第18話

 友達。

 元の世界でも知りたかったな。

 そばにいる心強さや、笑い合える喜びを。

 過去の私に教えてあげたい。

 未来の私には、こんなにも素敵な友達がいるんだよって。


「ありがとう、紗羅ちゃん」

「うん。なんだか嬉しくなっちゃうな、ありがとうって言ってもらえるの……すごく嬉しい」

「ランプのお礼はないのかな? 召使いさん」


 揚羽さんの声に、紗羅ちゃんは『うっ‼︎』と声を詰まらせる。揚羽さんに向ける紗羅ちゃんの苦手意識はかなり深いみたい。


「まっまぁ、ランプのおかげで私もひかりさんも怪我しなかったし。あり……がと」

「貴重なお礼、記憶に留めておくとしようか。さて、君はどうする? もう1度、妹さんに会っておくか?」

「会っていいんですか?」


 揚羽さんの笑みが暗示の成功を告げる。

 少しずつ、幸せを取り戻していく。私がいなくなったことを受け入れて取り戻していける日々。


「夜明けまではまだ時間がある。少し疲れた、お子様の世界に帰る前に、休ませてもらえたら有り難いが」

「あなたの住処は地獄でしょ? 地獄に帰ってゆっくりすればいいのに」

「地獄は退屈でね」


 ふたりの声を聞きながら、ランプを手に部屋に入っていく。ゆっくりと近づいて、ベットの中のはるかを見た。


「……笑ってる」


 淡い光が照らす微かな笑み。

 夢を見てるのかな、揚羽さんの暗示が見せてくれてるのはどんな夢なんだろう。

 話したいことや、聞きたいことがいっぱいある。だけど私の声は聞こえないんだよね。

 それでも、少しだけ……聞こえると信じて。


「お父さんとお母さんをよろしくね。私の分も、大切にしてほしいの」


 さぁ、帰ろう。

 麻斗さんが……みんなが待っている場所へ。

 一歩踏みだして止めた足。


 ここにいたい。

 お父さん、お母さん、はるか。

 亡霊のままでもいい。

 みんなと、一緒にいられたら。


 込み上げる思いに蓋をする。

 私の居場所は、闇に閉ざされた世界なのだから。


「……ちゃん」


 はるかの声が私を包む。

 振り向いて、照らし見えた寝顔。

 生意気で可愛い、ひとりだけの妹。


「お姉ちゃん……大好きだよ」

「うん、私も」


 大好きだよ。

 住む世界が違っても。

 これからもずっと、大好きだからね。


「はるか」


 はるかがうなづいたのは、夢の中にいる私。


「いい夢を、これからも……ずっと」


 呟いて、歩きだした。

 はるかの部屋を出て降りていく階段。

 帰ったら翔琉君に話さなきゃ、黒神夢衣に会ったことを。翔琉君はどんな顔をするだろう。

『何やってんのさ』って呆れた顔で言うんだろうな。こればっかりは、何を言われても反論出来そうにない。


「揚羽さん、黒神夢衣は私に言ったんです。また会いましょうって。来るんでしょうか……私達の世界に」

「どうかな、僕は知っていることを話しているだけだ。誰の行動も思いも見ることは出来ない」

「そう、ですよね」


 家を出てすぐに指を鳴らした揚羽さん。

 音を立てず閉められていくドア。紗羅ちゃんと肩を並べ見上げる夜空。


「他にありませんか? 揚羽さんが知ってること」

「詳しくは屋敷に帰ってからにしよう。まずはお子様の機嫌を取ってから……その前に」


 揚羽さんの目が紗羅ちゃんに流れる。


「友達思いの召使いさんに話しておかなくてはね。黒神夢衣が何者なのかを」


 明かりが消えた住宅地。

 ゆっくりと歩きながら、揚羽さんの話を聞く。

 黒神夢衣の過去、人から奪い取る目玉のこと。

 耳を傾ける紗羅ちゃんの顔がくるくる変化する。驚きと恐怖、顔をひきつらせたのはギョロギョロと動く目玉の群れ。

 思いだすだけでもゾッとする。

 数えきれない目玉。

 黒神夢衣が作られてから、どれだけの人が襲われたんだろう。 


 死を迎え、漆黒の化け物に捕まった人達。

 生きながら、化け物に襲われ恐怖に支配される人達。

 みんな……同じ命を持っているのに。


「……もういい、怖いことを嬉しそうに話しちゃって」

「僕の住処は地獄だからね。これくらいの話は慣れっこなんだ。さあ、門を開くとしようか」

「待って、近くに」


 もう少し歩いた先に公園がある。

 ぬいぐるみを無くし、体を無くした場所。

 美夜ちゃんと透君はどうしてるだろう。お似合いだったパステルピンクのセーターと紺色のダッフルコート。冬が近い今、近づいてくるクリスマスイブ。永遠とわに果たされない美夜ちゃんの誕生日の約束。それでもふたりは幸せな時の中を彷徨っている。

