第6話


 ***



 翔琉君からの外出許可。

 聞かされたのは食事中のことだった。翔琉君と麻斗さん、ふたりと顔を合わせる食堂で。


 ——何度でも、好きなだけ外に出ればいい。門を出た先にあるのは、現世に繋がる闇の世界だ。わかってると思うけどひかり、家に帰ろうなんて考えないよね? 僕はひかりの体を喰い尽くした。ひかりは、人間ひとではなくなったんだから。


 現世に繋がる闇の世界。

 公園に行けば、美夜ちゃんと透君に会えるかな。亡霊になってでも一緒にいることを願ったふたりに。



「行ってはいけない場所は、ご理解頂けましたね?」


 手書きの地図を指差しながら、紫音さんが問いかけてきた。紫音さんが指すのは、屋敷の敷地内にある古井戸。そこは翔琉君にも行くなと言われた所だ。


 ——それと、敷地内にある古井戸には近づくな。古井戸は地獄に繋がっている。古井戸のまわりを餓鬼達が彷徨うろついてるんだ。奴らが待ってるのは僕が喰い殺した人間ひとの魂。恐怖、絶望、苦しみ……負の感情に包まれたものは、奴らの最高のご馳走らしい。


 ステーキを食べながら翔琉君は言った。人を食べてるのに食事も欠かさないなんて。翔琉君の食欲に限界はないのかな。


「召使い達にも近づかないよう言い聞かせている場所です。広大な敷地ですし大丈夫だとは思いますが」

「ありがとう紫音さん、地図を書いてくれるなんて」

「これも仕事ですから。ドレスでは外を出歩けないですね、メイド服でよければ準備出来ますが」

「ここに来た時、私が着てた服は」

「翔琉坊っちゃまの指示で処分しました。もう着ることはないだろうと。では、僕はこれで」


 地図を手早く丸め、紫音さんは書庫室から出ていった。

 紫音さんに勧められてから、麻斗さんは書庫室に篭り本を読み続けてる。本棚にびっしりと並ぶ本と埃の匂い。

 麻斗さんのそばでノートを開いた。紫音さんに頼み莉亜さんから受け取ったもの。書いているのはカレンダー代わりのメモ。この世界に来てから逆転した生活サイクル。現世が朝を迎え、夜が訪れるまで闇の世界は眠りにつく。

