第20話

 キリエさんが黙り込み、食堂に訪れた沈黙の中。麻斗さんに背中を押されるまま席についた。

 翔琉君が私を見てる。

 黒いドレス、ちゃんと着れてるかな。鏡の前で何度も見直したけど。


「紫音から聞いた。ひかり、会ったんだってね? 僕が嫌いな奴にさ」


 嫌いか。

 みんなの前で『恐れ』と言わないのが翔琉君らしい。同じことを思ったのか揚羽さんが『ククッ』と笑った。

 恐れてるのを知られたくないなんて、相変わらずのお子様っぷりだ。


「考えもしなかったよ、黒神夢衣。この世界の住人が奴に遭遇するなんて」

「翔琉、僕がいけなかったんだ。黒神夢衣のことを話さなければ、彼女が目をつけられたりは」

「誰がどうとかは問題じゃない。どうやってひかりを守……違う。おぞましいものをひかりから遠ざける方法を」


 気まずさを隠すように翔琉君はミルクティーを飲む。

 守る……か。

 化け物とは思えないことを言うなんて。

 翔琉君のあとを追うように、ミルクティーを飲みだした紗羅ちゃん。

 パンケーキを食べたキリエさんがにこやかに笑った。黙ってと言われ、自分の世界に没頭し始めたらしい。


「翔琉坊っちゃま。黒神夢衣は、この世界に現れはしないでしょう。三嶋さんが襲われる心配はないと思われますが」

「黒神夢衣は私に言ったんです。また会いましょうって。なんらかの方法で、私に会おうとしてると思うんですけど」

「ふうん? ひかりは、変な奴に好かれるんだ」

「変な奴って……翔琉君も」

「僕の何が変なのさ」


 翔琉君の声に続く莉亜さんが笑った声。

 銀縁眼鏡をかけ直しながら『とにかく』と紫音さんが呟いた。


「黒神夢衣がどこに潜んでいるのか。手がかりがないことにはどうにも」

「これ、見てほしいんですけど」


 私が取りだしたのはアンティークショップの広告。

 席を立った紫音さんが近づいてきて手に取った。


「人間界にある店のものですか。どこでこれを?」

「私の部屋です。隅に写る少女人形。黒神夢衣は、この人形と同じ姿で現れました」


 違うのは、私が見たものが包帯を巻いていたこと。


「黒神夢衣は、自分の姿を見せたがらない。だから、目をつけた者の前に現れる時には慎重になる。思いだすのも嫌だ、あんな……目玉だらけの」


 翔琉君の声が途切れ、紗羅ちゃんが顔をこわばらせる。


「揚羽さんから聞いた時驚いたんだ。翔琉君にも嫌がるものがあったんだって」

「綺麗なものが好きなんだ。ひかりみたいな、そこらへんの感覚とは違う」


 聞き慣れてしまった翔琉君の憎まれ口。


「人形か、黒神夢衣にとっては最高の隠れ蓑って訳だね。アンティークショップ、そこに行けば会えるってことだろうけど……揚羽」


 翔琉君の目が揚羽さんに流れる。


「調べてこい……か? 構わないが翔琉、たまには勇気を出して、この世界から出てみたらどうだ?」

「断る、人間界は醜いものばかりじゃないか。僕と同じ……漆黒の化け物が生んだ奴らなんか、見たくもない」


 醜いか。

 私も同じようなことを考えてた。

 幸せな人達を妬み続けた日々の中で。

 ひとりで過ごした休み時間。笑い声の中に紛れ込んでいた噂という悪魔。

 誰かの話をしてる、そう気づくたびに私を支配した不安。私のことを話してるんじゃないか、私の何が言われてるのかが怖くてたまらなかった。

 自分が考えるほど、気にかけられても見られてもいないのに。


 私の心も誰の心も醜くて汚れている。

 綺麗なものなんてあるはずはない。

 ずっと、そう思ってきた。

 彼に出会い、愛されるまでは。


 出会ったばかりの何も知らなかった彼。

 真っ白な心で……私に向き合ってくれた。

 彼の想いは、真っ白な光。眩しくて、温かい。


「翔琉君、醜いものばかりじゃないよ……世界は」

「ひかりってば、僕に説教するつもり?」

「そんなんじゃない、知ってほしいの。綺麗なものもあるんだって」


 見ることが出来なくなった今思う。

 光に照らされた世界は、温かくて優しいものがいっぱいだって。

 巡る季節の風景や、感じ取る気候と空の変化。

 変わっていくものがある。

 変えていけるものだってあふれてる。


「翔琉君が、お母さんのお腹の中で感じていたものは何? お母さんが淹れたミルクティーの味や、お母さんと一緒に見上げた空の色。私は空を見るのが好きだった。1日の始まりと朝焼け、昼の眩しい陽射し、1日の終わりを告げる夕焼け空。この世界に来て悲しかったのは空を見れなくなったこと」


 過去を取り戻すことも、過去に戻ることも出来ない。

 今、出来ることは私として生きていくだけ。私の中を巡り続ける記憶と一緒に。


「他には? ひかり」

「え?」

「ひかりが知ってる綺麗なもの。……絵や芸術品、飾り物やアクセサリーは対象外」

「えっと、なんだろう」


 麻斗さんを見ると、私を見て微笑んでいる。

 一瞬、浮かび見えた可愛らしいぬいぐるみの残像。

 テーブルを見回すと、出会い親しんできた人達がいる。


 この世界に来て、何もわからなかった私に手を差し伸べてくれた。元の世界では、家族としか紡がなかった温かな……繋がり。


「私が生きていた場所。そこにあったのは、この世界と同じみんなとの繋がり。大切な人と想い合う、仲良くなって楽しんだり助け合ったり……繋がりって綺麗なものだと思うの」


