第10話

 私の初恋は小学生の時。

 相手は違うクラスの男の子。名前はわからなかったけど、お昼休みになると教室に入ってきて男の子達と話してた。お弁当を食べる私の横を通りすぎて男の子達の輪に入っていく。

 意識するきっかけになったのは厚焼き卵を食べようとした時。男の子が『それ、美味そう』と話しかけてきた。声をかけられると思ってなくて、男の子を見ただけで返事が出来なかった私。だけど男の子は怒りもせず『ごめん、びっくりさせて』と笑ってくれた。

 その日から決めていた、話しかけられたらちゃんと返事して笑ってみようって。だけど話しかけてもらえないまま、日々は過ぎて迎えた卒業式。


 木瀬正樹君は中学生の時、隣の席にいた男の子。

 何度か話が出来ただけで、木瀬君のことが好きだったかどうかはわからない。好きだったとしても、自分に都合のいい言い訳を並べて、実りはしない恋を遠ざけていた。

 私には必ず出会える人がいる。

 私だけを愛してくれる運命の人がいるんだって。


「想像出来るか? 君の願いがどんな形で叶ったのかを」


 揚羽さんの問いかけが連想させるのは、私の願いが叶うことと引き換えに、誰かが化け物の力で殺されること。

 化け物は人を喰い殺す。だから喰われた私と出会う人もきっと、なんらかの形で命を奪われることになる。私が願うままに……偽りの想いを持たされて。

 揚羽さんが翔琉君の夢を叶えていたら。

 私が琉架の代わりに選ばれていなければ、命を奪われたのは男の子と木瀬君のどちらだったのか。あるいは、私が知らない誰かが……


「たぶん、誰かの命が奪われて……私と」

「そう、翔琉は君のために誰かの運命を変えてしまっていた。君にとっては不条理なことばかりだ。喰い殺されたばかりか、望まぬ出会いを強いられお子様の夢物語に担ぎ出されたのだから」


 揚羽さんの手の上に現れた1羽の白い鳥。ティーカップを手に笑みを浮かべる紗羅ちゃんと、閉められたままのカーテン。


「不条理な運命を強いられ、翻弄されているのは僕も翔琉も同じだ。それだけはわかってくれるだろうか」


 羽ばたいてすぐ粉々になった鳥。握られた揚羽さんの手から赤い砂が溢れ落ちた。


「少しだけでいい、翔琉をわかってやってほしい。ここから逃げようとするのは君の自由だ。それでも」


 ティーカップを手に紗羅ちゃんが近づいてきた。揚羽さんの前に立ち息を吸い込む。


「まだ話は終わらないの?」

「もう少しだけ、飲み終えたのか召使いさん」


 揚羽さんは笑みを浮かべ指を鳴らした。

 軽やかな音を立てるティーカップと『あっ』と目を丸くした紗羅ちゃん。ティーカップの中、見せられたのは色とりどりのキャンディとチョコレート。


「味は保証付きだ。毒は入れてない」

「わっ私をお菓子で釣ろうなんて」

「翔琉の秘密を教えてやろう、好きなお菓子はキャンディとチョコレート」


 ティーカップから飛び出して、宙を舞いだしたキャンディとチョコレート。紗羅ちゃんは悲鳴を上げながら、ひとつひとつを追いかけていく。


「君は考えたことがあるか? 翔琉という名前の意味を」

「意味?」

「自分に欠けているものは愛情と優しさ。だから。もうひとつの意味は何かに。執事や召使い達……彼らを作りだしたのはひとつの賭けだった。彼らと過ごすことで、愛情と優しさを手に入れる。夢を叶えずに、得られる幸せがあると信じようとしたんだ。だが家族への憧れと母親への想い、それは衝動となって翔琉を苦しめてきた」


 名前の意味……衝動。

 そんなこと考えもしなかった。

 私が見ていた翔琉君は、強気で自分勝手な男の子。ひとりを恐れてたのは、家族への憧れと琉架への想いに潰されそうだったから?


「揚羽さん。そんなこと……どうして私に話すんですか?」

「君ならわかってくれる、そんな気がしてね」

「無理です、私は帰る場所を奪われたんですよ? 家族にはもう会えない。それに闇の中でしか生きられなくなった……なのに」


 眩しい陽射しや夕焼け空が恋しい。

 憂鬱な雨の日も、雪が降った日も。


 ひとりきりの通学やはるかと歩いた街の中。

 楽しさも嬉しさも感じられなかった出来事。


 何もかもが、夢のように遠のいてしまった。

 変化がない、闇の世界に閉じ込められたのは翔琉君のせいなのに。


「翔琉が君を、待ってたとしたら?」

「……私を?」


 揚羽さんの手の上に現れた小さなぬいぐるみ。

 真っ白な毛と首に巻かれた青いリボン。可愛らしい姿が手の上でくるくると回っている。


「君が落としたぬいぐるみを翔琉は飲み込んだ。来栖琉架が持っていたものにそっくりだったもの。何度聞かされただろう『母さんに近づけた気がする』と。似ていたものを母親に結びつけるとは」


