第2章:夢の残照と恋の風

8.月の白手袋

「リオンを見つけた、と思う」


 週明けの昼休み。学生で賑わう学食の端の席で昼ご飯を食べながらそう告げれば、陸が『は……?』と呆気に取られた様子で固まった。


 日替わり定食の小鉢についていた金時豆がポロッと、彼の箸から転がり落ちていく。それを見て、『言うタイミングを間違えたな』と頭の片隅で思いつつ、カツ丼を口に運ぶ。そして、たっぷり十数秒かけて衝撃から戻ってきたらしい彼は、身を乗り出し気味に言った。


「えっ、どこで!?」


 口の中のものを飲み込み、オレはどこから説明しようかと少し考えたものの、準備してきたのが一番かと思い、それを告げた。


「バイト先。月村教授の娘さん、莉音って名前なんだ。性格の印象は夢で知ってるのとは少し違うが、たぶんリオンで間違いないと思う」

「あー……」


 オレの端的な説明で何やら納得がいった様子で、陸は落ち着きを取り戻して座り直す。長々と息を吐き出すと、彼は額を押さえて呟いた。


「やっぱり、月村教授、ライルさんだったか……」

「ライル……? 行方がわからないというか、存在がよくわからないあの……?」

「そう、そのライルさん。リオンの実の父親だったんだよ」


 まだ思い出していない情報に軽く目を瞠る。そんなオレの様子に陸は苦笑しながら言った。


「予想はしてたけど、お前、ライルさんに関することまではまだ思い出してないんだね」

「思い出せてない、な」


 こんなことなら、思い出していないとかを抜きに、しっかりあのとき陸を問い質しておくんだった。そう思うのと同時に、次があったら絶対問い質そうと心に決める。そんなオレに、陸は食事を再開しながら問いかけた。


「それで、リオンの記憶、その子は持ってたの?」

「恐らく持ってない。初対面の家庭教師相手に戸惑ってはいたが、それ以外は特に何もなかったし。かなり塩対応されたからな」

「塩対応……?」


 キョトンとした様子で首を傾げる彼を余所に、オレの脳裏に莉音の冷笑や投げかけられた疑心暗鬼に満ちた言葉の数々が過る。


「月村教授に取り入って、果ては月村総合病院の後継の座を狙ってるんじゃないかって言われた」

「……それはまた、随分と警戒されてるねぇ……」


 戸惑った様子の陸にオレは苦笑いを浮かべるしかない。


 夢の中のリオンは、率直に言って、他人を疑うとかそう言ったものが基本的になかった。そのリオンが初対面から誰かを疑って、敵視してかかってくる。……なんて予想、前世で恋人だったオレだって全くしてなかったのだから。


『ルイス』


 夢の中でふわりと柔らかく微笑み、楽しげにオレの名前を呼ぶ彼女とは印象がかけ離れていると言わざるを得ない。塩どころか、あれに比べたら氷と言ってもいいんじゃないだろうか。


 そんなオレにどこか呆れを滲ませた苦笑いを浮かべ、頬杖をつきながら陸は言った。


「類の場合はむしろ、派閥争いに乗らなすぎて飛ばされたりしそうだよね。『権力? ナニソレオイシイノ?』を地で行きそう」

「大事なのは派閥じゃなくて、人命だろ」

「うん。オレはそんなお前が好きだけどね、就職後がちょっと不安だよ」

「大きなお世話だ」


 これみよがしに大きなため息をつく陸の言葉を無視して、味噌汁を流し込む。すると陸は姿勢を正し、オレを真顔で見て言った。


「まぁ、冗談半分の話はさておき、お前が言うくらいだから、たぶんその子で間違いないんだろうけど……平気?」


 気遣わしげに問われたそれに、思わず動きを止める。陸が問いたいのは恐らく『前世で恋人だったと思われる相手から、好意どころか悪感情に近いものを向けられて平気か』という意味だろう。


「リオンじゃないと思えばまぁ……」

「つまり、リオンだと思うと結構しんどい訳だ」


 口に出すと未だにルイスの気持ちに引きずられそうになるから、敢えて変えた言葉を言い直されて、胸が痛む。正直、リオンならばもしかしたら彼女もオレを見て……なんて、そんな淡い幻想を一瞬でも抱いてしまったから余計に、だ。


 じくじくとぶり返した痛みに、八つ当たりだとわかりつつ、苛立ちを抑えきれないまま問いかけた。


「ほとんど瓜二つの顔と声で、リオンから冷ややかな笑みを向けられたらお前は平気なのか?」

「……うーん、そういうの受けた記憶がないから何ともだけど、少し戸惑うくらいかなぁ」


 そう返され『それもそうか』と思う。リックは彼女を妹分のように見ている節はあっても、それ以上でもそれ以下でもない。オレほど、彼女に対して特別な想いを抱いていたわけじゃないから、温度差があって当たり前だなと納得した。


