22.夢の騎士のアニマ

「第一志望A判定!?」


 たった今聞いた報告に思わず声をあげると、恥ずかしそうにした恵茉ねえに『声が大きい』と窘められた。


 昨日降った雪の関係で自転車が使えなくて、私は恵茉ねえと二人で最寄り駅から出てるバスで帰る途中だ。そんな中、乗り合わせた人たちの視線が集まるのを感じて、慌てて口を塞ぐ。そうして、隣をそっと窺えば、手すりを掴んだ恵茉ねえは苦笑しながら言った。


「先月の模試だとC判定だったから、どうなるかと思ってたんだけどね。二者面談で自己採点結果を見た八剣先生もびっくりしてた」

「そっかぁ……」


 クリスマスの一件から気が気じゃなかったけど、その結果は自分のことのようにホッとした。


「じゃあ、二次試験の願書は予定通り第一志望で送るの?」

「……少しだけ迷ってる」


 その返事に驚いて目を瞬かせる。基本的に一度決めたら迷わないのが恵茉ねえだから、ここに来てそんな言葉を聞くとは思わなかった。驚く私に、恵茉ねえは静かに言った。


「第一志望はね、お母さんの負担になりにくい、近場で行けそうなとこを選んだだけなの。それは先生も気付いてたみたいで『願書提出まで、もう一度よく考えてみてもいいんじゃないか』って」

「そうなんだ……」


 八剣先生と恵茉ねえのお母さんは、恵茉ねえの試験が終わったら入籍する予定だ、とは聞いてる。だからその言葉は、先生としてじゃなくて、どちらかというと恵茉ねえのお父さんとしての言葉だったのかもしれない。


 それを語る恵茉ねえは、ほんの少しだけ悲しげに微笑んで言った。


「とりあえず、類さんにもいい報告できそうでよかったわ。教え方もわかりやすかったから、ギリギリで苦手だった理数系も克服できたし」

「だよねだよね!」

「……追い込み一週間は鬼かと思ったけど」

「…………わかる」


 定期考査期間の鬼モードな類先生は、本当にビシバシって感じで、テストが終わったときの解放感がハンパなかったのを覚えてる。だから、恵茉ねえの言葉に思わずしみじみと頷いてしまった。


 自宅近くの停留所に着いて、二人で降りる。日陰の道にはまだ雪が残ってるけど、他はほとんど影も形もない。その中を歩きながら、恵茉ねえが言った。


「でも、おかげで助かったわ。いろいろと……って、何?」

「……まさか、恵茉ねえも類先生のこと……」

「えっ!?」


 いろいろっていう辺りの含みに思わず立ち止まって問いかければ、恵茉ねえは掌をぶんぶん左右に振って言った。


「ないない。兄弟がいたらあんな感じかなとは思うけど、恋愛対象かと言われると……、全然そういう感情わかないのよね」

「そうなの?」

「頼りにはなると思うけど、不思議とね。それに、そういう意味で言うなら類さんよりもむしろ……」

「むしろ?」


 問い返すと、恵茉ねえは薄ら頬を染め、ハッとした様子で首を左右に振って言った。


「今のなしっ!」

「えー!? 気になるじゃん!」

「何でもないってば! それにほら、今日は類さんがそっちに行く日でしょ? 早く帰って支度した方がいいんじゃない?」


 その言葉に釈然としないものの、確かに早めに帰って着替えはしておきたいから、また今度問い詰めようと心に決めて歩き出す。だけど兄弟という言葉に、今の恵茉ねえの環境を思い出し、抑えていた不満が口を突いて出た。


「ていうか、恵茉ねえ、いいなぁ……。私も類先生の手料理食べたい」

「お弁当のおかず交換してるじゃない」

「だけど、毎日類先生が作ったものが入ってるわけじゃないし。圧倒的に量が違うし」


 恵茉ねえにとって、いいことばかりの環境じゃないのはわかってる。だけど、その一点についてだけは、どうしても羨ましく思えてしまう。そんな私に、恵茉ねえは困ったように笑って言った。


「ホント、この数ヶ月で随分変わったよね、莉音も」

「そう?」

「そういう風にヤキモチ妬くようになったのがいい証拠でしょ?」


 面と向かってハッキリ言葉にされると、唸るほかない。うん、わかってる。恵茉ねえは何も悪くないし、八つ当たりにほど近いこれは、ただの私の我が侭で、独占欲みたいなものだ。向こうはどう考えたって何とも思ってないし、私の片想いでしかないのに。


 自分でそう自覚して、勝手に気持ちがずーんと沈む。そんな私の肩を叩いて、恵茉ねえは言った。


「けど、言わなきゃ伝わらないし。誰にも取られたくないって思うなら、いつかいつかって言って後悔しないようにね?」


 その言葉に、思わずハッとして顔をあげる。今でこそ笑顔を浮かべてるけど、恵茉ねえの恋は高校に入って割とすぐからのものだ。そう知ってたからこそ、この半月ずっと聞く聞けなかった。


「恵茉ねえは、後悔してるの……?」

「……まぁ、少しは、ね。だけど今の生活、思ったよりも嫌いじゃないと思える辺り、心のどこかで『無理だろう』って思ってたんだと思う」


 そう言って、恵茉ねえは赤みを帯び始めた空を見上げる。確かに恵茉ねえの言うとおり、生徒と教師はいろいろ問題があるとは聞いた。だからこそ、卒業して生徒でなくなる日に言おうと決めてたことも。


 恵茉ねえが八剣先生をどれだけ好きだったのかをずっと傍で見てたから、その笑顔に胸が痛んだ。そんな私を見て、恵茉ねえは苦笑して言った。


「もう、なんで莉音がそんな泣きそうな顔してるのよ。私のことはいいから、自分の心配しなさいよ」

「でも……」

「……言っておくけど。たぶん類さん、影で密かにモテるタイプだと思う」

「え」


 その言葉に思わず固まった私に、『やっぱり気付いてなかった』と恵茉ねえは呆れた様子で指を折りながら言った。


「見た目は格好いいし。ちょっと不器用な感じだけど、何だかんだで真面目で優しいし。料理もできるし。その上、医者の卵でしょ? 放っておく要素なくない?」

「……た、確かに」

「ね?」


 医者の娘っていうだけでも色々言われるのに、医者になろうとしている上、お父さんの話ぶりから、優秀な方なのは確実だ。今さらながらに、自分が好きになった相手のハイスペックっぷりに頭を抱えたくなった。


「私の方は気持ちの整理つけるだけだから、たまーに気晴らしに付き合ってくれるだけで十分なの。だから私のことより、ようやく見つけた片想いを手放さずに済むように頑張れ」

「恵茉ねえ……」


 恵茉ねえには叶わないなぁと思いつつ、頭を切り替えたところで別れてそれぞれ自宅に向かう。そして、門を開けて敷地内に入ったところで、急に覚えのある眠気に襲われた。


「え、なん……で……」


 最近、ずっとなりを潜めてたから完全に油断してた。類先生と出逢うきっかけのそれに抗うこともできず、私は意識を手放した。


***


「お前がオレに生きることを望むように、オレだってお前に生きててほしい。何があったとしても、生きることを諦めてほしくないんだ」

「ルイス……」


 悪夢から目を覚ました夢の中の『私』を起こしたルイスさんが、すごく切なそうに、泣きそうな顔で言う。『私』が夢で視たのは、その彼が死ぬところで。恋人の彼が自分のせいで死ぬくらいならいっそ、とまで思ってるところにこれだから、正直私もしんどい。


 その一方で、別の発見もあって、ルイスさんから目が離せない。今の今まで気付けなかったけど、彼の顔はこれでもかっていうくらい類先生にそっくりだった。


 類先生はこんな切なそうな顔を私に向けたことはないし、そもそも恋人とかでもない。私が勝手に好きになって、勝手にヤキモチ妬いてるだけの片想いだ。


 類先生もこんな風に私を想ってくれたらいいのに……。


 そんなことを思いつつ、ルイスさんに類先生を重ね、夢の二人のやりとりをぼんやりと眺める。そうしたら、何をどうしてそうなったのか、ルイスさんの顔面が『私』に近付いてきた。


――……ん。


 ちょっと、近い近い! 待って、それは私の心臓が持たないから、夢とはいえ、待ってー!!


 そんなことを思った瞬間だった。


――莉音!


