第12話

 食堂に向かう中、紗羅ちゃんから聞かされる仕事のこと。うなづく私の横で、なぜかメモを取っているキリエさん。落ち着いて動けば大丈夫、自分がやっていることに自信を持てばいいだけなのに。


「ひかりさんの担当は厨房だから、私達の仕事は関係ないんだけど」

「聞いてるの楽しいよ。ここに来てから、客室と書庫室にしか行ってなかったから」

「楽しみだなぁ、ひかりさんの料理。私も食べれればいいんだけど」


 窓の外に見える闇。

 家では今、みんな眠ってるのかな。私が訪ねる時、聞こえるのは寝息だけ。

 それでも時々は会いに行ける。


「ねぇ、ひかりさんの得意料理って何?」

「肉じゃが。あとは天ぷらと……お味噌汁かなぁ」

「ごめん、どんな料理かわかんないや。でも美味しいってことはわかるよ」


 紗羅ちゃんと一緒に料理が作れたら楽しいだろうな。翔琉君のために紗羅ちゃんが作るのはなんだろう。シチューやポトフなんて似合いそう。私が麻斗さんに作るのは……違う、食事を任されたんだから色々と食べてもらえるんだった。

 料理の腕、上達すればいいんだけどな。


 思わぬ形で会えたもうひとりの麻斗さん。彼に会ったあとに、麻斗さんに会うのなんだか緊張する。


「お客様」


 食堂の前、私達に気づいた莉亜さんが頭を下げた。

 莉亜さん驚くだろうな、私が一緒に働くって知ったら。


「紗羅ちゃん。私のことはあとで、莉亜さんに言ってくれる?」

「いいよ。じゃあまたね、ひかりさん」


 キリエさんの腕を掴み、紗羅ちゃんが離れていく。近づいてきた莉亜さんの手が食堂へと向けられた。


「どうぞ食堂へ。料理が冷めてしまいましたが、スープだけでも温めますか?」

「大丈夫です、ありがとう莉亜さん」

「それでは、ごゆっくり」


 開かれたドアを前にドレスの裾を上げた。食堂に入るなり閉められたドア。私に気づいた麻斗さんが近づいてきた。


「ひかりさん」


 私を呼ぶ声と、私の目を止めた麻斗さんの髪。


「どうして? 色が」


 真っ白だった髪が黒く染まっている。私がいない間に何があったんだろう。


「麻斗さん……その髪」

「君がいなくなってからしばらくして、僕は気を失ったんです。莉亜さんが言うには、息が止まり死んだようだったと。目が覚めたら髪の色が変わっていたんです。それで」


 麻斗さんの声が途切れ、静けさに包まれた食堂。翔琉君と麻斗さん、私だけで食べるには広すぎる室内。私達がこの世界に来なければ、翔琉君はずっとひとりで食べ続けてたんだ。

 家族を夢に見ながらも。


「不思議なものを見たんです、夢のようには思えないんですが」

「何を見たんですか?」

「僕に似た男性ひとが、僕の中に入ってくるのを。綺麗な女性ひとと一緒でした。ふたりが幸せそうに笑っているのが見えたんです。……彼らは誰だったのでしょう」


 麻斗さんの黒い髪。

 それは来栖麻斗が琉架と一緒に彼の命になった証。ふたりが紡いだ愛は彼の中で生き続ける。


「見てほしいものがあるんです。写真というものなんですけど」


 取りだして見せた写真。

 麻斗さんの目が見開かれ、開かれた口から言葉になりきらない声が漏れた。


「彼らです、僕に入ってきたのは。ひかりさん、これをどこで?」

「書庫室で見つけたんです。ふたりは遠のいた過去、屋敷に住んでいた人達。翔琉君の」

「彼の……なんです?」


 麻斗さんに話していいのかな。

 ふたりが翔琉君の両親だと。私が母親役に選ばれたように麻斗さんも父親役に選ばれたこと。翔琉君の夢のために、私達は出会うことになったんだと。


「ひかりさん?」


 不安げな顔を前に思った。 


 麻斗さんに話そう。

 何もかも隠さずに。


 話すことと黙っていること、正しいのはどちらなのか。わからないけど、彼と一緒に生きていく。秘め隠す秘密ものなんていらない。彼が知らなくていいことは、元の姿と私が受け継いだ来栖麻斗の記憶だけ。


