漆黒の少女 黒神夢衣

第17話

 包帯の隙間から見える金色の髪は、外国の女の子をイメージしたものに見える。

 はるかが集めてるのはぬいぐるみだけ、人形を買って飾るなんて考えられない。誰かにもらったものだとしても、包帯が顔に巻かれてるのはどうして?


「ひかりさん? どうしたの?」

「この人形なんだけど」

「え? どこにあるの?」

「どこって……ここに」


 私が指差した先を見ながら、紗羅ちゃんは首をかしげる。


 見えてないの?

 ぬいぐるみの中にあるひとつだけの人形が。

 紗羅ちゃんは人形が何かを知らないのかな。紫音さんから聞いてても見ていなければ。たぶん、ぬいぐるみとの違いはわからない。


 手を伸ばした。

 人形に触れば紗羅ちゃんが気づいてくれる。持つことが出来なくても、すり抜けた手と一緒に見えたなら。

 指先が人形の顔をなぞって……


「……え?」


 感じ取った柔らかな温もり。

 寒い部屋の中、硬いはずの作り物。それなのに、生きてるような感触を感じ取った。

 こんなことあるはずはない。巻かれた包帯が、そう感じさせただけなんじゃ。


「ひかりさん? 何?」

「人形を紗羅ちゃんに見せたくて。触ってみたんだけど」

「ここにあるの、全部ぬいぐるみだよ? 人の形をしたものなんて」


 今……人の形って言った?


「紗羅ちゃん、人形がわかるの? どんな形をしてるのか」

「うん、色々あるよね。日本人形やフランス人形、子供達が遊ぶ、可愛い女の子の人形とか」


 私に見えてるものが、紗羅ちゃんには見えてない。

 同じ部屋にいて、同じ場所を見てるのに。


「どうして?」

「ナゼダト思ウ?」


 部屋の中、どこからか響いた声。

 ひとりの声じゃない、何人かの声が入り混じったような。


「ナゼ、会イニ来タノカ」


 会いに来たって誰?


 真夜中。

 闇に包まれた部屋。

 誰も来るはずも、いるはずもない。

 私達が来なければ、ここにいるのははるかだけなのに。


 幽体になった私が、誰にも見えるはずは……ない。


「アナタガ私ヲ呼ンデイタカラ。ダカラ私ハ、会イニ来タノヨ」


 どうして……答えが返ってくるの?

 私は何も言ってない。

 考えてただけなのに。


「教エテアゲル。私ニハワカルカラヨ、アナタガ考エテルコトガ」


 考えてることが……わかる?


 わかるってなんで?

 本当にわかるとしたら。

 それは私が、ずっと考えていた。


「黒神……」

「ひかりさん? 何? どうしたの?」

「ワカッタノ? 私ガ誰ナノカ」

「黒神……夢衣」


 顔を覆った包帯がほどけ落ちていく。包帯と一緒に剥がれ落ちる長い髪。

 見えてきた丸いものの群れ。ひとつひとつがギョロギョロと動いている。


「ソウ、私ハ……黒神夢衣」


 ぬいぐるみの群れをすり抜けて、宙に浮きだした人形。

 薄青色の光の中。

 ユラユラと揺れるピンク色のドレス。


「ひかりさん? ねぇ、どうしたの?」


 どうして紗羅ちゃんには見えないの? こんな……恐ろしいものが。


「アナタガ私ヲ呼ンデイタカラ来テアゲタノ。アナタハ闇ノ住人。化ケ物ニ喰ワレ、フタツノ記憶ヲモッテイル。ヒトツハ、地獄ニ堕チタ人ノモノ」


 私に伸ばされた手。覆っているのは、ギョロギョロと動くもの。

 ランプに照らされ輝くもの。

 これは、人の


「……目」


 バンッ‼︎


 大きな音を立てて、人形が砕け散った。

 ぬいぐるみへと舞い落ちる布のカケラ。


「マタ、会イマショウネ、三嶋ヒカリサン」


 どうして、黒神夢衣が……?

 私は、狙われないはずなのに。

 黒神夢衣が襲うのは、生きた人間だけのはずじゃ。


「どうした?」


 揚羽さんの声が私を弾く。

 紗羅ちゃんのランプが揚羽さんを照らす。仮面を外した顔が、私達を見つめている。


「揚羽さん?」

「どうした? 何があった」


 黒神夢衣の声が聞こえた。

 壊れた人形の体は、いっぱいの目に覆われていた。あれは……今、私に見えたものは、黒神夢衣の体……?


