17.太陽の哀恋歌と月凪

 予想外の事態に頭が回らない中、恵茉ねえさん(仮)こと恵茉さんは、オレを見たあと蓮さんを凝視して震える声で尋ねた。


「お母さん、なんで八剣先生がここにいるの……?」


 莉音の通う学校が蓮先生の勤め先だとは知ってた。幼馴染もそこに通っているんだとも。だから、もしかしたら今世でも縁があるのかもしれないとは思っていた。とはいえ、必ずしも接点があるとも限らないし、わざわざ前世の繋がりを増やすのもどうかと思い、莉音にも蓮さんにも敢えて聞かなかった。


 けれど、今の状況を前に、聞いておくべきだったと心底後悔した。


 陸が言うには、今世でも前世でもオレは鈍いらしい。そんなオレですら肌で感じられるほど空気がピンと張り詰めていて、何か一つでも言葉を間違えたらヤバいと感じる状況に息を呑む。


 そんな中、恵茉さんの母親である末菜さんがにっこり微笑んで言った。


「私の言った紹介したい人が八剣先生なの」


 その瞬間、前世でもよく見た琥珀色の瞳が、ひび割れて凍り付いた。でも、それに気付いたのはオレだけらしい。


 よく考えてみたら、いくら何でも大事なことなのに伝達ミスをするなんて蓮さんらしくない。らしくないミスをするくらい浮かれている、或いは……。


「どう切り出そうか迷って黙っていたけれど、半年くらい前から八剣先生と結婚を前提にお付き合いしているの」


 表情こそ微笑んでいるものの、末菜さんの声が震えている。


 そんな彼女の様子に、オレはようやく思い至る。状況に混乱しているオレたちより遥かに、ここへ連れてきた二人の方が緊張していた可能性に。そして、末菜さんの言葉が事態の悪化に追い打ちをかけたことも……。


「何、それ……」


 恵茉さんの声が震える。いや、声だけじゃなく、全身を震わせていた。


 どうにかしないとと思うのに、オレ自身、第三者だからまだ冷静なだけで、混乱した頭で打開策など思いつくわけもない。不穏な空気が漂う中、彼女はポツリと続けて言った。


「そんなこと、急に言われたって、わかんない……」

「恵茉、聞いて。あのね、お母さんたち……」

「いや、聞きたくない!」


 たぶん限界だったんだろう。恵茉さんは母親の手を振り払い叫ぶと、個室を飛び出した。


「恵茉っ!」

「唐崎っ!?」


 飛び出した彼女を見て蓮さんが一瞬動こうとするものの、動揺した末菜さんを見て動きを止める。


 それを見て、今の蓮さんにとっての優先順位の最たる存在は、彼女ではなく末菜さんなんだなと、どこか他人事のように理解した。その姿に、少なからずショックを受ける自分がいた。


 夢で騎士団長と話をして、現実で蓮さんと話をすればするほど、記憶こそなくても『彼』だと確信していたからこそ。同じであっても同じじゃない。最初からわかっていたはずの事実が、酷く重たかった。


 そんな中、動揺している二人に対し、オレは何とか声を振り絞って言った。


「オレが行ってくる」


 そう告げて、蓮さんの返事を待たずに、オレもそこを飛び出した。


 店を出た時点で、恵茉さんはすでに敷地の外まで駆けていた。夜の闇に見失いそうな背中を慌てて追う。車のライトが行き交う横を、革靴のオレよりもよほど走りにくそうなパンプスで、風のように駆けていく。そんな彼女を全力で追いかけ、どうにかこうにか追いついたところで、細い手首に手を伸ばす。


