時雨愁、オモイデ幻想

第27話

 畳の匂いなんてどれくらいぶりだろう。

 子供の頃に嗅いだきりのいい匂い。

 掛け軸と私の家にはなかった大きなちゃぶ台。

 それよりも気になるのは、ちゃぶ台のそばにある猫の置物。陶器で作られた水色の体とリアルな目。置物のそばにあるのは、小さなガラスのポットと食器類が乗せられたワゴンのおもちゃ。

 私へのプレゼントってあの置物?


「さぁ、客人をもてなしだ。ポット」

「ニャァ〜」


 時雨さんに答えるように置物が鳴いた。リアルな目をキラキラと輝かせて。あの置物生きてるの?


 ボンッ‼︎


 大きな音と置物を包んだ真っ白な煙。


「時雨さん、置物が」

「すぐに飲み物を準備する。座って待っていなさい」


 時雨さんに言われるままちゃぶ台に近づいた。私と麻斗さんの間に座った翔琉君。向き合って座ったのは揚羽さんと黒神さん。黒神さんと目が合うなり『あのさ』と翔琉君が呟いた。


「揚羽、なんで僕の前に座らないの?」

「何か困ったことがあるのかい?」

「別に……困ってないけど」

「暗闇ノ坊ッチャン、無理ニ話ソウトシナクテイイワ。話セルコトハ自然ニ出テクルモノダモノ」

「そう……なのかな」


 黒神さん、翔琉君の思考を読み取ったんだ。ほっとしたような翔琉君と『ククッ』と笑った揚羽さん。翔琉君を見る揚羽さんの目、なんだかお兄さんみたい。


「ひかりさん、飲み物の準備が出来たようです」


 麻斗さんに言われ見えたのは、時雨さんのそばにいる可愛らしい猫耳の男の子。水色の髪の毛とパテシエを思わせる服。男の子はガラスのポットを手ににっこりと笑っている。大きくなった食器類とワゴン。

 さっきの陶器が男の子に化けた?

 それとも、男の子が陶器に化けてたのかな。


「いらっしゃいませお客様。僕はポットといいます。時雨さん、飲み物のご希望は?」

「日本茶がふたつとホットチョコレートがよっつ。最高の味を頼んだよ、ポット」

「うん、任せて‼︎」


 ポット君がうなづいてすぐ、宙を舞った湯呑み茶碗とマグカップ。ポット君から離れ踊りだしたガラスのポット。注ぎ口から現れたお茶が湯呑み茶碗に注がれていく。


「ひかり、飲み物が‼︎」


 翔琉君の大声にポット君が満足げにうなづいた。


「僕のポットは特別なもの。なんだって出せるんだ、ジュースもミルクも思うままにね‼︎」


「すごいな、君は魔法使いなの?」


 翔琉君の質問にポット君はにっこり。


「ちょっとだけ違うかな? 僕がポットから出せるのは飲み物だけ。美味しいものも不味いものも思いどおりに作れるんだよ。さぁ、お待たせ‼︎」


 ふわふわと飛んできた湯呑み茶碗とマグカップ。


「ポット、僕と赤髪のお兄さんが日本茶だ」

「うん、時雨さん」


 時雨さんが言うとおりに降りてきた飲み物。いっぱいの湯気と甘い匂い。

 ホットチョコレート、飲むのは初めてだ。

 人間界はもうすぐクリスマス。そのあとには、お正月やバレンタインにホワイトデー。お正月はともかく、バレンタインもホワイトデーも私にはなんの縁もなかったなぁ。

 せめて義理チョコでも渡せた思い出があればよかったのに。


「フフフ」


 黒神さんの笑い声にドキリとした。

 よりによってこんなことを読まれちゃうなんて。


「三嶋サン、思イデハコレカラモ作レルノヨ」

「これから?」

「ソウ、私ハ時雨サンニ出会ッテカラ、幸セナ思イデヲ作ッテキタノ。ココデ飲ムホットチョコレートモ思イデニナッテイクノヨ」


 黒神さんの言葉が呼び寄せる胸の高鳴り。

 思い出は過去にあるだけじゃない。

 今のひと時も思い出になり、これからの未来もずっと。

 そうだ、クリスマスもバレンタインもホワイトデーも、翔琉君の世界で出来ない訳じゃないんだ。


「ねぇ、翔琉君。私達の世界にもイベントがあったらいいね」

「イベント?」

「クリスマスって知ってる? 好きな人にチョコレートを渡すバレンタインや、男の人がお返しにキャンディをくれるホワイトデー」

「クリスマスは知ってるよ。母さんのお腹の中で見たことがあるんだ。母さんの両親と、父さんと母さんが楽しそうに笑ってた。ケーキとおっきな七面鳥……それに、綺麗に飾られたクリスマスツリー」

