第16話

 冷たい風の中、闇の中で家を見ている。

 お父さんとお母さん、そろそろ寝室に行ったかな。はるか……ちゃんと眠れてるといいんだけど。

 沈黙に包まれた家。

 夜空を見上げ、息を吸い込んだ。


「揚羽さん、紗羅ちゃん。そろそろ行ってみます」


 家に向かい、歩きだした私と追ってくるふたりの足音。 


 悲しませ、苦しめている。

 迷惑をかけてしまった沢山の人達。

 このままでいいはずがない。

 今……私に出来ることは。


 ——僕の力は、人間を惑わし騙すために与えられたもの。

 

 私はひとりじゃ何も出来ない。今も揚羽さんを頼ろうとしてる。頼ることが、許されるなら……


「揚羽さん、お願いがあるんです。聞いてくれますか?」

「慰めてほしいのか? それは僕の役目ではないが」

「家族に伝えてほしいんです、私は死んでいるのだと。生きて……帰ることはないんだって」


『暗示か』という揚羽さんの呟きと、紗羅ちゃんの息を飲む音が重なった。


「揚羽さん言ってましたよね。人の運命を闇から解放するって。私の家族も」

「それで、彼らの悲しみを遠ざけられるのか?」


 ドアに触れた手がすり抜ける。

 何度触れてもすり抜けて掴むことが出来ない。私の体は、元の世界では幽体でしかないんだ。美夜ちゃんと透君、公園で出会った子供達と同じ……亡霊になった。


「君の死と引き換えに、彼らは忘れられるのかい? 君を待ち続けた日々を」

「いいえ、だけどこのままじゃ」


 悲しませたままは嫌だ。

 苦しませたままは嫌だ。


 私がいなくなった世界でも、私の思い出が一緒に生きていけるなら。


 離れていても出来ることがある。

 みんなの幸せを願うこと。


 どうか、幸せになって。

 時々、会いに来るから。


 私が見えなくても、一緒に……笑っていたいから。


「私の死を受け入れて、進める未来があるから。新しい幸せがあると信じられる。……だから」


 闇の中、月の光が仮面を輝かせた。

 仮面の中、揚羽さんはどんな顔で私を見てるだろう。ひとつだけわかることは、金色の目が宿す温かな光。


「彼らを解放しよう、君を待ち続けた地獄の底から。そして願おう、日々の果てにある……彼らの幸せを」


 揚羽さんが指を鳴らし、ゆっくりとドアが開いていく。明かりが消えた家の中、見えるのは……闇。


「閉じられたもの、すべて開け放った。どの部屋にも入っていける。好きなだけ見て回ればいい」

「カッコつけてる場合じゃないでしょ? 明かりがなきゃ何も見えないじゃない」

「まったく、手厳しい召使い様だ」


 揚羽さんの手の上に現れたふたつのランプ。薄青色の光が揺らめいている。

 紗羅ちゃんが手を伸ばすより早く、揚羽さんは私に差し出してきた。


「すまない、眩しい光では彼らを起こしかねない。眠っている時にしか、暗示をかけることが出来ないんだ」

「あの、私がいなくなったこと」


 出来れば知られたくない。

 化け物に喰い殺され、体が無くなったなんて。

 与えてくれたものは何よりも大切だった。傷つけちゃったこと、ずっと……謝れないんだな。


 ふたりが私の

 お父さんとお母さんでよかった。


 私はふたりの

 娘として生きられて本当によかった。


 大好きな、お父さんとお母さん。


「理由は……知られたくないです」


 勝手なことを言ってるってわかってる。

 理由を語らずに、私の死をどう知らせようというのか。それでももう悲しませるのは嫌。私のことで苦しんでほしくない。

 だから……どうか。


「期待に添えるかはわからないが。やれるだけのことはやってみよう。ヘマをしたら、お子様から雷が落ちかねない」


 揚羽さんの手が、私達を家の中へと導く。


「妹に会うのだろう? 僕は両親に、暗示をかけたあと君達に合流する。さぁ、行こう」


 紗羅ちゃんに手を引かれるまま家に入った。

 ゆっくりと歩く中、薄青色の光が照らすものが変わっていく。傘立てと下駄箱、台所や洗面所への入口、居間と隣り合わせの和室。そして、2階へと続く階段。


「はるかと私の部屋は2階なの。私の部屋……今はどうなってるのかな」

「ひかりさんの部屋、見させてもらってもいいんだよね」

「うん、でも怖い気がするの。私がいなくなったあとどうなってるのか。あっ揚羽さん、両親の部屋は」

「僕に案内は不要だ」


 光の中、揚羽さんの服が浮かぶように照らされて消えた。


「もう、いきなり消えちゃうなんて。ひかりさん、なんとかなんないのかな。あの人の神出鬼没っぷり」


 紗羅ちゃんのぼやきを聞きながら階段を昇る。


