第19話

 目の前で砕け壊れた人形。

 顔に巻かれた包帯と、人形が着ていたピンク色のドレス。


「どうして、こんなものが」


 黒神夢衣。

 まさか……私のそばにいるの?

 思考を読み取り、ふたつの目玉を奪う。今も私の目を狙ってるんじゃ。

 目玉だらけの恐ろしい姿。黒神夢衣の体に、奪われた目が加えられる。数えきれない目玉の中で、ギョロギョロと動き回る私の目。


「そんなことあるはずが。この世界、翔琉君がいる場所に」


 いるはずはない。

 私を襲うためにだけ、やって来るとは思えない。


 生き物のように揺れ動く包帯と燃え消えていく布。

 煙の中、包帯が形を変え見えた1枚の紙。それは古ぼけた、どこかの店のポスター。


「アンティークショップ……蜃気楼? この人形、私が見た」


 ポスターの隅に見つけた、少女人形の写真。

 金色の長い髪と青い目の可憐な顔立ち。

 ピンク色の可愛らしいドレス。

 どうして、こんなものが?

 この店に行けば、黒神夢衣の何かがわかるのかな。


 ——マタ、会イマショウネ、三嶋ヒカリサン。


 私の中に響き続ける、黒神夢衣の声。


「大丈夫、私は……負けない」


 久々に履いたパンプス。

 鏡の前で、ドレスの乱れがないか確認する。

 何度も、繰り返し。

 私は私、来栖琉架とは違う。

 この先、何度ドレスを着ようとも。

 私は、三嶋ひかりのままなんだから。


 鏡から離れ近付いていくドア。

 麻斗さんが待つ部屋へ。


「……麻斗さん」


 振り向いて見える誰もいない部屋。

 カーテンが閉められていることに安心する。


 闇が怖い。


 黒神夢衣が、私に恐怖を植え付けた。


「負けるもんか……絶対に」


 黒神夢衣にも、私を惑わせる錯覚にも。


 思いきりドアを開けた。

 私を支配する、恐怖を断ち切るために。


「あっ⁉︎」


 私を弾かせたバケツがひっくり返る音。すぐに続いた『ああっ!!』いう聞き慣れた大声。水浸しになった廊下と落ちたぞうきん。頭を抱えぐらぐらと揺れるキリエさん。


「ままっ‼︎ またやってしまいました。こここっこんなミスはもう2度と。私は……私は、せせっ‼︎ 先輩ですのに……ああっ‼︎」

「キ、キリエさん、落ち着いて」

「ひひひ、ひかりさん? 私はここっ後輩に恥ずかしいものをっ‼︎ あ? ドレス……なんです?」


 目をまたたかせるキリエさん。いつもは驚かされてばかりだけど、今は不思議と心強く感じる。


「麻斗さんの部屋に行くの。そのあと翔琉君に話したいことがあって」

「ででっ‼︎ ではお茶の準備を」

「お茶はまだいいんです。ごめんなさい、私はキリエさんの後輩なのに……偉そうに言って」


 厨房で働く私を、キリエさんは何かと気にかけてくれる。先輩として、後輩を支えるように。


「あああっ謝らないでください。わわっ‼︎ 私は一緒に働けるだけで」

「キリエ、君はまたバケツを」


 紫音さんの声に続く『はあっ‼︎』というキリエさんの奇声。ぐらぐらと揺れるキリエさんの前で、紫音さんは手袋をはずしぞうきんを絞りだした。


「あの、紫音さん」

「なんでしょう」

「翔琉君とみんなを、食堂に集めてくれませんか? 仕事が落ち着いたらでいいんですけど」

「何かあったのですか?」

「迷惑をかけることになりそうです。翔琉君にも、紫音さんと召使いのみんなにも」

「めめめっ‼︎ 迷惑とは、なな、何事で」

「キリエ、君は少し黙っていなさい」


 ぞうきんをキリエさんに渡すなり、銀縁眼鏡をかけ直した紫音さん。眉間にシワが寄ってるの、珍しく怒ってる? それとも翔琉君と聞いて、私が何を話すのかが気になってるのかな。


