第15話

 翔琉君が持つ化け物の体。

 ひとつだけの目が意味するもの、それは翔琉君の精一杯の抵抗だった。


「漆黒の化け物が翔琉に与えたものはふたつ。ひとつは憎しみを糧に人間を喰らう化け物の体。もうひとつは思いのまま、世界を作りだせる力だ。翔琉の思念と命を源に叶えられるもの。もうひとつのものは、漆黒の化け物の親心のようなものだろう。翔琉の抵抗を読み取って与えたものだからね」

「揚羽さんにも化け物の体が?」

「僕に与えられたのはこの姿と力だけだ。僕の死んだ体は、血塗れになっただけで何も失われてはいなかったから。僕の力は人間を惑わし、騙すために与えられたもの。僕の精一杯の抵抗は、人の運命を闇から解放すること。見下し、あざけることを演じながらね」


 紗羅ちゃんに歩み寄る揚羽さんのうしろ姿。

 知らない光景が揚羽さんを包み込む。


 どこかのライブハウス、客席の歓声を前にギターを弾く姿。金色の髪と光を弾く黒い衣装。

 男と女どちらかはわからない。メンバーに囲まれ、しなやかにステージを駆ける姿と艶やかな化粧。

 揚羽さんが生きていた過去の姿。こっそりと、私にだけ見せてくれたもの。


「待たせて悪かったね。話は終わったよ、召使いさん」

「なんであんたが呼びに来るのよ、もうっ」

「可愛い女の子をエスコートしたくてね」

「その軽口、なんかムカつくんだけど」


 駆け寄ってくる紗羅ちゃんと『ククッ』と笑った揚羽さん。近づいてくる彼の金色の目は、黄昏時の空を思わせる。


「さぁ、行くとしよう。君達を待つ闇の世界へ」


 ぴくりと、私の体が揺れた。


「揚羽さん、今……言ったこと」


 問いかけを前に、艶やかな唇が笑みを描く。


 ——君達を待つ闇の世界へ。


 私……今の言葉を知ってる。

 いつからか耳にしていたロックバンドの歌。繰り返し聴いたフレーズ。

 お母さんに聞いたことがある。私が産まれる前に活躍していたロックバンド。バンドの名前はわからないけど、ギタリストの子供好きはファンの間では有名だったらしい。

 婚約者との結婚を前に事故に遭って死んだ。

 ボールを追いかけ、道に飛びだした男の子を助けようとして。ギタリストの名前は確か……アゲハ。


「もしかして、歌の」


 問いかけを遮るように、細い指が私の唇に触れた。


「過去は過去、今は今だ。そうだろう? 三嶋ひかりさん」


 揚羽さんは仮面を被り扉を指差した。

 扉の前に紗羅ちゃんが立っている。背中を押されるまま扉に近づいた。


「扉を開けてくれるかな? 召使いさん」

「言われなくても開けるもん。ひかりさん、行こっ‼︎」


 開けられた扉の前に見えるのは、闇の中敷地を照らすいくつかの灯り。光に照らされたら消滅する、翔琉君はそう言ってたけど、外に出て大丈夫なのかな。


「揚羽さん、灯りが」

「心配しなくていい。あれは屋敷の中のものと同じ、翔琉が作りだしたものだから。僕達を消滅させるのは、人が作りだした光と太陽」


 太陽が天敵なんて、なんだか吸血鬼みたい。


 揚羽さんを追い、紗羅ちゃんと並んで歩く。灯りに照らされた私達と闇の中に浮かび見える門。門を出たら闇を媒介に元の世界に帰れる。

 この世界に来る前に感じていた夏の暑さ。日記代わりのメモが正確なら、今は冬が近づきだした頃だ。

 見慣れていた景色はどれだけ変わってるだろう。


 門の前で足を止め、揚羽さんが振り向いた。微かな光を浴びて輝く銀色の仮面。


「君はどうしたい? すぐに行くか、散策を楽しみながら家に行くか」

「少しだけ、外を歩きたいです」

「わかった」


 揚羽さんが指を鳴らし、門が重い音を立てて開いていく。

 闇の中見えだした空に浮かぶ月と星。住宅地を照らす外灯と家の明かり。こうして見ると夜の中にも光っていっぱいあるんだな。光に照らされないよう気をつけなくちゃ。月と星の光が、優しいことに安心する。

 門から出てゆっくりと歩きだした。


「綺麗……月とお星様」


 空を見上げ、紗羅ちゃんが笑った。


「紫音から聞いてたんだ。人間界で見れる夜空のこと。満月や三日月、キラキラと輝くいっぱいの星」

「紗羅ちゃん、紫音さんと話すんだね」

「喧嘩してる訳じゃないもの。私達は仕事のことで気が合わないだけだしね。紫音は物知りでいろんなことを教えてくれるの。物知りのくせに箸の使い方を知らなかったなんて……変なの」


