14.冬のピアチェーレ
クリスマスが差し迫った週末のこと。普段なら月村家にいる時間帯だったものの、今日は莉音もオレもそれぞれ学校のサークルや部活関連で予定があり、今日の分の授業は夜に、ということになった。
そうして、オレは今、オケサークルの面々と一緒に、以前実習でお世話になった病院のロビーの片隅にいた。日頃、医療系の学部生が実習でお世話になっているからということで、今日はこれからここでクリスマスコンサートをすることになっている。
楽器の確認をしていると、ポケットに入れた携帯が震えた。取り出して確認すると、メッセージアプリの新着通知。送り主は陸だ。
――薬も飲んだし、寝てれば治ると思うから見舞いは平気。オレの分までコンサート頑張って。
絵文字つきの返事に対して、思わずため息が洩れる。陸曰く『オレの大丈夫が当てにならない』のと同様に、陸の言う『平気』も存外当てにならない。前にインフルエンザにかかったときも冷蔵庫が見事に空っぽで、オレが見舞いに行かなかったらどうするつもりだったのか、ということがあったくらいだ。
「これ終わったらバイトまで時間もあるし、念のため様子を見に行くか……」
この後の予定を確認して、端末をズボンのポケットに戻したときだった。
「類先生……?」
聞き覚えのある声と呼び名に振り返れば、そこには白いブラウスに紺色のロングスカート姿の莉音がいた。戸惑い気味な彼女を見て、オレもまた驚きで目を瞬かせる。
「莉音、なんでここに……?」
「なんでって、合唱部の活動の一環で、ここのクリスマスコンサートで歌うから」
「え……」
今日のコンサートは、莉音が通う学校の合唱部と合同とは聞いていた。とはいえ、まさか彼女がそこに所属しているとは考えもしなかったから、その言葉にただただ驚くばかりだ。
「合唱部だったのか?」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
「聞いてないな」
根掘り葉掘り聞くのもあれかと思ったのもあり、学校での生活とかは莉音が自分から話してくれること以外、深く尋ねることはしていなかった。そんなオレの手元を見て、莉音が意外そうに言った。
「ていうか、類先生こそ、そのヴィオラ……もしかして伴奏してくれるオーケストラサークルの人だったりするの?」
「一応な」
そう返せば、やや難しげ……いや、どちらかというと不満げな表情を浮かべて、莉音は問いかけた。
「合同練習のとき、類先生いた?」
「いや、その日は実習と重なって参加できなくてな」
『どういうことだ?』とばかり声音に、思わず苦笑いと共に返す。そう返せば、何かしらそのとき話があったのか、『なるほど』と納得したように莉音が頷いたとき、後ろから声をかけられた。
「お、珍しいな。相方の月島の代わりに、栗原が女子高生をナンパしてる」
「してませんから」
声をかけてきたのは、赤毛のサークル長だ。陸と似たタイプで、どこかこう不思議な既視感を覚える先輩に対し、ため息交じりに返す。思わずじと目で振り返れば、『冗談だ冗談』と愉しげに笑いながら、彼は他のサークルメンバーの様子を見に行った。
普段、一緒にいるヤツがいないから気にかけてくれていたんだろう。揶揄い癖というか、人を食ったような物言いは玉に瑕だけど、人を観察して働きかけるその気遣いというか、手腕はオレも見習うべきだと思う。……個人的にはほんの少し苦手な先輩ではあるけれど。
そんなことを思いつつ先輩を見ていると、くいっとオレの袖を引っ張った莉音に問いかけられた。
「月島って誰?」
「ん? ああ、高校からの付き合いになるオレの同級生。チェロ担当の一人なんだけど、風邪を拗らせた関係で今日はいないんだ」
「そうなんだ……。それは心配だね」
まるで自分のことのように痛ましげな表情を浮かべる彼女に、思わず右手を伸ばしそうになる。前世の癖で動きかけたそれを寸でのところで抑えつつ、オレは苦笑しながら言った。
「まぁ、アイツも医学部だし、薬も飲んだらしいから、たぶん大丈夫だ。念のため、オレもあとで様子を見に行くつもりだし……っと、遅れないようにはするけど、万一遅れるときは連絡する」
「わかった」
真顔で頷く莉音の様子から、うっかり頭を撫でようとした右手には気付かれなかったらしい。そのことに内心でホッと息をつく中、ため息交じりに口を少し尖らせて彼女は言った。
「それにしても、同じ用事だったなら言ってくれたらよかったのに」
「莉音が合唱部だって知らないのに言ってどうするんだ?」
「演奏を聞きに行くとかはできるじゃない」
大真面目な顔で言われた言葉に、虚を突かれる。思わず目を瞬かせ固まっていると、莉音は睨め付けるようにオレ見上げて問いかけた。
「何? 私には教えられない理由でもあるの?」
「……いや、そんなものはないが」
「じゃあ、次あるときは教えてね」
口調は穏やかなのに、どこか圧を感じる声音に思わず頷けば、彼女は満足げに青い瞳を細める。そこへ合唱部の方で招集がかかれば、『またあとでね』と言って莉音は、部活仲間のところへと戻って行った。
それを見送ったオレの心が、いつになく期待で揺れる。
莉音と類として、今世で出逢ってもう一月になるが、彼女はオレを一体どう思っているんだろう。ただの家庭教師に対する行動、というには、少し近い距離に戸惑わずにいられない。最初が塩対応だったから余計に。
