11.夢紡ぐ詩
お昼を少し回った辺りで、類先生とお友達と思しき金髪の人がお店を出てきた。その二人の後をこっそり尾けた結果、今は電車の中だ。立ち並ぶビルがあっという間に通り過ぎていく。そんな中、少し離れた座席に座り、携帯を眺めながら金髪の人と話す類先生は何か真面目な顔をしていた。
何を話してるのか聞きたいけど、近付いたら気付かれそうだから、人混みの隙間から伺い観察する。そんな中、隣に座る恵茉ねえが言った。
「男の人って結構身軽な格好で移動するイメージあったけど、そうでもないのかしら?」
その言葉に二人の手元を見れば、前に回したワンショルダーバッグ。他にも同じ車両に乗り合わせた男の人はいるけど、鞄すら持ってない人もいるし、サラリーマンっぽい感じの人を除けば、確かに二人の鞄は少し大きいようにも見えた。
「言われて見れば、二人ともそれなりに大きな鞄だよね。ノートとか入りそうだし」
大学生だし、もしかしたら自主勉強という可能性もあるけど、でも類先生が通う大学はうちの高校のすぐ傍だから逆方向だ。だから、こうして尾行していても、未だに二人の行き先の検討が全くつけられずにいた。
「どこに行くんだろう?」
「住んでるところが私たちの家に近いなら方向的には逆だから、帰る感じじゃないとは思うけれど。新幹線とかでの遠出なら途中で諦めるしかないわね」
そんな会話をしながら電車に揺られていたら、二人が立ち上がって降りていく。恵茉ねえと二人で慌てて降りれば、そこは大学病院や附属の大学がいくつか集まる場所だった。こんな場所にどんな用事があるんだろうと思いつつ、二人に見つからないようにこっそりあとを尾ける。
「あ、バスに乗るみたい。……気付かれるかな?」
「莉音が気付かれなければ大丈夫じゃない? ほら、私の帽子被って、さっき買ってきた伊達眼鏡かけておけば大丈夫よ、きっと」
バス停に並ぶ姿を見て少しばかり悩む。前から乗って先払いで後ろから降りる仕組みだから、乗るところを見て気付かれるかもしれない。だけど、恵茉ねえの言葉を信じて、二人が乗り込んだあと、急いでバスに近付いて乗り込んだ。
私は目が合ったら気付かれそうだから、恵茉ねえに二人を見ていてもらう。いくつかの停留所を過ぎて、二人が動いたのを教えてもらって、私たちも同じ場所で降りた。
私たちを吐き出したあと、音を立てて扉を閉めたバスが走り出す。そんな中、私たちの目の前に広がるのは、年季の入ったたくさんのレンガ造りの建物だった。
降りる寸前に聞いた停留所の名前は、国立大学の中でも最難関と言われてる場所だっただけに、思わず圧倒されて呆然と見上げる。それは恵茉ねえも同じだったらしい。戸惑った様子で、恵茉ねえは私の袖を引いて問いかけた。
「莉音の先生って、実はこの大学の医学部なの?」
「ううん。うちの高校のすぐ傍にある大学のはずだけど……」
「ならどうして余所の大学になんて……」
それは全くさっぱりわからない。類先生が何かのサークルに入ってるとかも全く話をしたことがないし、そもそも余所の学校に足を運ぶ理由っていうのが全く浮かばない。と、ここで見失ったら来た意味がなくなると気付き慌てて二人の姿を探せば、敷地内に入っていくところだった。
携帯を覗きながら進んで行く二人を見失わないようにしつつ、怒られませんようにと思いつつ、追いかける。そして、数分ほど歩いたところで、二人は一つの建物に入っていった。
小走りでその建物に近付いて、建物の名称を読み上げる。
「医療図書館……?」
名前のとおり、もしかしたら医療に関する本を専門に扱っている場所なのかもしれない。もしかして一般人は入れなかったりするのかなと思いつつ、二人が何かカウンターでやりとりをして奥に入っていったあと、私たちもカウンターに駆け寄る。
受付の人は少し面食らった様子だったけど、一般人でも入館票を書けば入れると聞いて、一にも二にもなく必要なことを書いて追いかけた。
図書館だから当たり前と言えば当たり前だけど、シーンとしていて、何となく息を潜めながら類先生を探す。そうして、さりげなく本棚の間を歩いて見つけた。
日当たりのいい窓辺の大きなテーブルに、何か本を山積みにして一心不乱に分厚い本に目を通していく類先生。普段見ない眼鏡姿にちょっとだけドキッとする。
類先生と一緒に来た金髪の人も何か山のように本を抱えて隣にやってきたかと思えば、真ん前に座るショートボブの黒髪の女の人と三人で真面目に話し合いを始める。次いで入れ替わるように席を立ったのは女の人。彼女は別の本を持ってくると、二人に見せて何かを説明して、類先生は熱心にそれを書き留めていた。
私がいる世界とは違う。その世界を見ているのが何故か辛くて、ふと館内の案内図を見る。類先生たちのいる辺りをもう一度見れば、また金髪の人が席を立って、持ってきてた本を戻して、別の本を手に戻っていくところだった。
それまで類先生と一緒にいる二人が行き来している本棚は同じ。だから、案内図と照らし合わせて、何があるんだろうって何気なく見ただけだったけど、その単語に思わず固まった。
「何だか、楽しそうだけど、すごく真面目に勉強してるみたいね」
「そう、だね……」
「莉音?」
恵茉ねえが『どうしたの?』とばかりに振り返る。私は案内図の一点を指さして行った。
