漆黒世界の住人

第4話

 この世界に来てから何度目かの夜が過ぎた。

 カレンダーも天気の変化もない、翔琉君の思うままの世界。

 着ることになった黒いドレス。

 ドレスなんて着たことはなかったし私に似合いっこない。だから断りたかっけど、『着なければ消滅』という脅しを前に従うしかなかった。履いたことがなかったパンプス。そのうち慣れるだろうけど、やっぱり履き慣れた靴がいい。


 バルコニーから見上げる空に見える月。

 私のちっぽけな楽しみは、ひとりで空を見上げること。子供の頃から空を見ることが好きだった。

 ぬいぐるみにもいっぱい話してたっけ。雲に乗って昼寝をしてみたいとか、お菓子にたとえた空想を。雲は綿菓子、星は金平糖、お月様は焼きたてのクッキー。

 太陽からは思いつかなかったけど、見れなくなった今思うのはパンケーキ。焼きたての甘い匂いに包まれたもの。

 パンケーキ、召使いに言えば焼いてくれるかな。


 召使い達は、私と翔琉君が仲良しだって笑う。親しげに話してるって言うけど、翔琉君は私をからかって面白がってるだけ。馬鹿にされてるみたいで癪に触るけど、逆らったら何をされるかわからない。

 翔琉君は、私を喰った化け物なんだから。


「ひかり様、ここにいたんだ」


 可愛らしく弾む声が響いた。

 振り向くと、ひとりの女の子が無邪気に笑っている。水色のメイド服、淡い金色の髪と緑色の大きな目。名前は紗羅さらだったけ、猫ちゃんみたいにくるくる動く女の子。


「お茶を淹れたよ。麻斗様が待ってるの、客室に案内するね」


 とくんっと心臓が音を立てた。

 緊張と気まずさが私の中を巡る。


「いるのは、麻斗さんだけ?」

「うん、翔琉様がふたりの邪魔はするなって」

「……そう」


 どんな顔をして会えばいいだろう。

 体に残る、私を抱きしめた麻斗さんの温もり。


 私達が出会ったあの時、翔琉君がいなくなったあと。私の告白を前に戸惑った麻斗さん。ぬいぐるみから作りだされた彼は、私のことと与えられた名前しか知らなかった。愛することや愛されることが何かを知らない。

 麻斗さんは微笑んで、私に腕を伸ばしてきた。


 ——僕が君を知っているのは、君が僕の大切な女性ひとだからなのでしょう。僕は知りたい、君が言った愛がなんなのかを。僕は君を愛することが出来ますか? 君が教えてくれるものが……僕が何者かを思いださせてくれるなら。


 元の姿がぬいぐるみだなんて私からは言えない。信じてもらえないだろうし、私もまだ信じられないでいる。可愛かったぬいぐるみが綺麗な男性ひとになったなんて。

 これからどうなっていくんだろう。

 翔琉君の世界に閉じ込められ、麻斗さんを愛した先に私の幸せはあるのかな。


「どうしたの? 黙り込んじゃって」

「ごめんなさい、ちょっと考えごとを。あの、紗羅ちゃん」

「紗羅でいいのに」

「え? えっと、さっ紗羅……ちゃん」

「もう、なんでちゃん呼びになっちゃうかなぁ」


 ぷっくりと頬を膨らませて、紗羅ちゃんは顔を近づけてくる。髪に隠れて見えなかったけど、この子ピアスしてるんだ。目の色と同じ、緑色の石がキラキラ光ってる。


「あの、ひかり様って呼ぶのやめてほしいんだけど」

「どうして?」

「私はただの人だし、様ってつけられるのは」

「私にとっては大切なお客様。急いでよ、ハーブティーが冷めちゃうじゃない」


 私の腕を掴むなり、紗羅ちゃんはズカズカと歩きだした。バルコニーから離れ、客室に向かう私達を呼び止めたのは執事の紫音しおんさん。

 真っ白な燕尾服と肩まで伸ばされた銀色の髪。知性を感じさせる銀縁眼鏡の奥で、赤い目がキラリと輝いた。


「紗羅、客人に馴れ馴れしく接するとは」

「どうしてお客様と仲良くしちゃいけないの? 生真面目な執事さん」

「客人は客人であり、友達ではありません」

「ふん、剥げちゃっても知らないから。何よ、私にしかいばれないくせに」


 紫音さんは顔色を変えず、紗羅ちゃんの嫌味を聞き流す。通り過ぎる召使いに指示を出し、紫音さんは足早に私達から離れていった。


「紫音ったら、楽しく仕事しちゃいけないの?」

「紗羅ちゃんは仕事が好きなの?」

「うん、紫音も仕事熱心なのはわかるんだけどね。かたっ苦しいの疲れるだけなのに」


『そう思わない?』とでも言うように紗羅ちゃんは私を見上げる。親しげな態度に嫌味はなく、はるかといるような気持ちになる。はるかどうしてるかな、お父さんもお母さんも、私がいなくなったことで眠れない日々を過ごしてるんじゃ。


