漆黒の嘆き

第13話

 「描けた」


 筆を置き、描き終えた絵を前に浮かぶ達成感。

 描いたのは夕焼け空と1羽の鳥。あちこち滲んでるけど気にしないことにする。


 ——絵を描くってどういう風の吹き回し?


 翔琉君と紫音さん。召使い達と厨房で新たに知り合った世界の住人達。彼らを交えたお茶の時間、絵を描きたいと言った私に翔琉君が問いかけてきた。すぐに続いたのは『ひかりに絵心があるとは思えないけど』という憎まれ口。

 見れなくなった景色や鮮やかな空。お気に入りの小物や美味しいスイーツ。下手でもいいから思い浮かぶものを描きたいと思った。

 麻斗さんの記憶がそうさせるのかな。

 記憶の中に見える麻斗さんが描いたもの

 知らない国の街並みや紺碧の宇宙そら、繊細で綺麗な色使い。


 ——僕を驚かせる自信があるなら描いてみれば?


 翔琉君はすぐに絵描き道具を準備してくれた。揚羽さんの手の上から現れる形で。

 現れたのは絵描き道具だけじゃない。

 着たいと思ってた服やパステルカラーのクッション。それに……大きな鍋とフライパン。


 ——料理長が言ってた。ひかりが調理道具に苦戦してるって。いらないなら、処分するけどさ。


 苦戦してるのは、和食を知らなかった料理長やみんなだと思うけど。食べる時もそう、翔琉君も紫音さんも箸の使い方に戸惑ってる。

 私の料理を黙って食べる翔琉君。誰よりも早く食べ終えて、みんなの皿を見回してるのおかわりがほしいから?

 ほんとに、お子様は素直じゃないんだから。


「ひかりさん、描き終えたんですか?」


 麻斗さんが近づいてきて、描き上げた絵を手に取った。彼が立っていた窓のそば、外に見える闇。

 翔琉君は、揚羽さんと一緒に散策を楽しんでるのかな。


「ごめんなさい、外に出る約束……破ってばかりで」

「いいですよ、今は仕事に慣れることが大事ですから。君が厨房にいる時は、本を読むことを楽しんでいる」


 麻斗さんは微笑む。

 彼の髪を束ねる青いリボン、触ろうと伸ばした手を止めた。私から触るのがなんだか照れくさい。息遣いを感じるだけで胸が高鳴ってしまう。気持ちを落ち着かせようと手にしたメモ帳。

 書き込んでるのは、作った料理やこれから作ってみたいもの。思いあたる食材を考えながら思う。元の世界なら簡単に調べられるのにって。


「そうだ、お母さんの料理本」


 和食がいっぱい載ってた気がする。家に帰ったら見させてもらおうかな。麻斗さんのお気に入りが見つかればいいんだけど。

 探す前にひとつだけ、気になることがある。


「麻斗さん。私の料理、どう思いますか?」

「どうしました? 突然」

「その、誰も感想を言ってくれなくて」

「どれも美味しいものばかりです。僕は食事の時間を楽しみにしていますよ」

「本当に? よかった……美味しいなら、それで」


 安心してすぐに浮かんでくる不安。

 翔琉君はともかく、料理のことみんなが黙ってるのなんでだろう。楽しみにしてるって紗羅ちゃんは言ってくれてたのに。


「何も言われなくて不安だったんです。不味かったらどうしようって」

「世話が焼ける人だ」

「え?」


 何気ないひとことにドキリとする。世話が焼ける、こんなこと麻斗さんから言われるなんて。嫌味を言われた訳じゃない。思ったことを言ったんだろうけど、私の何がそう言わせたのかな。

 マイナス思考や考えすぎ、他にも何か理由が?


「麻斗さん、世話が焼けるって」


 顔を上げ見えた赤い髪と仮面に隠された顔。仮面越しに響く『ククッ』という笑い声。

 恥ずかしさで体中が熱くなる。

 地下室に行く前の、キリエさんの時と同じ。

 揚羽さんが、麻斗さんに入り込んでいる。


「今の……揚羽さんだったんですか? 私をからかうなんて」

「やれやれ、僕の善意を否定するとは」


 善意って何?

 いつから麻斗さんの中にいたの? まさか……部屋に来た時からずっと?


