第11話

 私が話すことが正しいのかはわからない。

 だけど今、翔琉君に言えること。少しずつ話していかなくちゃ。


「翔琉君。このドレス、私に似合ってる?」

「は?」


 予想外の問いかけだったのか、翔琉君は口を開いたまま私を見つめている。

 ドレスなんて着たくない。

 たぶん、翔琉君は私が考えてることに気づいてる。今もそう言われると思ってたのかな。


「着ろって言ったのは翔琉君でしょ? どう思ってるか教えてくれてもいいのに」

「似合わなきゃ着せないよ。母さ……僕の宝物なんだから」


 ふてくされた声と赤くなっていく顔。

 気まずさをごまかすように眼鏡をかけ『まったく』と呟いた。


「なんで僕に聞くのさ。麻斗に聞けばいいのに」

「麻斗さんは似合うって言ってくれたの。翔琉君のお父さんが……消える前に」

「父さんじゃない、あの人は」

「お父さんだよ。彼がいたから翔琉君はここにいる。お母さんと同じくらい、翔琉君はお父さんが大好きなの」

「違うっ‼︎」


 声を荒げた翔琉君を紗羅ちゃんが見つめている。翔琉君に伸ばそうとして握られた手。


「まいったな。言いたいことを言えって……言ったの僕だったんだ」


 助けを求めるように、翔琉君の目が紫音さんに流れていく。何も言わず微笑む紫音さん。安心したように翔琉君はうなずいた。


「他に言いたいことは? あの人のことは、何を言われても変わらないよ。あの人を……父さんとだとは思えない。思いたくないんだ」


 翔琉君を前に願う。

 来栖麻斗。

 いつかは彼をお父さんだと思える時が来ることを。叶わなくても、願うことは自由なんだから。


「言いたいことはいっぱいあるの。最初に言いたいのは、翔琉君のお母さんにはなれないってこと」


 表情を変えず、翔琉君は私を見つめている。

 眼鏡の奥に見える、琉架にそっくりな目が寂しげな光を宿す。叶わない夢を前に、翔琉君が何を考えてるかはわからない。

 だけどこれが私の本当。

 誰かの母親を演じるなんて絶対に嫌。


「翔琉君は私を憎む? 憎んで、消滅させる?」

「……させないよ。ドレスが似合うのはひかりしかいないんだから。それにひかりと麻斗を消しちゃったら、新しい遊びを探すことになる」

「私はここに来て、翔琉君から逃げることだけを考えてた。ずっと、支配されたままは嫌だから」

「わかってたよ。ひかりが僕を……怖がってたことは」


 それでも、支配することしか出来なかった。愛情も優しさも知らなかった男の子。屋敷の主人を演じ、支配することでしか自分を見せることが出来ずにいたんだ。


「翔琉君、私がやりたいことをさせてほしいの。ドレスを着ないとは言わない。でも着たい服を着させてほしいし、食べたいものを食べさせてほしい。和食のご飯、すごく美味しいんだから。それに……たまには帰らせてほしいの。私の家に」

「言っただろ? ひかりは人間ひとではなくなった。僕と同化した体は、光に照らされたら消滅する。帰ったとしても、家族の誰にも気づかれない」

「話せなくてもいい……みんなに会いたいよ」


 残酷なことだとわかってる。

 家族を夢見た翔琉君を前に、家族に会いたいと言うことが。

 それでも会いたいし帰りたい。

 誕生日にもらえるはずだったプレゼント。お父さんが喜んでくれた手作りのおつまみや、これからも食べられるはずだったお母さんの料理。眠る前の習慣だったはるかとのお喋り。