「食べながら話させてください。……麻斗さんにとっては、信じられないことばかりだと思いますが」

「信じます。ひかりさん、僕からも話したいことがあるんです。聞いてくれるでしょうか」


 うなづくと、麻斗さんは笑みを浮かべ私をテーブルへと導いた。





 食事を取る中で何もかもを話した。驚き、戸惑いながらも聞いてくれた麻斗さん。


「僕達は翔琉君に必要とされ導かれたのですね。出会うべくして出会った。君が教えてくれたことを踏まえて、僕は自信を持って話すことが出来ます」


 食事を終えたあと私達を包んだ沈黙。麻斗さんはテーブルから離れ、壁に飾られた絵を見て歩く。


「困りました。自信があるとはいえ、知られることに怖さを感じている。大切なことなのに……僕は」


 何を話すつもりなんだろう。

 麻斗さん緊張してるのかな。そうだ、働くこと話さなきゃ。会える時間が少なくなるかもわからない、それでも私が決めたことだって。


「ここで働くことになったんです。与えられた仕事は料理を作ること。麻斗さんが気に入ってくれたらいいんですけど」

「そうですか。ひかりさんが働くなら、僕にも出来ることがあるだろうか」

「麻斗さんの立場は、翔琉君にとってお父さんみたいなものだし。どうなんでしょうね」

「僕から翔琉君に聞いてみましょう。働くとなると、僕達は一緒に食事を取れないということですね。……ひかりさん、君から翔琉君に提案してみては」

「提案って……何をですか?」

「みんなで食べることを。今までは翔琉君と僕達だけの時間でしたが、紫音さんと召使い達……ここで一緒に食べるんです」


 広い食堂と大きなテーブル。今まで誰も座らなかった椅子。主人と執事、召使いという垣根を超えて心を通わせるひと時。それが翔琉君にとって楽しいものになるとしたら。

 揚羽さんは言ってた、化け物は憎しみを糧に人間ひとを喰らうって。みんなと過ごすことで、翔琉君が人間を襲わなくなるなら。

 楽しいことや喜びが憎しみを遠ざけたなら……怖いことが消えたならきっと。


「いい考えですね、翔琉君に言ってみます。それで、麻斗さんの話って?」


 問いかけのあとに訪れたのは沈黙。どうしたんだろう、麻斗さんが黙り込むなんて珍しい。


「麻斗さん?」


 振り向いた麻斗さんと目が合った。

 赤みを帯びた顔が私に呼び寄せる胸の高鳴り。


「目を覚ました時、僕が感じたのは包まれるような温もりでした。同時に感じ取ったのは君がいない寂しさ。温もりが何かを考えた時思ったんです。僕は君を」


 近づいてくる麻斗さんを前に体が熱くなる。

 聞くのが怖くなってきた。

 怖くて、心が壊れそう。


「君を……愛しているのだと」

「……っ」


 どうしよう。

 私を見られたくない。恥ずかしくて……すぐにでも逃げだしたい気持ち。


「愛というものがなんなのか、僕はわかった気がするんです。君を想い求め続ける、君のために生きていくこと。僕を求めてほしいと願う……不思議ですよね。気を失う前まで、何もわからなかったというのに」


 たぶん、ふたりが教えてくれたんだ。彼の命になることで、彼が知らなかった愛がなんなのかを。


「見てください、僕の手はこんなに震えている。怖いんです、君に触れることが。それでも君に触れたい、君のすべてを……手に入れたいと思う」


 力が抜けていく。

 逃げたい気持ちと、時を止めてしまいたい衝動。

 体が……燃えるように熱い。


「ひかりさん、僕と一緒に生きてくれますか? 僕の想いを受け入れてくれるだろうか」


 翔琉君に作られた出会い。

 それでも、彼と紡いできた温かな繋がり。


 彼を愛し、愛されながら生きていく。

 愛される奇跡が……私を待っていた。


 作られた恋物語。

 それでも私は、彼と一緒に生きていく。私には彼しかいないのだから。

 だから、ちゃんと伝えなきゃ。


「愛してください、ずっと……私だけを」

「君は、僕を」


 まっすぐに麻斗さんを見つめた。早まる鼓動と私を弾かせるときめき。

 見られることが恥ずかしい。


 だから……目を閉じよう。 

 逃げられないなら、暗闇を味方にする。


 頬をなぞる麻斗さんの手。ゆっくりと、触れ撫でて……


「愛している。僕の……ひかり」


 甘く優しい声が、私の心を貫いた。









 どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。


 首筋へと流れた温かい唇。

 体を熱くさせる彼の感触。

 

 はだけたドレスの胸元が甘美なひと時を思いださせる。客として用意された最後の料理。その味を……思

 いだせないほどに。

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