6.共鳴するアリア
十一月も半ばを過ぎたある日のこと。オレは相変わらず、毎晩夢と現実を行ったり来たりする中、大学の構内掲示板に貼り出されている求人募集の山を吟味していた。
「あれ、類。お前、バイトするの?」
聞き慣れた声と共に、左肩に軽く体重がかかる。
「陸、重い」
「そんなこと言われたら傷付くんだけど?」
そう言いつつ、どく気配のない彼――陸は、オレの肩越しに手元の求人募集の用紙を覗き込んだ。
「何々、コンパニオンにイベントスタッフ……?」
「長期のバイトは実習や勉強を考えたら、何かと両立が難しいだろ」
「まぁ、ねぇ……。けど、なんだって急に?」
時給と可能な労働時間をざっくり計算しつつ答える。
「
「あ、なるほど」
オレの答えを聞いた陸の重みが、不意に肩から消える。それに振り返れば、彼はやや迷った様子を見せながら問いかけた。
「お前さ、夢って順番に見てる感じ?」
「いや、時系列順じゃない感じだし、たぶんランダムだ」
「……じゃあさ、もしかして、オレとお前の他にいたもう一人のことは……」
そこまで言われて、やっと陸の言いたいことを察する。
「それなら見た。慧がグレッグ……なんだろ?」
「気付いてたんだ?」
「まぁ、目の色と髪の長さを除けば瓜二つだしな」
全部を思い出した訳じゃない。ただ、丘の上で彼を止めるために、必死に語りかけたことだけはしっかりと夢に見ていた。
「グレッグがオレの弟なんて、夢を見て思い出したあとは正直戸惑った。でも、きっとアイツも蓮さんと同じで、覚えてないんだろうな、たぶん」
身近な家族や親族が前世でも深く関わりがあったなんて、それだけでもすごい奇跡のような偶然だと思う。けれど、自分は覚えていても、相手が覚えていないというのは、少しだけ寂しいものがあった。
決して、前と同じ関係がよかったわけじゃない。前と違うからこその喜びをわかち合いたくても、わかり合えないのが、本当に少しだけ寂しかっただけだ。
「類……」
「そんな顔しなくても、お前に説明を求めたのはオレだ。気にするな」
眉をハの字にした陸の肩を、軽く叩いて言う。オレが思い出すまで、陸はずっと一人で抱えていたのかと思うと『もっと早く気付けたらよかったのに』と思う。そんな考えに、僅かに胸がチクリと痛む。その痛みに蓋をしつつ、オレは続けて言った。
「オレが今になって、急に夢に見て思い出し始めたのにも、何か意味があるはずだ。それにオレの場合、お前が居るから心強いしな」
そう言えば、ポカンとしたあと、陸は気恥ずかしそうに頬を掻いて言った。
「類が素直だと、明日は槍でも降りそうだよね」
「……ほぉ? 今世までそういうことを言うわけだ。ならもう二度と言わないでおいてやるよ」
「や、やだなぁ、冗談だってば」
彼は誤魔化すようにヒラヒラと手を振るが、その耳は確実に赤い。
全く、何も変なところで素直にじゃないのまで、前世から引き継いでなくてもいいと思うんだ。陸はもう少し、自分の気持ちに正直になればいいのに。前世絡みの話をすると不安そうな顔をすることもあるけど、それ以上に笑顔が増えたことを自覚してないんじゃないか、このお調子者は。
そんなことをつらつらと考えていたときだった。
「おや、栗原くんじゃないか」
名を呼ばれて振り返った先にいたのは、栗色の髪の男性教授だった。
「月村先生、こんにちは」
「こんにちは。ええと、そっちの君は、確か実習のときの……」
「月島 陸です。月村総合病院ではご指導いただき、ありがとうございました」
オレたちに声をかけたのは、客員教授を兼任している月村総合病院の
「二人揃ってどうしたんだい?」
「あ、いえ。栗原くんがアルバイトを探しているようで」
「アルバイトを?」
彼の青みを帯びた目がオレをに向けられる。
「少々物入りで、勉学に支障をきたさない範囲で何かないかと思いまして」
「なるほど……」
オレの返答に対し、何を思ったのか、月村先生は考え込むように口元に手を当てる。アルバイトをしている医学生はいるはずだから、マズいということはないはずだが、どうしてそんな反応をするのかがわからず、口を閉ざす。すると、先生はオレを探るように見つめて問いかけた。
「ちなみに、めぼしいものはあったのかい?」
「なかなか……」
コンパニオンとかイベント会場のものならば、単発ではあるものの、基本的に肉体労働気味な上に拘束時間がそれなりに長い。体力は蓮さんに稽古をつけてもらっている関係で多少自信があるとはいえ、勉強との両立を考えると悩ましいというのが正直なところだ。
苦笑しながら返したオレに対し、先生は首を傾げながら言った。
「私もちょうど求人を貼ろうと思っていたんだが、家庭教師のアルバイトに興味はあるかな?」
「家庭教師、ですか?」
「そうだ」
拘束時間にもよるものの、それでも知っている先生の紹介ならば勉学にそう支障が出るものではない気もするし、条件次第ではいいかもしれない。そんなことを思いつつ、彼が差し出した求人票の中身に目を通しつつ、続きに耳を傾ける。