 揚羽さんの苦笑いに紗羅ちゃんが振り向いた。紗羅ちゃんの手に乗ったキャンディとチョコレート。『よかったね』と声をかけると、紗羅ちゃんはにっこりと笑った。


「ぬいぐるみの持ち主を翔琉は待ち続けた。母親を演じてほしいと思ったひとりだけの君を。ああ見えて翔琉は臆病でね、屋敷があった場所、公園から出ることを怖がっている。だから君を待つしかなかったんだ」


 まさか……私を待ってたって本当に?

 こんなこと信じられっこない。だけど揚羽さんの話、麻斗さんと琉架のことは本当だった。


「翔琉君が怖がってるのは、琉架……母親がいた場所から離れることですか?」

「それもあるかもしれないが」


 ぬいぐるみが破れ散っていく。

 幻だとわかってても悲しいな。大切だったものが、壊れてしまうのは……悲しい。


「僕達と同じ者。人間界や闇に潜み隠れる者達。翔琉は彼らを恐れてるのさ」


 漆黒の化け物が生みだした者。

 それは、揚羽さんと翔琉君だけじゃない。翔琉君が彼らを恐れてるってどうして?


「どうやら、お子様がやって来たようだ」


 揚羽さんの声に続いたドアを開ける音。

 翔琉君と紫音さんが立っている。眼鏡を外した琉架に似た顔と、紗羅ちゃんを見る紫音さんの呆れたような顔。


「紗羅、持っているものはなんですか?」

「何って……あっ‼︎」


 紗羅ちゃんの手から滑り落ちたチョコレート。慌てる紗羅ちゃんを前に紫音さんの口からため息が漏れる。


「君はまた」

「紫音、たぶん揚羽が渡したものだ。紗羅を叱らなくていいよ。……ひかり、食事の準備が出来たみたいだ。揚羽は僕と闇の散策へ」

「僕の食事はないのか、つれないお子様だ」


 揚羽さんに答えず、翔琉君が近づいてきた。


「ひかり、僕が憎いか?」


 翔琉君の問いかけを前に思う。

 喰われ、帰る場所を無くした私。

 訳がわからないままこの世界に閉じ込められて、翔琉君に言われるまま過ごしてきた。

 どうしていいかわからない中、感じてたのは歯痒さや戸惑い、苛立ちや疑問。出会った人達と過ごす中、誰かを憎んだことはなかった。


 目の前にいるのは、私を喰った化け物。


 憎めば楽になるだろうか。

 憎しみを言葉に込めて投げだしたなら。やいばを振りかざし、体を切り裂けば無くしたものを取り戻せる?

 帰る場所も、ありきたりな毎日も。


「黙ってたらわかんないよ、言いたいことがあるなら言えば?」


 言いたいことはいっぱいある。

 母親役なんて絶対に嫌。

 ドレスじゃなくて着たい服が着たい。パンプスより履き慣れた靴がいい。青い空や夕焼け空が見たいし、和食が恋しくなってきた。

 馬鹿だな私。

 母親役はともかく、言いたいことっていうよりただの願望だ。この世界で叶いっこないことなのに。


「ひかり? 僕が黙れって言ったから黙ってるの?」

「え?」


 思わぬことを言われ声が漏れた。


 ——うるさいな、黙れっ‼︎


 地下室で翔琉君が私に投げた言葉。

 今はあの時とは状況が違う。

 言われたことに対して、考えを巡らせてただけなのに。


「ご主人様から命令する。喋りなよ、ひかり」


 『ククッ』っと揚羽さんが笑う声が響く。

 紗羅ちゃんが揚羽さんを睨んだのは、翔琉君が笑われたと思ったからかな。 

 ご主人様と飼い犬。揚羽さんには、翔琉君と私がそう見えただけだと思うけど。

 このタイミングで話しだすの、気まずいけどしょうがない。


「私は……ドレスなんて」


 ——そのドレス、君によく似合っている。


 来栖麻斗の声が私の中を巡る。

 地下室で、消える前に言ってくれたこと。

 私にドレスが似合うなんて思えない。華やかな化粧もアクセサリーも、魅力を引きだしてくれるもの全部……私には合わないもの。

 何をがんばったって報われなかった。願いが叶えられなければ、運命の人にだって会えたかわからない。


 私には……なんの価値もないんだから。


 だけど彼は似合ってると言ってくれた。本当のことしか言わない、そう言ってくれたことが嘘だったとしても。


「ひかり? ドレスが何?」



 翔琉君の問いかけを前に頭の中で整理する。

 私が言いたいこと。

 今……言うべきことを。

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