてるわけ?」
「むしろオレが聞きたい」
何か興味を引くようなことをした記憶はない。記憶があるオレたちならいざ知らず、向こうからすれば、たった三回会っただけの家庭教師だ。そんなのを追いかけ回す理由なんて一つも思いつかない。
「このあとどうする? 予定通りでいいの?」
「時間を無駄にするわけにもいかないし、飽きたら帰るだろ」
「帰るのかなぁ、あれ……」
そんな陸の言葉に、オレも一抹の不安を覚える。だから念のため、電車を降りた先、歩くつもりだったところを、二人が着いてきた場合も考えてバスに変更した。
結果としてその判断は間違いじゃなかったものの、オレはバスの後部座席で窓の方を向いて笑いを堪えるハメになった。
「オレ、瓶底眼鏡かけてる人とか漫画以外で初めて見たよ。売ってることにも吃驚だけど、いるんだね、あれ本当にかける人」
呆けたように言う陸の言葉にチラリと見れば、話に聞く恵茉ねえと思しき子の背後に隠れた莉音の姿。
連れの黒髪の子が被っていたものを借りたんだろう。茶色のチェック柄のキャスケット帽は似合ってる。ただ、黒縁の瓶底眼鏡は、可愛い容姿と格好にあまりにも合ってない。せめて変装するにしても、もっとマシな眼鏡はなかったのかと、噴き出しそうになるのを堪えて視線を逸らす。
「た、たぶん、オレに気付かれないよう、変装のつもり……ふっ……なんだと思うぞ」
「なまじ見た目が整ってるだけに、悪目立ちしてることには気付いてないよねぇ、あれ……。ていうか、お前の笑いがこっちにも移りそうだから、笑うのやめてくれない?」
「無茶言うなよ」
そんなこんなで辿り付いたのは、学外の人間も閲覧が可能な医療図書館だ。当然というか、二人もしっかりと同じ停留所で降りてきた。それをチラリと振り返った陸が歩きながら耳打ちする。
「結局ここまで来ちゃったけど、どうするの?」
「どうするも何もどうしようもないだろ」
「まぁ、そうなんだけどさ。高校生が来ても楽しい場所じゃないと思うんだよねぇ、ここ」
陸の言わんとすることもわかったものの、明日はバイトだし、平日の空き時間にここまで来るのも難しい。何より、予定変更の利かない理由がもう一つあった。
「ちょっと、なんであの二人らしき子たちがここにいるのか説明してくれないかしら?」
現地集合で待ち合わせていた
「何故か後を尾けられちゃって。ここ、一般人も入れるから入って来ちゃったみたいだよ」
「入ってきちゃったみたいって……」
呆れた様子で息をついたあと、彼女は声を抑えめにして言った。
「あの二人の記憶は?」
「少なくても莉音はない。エマと思われる方もオレたちを見ても変わった様子はないから、恐らく……」
「……そう」
恵茉ねえ(仮)とは何度か目があったものの、オレたちを見ても動じる素振りは一つもなかった。だからないはずだと仮定して伝えれば、気持ち彼女の声が沈む。それに対し、オレが首を傾げる横で、陸が言った。
「あ、宝条先輩、もしかしてちょっと寂し……」
「その口、今すぐ閉じないと縫い付けるわよ?」
なるほど、図星らしい。きっとオレが蓮さんや慧に対してふと思ったものを、彼女は莉音たちに感じているのかもしれない。
そんなことを思いつつ、今日の目的でもあった東洋医学について二人から教わる。多少の知識はあっても、専門外な分、知らないことも多く何かと勉強になった。
しばらくして、ふと二人はどうしただろうかと見たら、赤い顔で胸を押さえた莉音の姿が見えた。どうしたのかとこっそり様子を窺っていれば、連れに手を引かれていく莉音が振り返る。一瞬だけ目があったような気がしないでもないが、慌ててそっぽを向いた彼女は二人で図書館の外へ行ってしまった。
それを隣で見ていた陸が言った。
「なんか様子がおかしかったけど、追いかけた方が良くない?」