「紗羅ちゃんはどうしてここにいるの? 紗羅ちゃんも、私と同じ……翔琉君に喰われて」

「違うよ。紫音も私達召使いも、翔琉様の想いから生みだされた存在ものなの。翔琉様の世界を守るために」


 夢を叶えるための世界と生みだされた人達。

 紗羅ちゃんや紫音さんの仕事ぶりは、翔琉君への忠誠心から来てるものなんだ。


「世界を守る。私達がここにいるのは、それだけじゃない気もするけどね」

「どういうこと?」


『翔琉様には内緒ね』と紗羅ちゃんはペロリと舌を出した。


「私達がいなくても、翔琉様はひとりで世界を守れる。ひかり様もそう思わない?」


 私達を支配する力と強み、それは恐ろしく誰も逆らうことが出来ない。紗羅ちゃんが言うとおり、翔琉君だけでこの世界を守っていける。なのにどうして、執事や召使い……私と麻斗さんまで。


「翔琉様はひとりになるのが怖い、だから私達を生みだしたと思ってるの。私が仕事を楽しもうって思ったのはね、翔琉様のためなんだよ」

「翔琉君の……ため」

「怖いものを遠ざけてあげるの。私みたいなのがいれば翔琉様は退屈しないでしょ?」

「紗羅ちゃん、もしかして……翔琉君が好きなの?」

「うんっ‼︎ ひかり様はね、翔琉様がお迎えした大切なお客様。だから仲良くなりたいんだ。ほら、早く行こう? 客室に」


 頬を赤らめて紗羅ちゃんは笑う。

 本当のときめきと想い、私には許されない本物の恋なんだ。


「届けばいいね、紗羅ちゃんの想い」

「ありがと‼︎ でもね、それは叶いそうにないんだな」

「どうして?」

「翔琉様が私に求めるのは理想の召使い。それ以上の興味なんて持ってもらえないよ」

「……紗羅ちゃん」

「そんな顔しないでよ、私は翔琉様がいるだけで幸せなんだから」


 強い子だな、紗羅ちゃんは。

 好きな人のために、見返りなくがんばれるなんて。


「ハーブティー冷めちゃったかなぁ、麻斗様も待たせちゃってるしまいったな」


 歩きながら、紗羅ちゃんは自分の頭をコツンと叩いた。


「……あれ? 遅くなったの紫音に話しかけられたからじゃない。なんで私、自分のミスだと思ったのかな」

「それは、翔琉君のこと話してて」

「ぽやっとしてたって言いたいの?」


 顔を真っ赤にしながら、紗羅ちゃんは『もうっ』とでも言うように頬を膨らませる。行き会った召使いが紗羅ちゃんを見てクスッと笑った。彼女の名前は……そうだ、莉亜りあさんだ。紫音さんと同じ銀色の髪は腰の下まで伸ばされている。


「私の想いは内緒なの。みんなの前で翔琉様の話は禁止なんだから‼︎」


 内緒って言いながら大声で話してた。

 紗羅ちゃんは隠してるつもりでも、召使い達は気づいてるよね。翔琉君も勘がよさそうだし、バレてないって思ってるのは紗羅ちゃんだけだったりして。


「着いたよ、ひかり様」


 閉ざされたドアの前で紗羅ちゃんは微笑む。

 中にいるのは麻斗さんだけ。紗羅ちゃんのおかげで、緊張も気まずさも吹っ切れた。


「ありがとう、紗羅ちゃん」

「何? どうしたの?」

「こんなふうに話せるの、家族以外には誰もいなかったから。その、友達が出来たみたいで嬉しくて」

「みたいじゃなくて、友達だよ」


 にっこりと紗羅ちゃんは笑った。

 私に友達が出来たんだ。なんだか……くすぐったい。


「開けるよ、麻斗様と素敵なひと時を」


 ドアを開けるなり、紗羅ちゃんは私の背中を押した。

 慣れないドレスとパンプス。

 バランスを崩し、よろけた私を受け止めたのは麻斗さんだった。

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