「突然現れて私や翔琉様を子供扱い。姿は子供でも私は召使い、翔琉様はご主人様なのに」

「でも優しいよ。優しくて……不思議な人」

「まぁ、優しいのはわかるけどね。あの人は不思議じゃなくてヘンテコっていうの」

「紗羅ちゃん、近くで揚羽さんが聞いてるかも」

「まっまさか‼︎ そんな」


 足を止めて訪れた沈黙。

 静けさに包まれた闇の中、聞こえるのは私達の息遣いだけ。


「もう、ひかりさんたら」


 紗羅ちゃんが持つランプが揺れている。紗羅ちゃん震えてるのかな。手元を見ると、私のランプも揺れている。震えてるのは私も同じだ。


 震えを呼ぶのは寒さじゃない。

 私達を包み込む闇だ。


 光が照らすもの以外見えるものがない。住んでいた頃に、眠る前に見慣れていたはずの闇。

 なのに怖い。

 怖くて……たまらない。


「行こう、ひかりさん。妹さんに会うんでしょ?」


 紗羅ちゃんにうながされ階段を昇る。

 はるかがいる部屋を目指して。


 昇りきり、ランプが照らしたのはドアが開かれたいくつかの部屋。揚羽さんが開けてくれなければ、どの部屋にも入ることは出来なかった。


「妹さんの部屋はどこ?」

「あの部屋、右にあるのが私の部屋なの」

「静かだね、静かすぎて怖い。あの人、肝心な時にいな」


 紗羅ちゃんの声が途切れたのはたぶん、揚羽さんがいない理由を思いだしたから。

 お父さんとお母さんに暗示をかけている。私が死んだのだと告げるために。ふたりの次は、はるかに暗示をかけてくれる。


「行こう、紗羅ちゃん。帰ったら一緒にお茶を飲むの。翔琉君に淹れてもらおうか、ミルクティーを」


 光が紗羅ちゃんを照らす。

 嬉しそうな笑顔。


「淹れてくれたらいいな。うん、きっと淹れてくれるね。この頃の翔琉様、楽しそうだもん」


 帰ったら、みんなで飲もう。

 淹れたてのあったかいミルクティーを。麻斗さんがそばにいて、みんなが話を聞いてくれる。


 向かうのは私とはるかの部屋。

 不思議だな。しばらくいなかっただけで、自分の居場所だったのが嘘みたいな感覚。

 思い出になってしまった過去。

 2度と取り戻せない家族との日々。


「入っていい? ひかりさん」

「いいよ」


 紗羅ちゃんを追って入った部屋。

 私がいなくなる前と少しも変わっていない。ずっと、私の帰りを待ってくれていた。

 閉められたままのカーテンと、お気に入りだった陶器の小物入れ。

 ガラスのキャンディポットに詰まった色とりどりのキャンディ。たぶん、はるかが詰めてくれたものだ。私がいなくなる前、入ってたキャンディは少しだけだったから。私の居場所を守ってくれて……ありがとう。


「はるかに会わなきゃ。紗羅ちゃん、びっくりするかな」

「どうして?」

「私と全然似てないから。姉妹だなんて、言われなきゃわからないと思う」


 部屋から出て見えた開かれたドア。

 はるかがいる。

 お母さんみたいに痩せてなければいいんだけど。


 ランプを持つ手に力が篭る。

 ゆっくりと近づいて入った部屋。


 はるか……帰ってきたよ。

 何も、残せるものがなくてごめんね。


 静けさと闇の中、はるかの寝息が聞こえる。

 ゆっくりと近づいたベッド、はるかの枕元に見えた1冊の雑誌。


「そうだ、料理の本」


 お母さんが持っているのを見せてもらうつもりだった。だけど掴むことが出来なかったドア。こんなんじゃ、本もめくり見ることも出来ない。麻斗さんのお気に入りを見つけられないな。


「可愛いものがいっぱいだね」


 紗羅ちゃんの嬉しそうな声が響く。

 はるかは大の可愛いもの好き。小物と文房具はお気に入りのキャラクター。部屋に並ぶぬいぐるみは、パステルカラーのふんわりしたものばかり。私がいなくなったあと、新しいものは置かれてるのかな。


 紗羅ちゃんに近づいて、ランプでぬいぐるみを照らしていく。ぬいぐるみに伸ばし、すり抜ける私の手。それでも記憶がそうさせるのか、柔らかな温かみを感じられる。

 はるかの誕生日。私からのプレゼントは、オレンジ色のうさぎのぬいぐるみ。モコモコの毛と大きな目、プラスチックの大きな苺を持っている。


「あった、これだ」


 ぬいぐるみに触れようと手を伸ばした。


「……あれ?」


 ぬいぐるみの群れの中に見つけたもの。

 それは見覚えのない女の子の人形。 


 淡いピンク色のドレスと



 顔に巻かれた……真っ白な包帯。



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