「私達の世界でも出来ないかな? 絶対に楽しいよ」

「ひかりが言うなら……楽しいのかも」


 黒神さんがホットチョコレートを飲んでいる。

 人形の表情かおは変わらない。だけど美味しそうな雰囲気が伝わってくるから不思議だ。

 黒神さんを真似て飲んでみる。

 美味しい、チョコレートって……あったかくてもいいもんだな。


「ポット、オ客様ガ大喜ビヨ、美味シイッテ」

「ほんと? 嬉しいなぁ」


 ポット君の猫耳がピクピクと動いた。もしかして尻尾もあるのかな? さっきの髪飾りを買っていた狐の妖怪みたいに。


「どれ、プレゼントを渡さなくてはね」


 時雨さんが私に笑いかける。

 細められた金と銀のオッドアイ。そういえばプレゼントってどこにあるんだろう。室内を見回す限り、それらしいものが置いてないんだけど。


「あの、私に渡したいものって」

「すぐに。さぁ、入っておいで」


 入って来る?

 プレゼントが歩いてここに?


 トントン……トントン


 襖を叩く小さな音。


 トントン……トントン、カタンッ


「開かない、誰か開けてほしいな」


 可愛らしい声が聞こえる。

 ちっちゃな男の子の声だ。

 閉められた襖の前に誰かいるみたい。


「開けてほしいな、早く早くぅ」


 悪い子でも怖い子でもなさそう。

 なんだろう、黒神さんが準備してくれたプレゼント。私はどんな顔で出迎えたらいいんだろう。


「ひかりさん、僕が開けましょうか?」

「いえ、私が開けなくちゃ」


 どうしよう、緊張しちゃう。

 まさか、動くものがプレゼントだなんて考えもしなかった。


「僕が開けるよ、ひかり達は待ってて」


 翔琉君が立つなり襖に近づいていく。

 大丈夫なのかな、お店では麻斗さんにしがみついてたのに。


「翔琉君」

「僕よりちっちゃい子じゃないか。ひかりってば、弱虫に戻っちゃったの?」 


 襖に触れた翔琉君が振り向いた。


「開けるよ、ひかり」


 ゆっくりと開けられていく襖。

 翔琉君の足元に見えた、ふさふさの毛と首に巻かれた赤いリボン。

 薄茶色の体と大きな目。

 見覚えがある。

 スケッチ画と引き継がれた記憶の中、琉架が持っていたクマの


「母さんのぬいぐるみだ‼︎」


 翔琉君の声に首をかしげたぬいぐるみ。


「母さん? 君、琉架のお腹の中にいた子なの?」


 近づいてきたぬいぐるみが麻斗さんを見上げている。

 表情は変わらない。

 だけど光りだした大きな目。

 それが物語るのは喜び。


「麻斗がいる。……やっと会えた。ボクね、ずっと会いたかったんだよ。琉架と一緒に、ボクを可愛がってくれた」

「いえ、僕は」


 戸惑う麻斗さんを前に『どうしたの?』とぬいぐるみ。

 ぬいぐるみは何も知らない。

 来栖麻斗が地獄に堕ちたことも彼の命になったことも。

 私を見た麻斗さん。

 少しの沈黙のあと、何かを思いついたように笑みを浮かべた。


「思い出は今からでも作ることが出来る。僕に会えたことを喜んでくれた、それが新しい思い出の始まりです」

「麻斗、琉架はどこにいるの? ボクを嫌いになっちゃったのかな。ボクに見えないように……隠れちゃったの?」

「母さんは死んだ」


 振り向いたぬいぐるみを翔琉君は見つめている。

 しゃがみ込んだ翔琉君の手が、ぬいぐるみの頬を撫でて赤いリボンに触れた。


「母さんは、もういないよ」

「琉架にはもう会えないの? 会いたいよ……琉架に会いたい」

「会いたくても会えない。だけどこれだけは言えるよ。母さんはずっと君を大事にしてた。父さんからの贈り物……君は、母さんの宝物なんだから」


 訪れた沈黙の中、ぬいぐるみは座り込み私達を見回した。


「お爺さんが助けてくれるまで、ボクは怖いことばっかりだった。知らない人達が入ってきて、屋敷を壊していったんだよ。ボクはずっと叫んでた『やめてよ‼︎ ボク達の幸せを壊さないで』って。壊されていく中で、屋敷にあった物が奪われていった。連れ出されたボクが並べられたのはお店の中。誰かに買われては売りに出されちゃう。ボロボロになって捨てられちゃったんだ。琉架と一緒にいられたら、ボクはずっと……幸せだったのに」


 来栖麻斗と琉架の死後——


 屋敷が取り壊され作られた公園。

 ぬいぐるみは何も知らなかった。

 来栖麻斗の手で起こされた殺戮も、彼と琉架の壮絶な死も。彼と琉架に愛された日々の中、何も知らないまま幸せを奪われた。

 お店に売られ……買われながら願ってたんだ。


 琉架に会いたいって。

 ボロボロになるまで……ずっと。

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