 クスクスと笑う紗羅ちゃんのそばで思いだす。

 はるかは好きな人のことを面白そうに話してたっけ。つきあいだしてから知った意外な一面や……あとはなんだったかな。

 羨ましい、そう思うだけでちゃんと聞いてなかった。


「あのね、紫音と莉亜だけは双子をイメージして作られたんだ。あのふたりそっくりでしょ?」


 ふたりの銀色の髪と知的さを感じさせる姿。雰囲気が似てると思ってたけどそうだったんだ。


「私とキリエ、厨房で働くみんなとは違う。だからずっと紫音と莉亜が羨ましかったんだ。私も家族と呼べる誰かがほしかったって。私が紫音に反抗しちゃうのは妬みなんだと思う。……だけど紫音は、私の気持ちをわかってくれてるんだ。そんな気がする」

「お兄さんとして、叱ることは叱ってくれる」

「うん。ねぇひかりさん、家がいっぱいだね。人間界には、数えきれない繋がりがあるんだ」


 紗羅ちゃんの弾む声が闇の中に響く。

 見上げた空、私達を包む冷たい風。メイド服は長袖だけど肌寒い。私達の前で揚羽さんはガタガタと体を震わせている。


「風が冷たいな。君達は大丈夫か?」

「これくらいなんでもない。そんなんで護衛が務まるの?」

「なかなか、手厳しい召使い様だ」


 煌々と光を放つ自販機。そばにいる1匹の黒猫が『ニャァ〜』と可愛らしく鳴いた。


「あれって猫だよね? 紫音から聞いたことがある。どこかにワンちゃんいないかな? ほかに教えてもらったのはうさぎや鳥。それから……なんだったけ」


 紗羅ちゃんが黙り込み訪れた静けさ。

 光に気をつけながら歩く住宅地。

 人通りがない道と明かりが消えた家の多さ。今は真夜中なんだ。


「さて、君の家はどこにあるのかな?」

「もうすぐです、あの角を曲がって3軒目」


 家に近づく中、私の中を巡りだした緊張と胸騒ぎ。

 家に行くのが怖い。たぶん、黒神夢衣のことを考えてるからだ。

 揚羽さんと紗羅ちゃんがそばにいてくれる。それがすごく心強い。


 足音だけが響く闇。

 生きている人達には、私達の足音は聞こえるのかな。闇の中から響く、何者のものとはわからない音として。


 もうすぐ角を曲がる。

 高まる緊張と込み上げてくる怖さ。  


「ひかりさん」


 足を止め見えた紗羅ちゃんの笑顔。大きな目に宿る優しい光。


「楽しいお話、お土産に持って帰ろうね」


 紗羅ちゃんの髪を風が揺らす。

 冷たいはずの風が、体を温めるのはなんでだろう。


「みんなが待ってるよ、ひかりさんの帰りを」


 翔琉君と同じ背の可愛い女の子。それなのに、私よりもずっと大人な女の子。私を友達だって言ってくれた最高の女の子。


「ありがとう、紗羅ちゃん。……走ろっか」

「うんっ‼︎」


 手を繋いで、一緒に駆けだした。

 角を曲がって、たどり着いた私の家。

 帰ってきたんだ……本当に。

 戸が閉められた窓、開けられたままの柵と静けさに包まれた2階建ての家。


「驚いたな、いきなり走りだすなんて。ここが君の家か」


 近づいてきた揚羽さんが家を見上げる。


「闇の中では、屋根も壁も色がわからないな」


 家に近づこうとした時だった。

 ドアが開き見えた人影。


「お母さんだ」


 家の中から漏れる明かりがお母さんを照らす。ドアを開けたまま外を見回している。冷たい風の中、パジャマで体を震わせながら。

 お母さん……少し痩せちゃった。


「どうしたんだ、紗子さえこ


 お父さんが駆け寄って、お母さんにカーディガンを羽織らせた。


「ひかりが帰ってきた気がしたの。それで外を見たんだけど」


 うん、お母さん。

 帰ってきたんだよ。そばに行けない、ただいまって言えないけど、私はここにいるよ。


「ごめんなさいあなた。寝室に戻りましょう」

「お茶を飲んで落ち着こう。今、お湯を沸かすよ」

「夢を見たのかしら。ずっと……ひかりのことを考えてるから」


 私のこと考えててくれた。

 ごめんね、何があったのかを伝えられなくて。ごめんね、悲しませたまま……私は幸せを手に入れていた。


「ひかりの捜索は続いている。知らせを待とう。信じるんだ、ひかりが帰ってくるのを」


 うなづいたお母さんが、ドアを閉め鍵をかける音が響いた。

 捜索か、沢山の人達に迷惑をかけてるんだ。

 悲しませて、苦しませて、それだけじゃなかったなんて。


「ひかりさん、大丈夫?」

「ごめん、紗羅ちゃん。……わかってたはずなのにね、家族が悲しんでることも、帰りを待ってくれてることも。なのに帰れるのを喜んでたなんて」


 心が軋む音を立てて、体から力を奪っていく。

 お父さんの声から感じ取った疲れ。

 私はまた、何も出来ないままだ。


「どうする? ここで戻るか? 闇の世界に」

「はるかを見てないんです。もう少しいさせてください。みんなが……眠るのを待ちたいんです」


 何も出来ない。

 それでもここにいたいって思う。

 会いたいって思うんだ。

 


 みんなの……今が知りたい。

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