7.重ならないプリマ・ヴォルタ
月村
部屋の中央に敷かれたラグにあるガラステーブルを挟み、彼女と相対すれば、オレの隣に座った先生が口を開いた。
「彼は栗原 類くん。私が客員教授をしている大学の医学生だ。話してあったと思うが、今日から莉音の家庭教師として、週に三回来て貰うことになった」
「初めまして、栗原 類と言います。至らない点もあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
背筋を伸ばし、準備してきていた言葉を復習い告げながら、最後に頭を下げる。そうして、ゆっくり顔をあげれば、彼女は綺麗に微笑んで言った。
「初めまして。月村 莉音って言います。こちらこそよろしくお願いします、栗原先生」
その笑顔は、記憶の中のリオンが外向けに浮かべる笑顔と重なり、彼女との距離を実感した気がした。
彼女にそっくりな女性――先生の奥さんが、焼き菓子と共に出してくれた紅茶のカップに手を伸ばし、緊張や混乱を誤魔化す。そんな中、顔合わせのために仕事を抜け出してきていたらしい月村夫妻は、挨拶もそこそこに止める間もなく出かけてしまい、オレと彼女の二人だけが残された。
月村先生ーー!! 年頃の娘と若い男を置いて出かけて行くのはさすがにまずくないですか!? いや、手を出そうなんて思ってないですけれども! そこはせめてお手伝いさんなり、誰か第三者を残しておくべきではないんですか、一人娘なんですよね!?
なんて思わずツッコミを入れながら、お茶をいただきつつ脳内で状況整理をする中、口を開いたのは彼女だった。
「栗原先生は何年生なんですか?」
「三年、です」
思いがけない質問に焦って、危うく前世の調子で返しそうになりながら答える。すると、にっこり微笑んだ彼女は、カップを置いて問いかけた。
「それで?」
「それで、とは……?」
記憶の中にあるリオンとは違う冷めた視線に戸惑いながら、彼女の言わんとすることがわからず問い返す。すると、彼女は冷笑を浮かべて言った。
「これはお父さんに近付くためのご機嫌取りの一環? もしかして、うちの病院の後継でも狙ってるの?」
「……はい?」
告げられた言葉があまりに予想外過ぎて、理解が追いつかない。ただ、彼女の敵か否かを推し量られていることだけはわかり、慌てて両手を振って言った。
「月村先生のことは尊敬してるけど、取り入ろうだなんて思ってない! ……です」
「……本当に?」
「本当です」
疑わしげに見つめる表情は記憶のリオンそのままなのに、その目に宿る温度の冷たさに胸がズキンと痛む。その痛みに見ないフリをしてオレは言った。
「オレが医者になりたいのは、弟の病気を完治させるためであって、病院だとか何だとかに興味はありません」
「それらしいことならいくらでも言えると思うけど」
前世でもこのくらい疑り深かったら、どれだけ楽だっただろう……なんて少し現実逃避しかけながら、できるだけ冷静に落ち着いて返す。
「失礼ながら、娘さんがいると知ったのも、この話を先生から頂いたときに知ったくらいなので」
「……ふーん……」
彼女のじと目は『本当に?』と未だに疑わしげだ。この世には自分に似た人間が三人はいるって言うし、もしかしたらただのそっくりさんなんだろうかと思い始めた頃、彼女は小さく息をついて言った。
「とりあえず、それで納得してあげる」
言葉と裏腹に、顔は全く以て納得してない。埒があかないから仕方ないって顔しかしてない上に、粗を見つけてやろうって光が見え隠れしている。そのことに思わず口元を引き攣らせそうになりながら、オレは精一杯笑みを浮かべて言った。
「では、納得していただいたところで本題に入りましょうか。学校の授業でわからないところや苦手なところを教えてもらっても?」
そう問えば、彼女はギクリと身体を強張らせ、視線を泳がせる。その反応に『おや?』と思いながら返事を待てば、ポツリと小さな声が返ってきた。
「……ぶ」
「え?」
聞こえた単語に本気で耳を疑い、目を瞬かせれば、彼女はそれをもう一度繰り返す。
「今月の授業、ほぼ全部」
「……ほぼ、全部?」
思いがけない返答に、うっかり素で驚いて返してしまった。そんなオレをチラリと見たあと、居心地悪そうな様子で彼女は問いかけてきた。
「お父さんから何も聞いてないの?」
「詳しいことは娘から聞いてくれとしか……」
そう答えれば、彼女は深々とため息を吐き出すと、立ち上がり机に向かいながら言う。
「少し前から、所構わず眠るようになっちゃって、授業がろくに受けられてないの」
「居眠り……とは違うんですよね?」