 キリエさんがテーブルを見回している。キリエさん以外、誰もパンケーキを食べてない。顔に浮かんだわかりやすい落胆。いつものキリエさんなら、なんやかんや騒いだあとに『ああっ‼︎』と叫ぶはず。だけど今は黙れって言われてるから。


「麻斗さん、パンケーキ食べてみない? 元の世界で、私が大好きだったものなの」


 麻斗さんと一緒に食べたひとくち。ほどよい甘さが口の中に広がっていく。『美味しい』と呟いた私に向けられた、キリエさんの満面の笑み。

 何かを言おうとして、慌てて口を塞いでる。黙れって言われてるししょうがないのかな。

 気づいた翔琉君が『まったく』と呆れた声を漏らす。


「パンケーキ、僕の口に合ったらお茶菓子に認めてやる。みんな、試食を」


 揚羽さんと莉亜さんの笑う声が重なった。

 顔を赤らめる翔琉君とパンケーキを食べだしたみんな。口を覆ったままのキリエさんだけどすごく嬉しそう。


「ね、翔琉君。繋がりって、あったかくて綺麗なものだと思わない?」

「なんで僕を見てるのさ。それより黒神夢衣‼︎ ひかりだけじゃ、なんにも出来ないんだから」

「ありがとう。優しいね、翔琉君は」

「うるさいな、ひかりは。とにかくアンティークショップに」

「綺麗なものを知ったところで、外に出る勇気は出たか? おぼっちゃま」


 揚羽さんの問いかけに、翔琉君は顔をしかめる。

 ミルクティーを飲み『ふう』と息を吐きだした。


「うるさいのは揚羽も同じか。……揚羽の調査しだいだね。黒神夢衣の他に、ほかの奴らがいたら面倒だし」

「翔琉君、この世界から出るの?」

「だからっ‼︎ 揚羽の調査しだいだってば」

「それで、僕が調査に行くのはいつかな? 早いほうがいいと思うが」

「今すぐ……と言いたいところだけど、人間界はそろそろ朝が来る頃だ。僕達の世界は眠りにつく。夜を迎えたらいいかな、揚羽」

「わかった、それまでは地獄で過ごすとしよう。君達、僕を見送ってくれるかな?」


 私と麻斗さんに向けられた笑み。

 見送りって、古井戸まで行けってこと?

 古井戸は地獄に繋がってる。古井戸のまわりには餓鬼が彷徨うろついてるのに。


「構いません。行きましょう、ひかりさん」

「待って、麻斗さん。餓鬼に襲われたら」

「僕がいれば何もしてこない。さぁ」


 席を立ったふたりが私をうながす。

 断りにくくなってきちゃった。


「行ってらっしゃい、ひかりさん」


 紗羅ちゃんまで。

 揚羽さんがいなくなるのが嬉しいんだろうけど。ちょっとくらい空気を読んでくれてもいいのに。


「それじゃあ、古井戸の近くまでで……いいですか?」


 食べ残したパンケーキと飲みかけのミルクティー。

 だけど、夜明けが近い以上ゆっくりしていられない。麻斗さんとふたりになれるのは、私達の眠りが覚めたあと。

 ふたりのあとを追って食堂を出た。


「この頃、翔琉は楽しそうだ。君達が来てから、この世界の変化は続いている」


 麻斗さんの隣で揚羽さんは声を弾ませる。

 翔琉君のことが気になってしょうがないんだな。


「君の翔琉への接し方も変わってきた。母親とは言わないが、君は翔琉を……家族のように思いだしてるか?」

「いえ、家族だとかこだわってないんです。でも私の居場所はここしかない、そう思ったら気持ちが楽になりました」

「そうか」


 足を止め揚羽さんが振り向いた。

 揚羽さんの手の上に現れたふたつの指輪。


「君達に、僕から贈らせてもらおう。人間界にある、エンゲージリングと呼ばれるものを」


 とくりと体中が音を立てる。

 揚羽さんが見送りと言いだしたのはもしかして。


「私達の……ために?」

「違うな。僕が人間だった時、ひとつだけやり残したこと。ここでさせてもらおうと思ってね」


 揚羽さんの手ではめられていくお揃いの指輪。淡い水色の石がキラキラと輝いている。


「結婚前に渡すはずだった指輪。その前に、僕は死んでしまったから」


 一瞬、揚羽さんのそばに見えた人影。

 顔も服装もわからない。

 男の人か女の人かさえ。

 わかるのは、揚羽さんが幸せにするはずだったひとりだけの人。


「君達の見送りはここまでだ。僕はひとり、地獄に戻るとしよう」


 揚羽さんが扉を開け見えた闇の世界。


「待ってください。その……指輪のお礼に見送りを」

「餓鬼が君達に襲いかかったら。僕はこの手で、餓鬼を殺さなければならない。仲間である地獄の住人をね」


 赤と黒の服が闇に溶け込んでいく。

 艶やかな顔に浮かぶ笑み。


「さぁ、ふたりだけの幸せな夢を」


 揚羽さんが指を鳴らし閉められたドア。


「行きましょう、ひかりさん。世界が眠りにつくまで、一緒に」


 微笑む麻斗さんを前に心が跳ねる。

 訪れた、ふたりだけのひと時。

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