「あっ揚羽さん‼︎ いつから⁉︎」

「すごい驚きようだな。たった今さ、合図のつもりで言った。『世話が焼ける人だ』と」


 いきなり現れて合図って言われても。

 翔琉君が言うとおり、揚羽さんの行動は読めないことばかり。


「君が悩んでるから教えてやろうと思ってね。彼らが何も言わないのは、君を気遣ってのことさ」

「どういうことですか?」

「仕事とはいえ、料理を1番に誉めてほしいのは彼じゃないのかい?」

「それは、そうですけど」

「彼が最初に誉めるのをみんなが待っていた、それだけのことさ。提案は君の親友紗羅ちゃんだ」


 そんなことを考えてたなんて。

 でも、味付けの感想くらいは言ってほしかった。不味いものを作ってたらみんなに申し訳ないし。


「浮かない顔だな。三嶋ひかりさん、君は考えすぎる人なのか?」

「そんなこと、ないと思いますけど」

「あぁ、それならいい。……黒神夢衣くろかみむい


 揚羽さんは仮面をはずし、金色の目を私に向けた。

 今言ったのは、誰かの名前かな。聞き慣れない不思議な響き。


「揚羽さん、今のって……名前ですよね?」

「そう、僕達と同じ漆黒の化け物が生みだした者。翔琉が恐れる化け物の」

「翔琉君が?」


 揚羽さんの手の動きに合わせ、閉められていくカーテン。何かを出したり動かしたり、揚羽さんって本当に奇術師みたい。


「漆黒の化け物は闇の中に隠れ潜む。生みだした者に興味を持たず、死人の魂を飲み込んでいく。咀嚼し、味わいながら魂が辿った過去を巡り見る。そして生みだすのさ、僕や翔琉のような存在を」

「それじゃ、揚羽さんも」

「そう、僕ももともとは人間だった。事故で死んだあと、魂を飲み込まれてね。望みもしない力を与えられたのさ」

「そんな」

「僕のことはともかく、黒神夢衣はやっかいな存在だ。人の思考を読み取り、あるものを奪い取る。何かわかるか?」


 思考を読み取る力か。

 死んだ人から取り出せるものがあるとしたら。

 思考……脳に繋がるものだとすると。


「記憶ですか?」

「残念、奪うのは体の一部だ。それは、ふたつの目玉」


 翔琉君と同じ、人を喰らう化け物ってこと? だけど食べるのが目玉だけなんて。殺されないにしても、目を奪われて何も見えなくなる。それは、襲われた人にとってどれだけの辛さだろう。


「なんのために……目を」

「体を飾りつけるためさ。黒神夢衣は僕達と違い、人間の体を持つことが出来なかった。理由わけは人間だった頃の死因にある。命を奪われた上、体をバラバラにされた」


 世の中を恐れさせる不条理で残虐な事件。

 恐怖を凌駕する狂気は時に人を惑わせる。


 命を奪われたばかりか、望みもしない姿になり生き続ける残酷さ。黒神夢衣……翔琉君が恐れる化け物。

 目玉で体を飾るって、どんな姿をしてるんだろう。


「過剰な恐れや不安。抱き続ける悲しみは、黒神夢衣を引き寄せてしまう。もっとも、奴の狙いは生きた人間だ。翔琉や僕、君達が狙われることはないが」


 揚羽さんの手の上に現れたふたつのカクテル。鮮やかなオレンジ色と甘い匂い。


「ふたりのひと時を邪魔した詫びを。ノンアルコールだ、安心して飲むといい」


 指を鳴らす音と同時に、揚羽さんが消え麻斗さんが現れた。本当に揚羽さんはいなくなったんだよね。綺麗な顔を前に息を整える。


「ひかりさん、次の食事は何を作るんですか?」

「考えてるところです、麻斗さんが食べたいものかな?」

「僕のリクエストはそうですね、ひかりさんが僕に食べてほしいものを」

「困ったな、いっぱいあって決められない」


 顔を見合わせて笑いあった。

 心を込めて作らなきゃ、喜んで食べてくれるなら。


「この絵、僕がもらっていいですか? 部屋に飾らせてほしい」

「そんな、飾るほどのものじゃ」

「では、代わりに君を連れて行きましょうか」


 微笑む麻斗さんを前に体が熱を帯びる。恥ずかしさをごまかすように飲み干したカクテル。麻斗さんは味わうようにカクテルを飲む。


 帯びた熱が私を惑わす。

 伸ばした手が、艶やかな髪に触れた。


「何度でも、連れ去って」


 私だけを。

 繰り返し。


 恐れも不安も捨てて、悦びに満たされていく。








「黒神夢衣?」

「揚羽さんが言ってたの。翔琉君が恐れる化け物だと」


 揚羽さんに聞かされたままを語った。出会うことはない、なのに気になるのはどうしてだろう。


「体を飾るものが人の目玉だなんて」

「世界は想像を越えるものばかりですね。美しいものの影に、おぞましいものが息をひそめている」


 麻斗さんの声を聞き、彼の腕の中で目を閉じた。恐ろしいものを遠ざけるように。


 私にあるのは幸せと満たされた喜びだけ。

 悲しいことはもう……近づきはしない。

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