10.夢の影追い

 もう数日すれば十二月という、寒さもより一層厳しくなってきた週末のこと。私は、恵茉ねえと一緒に都心部の駅ビルにウィンドーショッピングに来ていた。


 そこかしこにクリスマスツリーが飾られて、赤と緑と金で華やかな感じになっている。そんな中、洋服にいくつか目星をつけつつ、二人で休憩とお昼がてらカフェに入ったときのことだった。


 注文を終えて、料理を待っていたときに恵茉ねえに聞かれたのは『そういえば、例の家庭教師の先生どうだったの?』という一言。お父さんから話が出た後、あまりにも憂鬱で愚痴をこぼしていたから、心配をかけていたらしい。


 いや、話そうとは思ってたんだけど。この一週間ちょっとで会うこと三回、というか二回目までがあまりにも予想と違うことになって、私自身どう話したらいいかわからなくてずるずるして今に至る。


 その謝罪を含め、類先生との間にあったことをかいつまんで話すと、恵茉ねえは目を瞬かせて言った。


「へぇ……、家庭教師の先生、そんなことまでしてくれたの?」


 料理の前にポットで運ばれてきたハーブティーをガラスのカップに注いで、息を吹きかける。少しだけ甘酸っぱいローズヒップの入ったハーブティーを飲んでホッと息をついた私に、カモミールティーに蜂蜜とミルクを注ぎながら恵茉ねえが言った。


「莉音に近付いてきた男性の中では、だいぶ……というか、かなり珍しいタイプよね」

「そう、だね」


 私の今までの男性遍歴……というと語弊があるけど、お付き合いとかしたことないし。けど、今までお父さん経由で紹介されて会ってきた医療関係の男子も男性も、恵茉ねえは知ってるから『やっぱりそういう反応になるよね』と思う。


「お父さんによろしく言ってほしいとかもないし、私に欲しくもないプレゼント攻撃もしてこなければ、よくわからないお世辞もないし」


 もしかしたら、漢方薬はプレゼント攻撃と言ってもいいのかもしれないけど、あれは私の症状に対してのものだから、違う気がする。……たぶん。ていうか、漢方薬がプレゼント攻撃だったら、さすがに私も反応に困る。


 そんなことを考えていたら、恵茉ねえが私の考えを見透かしたかのように言った。


「今までとは段違い過ぎて、もはや珍獣並というか。何か企んでるんじゃないかって疑いたくなるレベルね」

「私も最初、お父さんの評価があまりに良すぎて、騙されてるんじゃないかって本気で疑ってたよ。ていうか、直に聞いたし」

「え、聞いたの!?」


 ギョッとした様子で聞き返されて、やっぱりストレートに聞くのは良くなかったかなぁ、と内心でこっそり反省する。だけど、非の打ち所がなさすぎると怖くなるのは、きっと私のせいじゃない……と思いたい。


「で、なんて?」

「弟さんの病気を完治させるために医者になりたいだけで、それ以外何もないって」

「……本当に?」

「……って思うよねぇ……」


 私も最初聞いたときは、恵茉ねえと同じ事を思った。口から出任せなんじゃないかとすら思ったもん。だけど、そう言った類先生は苦笑いこそ浮かべてたけど、その目は真剣そのものに見えた。どこかで見たことあるように感じる、ハーフのお母さん譲りだっていう緑の目は深く澄んでて、正直なところ見惚れたくらい綺麗だったし。


「私も最初は疑ったけど、本気みたいだった。聞いた話だと、弟さん気管支が弱くて、寝込んだり入院することも多かったんだって。そんな弟さんを見ていて、弟さんを治せるような医者になりたいって思ったんだって」

「……本当にいるのね、そんな漫画の主人公とかにいそうな人」

「ね」


 そんな話をしていると、注文していた料理が湯気を立てて運ばれてきた。運ばれてきた料理を前に手を合わせる。恵茉ねえはお洒落なワンプレート、私は半熟卵のチーズオムライスのセットだ。


 恵茉ねえが先に料理に手を付ける中、私はふと思い出して鞄のポーチから薬を取り出す。それを見た恵茉ねえが、手を止めて問いかけた。


「それが例の漢方薬?」

「うん。なんか類先生の知り合いが東洋医学について研究するサークルにいるとかで、その人を通じて漢方に詳しい薬学部の人を紹介してもらったりしたんだって」

「へぇ……」


 初日の印象はきっと最悪だったはずなのに、私の話を居眠りだと笑い飛ばすこともなく、真面目に聞いてくれた。そんな先生がくれたこれを見る度に、胸がポカポカする。


 恵茉ねえに対するものとも、お父さんやお母さんとも違うこれが何なのか、今はよくわからない。だけど、すごく心地良くて、どこか甘えたくなる。知り合ったばかりの人に気を許さない方がいいってわかってるのに、それすら無視したくなる不思議な人。


