第4章:迷い夢と永久の想い
24.閉ざされる月の想い
莉音に別れを告げた翌日の昼。普段なら美味しいと思えるはずのカレーの味が全くしなくて、ただただ噛んで飲み込む作業を繰り返す自分の状態に内心で自嘲する。そんな中、目の前でいつものように日替わり定食を食べていた陸が、素っ頓狂な声をあげた。
「バイトを辞める!?」
ハンバーグがボチャッと皿に落ちるのをぼんやり眺める中、彼は身を乗り出して言った。
「なんで!?」
「……莉音の例の眠り病の原因が、恐らくオレだからだよ」
「は? え? 改善したんじゃなかったの?」
「昨日、再発した」
雪解けの気化熱で一層冷え込む中、開いたままの門の傍に倒れて動かなかった莉音の姿が脳裏を過る。
呼びかけても反応のない姿に、死んでるんじゃないかと本気で思った。門が開いていたから気付けたし駆けつけられたものの、そうじゃなかったらと思うと、今でも肝が冷える。
結果的には、触れて呼びかけただけで目を覚ましたのはよかったものの、抱き上げた身体は冷え切ってた。あんなの何度も目の当たりにしたら、教授だって心配して当たり前だと思う。
昨日たまたまバイトでオレが訪れなかったら、あの寒さの中、教授たちが帰るまで何時間も見つからなかった可能性だってある。
想像した最悪の想定に、思わずぶるりと震えそうになったオレを、陸が『だからってなんで?』とばかりに見つめてきた。
「オレが前世の夢を見るようになる少し前にあった事故の話、覚えてるか?」
「事故? ……ああ、あのスーパームーンの日の話? あれが何?」
「その事故の相手が莉音なんだ。そして、たぶんそれが眠りのきっかけだったんだと思う」
オレの言葉に陸の目がマジマジと見開かれる。ややあって、口元を引き攣らせて『何言ってるんだよ』と言わんばかりに言った。
「いや、ちょっと待って。それが本当だとして。お前、莉音ちゃんと何度も会ってて、今まで気付いてなかったわけ?」
「暗かったのと、オレ自身あのとき頭痛が酷すぎて、状態こそ診たけど顔の細部を覚えるほどは見てなかったんだよ。制服姿で倒れてた莉音を見て、フラッシュバックしてようやく、って感じだな」
以前、コートを見て何か既視感を感じていた理由も同じだったんだと、漸く気付いた自分の鈍さにはため息しかでない。そんなオレに陸は眉を寄せて言った。
「だからってなんで、オレに代わりを頼んでまでバイトを辞める必要があるわけ? お前が原因だって言うなら、尚更傍についててやるべきじゃないの?」
「ダメだ」
「だから、なんで!? 莉音ちゃんのこと大事じゃないわけ?」
痺れをきらした様子で、陸の語気が強まる。睨むように見つめる彼に小さく息を吐き、スプーンを置いて言った。
「大事だよ。大事だからこそ、傍にいるわけにはいかないんだ。莉音の眠りも、前世の夢と繋がってると知ったから尚更」
「……え?」
そう伝えれば、陸が息を呑む。記憶がないものだと思っていた彼女が、前世に触れてたなんてオレだって話を聞いたときは本当に驚いた。
「莉音は例の眠りに襲われるときだけ、前世の夢を見てたらしい。そのきっかけはあの事故で、前世で深く繋がりがあるオレだ。傍に居続けたら余計に酷くなる可能性だってあるだろ?」
オレのせいで、あの状態がより悪化するかもしれないなんて、オレには耐えられない。震えを誤魔化すために、スプーンを握る手に力を込めたオレに、思案顔で陸が言った。
「でも、最近は眠らずに済んでるって言ってたじゃん。一緒にいたって何とかなる可能性だってあるんじゃないの?」
「……莉音も、オレがルイスの記憶があると認識した今、傍にいるわけにはいかないだろ」
オレが思わず口に出して認識させてしまったというのが、正確なところだけど。それでも、夢のオレの姿を記憶できていなかったのに、今になって記憶に残るようになったということは、気付くのも時間の問題だったんじゃないかと思う。だからきっと、遅かれ早かれこの選択をすることになったんだと、自分に言い聞かせる。
けれど、陸はそう思わないようで、やや声を荒げて言った。
「オレだって、宝条先輩だって、お前がそうだって知ってて一緒にいるのに、なんで莉音ちゃんの場合はそうなるわけ!?」
「アイツもオレ同様、記憶に引きずられてるんだよ!」
思わず叫ぶように言って、ハッとする。これじゃただの八つ当たりだと思い、声のトーンを落とす。
「引きずられるのがオレだけなら別にいい。けど、莉音の人生まで狂わせるわけに行かないだろ。オレはルイスじゃないし、莉音もリオンじゃない。お互い、相手の前世を見て一緒にいたって傷付けるだけだ」
オレの言葉に、陸はしばし黙り込んだあと、ポツリと問いかけた。
「莉音ちゃんは……? お前の言うそれに納得したわけ?」
陸の言葉に、脳裏に莉音の泣き顔が過り、抑え込んだ胸の痛みで言葉が出ない。
「泣いたんじゃないの? 行くなって言われたんじゃないの?」
――こんな別れ方、ヤダよ……。私の前から、居なくならないでよ。
半日以上経っても、涙ながらに言われた言葉も顔も鮮明に思い出せる。それに対して、口を開いたら本音がついて出そうで、押し黙った。
そんなオレに業を煮やしたんだろう。陸が立ち上がり、テーブル越しにオレのシャツの襟を掴んで言った。