「恵茉っ!」


 名を呼んだ瞬間、動きが鈍った彼女をどうにかこうにか捕まえ、呼吸を整えながら問いかけた。


「どこに、行くつもりなんだ、恵茉?」

「馴れ馴れしく呼ばないで!」


 キッと睨んできた涙目に思わず怯めば、彼女は表情を和らげることなく言った。


「だいたい、どうして莉音の家庭教師の先生が、八剣先生と一緒にいるの!?」

「オレにも多少関係してくる話だから同席しろ、と蓮さんに連れて来られただけで……」

「蓮さんって……あなた、八剣先生の何なの?」


 彼女の言葉に対し、『さっきお互い紹介されたし、したよな……?』と内心で首を傾げる。ただ、彼女の動揺の大きさから察するに、オレの紹介はほとんど素通りだったのかもしれない。そう考え、改めて自己紹介をした。


「オレは八剣 蓮の甥だよ。オレの母親が蓮さんの姉で、大学進学で上京して以来、蓮さんの家に居候させてもらってるんだ。蓮さんって呼んでるのは、あの人が叔父さんって呼ばれるのを嫌がるからそうしてる」

「居、候……」


 オレの言葉がどこまで頭に入って行ってるかはわからないものの、とりあえず、関係くらいは今度こそ伝わった……と思いたい。そんなオレから視線を外し、俯いた恵茉……さんが問いかけた。


「あなたは、今日のこれ……知ってたの?」

「いや、ここに来る直前に紹介したい人がいるって言われるまで、ただの食事だと思ってた」

「……その割に落ち着いてるのね」


 投げやりな笑みを浮かべる彼女に、なんて声をかけるべきなのか考えを巡らせながら口を開く。


「年の離れた兄貴のような人だとは思ってるけど、オレはあの人の子供じゃない。所詮はただの居候で本来なら部外者だ。それに恵茉……さんを追いかけるのに必死で、驚いてる暇がなかったというか……。これでもかなり驚いてるし、戸惑ってる」


 戸惑ってるのは、蓮さんの相手にというよりも、その娘が恵茉さんという点に、だけれど。まさか、こんな形で彼女と接点を持つことになるなんて思ってもみなかったし。


 そんなオレの事情を知る由もない恵茉さんは『そう……』とだけ返すと、それきり押し黙ってしまった。


 全てを拒絶するように顔を伏せた彼女の姿は痛々しくて、思わず蓮さんに悪態をつきそうになる。とはいえ、今この場にいない人に文句を言っても仕方ないし、彼女を放っておくわけにもいかず、刺激しすぎないよう、そっと問いかけた。


「戻らないのか?」

「……戻りたくない。戻りたいなら一人で戻って」


 そう告げる彼女がどんな思いで言っているのか、何となく想像がつくだけに胸が痛む。どう声をかけたらいいかも未だにわからない中、恵茉さんはオレの手を振り払い、歩き出す。


 先ほどまでの速度はなく、足を庇いひょこひょこと歩く姿から察するに、無茶な走り方をして足を痛めたのかもしれない。


 気乗りしたかはともかく、キレイめのワンピースにカーディガンを着てお洒落をしたのだろう。そんな彼女が、コートも羽織らずに寒空の下、足を庇いながら歩く姿は見ていられず、もう一度彼女の手を掴んだ。


「無理するな」

「離して! 戻らないったら戻らない!」

「そうじゃない。その足で無理するなって言ってるんだ」


 その言葉に、それまで抵抗を見せていた彼女が動きを止め、驚いた様子でオレを見る。そんな彼女にオレは続けて言った。


「無理し過ぎると痛みで動けなくなりかねない。戻らなくてもいいから、座れる場所に移動しよう」


 そう言えば、恵茉さんは唇を噛みしめて、小さく頷き返した。


 それから、携帯で検索して見つけた一番近くの公園に移動したオレたちは、街灯下のベンチに並んで座った。


 途中の自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、少しでも暖を取ろうとしていたところで、彼女がポツリと口を開いた。