 そんな類先生のことを思い出しつつ、さすがに飲めはしても好きにはなれない粉薬を、お冷やで流し込んだそのときだった。


「その先生、莉音に気があったりして」


 思わないがけない言葉に、思わず薬を噴き出しそうになるのを必死に堪える。代わりとばかりに、お水が変なところに入りかけたのもどうにか飲み込んで、むせかえりながら恵茉ねえを見た。


「けほっ……ちょ、恵茉ねえ、急に何言い出すの……?」


 まだ知り合って一週間ちょっとしか経ってない上に、そもそもまだ三回しか会ってないんだけど!? 明日が家庭教師の日だけど、それでようやく四回目っていう感じなのに、気があるとかそんなわけないない。一目惚れとかするタイプとは思えないし、そもそも向こうは大学生だし、成人した大人だし。


 言い訳染みたことをつらつらと内心で並べ立てる私の考えを読んだかのように、恵茉ねえはあっけらかんと言った。


「急にも何も、だってさすがに何とも思ってない相手にそこまでしないんじゃない?」

「うっ……そ、それは……そうかもしれないけど……」


 だけど、『どうして?』って聞いても、そこには別に私個人がどうこうっていう感じの理由じゃなかったのに、そんなことあるとは思えない。


「手に届く範囲にいる人を助けたいんだって言ってたから、たぶん先生にとっては特別なことじゃないんじゃないかなぁ……」

「えー……そうかしら?」

「そうだよー。むしろあったら私がびっくりだよ」


 あんな塩対応されてそれでも気がありますとか言われたら、私がビビる。疑ってかかったのはさすがに反省したし、いろいろ改めようとはしたものの。上手く言えなくて、なかなか伝わらなかった上、癇癪起こしたみたいになっちゃったし……。罵られて興奮するタイプ……ではあってほしくないなぁ……。


 そんなことを思いつつ、あれやこれやこれまでの家庭教師の日にあったことなんかで盛り上がりつつ、ご飯を終えてカフェを後にした。


「このあとどこに行く?」

「そうだねぇ……」


 恵茉ねえの言葉を受けて、周りのお店を見回したそのときだった。ふと目に入った後ろ姿が引っかかって、目を留める。何が引っかかったんだろうって思って、よくよく見たら、それはついさっき恵茉ねえと一緒に話してた話題の彼だった。


「類先生だ」

「え、例の家庭教師の先生いるの? どこどこ?」

「えっと、あのハンバーガー屋さんの前にいる男の人」


 外国人向けの大きなハンバーガーを出すお店の前で、見慣れない金髪の長い髪の男の人と一緒にメニューを覗き込んでいるみたいだった。まさか出先で見かけるとは思わなくて、思わず木の影に隠れる。隠れてから『なんで隠れてるんだろ?』とも思ったけど、何となく気付かれたくなくてそのまま隠れて様子を窺う。


「二人いるけどどっち?」

「髪の短い茶髪の人」


 問われた質問にそう返せば、恵茉ねえは『へぇ』と感心した様子で言った。


「なんかこう、洋画とかに出てきそうな感じの格好いい先生じゃない」

「そ、そう言われて見れば、そう……かも?」


 その瞬間、何故か恵茉ねえの言葉にちょっと胸がモヤッとして、首を傾げる。


「一緒にいる金髪の人は誰なのかしら? パッと見は外国人みたいだけど」

「うーん、先生の交友関係は私も全然知らないからなぁ……」


 呆れ顔で小突いたりしている姿はすごく楽しそう。気心知れてる相手の前で見せるその表情はすごく新鮮だった。それと同時に『私は家庭教師としての類先生しか知らないんだ』と今さらなことを自覚して、何故か胸が少しズキッと痛んだ。


 まだ三回。たった三回しか会ってないし、その大半は勉強を教えて貰うのが主だし、それが類先生の仕事なんだから当たり前、なんだけど。でもそれが無性に寂しくなって、同時に浮かんだのは『もっと知りたい』という気持ちだった。


 知らない人と楽しそうに笑い合う類先生を遠目に見つめたあと、恵茉ねえの呼びかけに振り返る。すると、恵茉ねえは何か閃いたとばかりに耳打ちした。


「このあとの予定で提案があるんだけど、いい?」

「うん、私もちょっと思いついたことがあるとこ」


 二人で目を合わせてニヤリと笑う。こういうとき、恵茉ねえと考えが違うことはあまりないから、たぶんきっと同じだろうと思って、それを口に出す。


「尾行してみよう!」


 同時に口に出したのはやっぱり同じ言葉。それに二人で笑い合ったあと、恵茉ねえは尾行のための変装グッズを近くの雑貨屋さんに買いに走る。その間、私は二人の見張り役と称して、普段私があまり見ることのない類先生のクルクル動く表情を眺めていたのだった。

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