机に用意していたらしい教科書やノート、筆記用具を持って振り返った彼女は真っ直ぐオレを見つめて言った。
「どんなに夜眠っておいても、何をしていても前触れもなく突然眠って、しかも一度眠ると自分で起きるまで誰が何をしても起きない。……なんて、普通の居眠りとしてあり得るの?」
「……少なくてもオレは聞いたことがないですね」
「だよね。お父さんが調べてもわからないのに、あなたが知ってたらすごいと思う」
その言葉に『確かに』と思わず苦笑いをしつつ、考え込む。彼女が座りながらテーブルに置いたノートに記載された文字で、彼女の名前は『莉音』と書くんだなと頭の片隅で思いながら、色々考えた結果、オレはそれを彼女に提案した。
「莉音、さん。オレを信用することが難しいようなら、月村先生に家庭教師の先生を変えてもらいましょう」
「どうして?」
まだ警戒をしているのか、怪訝そうに彼女が首を傾げる。
「先生がオレを信頼してくれての話だとはわかってますし、それには誠心誠意応えるつもりです。でも、キミは年頃の女の子でオレは男。もしもオレの前で、その謎の眠りに落ちた時に、不安じゃないですか?」
そう言えば、彼女は目を瞬かせたあと、頬を掻きながら視線を僅かに逸らして言った。
「それは……考えてなかった、かも……」
微かに目元をほんのり染めて素直にそう言う姿に、思わずリオンの姿を重ね、つい顔が弛む。ああ、この肝心なところで抜けてる辺りがやっぱりリオンだなと、妙なところで実感してしまった。
バカにしてると捉えられたのか、微妙に睨まれ、慌ててオレは本題の続きを口にした。
「ですから、今日はともかくとして。次回からの担当に関しては今からでも遅くはないはずですし、医学部にも少なからず女子はいますから、代わりを探しましょう」
「……私はそれでも構わないけど、あなたはそれでいいの?」
戸惑った様子で問う彼女の眉がハの字になる。警戒する相手がいなくなるというのに、相手の心配をするあたり、根っこの部分は同じなのかもしれないなと思いつつ、オレは微笑んで言った。
「オレがバイトを探していた元々の目的は、来月の弟の誕生日プレゼントの軍資金ですから。何とかします」
「来月ってもうすぐじゃない」
「まぁ、渡すのは正月に帰省するときですから。それに間に合えばいいんです」
これでこの話は終わりだし、いつまでも警戒させているのも忍びないから、先生にお詫びの連絡をして話がつき次第お暇しようと携帯を取り出したときだった。
「待って!」
「……え?」
携帯を持つ右手を両手で掴み、彼女は真っ直ぐオレを見つめて言った。
「やましい気持ちはないんだよね?」
「ないですね」
「……それ、誓える?」
そう問われた瞬間、オレは何を今さらと思いつつ、自然とそれを口にしていた。
「月神と剣にかけても構わない」
「月、神……?」
キョトンとした様子で目を瞬かせる青い瞳と戸惑う声に、ハッとする。彼女があまりにもリオンにダブって見えたのもあり、ルイスの記憶に引きずられていた。それを慌てて誤魔化すように、苦笑しながら言った。
「あ、いえ。最近読んだラノベでそういうシーンがあったので、つい……」
「……私、真面目な話をしてるんだけど」
「すみません。でも、何かに誓えと言うなら何にでも誓えます」
彼女に届くかはわからない。それでも、誓えと言うのならば誓うし、誓ったことは全うする。それはオレにとって嘘偽りない本心の言葉だった。そんなオレをしばらく見つめたあと、彼女は小さく息を吐いて言った。
「……わかった。じゃあ、お試し期間ってことで」
「え……?」
今度はオレが目を瞬かせれば、彼女はやや口を尖らせながら言った。
「栗原先生の教え方が合うかどうか確かめてからだって遅くはないでしょ。……嫌なら別に無理しなくていいけど」
最後はやや尻すぼみ気味になりながら、オレの手首を放し、彼女はふいっと視線を逸らす。そんな彼女に思わずオレは間髪入れずに口を開いた。
「いや、不満なんてないです」
それに驚いた様子で振り返ると、莉音はホッとした様子で微かに微笑みながら右手を差し出して言った。
「じゃあ、改めてよろしくお願いします、栗原先生」
「こちらこそ」
そう言って、彼女の小さな右手を握り返す。そんな突然の出会いと展開に戸惑いながらも、オレは家庭教師として最初の仕事――彼女が苦戦しているという学校の課題の説明に取りかかったのだった。
※ プリマ・ヴォルタ:初回の意
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます