23.別れはスービト

「前世……? お前もって、どういう……」


 戸惑いがちに問われ、うっかり口に出していたことを自覚して、思わず口を手で覆う。


 話のそぶりや反応からしても、まだ夢だとしか認識していないのは明らかだったのに。驚きと『もしかしたら』と期待した自分に思わず悪態をつきそうになった。


 けれど、それを口に出してしまったのは、彼女が脱いだ茶色のコートと、今目の前でその身に纏っている制服にも理由があった。普段、私服姿ばかり見ていて結びつかったそれが、今更ある記憶と繋がる。


 莉音の話とその記憶からある一つの可能性に行き着いたオレは、それを確かめずにはいられなかった。


「莉音、変なことを聞くが、真面目に答えてほしい。去年の十一月の満月の夜、お前どこで何してた?」

「何って、別にいつもどおり……あ」


 目を瞬かせ訝しんだ彼女の顔が、何かを思い出したように、微かに目を見開く。


「何かあったんだな?」

「えっと……その、まぁ、うん」


 オレの問いかけに対して、莉音の視線が泳ぐ。オレの予想どおりなら、あまり言いたくない類いの話であることは想像に難くなかった。


「何があったか当てようか」

「え?」


 そう言えば、驚いた様子で莉音の目がオレを見上げる。できれば、外れていてほしいと思いつつ、オレはそれを言葉に乗せた。


「その日の夜、自宅と駅までの道中、自転車で歩行者とぶつかって、救急車で運ばれた」

「え、なんで類先生がそれ知ってるの!?」


 確認するまでもなく、思わずと言った様子で莉音が身を乗り出す。その反応に『ああ、やっぱり』と思う自分がいた。ほぼほぼ確信しているものの、最後に決定打になるだろうことを問いかける。


「もう一つ聞く。その眠り病は、その事故のあとからだったんじゃないか?」

「そう、だけど……。どうして、そんなこと……?」


 莉音の返答に、自分の中で様々なことが線で繋がる。そうあってほしくなかった答えに、絶望に似た感情が胸に広がっていく。


「そう、か……。もしかして、とは思ったんだが、莉音の眠り病の原因は、オレ……だったんだな」

「え……?」


 訝しげな顔をする彼女は、まだ気付いていないらしい。まぁ、莉音はぶつかった瞬間、背中しか見てないから仕方ないのかもしれない。


「そのときの事故の相手はオレなんだよ」


 そう告げれば、青い瞳がここ一番大きく見開かれた。言葉を失った莉音にオレは続ける。


「オレは莉音のように起きれないとかはないけど、それでもあの日から夢自体は毎日のように見てる」

「類先生も……? え、でもさっき、前世がどうとかって……」


 意味を捉えあぐねているのか、問うように見上げる彼女にオレは言った。


「オレが見ている夢は、ルイス=クリフェードという名の騎士として生きた前世の夢、なんだそうだ」


 その言葉に、莉音の顔が驚き固まる。やや間を置いた彼女は、口元を引き攣らせ、強張った表情で問いかけた。


「ルイスさんが類先生の前世だったとして。まさか、私が眠るといつも夢に見た『私』は――リオン=レスターシャは、前世の私だって言うの?」

「きっとな」


 莉音の口から月巫女だった頃のフルネームが紡がれ、まだあるかもしれないと思った逃げ道も埋められていく。そんな中、莉音は片手を前に突き出し、困惑した様子で言った。


「ま、待って。じゃあ、恵茉ねえは? 八剣先生は? それに陸先輩だって……!」

「陸はリックで間違いない。アイツは最初からリックの記憶を持ってたらしいし、髪の長さ以外はそう大きくは変わらないだろ?」


 オレの言葉に、莉音が再び固まる。反応を見るに、きっと『知り合いの多い夢だな』くらいに思っていたんだろう。そして、もう一つ。莉音がどこまで記憶を夢で見ているかは知らないが、大事なことを伝えた。


「恵茉と蓮さんも、恐らくエマとグレンの生まれ変わりだと思うが、記憶はないんだと思う」

「そう、なんだ……」


 莉音の声が微かに震え、その顔が俯く。


「でも、生まれ変わりなら、どうして恵茉ねえと八剣先生はああなったの?」


 その言葉で、彼女がを夢で見ていることを確信する。それと同時に、顔をあげた莉音が、泣きそうな顔でオレを見て言った。


「エマさんと団長さんは結ばれてたじゃない……。なのに、なんで……?」

「莉音がリオン=レスターシャだったときと違うように。恵茉も蓮さんも、陸も、みんな同じであって同じじゃないんだ」


 そう告げれば、莉音はやるせない様子で唇を噛んで視線を落とす。二人の件はぼかした方がよかったのかもしれないと、心の片隅で思う。前世での二人を知っていると、尚更あの一件は悲しく映るから。


 それでもこの先、オレからそれを教える機会はたぶんなくなる。だからこそ、疑問に思うだろうことは伝えておきたかった。例えそこに、問題を少しでも先送りにしたい自分の弱さもあったとしても。


 これは本当に言わなきゃいけないのか? 言わなくてもいいんじゃないか?


 逃げ腰なオレが内側で囁く。それでも、彼女が今も大事だからこそ、オレはテーブルの下で拳を握り絞めてそれを告げた。


「お前の眠り病のきっかけがオレなら、オレは傍に居ない方がいいと思う」

「……何、言ってるの……?」


 目を見開いた莉音の声が震えて掠れる。


 今世ではそんな顔をさせたくないと思っていたのに、どうしてこんなに上手くいかないんだろう。


 どこか他人事のように思うオレに、彼女は堰を切ったように言った。


「類先生は私の先生でしょ? 傍にいないなら、どうやって勉強教えるの!?」

「オレは元々お試しだっただろ? その期間が終わるだけだ」

「……や、だよ」


 泣きそうな顔で莉音が首を左右に振る。彼女の好意的な反応を少しだけ嬉しく思う一方で、それが苦しくもあった。胸の痛みを押し殺し、オレは今世で貼り慣れた笑顔を貼り付けて言った。


「心配するな。ちゃんと代わりの当てならある。オレじゃなくても陸だってそういうのは得意だし、何なら女子にも当てはいるから、成績は……」

「そういう話じゃなくて! 私は絶対にイヤ!」


 オレの言葉を遮るように、莉音が叫んで立ち上がる。


――絶対にイヤ!


 前世の夢でそう叫んだリオンの姿と、莉音がダブり、一瞬呆けたものの、頭を振ってそれを振り払う。そんなオレに対し、テーブルに両手をついて身を乗り出した彼女は、続けて言った。


「私は類先生がいい。類先生じゃなきゃやだよ」

「莉音……」


 彼女の唇の動きとその表情に、頭のどこかで警鐘が鳴り響く。けど、そんなものが鳴ったところで、オレには今の彼女を止める術などなかった。


「好きなの」


 聞きたいと心の奥底で願っていた反面、今は何よりも聞きたくなかった言葉が紡がれ、動けなくなる。それでも彼女のそれは止まらない。


「私、類先生のことが好きなの。だから、そんなこと言わないで」


 記憶がないときならば、それを受け止められたのかもしれない。素直に、喜べたのかもしれない。それでも認識してしまった問題と恐怖を、今さらなかったことにはできない。


 だから、もう終わりにしないといけないんだと自分に言い聞かせながら、できるだけ平静を装って言った。


「莉音、それは夢に引きずられてるだけだ。オレはルイスじゃない」

「そんなことな……」

「ないって言い切れるか?」


 オレの言葉に、莉音が息を呑む。そんな彼女の反応を見て、正直、記憶などないまま出会って、それでもう一度好きになりたかったと、心の底から思った。そうしたら、傷付けるとわかってる言葉を言わずに済んだかもしれないのに。


「莉音のそれはオレに向けるものだって言い切れるのか?」

「それ、は……」


 莉音の瞳が揺れ惑う。彼女からの返事がないところを見るに、たぶん莉音自身、夢の中のオレを気にしていたんだろう、と思う。オレが前世の夢だと知らずに、それでも夢に出てきたリオンが気になり、無意識に惹かれたように。


 だから、答えに窮した彼女を前に、オレは荷物を持ち、立ち上がって言った。


「これ以上は前世に引きずられない方がいいと思うし、何より、その眠りの原因がオレかもしれないなら、もう会わない方がいいと思う」


 そう言って、彼女の横をすり抜けようとしたところで、腕を掴まれた。


「ヤダ……。こんな別れ方、ヤダよ……。私の前から、居なくならないでよ」


 震える彼女の涙声に、足が止まる。


 泣いてほしくない。このまま振り返って抱きしめたい。


 そう思うものの、そんな資格が今のオレにないことも自覚しているだけに、それはできなかった。首だけで振り返れば、大粒の涙を流す莉音がいた。


「莉音、前に言ってたよな。『付き合うならありのままの自分を見てくれる人がいい』って……」

「そうだよ。あれはる……」

「オレが誰より何より、お前をリオンの生まれ変わりっていう肩書きで見てしまってるんだ」


 その言葉に、莉音の顔が凍り付く。そんな彼女に、そして、オレ自身に言い聞かせるように紡ぐ。


「だから、ルイスの生まれ変わりで記憶があって、お前をただの『月村 莉音』として見れないオレじゃダメなんだ」


 そう言えば、腕を掴む彼女の手が力なく落ちる。


「ごめん」


 傷付けて泣かせて。その涙も拭えなくて。ルイスだった頃のようなオレじゃなくて、ごめん。


 傍で守るどころか苦しめてごめん。


 届かないいろんなものを、たった一言に詰め込んだ。


 そして、莉音のためにも一刻も早く離れなければと思い込んでいたオレは、彼女から逃げるようにその場を後にした。これでもう、彼女が理不尽な眠りに脅かされずに済むことを信じて。


 莉音の眠りは、オレが傍にいなかった頃の方がむしろ頻繁に起きていたという、大切な事実を見落としたまま――。




※ スービト:突然にの意

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