 戻れなくても感じたい。

 家族と過ごした幸せな日々を。

 友達がいなかった私の、かけがえのない宝物だから。


「翔琉君」

「ひかりの好きにすれば? ……帰ってくるなら別にいいよ。ここから」


 途切れた声と動く唇。


 ——逃げないなら、それでいいよ。


「それとね」

「まだあるの? ひかりはよくばりなんだな」


 翔琉君の呆れた声に揚羽さんの笑い声が続く。揚羽さんが指を鳴らし、紗羅ちゃんのまわりを舞いだしたマシュマロとクッキー。


「ちょっと、私を太らせたいの?」

「まだ話が続くようだからね、君に騒がれる訳にはいかないんだ」

「わっ私がいつ騒いで」

「おっといけない。宙を舞わせたら、君が大声を出してしまう」


 ゆっくりと落ちていくマシュマロとクッキー。紗羅ちゃんは頬を膨らませながらひとつひとつを受け取っていく。


「ずっとここにいるなら、私はもうお客様じゃないと思うの。だから……その、仕事をさせてほしいんだけど」

「仕事? ひかりが?」


 紫音さんと顔を見合わせ翔琉君は黙り込む。


「なんでもいいの。アルバイトの経験もないし、何に向いてるかわからないけど。掃除なら、みんなに迷惑かけないかも」

「さっき、和食がどうとか言ってたよね? ひかりは料理が作れるの?」

「それは、少しだけなら」

「なら、厨房に配属だね。食事を作るのを許可するよ」

「食事?」

「興味が湧いたんだ。和食というものがどんな味なのか。美味しいものを作ってよね? 不味かったら即クビだよ」


 もしかして、叶えるつもりなのかな。

 母親の味を楽しむことを。

 これは翔琉君には絶対に聞けない。『違う』ってごまかすに決まってる。ムキになって大声を上げながら。揚羽さんが言うとおり、翔琉君はお子様なんだ。


「ひかりのせいで闇の散策が遅くなっちゃった。揚羽はどうする? 僕は行ってくるけど」

「お子様のお望みどおり、お供しようかな」

「お子様じゃないって言ってるのに。紗羅、ひかりを食堂に案内してよ」


 紗羅ちゃんの手から取ったクッキーを美味しそうに食べる翔琉君。1枚、また1枚とクッキーが消えていく。この子が化け物だなんて誰が想像出来るだろう。人間を喰らい、甘いものも好む化け物なんて。


「なるほど、揚羽にしては上出来だ。合格」

「翔琉様? お気に入り……キャンディとチョコレートって」

「違う、僕のお気に入りはマシュマロとクッキー」


 翔琉君の返答に、紗羅ちゃんの顔が赤くなっていく。可愛らしい顔に浮かぶ揚羽さんへの怒り。


「私を騙したの!?」

「僕の生きがいは、可愛い女の子を振り回すこと」


 翔琉君と肩を並べ、闇に溶け消えた揚羽さんの赤と黒の服。訪れた静けさの中、紗羅ちゃんがマシュマロを食べだした。


「ごめんなさい、紫音さん。私、翔琉君を傷つけることを」

「何がですか? 翔琉坊っちゃまは楽しそうでしたが」


 銀縁眼鏡をかけ直し、紫音さんは私に微笑む。


「少しだけは、成長されたかもしれませんね」

「紫音さん、知ってたんですか? 翔琉くんの夢」

「僕は執事ですからね。屋敷のことはすべて把握してるつもりです。しかし、貴女が客人ではなくなったとなると」


 紫音さんの目が紗羅ちゃんに流れていく。紗羅ちゃんの顔が勝ち誇ったようにキラキラと輝いた。


「私にいばれなくなっちゃうね、紫音も楽しく働けばいいのに」

「君のような能天気になるつもりはありません。が、親睦を深める必要はありそうですね。翔琉坊っちゃまに許可を頂きましょう、貴女の召使いとしての歓迎会を」

「紫音にしてはいい考えね‼︎ そうだ、食堂に急がなきゃ。行こう、ひかり様……じゃなかった。ひかりさん!!」


 私の腕を掴み、紗羅ちゃんはにっこりと笑う。紗羅ちゃんを包むほのかな甘い匂い。翔琉君と話せてご機嫌みたい。


「よかったね、紗羅ちゃん」

「うん? 何が?」

「翔琉君との距離が……もがっ‼︎」


 口を塞がれて思いだした。

 紗羅ちゃんの翔琉君への想い、内緒だったんだっけ。みんなにバレてるかもしれない。それでも、そういう約束だったんだ。


「もう、油断も隙もないんだからっ‼︎」

「ごめん、気をつけるね」


 振り向いて見えたのは、部屋の中を歩きながら見回してる紫音さん。聞こえないフリをしてるんだよね。だって紫音さんは屋敷のことすべて把握してるんだから。きっと、紗羅ちゃんの想いも温かく見守っている。

 そうだ、私ってばミルクティーを飲んでなかった。紫音さんが上手くごまかしてくれるかな。


「どうしよう。麻斗様、もう食べ終えちゃったんじゃ」

「大丈夫、待っててくれてると思う」

「かなり時間が経ってるよ?」

「それでも、待っててくれてる。そんな気がするの」


 ドアを開けるなりキリエさんと目が合った。

 私を見るなりぐらぐらと揺れだした体。


「おおおっ‼︎ お客様っ‼︎ ぶぶっ、無事で‼︎ ご無事でしたか〜〜っ‼︎」


 今にも倒れそうなキリエさんの手が、がっしりと肩を掴んできた。私も揺れてるけど大丈夫かな? キリエさんと一緒に倒れはしないよね?


「もうっ‼︎ キリエったら、何やってんのよ‼︎」


 紗羅ちゃんがキリエさんのおでこを叩く。見開かれた大きな目とピタリと止まった体の揺れ。どうやら紗羅ちゃんは、キリエさんを落ち着かせる技を身につけてるみたい。


「あのね、キリエ。ひかりさんは私達と一緒に働くことになったの。先輩として、しっかりしてくれなきゃ私が困るんだから‼︎」

「せせっ、先輩ぃ⁉︎ そそそっ、そんなことが私につつ、つとっ……務まるとは‼︎ ああっ‼︎」


 揺れだしたキリエさんのおでこを、苛立たしげに紗羅ちゃんは叩く。ぴしゃんっと乾いた音に続いた『もうっ‼︎』という紗羅ちゃんの呆れた声。

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