「八つ当たりしてごめんなさい。それにコートと飲み物も……」

「構わない。女の子が身体を冷やすのはあまり良くないし。恵……いや、唐崎さんにもいろいろ事情があったんだろうし」


 つい癖で名前を呼びそうになりつつ返せば、恵茉さんはフッと微苦笑を浮かべて言った。


「恵茉でいいです。莉音からいつも類先生の話は聞いてるし」

「そうか……」


 夜風が吹き抜ける中、何となく沈黙した中、俯いたまま恵茉はポツリと言った。


「八剣先生には内緒の話、してもいい?」

「ああ」


 何となく内容を察しつつ返せば、彼女は雲で覆われた夜空を見上げて静かに告げた。


「私ね、八剣先生のことが好きなの」

「……そうか」


 予想していた言葉に、何か気の利いた言葉を探すも見つからず、端的な相づちしか返せない。そんなオレを自嘲気味に見上げながら、彼女は問いかけた。


「驚いたり、引いたりしないの?」

「別に。人間、何をきっかけに人を好きになるかなんてわからないだろ」


 前世でルイスが好きになったのは、名前を呼ぶことすら不敬になるほど身分差のある最高位の巫女姫だった。そのきっかけは単純。とある理由から心を閉ざしていたルイスの世界に、色を、感情を取り戻してくれたのがリオンだからだ。


 そして今世のオレは、リオンの生まれ変わりだからという理由だけで、莉音に恋心に近い想いを抱いてる。前世の恋人を相手に重ねるなど、恋と呼んでいいものかも怪しいし、莉音からすれば迷惑極まりない想いだろうとは思う。それでも、家庭教師と生徒の期間だけでも傍にありたいと思うくらいには好きだ。


 それに、オレは知ってる。前世でオレの育ての親だった蓮さん。その結婚相手で、リオンの侍女でもあったエマの生まれ代わりが、恐らく目の前の彼女だということを。年の差が今同様にあってもなお、前世の二人がとても仲睦まじい夫婦だったことも含めて。


 正直、恵茉が蓮さんに惹かれていたとしても、何ら不思議じゃない。出逢ったばかりではあるものの、そう思う程度には、恵茉もエマとそう大差ないように感じるから尚更だ。


 そんなオレの言葉に、彼女はフッと笑って言った。


「随分、実感のこもった言い方するのね……」

「一応これでも年上な分は多く経験あるからな」

「……そう」


 まぁ、前世の記憶があるからこそ、だけれど。記憶を取り戻す前のオレだったら、たぶん教師と女子高生という構図にどう反応していいのかすらわからなかっただろう。そう思うオレを余所に、恵茉は膝を抱きかかえて言った。


「私ね、卒業式に告白しようって、そう、決めてたの……。ダメかもしれないけど、せめて気持ちくらいは伝えようって、そう、決めてた、のにっ……」


 そこまで言ったところで、さっき起きたことを思い出したんだろう。恵茉の目から涙がじわりとあふれ出す。膝に顔を埋めた彼女にハンカチを差し出そうとしたときだった。


「恵茉ねえっ!」


 彼女の名を呼ぶ、オレもよく知る声が辺りに響く。公園の入り口を見れば、白い息を吐きながら駆け寄ってくる莉音。その後ろを月村先生が小走り気味にやってくる。


 傍にやってきた莉音を見上げ、恵茉は驚きを隠せない様子で言った。


「莉音、なんで……?」

「類先生から連絡もらってそれで……」


 莉音の返事を受けた琥珀色の瞳がオレを振り返る。『なんで?』と言わんばかりの彼女にオレは言った。


「あの場で起きたことはともかく、オレは恵茉の事情をほとんど知らないし。それに、知り合ったばかりの男よりも、気心知れてる人間の方が気も休まるんじゃないかと思っただけだ」


 そう返したオレの言葉に、恵茉の目が大きく見開かれる。冷え切った彼女の身体を莉音がそっと抱きしめ『うちに行こ?』と声をかけると、それまでずっと声を押し殺していた恵茉は、我慢の糸が切れたんだろう。莉音にしがみつき、声をあげて泣いたのだった。

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