「類先生と一緒にいる二人がしきりに行き来してる本棚に何あるんだろうって思って見たんだけど……、東洋医学だったの」
「東洋医学って……」
恵茉ねえの目が見開かれる。そう、さっき私が飲んだ漢方薬を含む医学だ。けど、問題はそこじゃない。
「知り合いの人は東洋医学の研究サークルにいるって言ってたけど、先生は詳しくないって言ってたはずなの。だから、詳しい人を紹介してもらったって……」
「その勉強をわざわざ余所の大学の図書館に足を運んでまでしてる、と……」
あの二人のどちらか……たぶん、一緒にご飯を食べたりしていた姿から察するに金髪の人が知り合いで、黒髪の女の人が紹介された人の可能性が高いんじゃないかって思う。だって、どちらかと言えば黒髪の女の人は金髪の人と話すことの方が多いし。類先生は二人から教わってるっていう感じがするし。
だけど類先生が今、休みの日に余所の大学に来てまで東洋医学を学ぶ理由なんて、自惚れじゃなければ一つしかないはずで……。
「莉音、顔真っ赤よ?」
上手く言い表せない感情で胸がいっぱいになり、顔が熱くなる。これ勘違いだったら、ものすごく恥ずかしいことなのに。でも、そうだったらいいな、と思う私がいた。
「恵茉ねえ、どうしよう……。すごく胸が暖かいのに、なんか苦しくて、ドキドキする」
顔もすごく熱くて、どこか夢見心地で足下がふわふわする。そんな私に呆気に取られたあと、恵茉ねえは苦笑しながら私の手を引いて言った。
「とりあえず、外に出ましょ。人少ないからずっとここにいたら気付かれそうだし」
少しだけひんやりとした手に引かれながら、チラリと振り返る。その瞬間、類先生がこちらを見た気がして、慌てて視線を戻してそこを後にした。
図書館を後にした私たちが来たのは、すぐ傍の広場だ。ベンチに腰かけてボーっとしていたら、恵茉ねえが近くの自販機でココアを買ってきてくれた。それを飲んで大きく息を吐き出せば、隣でカフェオレを飲んでた恵茉ねえが私を覗き込んで問いかけた。
「落ち着いた?」
「うん、ありがとう、恵茉ねえ」
空を見上げれば、少しだけ朱色が混じった高く澄んだ青空が広がる。すっかり冬の色に染まった風の冷たさが、火照った頬には心地いいくらいだ。
「ねぇ、恵茉ねえ」
「何?」
「……類先生だったら、信じてみても大丈夫だと思う?」
ふと零れ落ちたのは、類先生が家庭教師になってから何度も自問自答してきたことだ。私に見せる姿が建前なのか、本当なのかわからない怖さと同時に、あの真っ直ぐな瞳と言葉を信じてみたくなる私がいた。
「他の人みたいに、私の肩書きじゃなくて、私自身を見てくれるかな……?」
「『気があったらびっくりだ』って言ってたのは莉音だけどね」
「うっ……」
夢見心地だった私を、恵茉ねえの言葉が現実に引き戻す。思わず唸った私に、恵茉ねえがそれを口にする。
「私の予想を否定した理由、類先生に初対面で思いっきり塩対応したからじゃないの?」
「……ソウデス……」
あああああ。なんで私、類先生にあんな塩対応なんかしたの、バカぁああああああ!! 一週間前の私の所業に対して、思わず頭を抱える。
「だって、今までの人と同じじゃないかって思ったんだもん……! でも全然そうじゃなくて……」
「違ったなら、どうなるかは今までと違う分、私にも予測はできないわよ」
「うう……、私どうしたらいいの……。最初からやり直したいぃいいい……」
こんなことなら、初めてお父さんに男の人に引き合わされた頃のように、素直に相手を信じてたらよかった。いくら肩書きばかりで私本人を見てくれる人がいなかったにしても、初対面でやることじゃなかった。というか、類先生に限っては、得体の知れない怖さからやり過ぎた自覚があるだけに泣きたい。
そんな私に『でもね』と言って、恵茉ねえは肩を叩いて言った。
「今までと違うなら、それだけでもまず信じてみる価値はあるんじゃない? それが実るかどうかは別として」
「え?」
恵茉ねえの言葉に思わず顔を上げれば、子供の頃から何かと頼りになる幼馴染は、茶目っ気たっぷりに人差し指を立てて言った。
「最初から、莉音のことを莉音として見てる可能性はあるんじゃない?」
あるわけないって思う反面、だけど、類先生が言ってた言葉が脳裏を過る。
――失礼ながら、娘さんがいると知ったのも、この話を先生から頂いたときに知ったくらいなので。
私とお父さんの機嫌を取るなら、本来言わなくていいはずの言葉だったはずだ。それを冷静に思い返せば、疑わしげにしか見えなかった彼の言動が、コインがひっくり返るように全然違う印象に変わる。
「そう、だったら……嬉しい、かも……」
癇癪気味に言ったことも、何だかんだで聞いてくれた優しさを思い出して胸が熱くなる。
少しでいい。この暖かい気持ちを類先生に返せたらいいのに。
そう思ったら、夢でよく『私』が歌っている詩が浮かんできて、私は無意識のうちにそれを音に乗せて歌っていた。
恵茉ねえに袖を引かれてハッとしたら、何気に人の注目を浴びていて、急に恥ずかしくなった私は慌ててその場を後にした。周囲の人だかりに、類先生たちがいたことなんて知る由もなく……。
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