「なんでお前はそうやって、肝心なときに一人で抱え込んで逃げようとするんだよ!? 人生二周目なんだから少しは学習しなよ! 何ならもう一度言ってやろうか?」
何を言われても仕方ないとそう思いながら、ただただ陸を見れば、彼は怒鳴るように言った。
「好きな女の子泣かせたままにするとかバカにも程があるだろ、この唐変木!!」
その言葉に、前世で彼に言われた言葉を思い出す。
――お前、どんだけバカなわけ? 好きな女の子泣かせたまま、他の男に任せるとかバカにも程があるだろ。
あのときはその言葉で追いかける勇気が出た。そのときは彼女の命なんてかかっていなかったからこそできた芸当だ。
だけど、前と今じゃ違う。自分の存在が彼女の命を脅かすかもしれないのに、あのときと同じようになどできるはずもない。
そんな気持ちから、一度は抑えたはずの八つ当たり染みた怒りが爆発した。
「お前にオレの何がわかるって言うんだよ!?」
「ああ、わっかんないよ! 好きな子泣かせたまま放置しようとしてるヘタレ野郎の気持ちなんかわかるかよ!!」
売り言葉と買い言葉に、頭に血がのぼりかけたところで、オレと陸の脳天に固いものが容赦なく落とされた。
その痛みに思わず、二人して唸り、テーブルに突っ伏す。そして、『一体なんだ?』と思い顔を上げれば、そこには分厚い本――薬局方を両手に持った宝条先輩がいた。じろりと不機嫌そうな黒いつり目と目が合えば、口に出そうとした文句が引っ込んだ。
「こんな公共の場で、喧嘩とかやめてくれる? ご飯が不味くなるでしょ。少しは周り見なさいよ」
彼女の言葉に辺りを見れば、不安げに見る生徒の目が刺さり、登っていた血が一気に下がった。いつものように学食の端を陣取っていたものの、さすがに騒げば注目を浴びるのも当たり前だ。それには陸も気付いたようで、一瞬顔を合わせたあと、互いにふいっと視線を逸らす。
そんなオレたちをため息交じりに座らせると、宝条先輩はオレたちの間に椅子を引っ張ってきて、腕を組んで座って言った。
「で? 何があったわけ? どうせあの子絡みなんでしょう?」
ツンツンしていても、存外世話焼きらしい彼女の行動に、再びリオンの声が過りそうになる。それを振り払い、オレと陸はことの経緯を話した。
「なるほどね。月島くんが珍しく感情的だから何かあったんだろうとは思ったけど……」
粗方話を終えると、宝条先輩は小さくため息をついて、陸を呆れ顔で見て言った。
「あなたも栗原くんと大差ないじゃない。『人生二周目』はお互い様でしょう?」
「うっ……」
『あの陸を言い負かせる人間がいるんだな』と、他人事のように思っていたら、その矛先が今度はオレの方に向いた。
「だけど、あなたもよ、栗原くん」
その言葉にギクリと身体を強張らせる。そんなオレに、彼女は淡々とした口調で言った。
「事を性急に進めすぎ。まぁ、気持ちはわからないでもないけれど……」
てっきり、陸と同じように罵倒されるものだとばかり思っていた。そんな予想に反した思いがけない言葉にマジマジと見つめれば、彼女は僅かに視線を下げて言った。
「私だって、
彼女がそう告げたと同時に、殺気染みた視線を感じ、思わず窓の外を振り返れば、話に出てきた彼が射殺さんばかりにオレを見ていた。そのまま、学食の入り口に向かって移動を始めた彼を見ると、宝条先輩は小さく息をついて言った。
「だけど、眠りに苦しむのと、あなたに拒絶されて苦しむの。どちらがより苦しいかはあの子にしかわからないし、どちらを選ぶのかを決めるのもあの子だっていうことだけは忘れないで頂戴。痛みや苦しみの程度が本人にしかわからないことくらい、あなただって知ってるはずでしょう?」
そうして、彼女は荷物を持つと徐に立ち上がって言った。
「私は講義があるからもう行くけれど。とにかく、二人とも少し頭を冷やしなさい」
それだけ告げると、彼女は颯爽と去って行った。……こちらに向かってくる途中だったマールスさんの腕を引っ張りつつ。
力尽くで喧嘩を止めて、オレたちを諫めていった宝条先輩。彼女の後ろ姿を見送ったあと、そっと陸を見れば碧眼と目が合った。
「ごめん。あの頃みたいに事情を把握できてるわけでもないのに言い過ぎた」
「いや、オレの方こそ悪かった」
そう言って、何とも気まずい空気が流れ、二人揃って二の句が継げなくなった。
どうして、陸とまでこんなことになったんだろう?
そんなことを考えて思い至った理由が、ふと口を突いた。
「オレが莉音を苦しめる原因だったかもしれないと、気付かずにいられたらよかったのかもな……」
「類……」
気付かなければ、そうしたら昨日も今日も、オレたちは変わらずに笑っていられたのかもしれない。……気付かないフリをしていたらよかったのかもしれない。
そう思うも、オレは気付いてしまったし、それを――自分が傍にいることで莉音を永遠に失うかもしれない恐怖を、なかったことになんてできなかった。
そんな現状に、どうしたらよかったのかと自問自答する反面、全てもう遅いんだと、無力感と喪失感がオレの頭を埋め尽くしたのだった。
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