「ひかりさんが、人形が見えるって」

「人形?」

「私には見えなかったけど」

「ふむ」


 近づいてくる揚羽さんを前に息を整える。見たものを、私に起きたことを話さなきゃ。


「三嶋ひかりさん、君は」

「黒神夢衣」

「何?」

「黒神夢衣が……現れました」

 

 揚羽さんの顔が翳りを帯び、沈黙を呼びよせた闇。


 私が喰われたことも、麻斗さんの記憶を引き継いだことも見抜かれた。それに、黒神夢衣が告げたこと。

 また会いましょうと、私に言った。


 老人と子供。

 大人と赤ちゃん。

 いくつもの声が混じる気味の悪い響き。


「顔に包帯が巻かれた人形。それは……体中が、人の目玉で覆われていました」


 ギョロギョロと動く目玉、そのひとつひとつに見られた気がする。


 ——自分の体を飾りつけるためさ。


 黒神夢衣は人の体を持つことが出来ない。

 もしも、体中を目玉が覆ったものが、本当に黒神夢衣の姿だったらとしたら。


「どうして人形の姿で。揚羽さん、私に見えたものが紗羅ちゃんに見えなかったのはなぜですか? 私も紗羅ちゃんも……闇の世界の住人なのに」

「黒神夢衣が、興味を持ったのが君だけだからさ。言っただろう? 過剰な不安や恐れ、悲しみは黒神夢衣を引き寄せると」


 ——アナタガ私ヲ呼ンデイタカラ来テアゲタノ。


 ずっと、黒神夢衣のことを考えていた。私の考えが読み取られたなんて。会うはずがなかったもの、だから不安に思うことなんてなかったのに。


「悪かった。僕が黙っていれば、君が不安を感じることはなかったんだが。ずっと考えてたんだ、いつかは翔琉が恐れることを知らせるべきだったと。翔琉には理解者が必要だから……いや、僕が過保護すぎるだけか」


 頭を掻く揚羽さんの口から漏れた苦笑い。

 子供を助けようとして、命を落としてしまった過去。

 たぶん、揚羽さんは優しすぎるんだ。

 翔琉君にも誰に対しても。

 優しい人の思いは時に、思わぬ形で裏切られてしまう。それはこの世界にいた時、何度も感じて見てきたこと。


 友達がいなかった私。

 誰かに興味を持つことが怖かったし、誰にも興味を持たれないと思ってた。


 話しかけて、無視されたらどうしよう。

 何かがあって、悪く言われたら。


 1度だけ話しかけてくれた違うクラスの男の子や、何度か声をかけてくれた木瀬正樹君。私が気づかなかっただけで、気にかけてくれた人が他にいたかも知れない。


 私は自分の殻に閉じこもってた。

 勝手にひとりだと思い込んでいた。自分からひとりになろうとしてたんだ。

 ずっと気づけずにいた。

 少しだけ、勇気を出せたなら。それだけで変えていけるものがいっぱいあったのに。


「私がいけないんです。私が勝手に、殻に閉じこもってたから」

「殻? 君は……何を言ってるんだ?」

「ごめんなさい、なんでもないんです。……あの、両親への暗示は?」

「大丈夫、しばらくは悲しみに包まれたままだろうが。君の願うとおり、日々を取り戻していく。妹さんにも暗示をかけようか」


 揚羽さんがはるかに近づいていく。紗羅ちゃんの背中を押して部屋から出た。


「ひかりさん、大丈夫? 怖いものを見たんだよね?」


 人の目玉で覆われたもの。

 ギョロギョロと動き回る目は、ひとつひとつが生きているように見えた。たぶん、襲われた人は命を奪はれはしない。黒神夢衣の体に飾られた目は、生きた状態で動き回ってるんだ。

 生きて、黒神夢衣と同じものを見つめている。


 今になって体が震えだした。

 まさか、人の目があんなにも……奪い取られてたなんて。


「ごめんね、ひかりさんにだけ怖い思いをさせて。私にも見えればよかったのにね」

「私がいけないの、勝手に不安がって呼び寄せちゃったんだから。紗羅ちゃんと、揚羽さんがいてくれてよかった」

「ほんとに? 私、ひかりさんの役にたってるの?」


 闇の中、私達を照らす薄青色の光。紗羅ちゃんのそばで思う。黒神夢衣の存在を知り、私がいだき続けてた不安。

 お父さん、お母さん、はるか。

 私の不安を、みんなへの思いに重ねていたらどうなっていただろう。

 私を待ち続けた先にあった恐怖と絶望。

 みんなに黒神夢衣が近づいていたら。誰かの目が……あの体の中に。


「ひかりさん?」


 紗羅ちゃんの声が私の思考を遮る。

 そう……これ以上は考えちゃ駄目。


 黒神夢衣が興味を持ったのは私。

 家族のみんなには、怖いことが訪れはしないから。


 ——マタ、会イマショウネ、三嶋ヒカリサン。


 私に会うってどうやって?

 黒神夢衣が、翔琉君の世界に現れるとは思えないけど。


「紗羅ちゃん、ひとつだけ謝らせてくれる?」

「え? な、何を?」

「これから先、迷惑をかけると思う。翔琉君にも、世界のみんなにも」


 何が起きるかわからない。

 黒神夢衣が考えてることも、私に会おうとしている理由も。

 わかることはひとつだけ。

 私が黒神夢衣を呼び寄せた。


 だから、しっかりと向き合わなくちゃ。

 私はひとりじゃない、闇の世界には私を支えてくれる人達がいる。

 きっと戦える、その前にちゃんと伝えなくちゃ。

 大切な友達に、私の思いを。


「それでも友達でいてくれる? 私はずっと、紗羅ちゃんと一緒にいたい」


 光が照らす、紗羅ちゃんの優しい笑み。


「友達だよ、ひかりさん。だから謝っちゃ駄目‼︎」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る