 ……納得したからと言って、この八つ当たり染みた気持ちを片付けられるかと言われると話は別なんだが。眉間に皺が寄るのを感じつつ、黙々と食べ進めれば、陸は苦笑した様子で問いかけた。


「で、どうするの?」

「どうって……、別にどうもする気はない」


 オレの返事が意外だったのか、碧眼が唖然とした様子で瞬く。『なんで?』と問いたげな彼に、オレは静かに言った。


「リオンとルイスは許されてなくても恋人だった。でもそれはあの二人だったからだ。オレはルイスの生まれ変わりであっても、ルイスじゃない。お前だって、リックの記憶があるって言っても、リックじゃなくて陸だろ?」

「……まぁ、そうだね」

「それなら彼女にだって言えることだ。オレの知ってるリオンと同じ存在でも同じじゃない。だから彼女のことは、できるだけ『月村教授の娘』としてだけ見るつもりだ」


 そう言えば、陸は気遣わしげにオレを見て口を開いた。


「それでお前はいいの?」

「いいも何も、前世の自分に向けられたものを、突然知り合ったばかりの男に向けられたって困るだけだろ」


 仮にリオンの記憶があったとしても、莉音――いや、莉音さんにだって今の生活がある。……もしかしたら、好きな人だっているかもしれない。そもそも、莉音さんにリオンを重ねて見ること自体、失礼なようにも思うから、できるだけ重ねないようにしたいとも思う。実際は酷く難しいけれど。


「それにオレも自分の反応が、リオンと今の彼女、どっちに反応してるのかわからないんだ。だから、仮に良くなかったとしても、今はただやれることだけをやるつもりだ」

「そっか……」


 眉尻を下げつつ『ならもう言わない』とばかりに微笑む陸の心遣いがありがたい。前世といい、今世といい、何かとこういう肝心な場面で気を遣わせてばかりなのは申し訳なく思うが。


 そこにさらに負担を増やすことにもなるのは忍びないなと思いつつ、オレは箸を置いて本題に入った。


「で、だ。陸、お前が所属してる東洋医学研究って、確か看護学部とか薬学部とかもいて、本格的に研究もしてるって言ってたよな?」

「え? うん、そうだけど……」


 『それがどうした』と言わんばかりに見返す彼に、オレは問いかけた。


「なら、眠気に効く漢方とか何かないか?」

「……はい?」


 オレの質問に対し、陸は呆気に取られた様子で首を傾げた。


 莉音さんが悩まされている原因不明の眠り病について、事情をかいつまんで説明すれば、空になった食器を前に陸は難しい顔で唸る。


「なるほどねぇ。原因不明の一度眠ると何をしても起きれない謎の眠り病かぁ……。そんなのオレも聞いたことはないなぁ」

「オレもない。月村教授も調べてはいるみたいだけど、それでもまだ原因がわからないらしいんだ」

「……で、さっきの発言から察するに、お前はお前で何とかする手伝いをしたいから手を貸せってことかな?」


 ほぼほぼ確信を持って告げられた確認に、迷わず頷き返す。漢方薬なら市販薬としてドラッグストアとかにも売ってるし、何かできることがあるんじゃないかと、空き時間でいろいろ調べた結果出た結論だった。


 とはいえ、オレが目指しているのは呼吸器の専門だから、そっち方面ならまだ明るい知識も多いが、正直他の分野に関しては疎い。そしてこういう場合、付け焼き刃の知識だけで動くよりは、詳しい人間にも相談するのが一番だというのは、日々の実習を通して学んだことだ。


「東洋医学の漢方や鍼、ツボとかで眠りにくくするものとかあれば知りたい。可能なら、お前だけじゃなく、他にもその辺に詳しいヤツを紹介してほしい」

「了解。それなら、薬学部の子を紹介するよ。彼女ならきっとお前の力になってくれるはずだしね」


 自信たっぷりな理由はわからないものの、快諾してくれたことにホッと息をつく。


 そして、善は急げとばかりに、陸が携帯で連絡を取って呼び出したのは、オレたちよりも一つ上の女性。それは、オレが前世かなり苦しめられた毒を作った人と瓜二つだった。


 髪色も目の色も違うものの、釣り目気味の漆黒の瞳がオレを見るなり大きく見開かれる。その表情に、彼女――宝条ほうじょう 咲良さらもまたオレたち同様、記憶持ちの転生者なんだなと、驚きで声が出ない中、心の片隅でそんなことを思ったのだった。

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