部活仲間と楽しげに笑い合う莉音を、何となしに目で追う。リオンだった頃にはなかなか見られなかった光景に、今の彼女は決して独りじゃないことにホッとした。それと同時に、前世とは違い、彼女の素に触れられるのはオレたちの特権じゃないんだなと胸が痛む。
どこか寂しさにも独占欲にも似た感情を自覚すれば、彼女を見ていられなくなった。莉音は莉音だと陸に言いながら、未だ彼女にリオンを重ねてることに嫌気が差す。
そんな自分にため息をつきつつ、オレもまた先輩の呼びかけに応じ、コンサートの準備へと戻っていったのだった。
***
無事にクリスマスコンサートを終えたその日の夜。バイトのために月村家に行けば、夕飯の支度で手の放せなかった奥さんに代わり、私服姿の莉音に出迎えられた。特に昼間と変わりないように見える彼女に、オレは開口一番に問いかけた。
「あのあとは何もなかったか?」
「もー類先生、心配し過ぎ。帰りの電車は合唱部の友達も一緒だったし、駅までお母さんが迎えに来てくれたから大丈夫だったよ」
オレの問いかけに、莉音は苦笑しながら手をヒラヒラ振って返す。その返事は、コンサートが終わったあと、帰りに誰か一緒なのかと念のため声をかけたときと大差ない。とにもかくにも、いつ起きるかわからない発作的な眠りもなかったようで、ホッと胸を撫で下ろす。
そんなオレを招き入れながら、今度は莉音が問いかけた。
「そういう類先生こそ、お友達は大丈夫だったの?」
「ああ。風邪の引き始めって感じで、コンサートの場所が病院だから大事を取っただけだったらしい」
「そっか。よかったね」
そう言って、ホッとした様子で微笑む彼女に、オレも笑いかける。そして、連れ立って莉音の部屋へ移動すれば、彼女は参考書とノートを取り出しながら、何か思い出したように言った。
「あ、ねぇねぇ、類先生」
「ん?」
「私、あのあと思いついたんだけど。暖かくなったら、お花見がてら類先生のお友達も誘ってカルテットやらない?」
「カルテット?」
カルテットとは四重奏のことだとわかっているものの、思い描く人数に合わず首を傾げる。そんなオレの疑問を読み取ったように、彼女はキラキラとした笑みを浮かべ楽しげに言った。
「恵茉ねえ――私の幼馴染もピアノ弾けるから、類先生のお友達も入れれば四人でカルテットできると思うんだよね」
「
そう問いかけると、莉音は机の上に置いてあったケースを二つ抱えて戻ってきた。見覚えのある形のピンクのハードケースから出てきたのは、オレのヴィオラよりも一回り小さいバイオリン。それに驚くオレに、彼女が得意げに言う。
「実は私、バイオリンも弾けるんだよ」
「バイオリン『も』?」
「中学時代は吹奏楽部でクラパートだったの」
もう一つの茶色のケースに入っていたのは、分解された
「なるほど、吹奏楽部からの合唱部か……。それならあの声量も頷けるな」
「声量?」
「あ、いや、こっちの話だ」
そこそこに距離があっても、しっかりと聞き取れるくらい彼女の声量は結構あった。一年生とは言え、合唱部だからかと昼間のコンサートで思っていたものの、中学時代に吹奏楽部で鍛えた肺活量もあったのなら得心が行く。
それはさておき、莉音の提案について思考を巡らせ、オレは口を開いた。
「まぁ、陸なら乗るだろうし、噂の恵茉ねえさんさえ良ければ、受験終わったあとに考えてみてもいいかもな」
「やった!」
何がそんなに嬉しいのか、ガッツポーズをして喜ぶ彼女に、思わずオレの口元が弛む。そんな中、莉音は両手を口元に当て、心底楽しげに言った。
「明日のご褒美もあるし、楽しみがいっぱいで嬉しいな」
「『楽しみがいっぱい』はいいが、ちゃんとやることはやるからな」
そう釘をさせば、ムッとした様子で口を尖らせ、彼女が訴える。
「定期考査も終わったんだし、類先生は少しくらい手を抜いてくれてもいいと思うんだけど」
「手加減してるだろ」
少なくても、医学部を目指していたオレの高一の頃のペースよりは、遥かに手加減しているつもりだ。けれど、彼女にとってはそうじゃなかったようで、ふくれっ面で言った。
「試験期間中のあれは鬼だったもん。その分、今日くらい手を抜いてもバチは当たらないと思うの」
「あれはまだ半分くらいだ」
「……え、あれより上があるの?」
がなる彼女に淡々と事実を告げれば、『嘘でしょ』と言わんばかりにマジマジと彼女が見つめ返す。そんな彼女に意識的にニヤリと笑って見せながら、オレは言った。
「何なら試してみるか?」
「えっ!? いや、いい! いつもどおりでいいから!!」
ハッとした様子で莉音は両手を突き出し、ブンブンと首を左右に振る。必死な様子で言い募る彼女がおかしくて、思わず噴き出せば、一瞬キョトンとした青い瞳がオレをじとっと見つめた。
「類先生、からかったでしょ……?」
「いや、半分は本気だったぞ」
「……この人、油断ならない鬼だ」
ものすごく大真面目な口調で言われた言葉に、オレはますますツボにはまってしまい、彼女は解せぬとばかりに眉を寄せる。けれど、一向に笑い止まないオレにつられたのか、思わずといった様子で莉音も笑い出す。
そうして、二人で笑い合った僅かな時間は、とても居心地がよくて。楽しげに笑う莉音を見ながら、ずっとこのままであれたらいいのにと、心の片隅で思ったのだった。
※ ピアチェーレ:喜び、楽しみの意
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