「……そうだな。もし例の眠りがこんなところで出たら、彼女一人で連れて帰るのは難しいだろうし」
「なら片付けは私がしておくから、二人とも行っていいわよ」
「え」
目の前で黙々とペンを動かす宝条先輩の言葉に、オレと陸が思わず同時に声をあげる。そして、机の上に広げた資料を見て言った。
「いや、でもこの量を宝条先輩だけに押し付けるのは……」
「私はまだここで調べものがあるし、それに手は困らないと思うから」
どういうことかと思ったものの、そこへタイミングよく図書館に入ってきた人物がいた。
「あー……」
「なるほど……」
げんなりとした声音の陸に続き、思わず納得してしまった。
辺りを見回すこともなく、一直線にスタスタと向かってくる男の目が、じろりとオレたちを見る。これはむしろ今すぐ退散した方が彼女のためかもしれない。隣を見れば、陸も同じ判断をしたらしく、二人で頷いて、彼女に言った。
「じゃあ、お言葉に甘えて。今日はいろいろ教えてくれてありがとうございました。助かりました」
「気にしなくていいわ。私なりにあの子を助けたいだけだから」
「それでも、感謝してます。今度、礼をさせてください」
「そんなの別にいいから、早く行きなさい」
『優先順位を間違えるな』とばかりに、少しきつめの視線を受け、オレたちはササッと荷物を纏める。そして、マールスさんが口を開く前に『じゃ、また学校で』と言って、その場をあとにした。
やや具合が悪そうな様子から、休めそうな場所に辺りをつけて順に回る。程なくして、図書館からそう離れていない広場に二人の姿を見つけたオレは、陸と二人で物陰から伺った。
「なんか来たときは逆の構図になっちゃったね。オレたちストーカーみたい」
「……言うな」
オレたちも学生とはいえ、一応成人だ。それが未成年の高校生を追う構図は、あまり褒められた図じゃないだろうとは思う。だけど、莉音たちがオレたちに気付かれていないと思っている節があるところを見ると、ギリギリまで声をかけない方がいい気がした。
会話は聞こえないものの、何か頭を抱え込んで百面相をしたかと思えば、ふわりと微笑んだその顔に心臓がドキッと跳ねる。
莉音はリオンじゃないと言い聞かせながらも、その笑顔の意味が知りたくて、思わず彼女の名を口にしかけたときだった。
聞き覚えのある詩が彼女の口から紡がれる。冷たい冬風に乗って届いたその詩と旋律に、思わず驚き固まった。
無意識で歌っていたのか、衆目に気付けば顔を真っ赤にして二人で駅の方へと向かっていく。そのまま見送りかけたところで、慌てて二人を追いながら、陸に言った。
「さっきのって……」
「祈りの詩、だね」
思っていた答えに、オレは変装を解いて歩く莉音を見つめて言った。
「じゃあ、やっぱり莉音がリオン、なんだな……」
疑ってたわけじゃない。理屈じゃない何かが、ずっと彼女がリオンだとは訴えてきていたから。決定打に欠けていただけのそれが今、彼女の紡いだ詩で確信に変わる。
彼女が歌ったもの――それは前世の夢で、月神へ祈りを捧げる際に歌われていた祈りの詩の一部だった。神殿内で途切れることのないよう、昼夜を問わず神官や巫女によって紡がれた祈りの詩。それは休息日などでない限り、リオンも毎日のように歌っていたもので、
ただ、そうなると疑問が一つ浮上する。
「記憶がないのにどうして祈りの詩を一字一句、音階まで覚えてるんだ?」
「さてねぇ……。こればかりは何とも」
そうして、疑惑が一つ解消された代わりに直面した新たな謎に考えを巡らせる一方。リオンの生まれ変わりだと確定した莉音を、オレのできる範囲で守っていこうと改めて心に誓ったのだった。
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