 聞き覚えのある声に名を呼ばれ、唇が触れる寸前の二人から、私の意識が離れていった。


***


「莉音! しっかりしろ!」


 その声と表情がつい今し方見たものとダブって、夢が巻き戻ったのかと思った。だけど、ぺちぺちと頬を叩く痛みは私自身のものだ。それと同時に、『オレがわかるか?』と聞く彼の服を見て、ようやく現実だと認識した。


「類、先生?」


 そう呼べば、あからさまにホッとした様子で、類先生が『はぁーっ』とものすごく長い大きなため息を吐き出した。


「心臓が止まるかと思った……」

「そんな、大袈裟……って、類先生が遭遇したのは今回初めてだったっけ」

「え?」


 最初の頃は、恵茉ねえもクラスメートもこんな反応だったなと思い出す。特に体育の授業の最中に眠ってしまったときなんて、お父さんに連絡が行くほどの大騒ぎになってたし。


 だから、初めて遭遇した類先生の反応は仕方ないのかも、なんて思いつつ、訝しげな顔を浮かべる先生に言った。


「最近ご無沙汰だったから私も油断してたんだけど」

「……もしかして例の眠り病、か?」


 頷き返せば、類先生の眉間に皺が刻まれる。あ、この顔、ルイスさんにそっくりかも、なんてどこか場違いなことを考えていると、先生は私を抱きかかえて言った。


「とにかくここだと身体も冷えるし、中に入ろう」


 思いがけない人生初のお姫様抱っこに、私はものの見事に固まった。それに構うことなく、類先生は玄関まで移動し、鍵の在処を私に問いかける。そこでやっと現状を認識した私は、恥ずかしさのあまり叫んで、腕を振り上げたのだった。


***


 お母さんが仕事に行く前に、ティーセットを準備してくれていたらしい。それでお茶を淹れてくれてる類先生の頬には、つい今し方、私が作ってしまった紅葉模様。私の手もじんじんしてるけど、他意はなかったらしいだけに申し訳なくて、目を合わせられない。


「ご、ごめんなさい……」

「……いや、オレの方こそ驚かせて悪かった」


 そろりと窺い見れば、類先生は気まずそうに頬を掻いたあと真正面に座り、気を取り直すように咳払いをして言った。


「それにしても、何をしても起きないって聞いてたから、今日はたまたま運がよかったんだな」

「そう、かも?」


 眠ってしまった正確な時間はわからないけど、それでも時計を見る限り一時間どころか三十分と経ってもいなさそうだった。いつもなら軽く数時間は起きないのに。それに何より今回はもう一つ、いつもと違うことがあった。


「いつも名前と顔を忘れちゃう夢の騎士さまのことも今日は覚えてるし」


 そう伝えれば、類先生が『夢の騎士さま?』と首を傾げる。今はしっかり思い出せるからか、ルイスさんが現実に出てきたようで、何となく楽しくて、恵茉ねえにしか話したことのないそれを話した。


「さっきみたいな時は、決まって同じ夢を見るの。見る場面はそのときで違うんだけど、私はそこで月巫女っていう巫女姫をしてて。護衛してくれてる騎士が何人かいるんだけど、そのうちの一人を好きになるの」


 私の言葉に類先生の目が見開かれる。その表情を見て『痛い子って思ったかな?』と少しだけ不安になったけど、きっと類先生なら笑わずに聞いてくれるだろうと思って続けた。


「でも、いつもその騎士さまの顔と名前だけ、目が覚めると忘れちゃうの。恵茉ねえそっくりな侍女さんとか、八剣先生にそっくりな騎士団長さんとかは覚えてるのに」


 類先生が息を呑む。だけど、私はその理由に気付けないまま、それを口に出した。


「でね。今日は覚えてるその人、ルイスさんっていうんだけど。ものすごく類先生そっくりなの! だから、もしかしたら類先生が起こしてくれたから、すんなり起きれたのかも、なんて。……って、どうしたの?」


 どんどん青ざめていく類先生に、思わず問いかける。それに対し、類先生は震える声で躊躇いがちに呟いた。


「お前も前世の夢を見てる、のか……?」


 そんな思いもしなかった言葉に、今度は私が驚きで固まったのだった。




※ アニマ:魂の意

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