第3章:恋時雨と露の世

16.月に叢雲花に風

 それは蓮さんと男二人の夕食を終え、食器を洗っていたときのことだった。


「え? 明後日のクリスマスイブの夜?」


 何やら真剣な表情で予定を問われ、思わず水道のレバーを下げてお湯を止める。手を拭きながら座卓に置いたままの携帯を取り、念のためカレンダーアプリを起動する。クリスマスイブにはデートの予定……など独り身の男に入っているわけもなく、真っ白だ。


「次の日のバイトの準備はあるけど、それ以外なら空いてる」

「なら、その日はそのまま予定をあけておいてくれ。食事に付き合ってほしいんだ」

「わかった」


 食事に付き合う、という内容と真剣な表情が噛み合わず、内心で首を傾げる。なんでか聞こうとするもつかの間。ホッと息をついた蓮さんは鳴りだした携帯を片手に部屋に行ってしまい、それは聞けず終いに終わった。


「まぁ、食事に行くだけなら、どうってことはないか……」


 そうして、オレは空欄に『食事』とだけ予定を打ち込み、残りの片付けに取りかかった。


 そのあとは、互いに冬休み前ということもあってバタバタしていて、当日の夕方に通知を見るまですっかり忘れてしまっていた。せめて通知を前日、或いは早朝にしていたらもしかしたら、この日の出来事はもう少し違う形を取れたのかもしれない。


 ただの食事だと思って確認を怠ったことを、オレは酷く後悔することになるんだけど、このときは何一つ予想していなかった。


***


 午前中で講義も終わり、早めに帰宅したオレは、翌日のバイトの準備をしていた。そんな中、携帯のメッセージアプリの通知音が鳴る。誰かと思って見たら、相手は莉音だった。


――類先生、こんにちは。私の学校、今日終業式だったんだけど、類先生はいつから冬休み?


 何気ないメッセージに、笑みがこぼれる中、微かに混じる胸の痛みには目を瞑って返事を打つ。


――お疲れ。オレの方も年内は今日が最後だから、明日から冬休みだ。


 そこまで打ったところで、今日はクリスマスイブだったことを思い出し、後に続ける。


――莉音は今夜、家族で過ごすのか?


 そんな一言を付け足して、送信ボタンを押せば、画面を開けたままだったのか、すぐに既読がつく。作業をしながら待っていたら、また通知が鳴く。


――そうなんだ。冬休みはいつ帰省するの? あ、今年のクリスマスはお父さんとお母さんと一緒だよ。いつもなら、恵茉ねえの家も一緒なんだけど、今年は家族で食事に行くからってことで、久々に家族だけなの。類先生は? 一人ならうちに来る?


 以前見かけた恵茉ねえさん(仮)の姿を記憶から引っ張り出し、『家族ぐるみで本当に仲がいいんだな』と思いつつ返事を打つ。


――帰省は大晦日の予定だ。それと、今日は居候させてもらってる叔父さんと食事に行くから大丈夫だ、ありがとう。莉音も月村先生たちとクリスマスイブを楽しんでくれ。


 気遣いに胸が温かくなるのを感じていたところで、蓮さんに呼ばれたオレは、携帯を置いて一階に降りた。


 下に降りていくと、パーカーにジーパン姿のオレを見て、蓮さんは考え込むように言った。


「類、スーツまで行かなくてもいいんだが、ジャケットはあるか?」

「持ってるけど……。え、今日行くところってドレスコードがあるような店なのか?」

「指定があるわけじゃないが、紹介したい人がいるから、できればかっちりめの服にしてもらえると助かる」


 蓮さんの言葉に、思わず目を見開いて固まる。かっちりめの服装を要求された上で、紹介したい人という図式に、オレの頭の中に『まさか』の文字が飛び交う。


「蓮さん、今日の食事の目的って……」

「結婚を前提に付き合ってる女性との、軽い顔合わせだ。言ってなかったか?」

「聞いてないけど!?」


 まさかと思った内容が予想通りな上、本人の伝達ミスに思わず素でツッコミを入れる。


 食事っていう単語以上に、顔合わせっていう情報の方がよっぽど大事だと思うのはオレだけか!?


 混乱しそうな頭でそんなことを思いつつ、気になる点を一つずつ挙げ連ねた。


「だいたい軽い顔合わせって、絶対軽くないだろ、それ! そもそもじいちゃんたちは!?」

「親父たちに紹介する前段階が必要でな。親父たちとはまた別に設ける予定だ」


 なるほど、なるほど。今回の顔合わせは前段階だから、じいちゃんたちは不在、と……。


「って、じいちゃんたちが同席しないのに、なんで甥のオレが同席になるんだよ!?」

「今回の話がそのまま進んだら、一先ず同棲ということで一緒に住むことになるからな。紹介は必要だろ?」


 さも当然とばかりにあっけらかんと、蓮さんが特大の爆弾を放り込んだ。


 同棲……なるほど、同棲するならどこで同棲するつもりなのかにもよるけど、確かにオレにも関係する話だ、うん。


 そこまで考えて、しばし笑顔で思考停止したオレは、大きく息を吸い込んで言った。


「そういうことは、早く言えーーーーっ!!」


 思わず全力でツッコミを入れたせいで、微妙に疲労感すら感じ始めてきた。前世でもよく、オレを逃げさせないために一部情報を伏せるとかはあったけど、これはどう考えても単純に判断ミスというか、伝え忘れだ。意図的じゃなくて、抜けてるだけだ。