 誰にも気づかれないまま。

 この世界に、終わりが来るまでは。 


「ひかりさん? どうしたの?」

「公園があるの、翔琉君と出会った場所が」


 あの子達と私が恐怖に包まれた場所。

 化け物に喰われ、死んでいった知らない人達。その始まりは遠のいた過去。来栖麻斗と琉架が愛し合い、宿した命が化け物になったこと。

 運命の巡りには、奇跡と残酷さが交差する。


「公園か、行きたいならもう少し歩こう」

「いいえ、今はいいです。黒神夢衣のこと解決させなくちゃ」

「わかった、では帰るとしようか」


 揚羽さんが指を鳴らし現れた門。

 開かれた門の先に見える、敷地を照らす灯り。

 帰ってきた。

 愛する人が待つ場所に。

 みんながいる屋敷へ。


「ひかりさん、楽しみだね。翔琉様が淹れてくれるミルクティー」


 紗羅ちゃんの笑顔を見ながら思う。

 黒神夢衣のことを話すのはミルクティーを飲んでからにしよう。翔琉君を怒らせる前に機嫌を取らなくちゃ。


「違うな、怒らせちゃったら」


 話をするどころじゃなくなっちゃう。怒らせないために出来ることをしなきゃ。お肉いっぱいの肉じゃがを作るのと琉架のドレスを着ること。

 ほんと、お子様は世話が焼けるんだから。


 なんだか疲れちゃった。

 黒神夢衣のこと。翔琉君に話すのは、少し休んでからにからにしよう。







 ***


 ひとりきりの部屋の中、鏡が映す裸身。

 麻斗さんに愛され、幸せと悦びを感じ取る体。彼にしか見せない生まれたままの姿は、元の世界ではコンプレックスの塊でしかなかった。

 学校や外を歩く中、見かけた魅力的な女の子達。通りすぎる時感じていた、彼女達への羨望とひがみ。

 私にはない魅力を持った、キラキラと眩しい人達。

 だけど、麻斗さんに愛されるひと時が教えてくれた。

 私は、私のままでいいんだって。


 クローゼットの中の黒いドレス。

 記憶の中に見える、来栖琉架の美しい笑み。


 記憶の中のふたりは、幸せな空気に包まれている。琉架のそばで想いを隠し続けた来栖麻斗。

 いつしか惹かれ膨らみ続けた想い、それは妹の琉架も同じだった。

 ふたりが初めて想いを通わせたのは嵐の夜。

 雨と風の暴威から逃れようと琉架は彼に助けを求めた。子供の頃から雷を怖がっては、彼のそばにいようとしていた琉架。だからこの時の彼には驚きも戸惑いもなく、妹を守ろうとする思いだけが浮かんでいた。

 彼が思いついたのは、琉架とふたり地下室で1夜を過ごすこと。

 祖父から教えられた場所。地下室は子供の頃のふたりの遊び場だった。

 足音を忍ばせ、息をひそめて向かった地下室。

 恐怖から逃れようと、彼の手を握っていた琉架。


 ——麻斗兄様……怖い。


 震える琉架の声は、彼にひとつの思いを抱かせた。


 琉架を守れるのは僕だけだ。

 ずっと、琉架のそばにいる……何があろうとも。

 僕だけが琉架を幸せに出来る。


 地下室の中、見えるのは互いの姿だけ。琉架を安心させようと、彼が手にしたのは鉛筆。落ちていた紙の切れ端に描き始めた絵。

 それは初めて描いた琉架のスケッチ画だった。


 ——綺麗。麻斗兄様の絵、とても好きよ。もっと、私を描いてほしいな。


 琉架は笑った。

 頬を赤く染めながら。


 閉ざされた場所。

 長く静かな時は、ふたりを狂わせた。


 ——今を、嵐が呼び寄せた夢のひと時だと思いたい。麻斗兄様……私は、ずっと前から。


 ふたりを包むのは、互いの息遣い。

 他に何も見えない、何もいらない。


 ——麻斗兄様が、好き。


 体を震わせる琉架を前に、欲望が彼を支配した。

 夢の中、触れることが許されるなら。


 ——僕も同じだ。琉架を、琉架だけが……ほしい。


 彼を前に琉架は微笑んだ。

 誰も知らないふたりだけの夢の中。


 ——奪って、私を。私のすべては……麻斗兄様の。


 琉架の震える手で、脱ぎ捨てられたドレス。

 美しい裸身を前に、彼は理性を投げ捨てた。


 ——忘れない。誰に嫁ぎ抱かれても、私はずっと……麻斗兄様のもの。


 ——琉架しかいらない、忘れるものか。僕を、忘れさせるものか。


 1度きりだと決めた約束。

 許されない恋、最初で最後の行為。

 嵐に隠された、夢だったはずのひと時。


 地下室はふたりを招き続け、許されざる逢瀬は繰り返された。


 歓喜と背徳の時。


 地下室を出る前に、描かれ続けた琉架のスケッチ画。


 ——綺麗ね、麻斗兄様。麻斗兄様に見える私は、こんなにも眩しい。





 ドレスを手に鏡の前に立った。


 浮かぶ記憶は、私にひとつの錯覚を呼び寄せる。

 私は、化け物に選ばれたもうひとりの来栖琉架。

 彼と肌を重ねるひと時、それは琉架の幸せと悦びを知らされる地獄の時。


「馬鹿みたい、こんなこと考えるなんて」


 どうかしている。

 引き継いだ記憶は記憶でしかないのに。

 私は私として彼を愛し、彼は私を……三嶋ひかりとして愛してくれている。


 ひとりは怖い。

 早くドレスを着よう。

 麻斗さんと一緒に、ふたりの時を噛み締める。

 そのあとで、翔琉君に話そう。黒神夢衣のことを。


 震える手で纏うドレス。

 隠されていく肌と、隠そうとする心の翳り。


 錯覚に……負ける訳にはいかない。 


「何? これ」


 ドレスの裾の下に、見えるものがある。

 白い布切れのようなもの。

 拾い見えたのは包帯。そして、包帯に絡みつくいくつもの布のカケラ。


「……ピンク色」


 包帯とピンク色の布。

 これが、意味するものは

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