「今年、高校に上がったばかりの娘がいるんだが、できれば医学部か看護学部の学生にお願いしたくてね」
「医学部か看護学部を目指していらっしゃるんですか?」
もしかして、似た道を志そうとしている後輩なのかと思い、書類から顔をあげて問いかければ、先生は少し困った顔を浮かべて言った。
「そういう訳ではないんだが、少し気がかりなことがあってね。万が一を考えると、そのどちらかに属していて実習成績も良い三年生の学生に頼みたいんだ。君ならば成績も申し分ないし、信用もできる。どうだろう?」
言葉は濁しているものの、恐らく何か病を患っているのだろう。
オレ自身が過去に、気管支の弱い慧のためにできることをしてやりたいと、そう何度となく思ったからこそ、家族が病気のときの気持ちは痛いほどわかる。……まぁ、本人には『兄さんのお荷物になりたくない』と断られたんだが。それならば、慧を治してやれるようになろう、と志したのがこの道だ。
何はともあれ、ざっと見た条件も問題ない上、尊敬している先生に恩を返すチャンスをわざわざ断る理由もない。だから、オレは一にも二もなく頷いて言った。
「自分で良ければ喜んで」
オレの返事に、先生は心底ホッとした様子で微笑んだ。その後、病院から緊急の呼び出しがかかり、学内メールで連絡をすると言って、月村先生は足早にその場を後にした。
忙しそうな背中を見送ったあと、改めて求人内容を確認していると、それまで黙っていた陸が問いかけた。
「お前さ、月村先生のことどう思う?」
「どうって、いい先生だと思うし、尊敬してるぞ」
「そうじゃなくて……」
それ以外に何の意味を含むのかわからず首を傾げれば、彼は一人納得した様子で息を吐いて言った。
「まぁ、もう約束したあとだし、言っても仕方ないか」
「どういうことだ?」
「いや、オレの考えすぎかもしれないから気にしないで。っと、そろそろサークル行かないと」
そんな陸の言葉に一瞬焦り、腕時計の日にちを見る。
「今日、オケサークルの練習日だったか?」
「あ、違う違う。東洋医学研究の方。今日は全体のミーティングなんだ」
「なるほど。掛け持ちしてると大変だな」
「まぁね。けど、薬学部とかも一緒だから結構楽し……って、話してる場合じゃなかった。とりあえず、続きはまた明日ね」
そう言って、陸は『じゃ』と軽く別れの挨拶を告げると、サークル棟に向かって小走りで駆けていった。
もしかしたら、思い出していない記憶の何かに関連するものだったのかもしれない。そう一瞬過ったものの、さすがに思い出してすらいない記憶に関しては、問い詰めようもないから、オレも無理に聞き出すことはせず、そのままその話は棚上げになったのだった。
***
学内メールで予定を調整して迎えたその週末。黒のテーラードジャケットに白無地のTシャツ、ダークブルーのチノパンという、気持ちかっちりめの格好でオレは自転車を漕ぐ。そうして向かったのは、八剣家から自転車で約十分、歩いたら二十分かかる距離にある
初めてのアルバイトということもあり、やや緊張しつつ、月村と表札の出ている大きな家のインターホンを押す。月村先生の声が聞こえるのとほぼ同時に、目の前の木目調の門扉が解錠される音が響き、中へ促される。指示に従って入り、門を閉めれば勝手に施錠され、自分にはなかなか縁のないオートロックの門というものに感動しつつ奥へ進む。玄関に辿り着けば、立派な扉が内側から開き、先生が笑顔で出迎えてくれた。
「やぁ、よく来てくれた」
「いえ、よろしくお願いいたします」
「そう固くならなくてもいい。さぁ、上がってくれ」
「お邪魔いたします」
先生に促されるまま、自宅にお邪魔する。用意されたスリッパを履いて、彼の後について歩く。螺旋を描く階段を登ると、左手奥の部屋を指して先生は言った。
「娘の部屋は二階に上がってすぐのここだ」
そう言ってノックをすれば、中から『はーい?』と女の子の声が応じる。
「話していた家庭教師の先生が来てくれたから、ここを開けなさい
「……え」
先生が呼んだ名前に、思わず全身が強ばる。
まさか、そんなことあるはずない。ただ名前の音の響きが同じだけ……いや、聞き間違いという可能性だってあるはずだ。
そう言い聞かせてもなお、心臓が喧しいほど鳴り響く。
そんなオレを余所に、目の前の扉が開く。そこに居たのは、青みがかかった長い黒髪をハーフアップにした女子。パチパチと瞬いた彼女の大きな青い瞳も顔立ちも、夢で見た彼女と瓜二つだ。
今度こそ、衝撃で動けなくなったオレに、月村先生は言った。
「紹介しよう、栗原くん。この子が私の一人娘の莉音だ」
聞き間違いではなく、しっかりと紡がれた彼女の名前。それは極々自然に、ストンとオレの中に落ちてきたのだった。
※ アリア:歌の意
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