 一体どこでどうして、目の前の叔父はこうなったのか。そんなことを思い、恨みがましい目を向ければ、蓮さんは苦笑しながら言った。


「いや、悪い悪い」

「さすがに新婚の家に転がり込み続けるほど、神経図太くないんだけど!?」

「いやむしろ、お前さえよければ、居てくれた方が助かる」

「……は?」


 いやいや、普通そこは出て行ってくれって言うところだろうに、何故に? Why? もうワケがわからなすぎて、オレの語彙も迷子になってるんだけど!?


 だんだん脳内ツッコミもカオスになる中、とにかく聞かないことにはどうしようもないと思い率直に聞いた。


「なんで?」

「それはまぁ、紹介するときに話す。相手の家の事情に関わる話だからな」


 そこで勿体ぶらないでほしいとも思うものの、相手の家の事情となると勝手に話せないこともあるか……と思い直す。まぁ、本当にもったいぶるのはやめてほしいし、話せることは今のうちにぶっちゃけておいてほしいんだけども。


 そんな思うところがありまくりの色々を込めて大きくため息をついて、オレは言った。


「わかった。けど、そういう大事なことはもっと早くちゃんと言ってくれ。そういう席でオレが失礼になるようなことするわけに行かないだろ」


 そして、実は待ち合わせの時間もあってそろそろ出たいとかこの期に及んで言い出した蓮さんに、一発特大の雷を落として、オレは慌てて支度を始めたのだった。


***


 蓮さんが運転する車の助手席に座り、食事前からいろいろ削られてげっそり状態になりながら、とりあえず聞けそうなところを聞いてみた。


「で、その紹介したい人とはいつからの付き合いなわけ?」

「半年くらいだな……」

「……思ったより短かった」


 蓮さんはどちらかと言えば堅物なイメージがあったから、てっきり長い付き合いがあるものだとばかり思っていただけに意外だった。意外だったからこそ、一瞬まさかという単語が脳裏を過る。


「まさか、デキこ……」

「違う!」


 さすがに今度の『まさか』は即座に否定されてホッとした。これで合ってたら、オレの中で蓮さんの株が大暴落するところだ。そんなオレに、蓮さんは手慣れた動きでハンドルを捌きながら言った。


唐崎からさき 末菜まなさんと言うんだが、彼女には今度受験を控えた娘がいるんだ」

「……受験生の娘がいて、今の時期ってむしろよろしくないんじゃ……?」

「それも考えたんだが、な。今のままの方がよくないと判断したんだ。お前に同席してほしいのもその辺が関係しててな……」


 この時期に親が再婚前提の付き合いをしている相手の紹介って、相当ストレスになりそうな気がするけど……。それを上回る状況って何なんだ一体。


 そんなことを思ってるうちに、目的地についたらしい。そこは、以前テレビで紹介されていたカジュアルレストランだった。お店の雰囲気は落ち着く感じで、これならまぁ、大丈夫かもしれないなぁ……と他人事のように思いながら、店員さんと話す蓮さんに意識を向けた。


 黒のカマーベストを身に付けた、店員さんが綺麗にお辞儀をして言った。


「八剣さまですね。お待ちしておりました。お連れ様がお待ちですので、ご案内いたします」


 もう先方が待ってるという状況に、原因が蓮さんの伝達ミスとは言え、少しばかり申し訳なくなって胃がキリキリ痛む。


 そして、店員さんに案内された個室には二人の女性がいた、のだけれども。そのうちの一人を見たオレは、ものの見事に固まった。それを余所に、蓮さんが口を開く。


「遅くなって申し訳ない」

「いえ、そんな待ってないですから」


 なんで彼女がここにいるのかと、回らない頭で思う。


 いや、正直に言えば一瞬は思い出してた。前世の蓮さんと結婚した相手だし、その生まれ代わりのアタリもついていたし。娘がいると聞いて『彼女じゃないんだな』とどこか寂しくも思ったものがあったから。


 それなのに、どうして彼女がここにいるのか。どうして、蓮さんは彼女ではない人に先に声をかけているのか。


 答えはもうこれまでの会話の中にあったのに、それが信じられなくて動けなかった。


「コイツはオレの甥で、栗原 類。地方に住んでる姉夫婦の長男で、大学に通う関係でうちに居候しているんだ」

「初めまして、栗原 類、です」


 状況を飲み込みきれず、声が僅かに震える。そんなオレに、蓮さんが声をかけた女性が、ふわりと微笑んで言った。


「初めまして、私は唐崎 末菜と言います。こっちは娘の恵茉です。ほら、恵茉」

「初め……まして、唐崎 恵茉です」


 末菜と名乗った女性に促され、愕然とした様子でお辞儀をしたのは噂の恵茉ねえさん(仮)。オレと陸が、前世で蓮さんの妻だった人――エマの生まれ変わりの可能性が高いと考えている女の子だった――。

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