「迷惑をかける……とは?」

「紫音さんなら知ってますよね? 翔琉君が恐れてるもの」

「黒神夢衣、ですね。知っていますよ。おぞましく、醜い者」


 細まる赤い目と冷ややかな声。

 黒神夢衣は、紫音さんにとっても嫌悪の対象なんだ。


「会ってしまったんです、黒神夢衣に。そのことをみんなに話したくて」

「なるほど、わかりました。キリエ、早く片付けを……いえ、僕がやりましょう」


 キリエさんの手から再び離れたぞうきん。

 ふたりから離れ歩きだした。ドレスの裾を上げ、転ばないように気をつけながら。

 麻斗さんの部屋に向かって。







 ***


 ドアをノックした。

 少しの間を置いて、開かれたドアと麻斗さんの笑み。

 艶やかな黒い髪と、ボタンが外された白いシャツの襟元。


「どうでしたか? 元の世界、家族との再会は」

「怖いことと、嬉しかったことが半分ずつ。……それで」

「なんですか?」

「改めて感じたの。私が帰る場所はこの世界と」


 胸元に顔を埋め、両腕を背中に回した。

 抱きしめる腕に力を込める。


「あなたの、腕の中だけだと」


 彼の腕が私を包む。

 胸の高鳴りを呼ぶ彼の鼓動の音。


「家族よりも、僕を選ぶのですか?」

「もう、生きては会えないもの。私にはあなたの温もりだけ」


 彼の息遣いが心地いい。

 ずっと、こうしていられたら。


「これから、翔琉君に話したいことがあるの。屋敷のみんなにも。話が終わったら、私を」


 壊してほしい。

 乱れ、狂うほどに。

 私を惑わせる、もうひとりの彼の記憶。

 琉架よりも深く……私を、愛して。


「私だけを」

「僕が愛しているのは君だけだ。……僕だけの、ひかり」


 穏やかな声と息遣い。

 彼と生きていく。

 優しさと甘美な悦びに包まれながら。

 離れるのは嫌、だけど今はやらなきゃいけないことがある。


「一緒に食堂に来て、みんなが待ってるの」


 手を繋いで部屋から出た。

 誰に見られても構わない。

 私達はずっと、離れはしない。


「残念だったな。料理、麻斗さんのお気に入りを見つけられればよかったのに」

「君が作るものは全部、美味しくて気に入っています」

「特別な一品を作りたくて。麻斗さんに食べてもらえるのが嬉しくてたまらないものを」


 来栖麻斗が好きだったのはビーフシチュー。

 記憶の中、琉架が作ったものを満足げに食べる彼が見える。大きめに切られた野菜と煮込まれた肉。

 味付けは、少し濃いめ。

 両親と共にする食事の時間、食べながら幸せそうに笑いあった。

 ふたりが秘め隠した逢瀬。

 それは琉架が身籠ったことで知られることとなった。望みもしない縁談を両親が進めていた中で。両親の怒りと失望は大きなものだった。


 ——このけだものが‼︎ 恥を知れ‼︎ 歴史ある来栖家が、お前に汚された。


 彼を罵倒し殴り続けた父親。


 ——琉架、琉架……冷静になってちょうだい。あなたは夢を見てるのよ。麻斗に、惑わされてしまった。


 子供をおろすよう、琉架にせまり続けた母親。


 両親は彼だけを責め続けた。

 許されない関係と宿した命。


 身籠った琉架を責め、傷つけることを躊躇った両親。

 責められる中、彼は精神こころを壊していった。粉々になっていく心が求めだした、琉架とたどり着けるふたりきりの場所。


 ……地獄へ。


 彼は刃を振りかざし、次々と命を奪い続けた。

 親しかった執事を、世話になり続けた召使い達を。


 そして、両親に向けられた刃。


 ——やめろ麻斗、お前はわかってるのか。俺は、お前の。


 ——助けて。許してあげるわ、過去のことは。これからやり直せばいいの、誰かいい女性ひとと。


 怒りが衝動を呼んだ。


 ——誰もいらない。琉架だけが……僕の。


 ——やめろ、やめてくれ麻斗っ‼︎ 助けてくれっ‼︎


 刃が体を貫いた。

 何度も刺し、血に濡れていく。

 両親は死んだ。

 それでも刺し続けた。


 生き返ることは許さない。

 もう2度と……僕達を見るなっ‼︎


 血に濡れた屋敷の中、彼に近づいた琉架。

 動かなくなった両親を前に、驚くことも泣くことも出来なかった。


 ——麻斗兄様。


 ——琉架、僕達はふたりだけだ。……地獄に行こう、僕達の子供を連れて。幸せになれるさ。ずっと、僕達は一緒なんだから。


 琉架の手を引いて向かった地下室。

 それは彼が選んだ地獄への入り口。


 立ち尽くす琉架を囲うように、石油が室内を濡らしていく。愛し合ったベッドも、数えきれないスケッチ画も石油が濡らしてしまった。


 ——麻斗兄様。私は……生きたい。お腹の中の、子供と一緒に。


 彼は、聞こえないふりをした。

 生きることは許されない。

 大切な人達を殺めてしまったのだから。


 ——最後に殺すのは、ひとりだけの琉架。


 血塗れのナイフで、琉架のドレスを切り裂いた。

 露わになった、美しい裸身。


 ——綺麗だ、僕だけの琉架。


 琉架を抱き寄せ、彼は火を付けた。

 一瞬にして、ふたりを包み焼いた炎。


 焼かれながら、彼は信じた。

 琉架と共に地獄に堕ちると。




「ひかりさん、どうしました?」


 麻斗さんの声が私を弾く。

 見えたのは食堂、みんながテーブルにいる。


「ぼけっとしちゃって。ひかり、呼びだした本人が何してるのさ」


 頬杖をついた翔琉君が、呆れたように私を見る。

 テーブルに並ぶ、湯気を立てるミルクティー。それと甘い匂いに包まれたパンケーキ。


「パンケーキ……誰が?」


 この世界に来た時、私が考えたのはパンケーキのこと。食べたくて、誰かに頼もうとしていたもの。手を上げたのはキリエさん。


「わわっ‼︎ 私が焼いたのです。こう見えてもですね、特技はおおお、お菓子作りなのでっ‼︎ みみみっ皆さんが喜んでくれたらと」

「とりあえず、キリエは黙っててくれない?」


 翔琉君の声がキリエさんに震えを呼ぶ。


「わわっ、私はご主人様にごごごっ、ご迷惑を‼︎ ああっ‼︎」

「だから、黙ってて」

  

 苛立たしげな翔琉君の声に『ひっ』と声を漏らしたキリエさん。

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