 私は翔琉君と同じ、闇の世界でしか動けない。


「ひかりさん、君は読まないんですか?」

「あっ……私は」


 どの本も難しそうで手を伸ばせずにいる。

 もともと本を読むのは好きじゃなかったし、書庫室ここで過ごすのは私にとって退屈でしかない。


「麻斗さん、お茶は?」

「もう少し読んでから。待っててくれますか? 一緒に客室へ行きましょう」

「……はい」


 麻斗さんから離れ、本棚を見ながら歩く。

 どの本も分厚くて、読み終えるまでに時間がかかりそう。まさかと思うけど、麻斗さんここにあるもの全部読もうとはしないよね。


「あれ?」


 本棚の隅に挟まれたものがある。これって……写真? 破れないよう、取り出して見えたのはふたりの人物。長い髪の女の人と……


「麻斗さん?」


 麻斗さんと同じ顔に笑みを浮かべる男の人。誰なんだろう、伸ばされた髪は黒く束ねてもいない。女の人が着てるドレス、私が着てるのと同じに見えるけど。


「これって……どういうこと?」


 心臓がどくどくと音を立て始めた。

 遠い過去、現世で取り壊された屋敷。写真に写ってるの、屋敷に住んでいた人達なんじゃ。

 他に何かないのかな。屋敷のことや、翔琉君を生みだしたものが何かをわかるものが。

 本棚を見ていく中、目についた一冊の絵本。並べられた本の前に立てかけられている。

 絵本をめくり見えたのは、裏表紙に書かれた来栖琉架くるするかという名前。


「来栖って……麻斗さんと同じ名字」


 こんな偶然ってあるのかな。

 麻斗さんと同じ顔の人がいた。それに来栖って名字。写真の女の人が来栖琉架だとしたら。

 どうして翔琉君は、彼女と同じドレスを私に着せてるんだろう。


「ひかりさん?」


 麻斗さんの声が私を弾く。

 絵本を本棚に戻し、写真を背に隠し持った。


「すみません、君を待たせてしまって」

「いえ、もういいんですか?」

「喉が渇きました、お茶にしましょう」


 麻斗さんを追いながら考える。

 見つけた写真と絵本、麻斗さんに話すべきなのか。


「面白いですね、本というものは。今読んでいるのは哲学書というものです」

「哲学ですか? 難しいのに」

「わかろうとするのは楽しいです。僕が理解したものが正解かはわからない。それでも、君のためになるなら」


 書庫室から出るとキリエさんが立っていた。持っているのはバケツとぞうきん。掃除を始めようとしてたのか、ぞうきんは綺麗なままだ。


「おっお客様。いかがでしたか、ほほっ、本とのたわむれは」


 私達を見るなり大声で問いかけてきた。戯れって、読書って言えばいいのに。この話し方キリエさんの癖なのかな。慌てるでも焦るでもなく無意識にこうなってしまう。


「とても有意義な時間でした。彼女は本棚を見ていただけですが」

「たたっ宝探しという訳ですね‼︎ み、見つけたものはあるのでしょうか」


 目を輝かせるキリエさんを前に、写真を隠す手に力を込める。

 見せちゃいけない、翔琉君に従う人達には。

 翔琉君に話されたら何をされるかわからない。ここから逃げるためにも……慎重にならなくちゃ。


「本には詳しくないんです。もしかしたら、宝物のような本があるのかもしれないけど。駄目ですね……私」

「おおお、お客様、そんなことっ」


 キリエさんは顔ひきつらせ体を揺らし始めた。

 私、変なこと言ったのかな。怒らせた訳じゃないよね。


「わわっ、私はなんてことを‼︎ おおお、お客様を落ち込ませるなんて、ああっ‼︎」

「落ち着いてキリエさん。美味しいお茶をお願いします、そしたら元気になりますから」

「おおっ、お茶でございますね‼︎ そそ、それだけで許されるなら心を込めて‼︎ 今すぐに‼︎」


 バケツを持ったままキリエさんは走りだした。勢いよくこぼれる水と落ちたぞうきん。紫音さんが見たらどんな顔をするだろう。

 ぞうきんを拾い廊下を拭く。ここに来てから掃除なんてしてなかったけど、なんだかすごく楽しい。子供の頃は掃除が嫌で何度も怒られたのに。はるかは丁寧に掃除してお母さんに褒められてたっけ。


「麻斗さん、お茶を飲んだら部屋に行っていいですか?」

「どうして、僕の部屋に」

「掃除をさせてほしいんです。散らかってなければいいんですけど」

「君のために散らかしましょうか。汚なければそれだけ、君と一緒にいられるのでしょう?」


 顔を上げると麻斗さんは笑っている。面白い遊びを見つけたような、嬉しそうな笑顔。


「やってみますか? 掃除」


 ぞうきんを差し出すと、麻斗さんはしゃがみ込み手を伸ばしてきた。私の手から離れたぞうきんと、微かに感じ取った麻斗さんの温もり。

 私のそばで麻斗さんは床を拭き始めた。こんな所、翔琉君や紗羅ちゃんに見られたらなんて言われるだろう。


「麻斗さん、部屋を散らかすってどうやって?」

「そうですね、テーブルと椅子を動かしゴミ箱をひっくり返す。服をくしゃくしゃにしたり……あとは、何かありますか?」

「さぁ、どうでしょう?」

「答えられないことを僕には聞くんですか」


 顔を見合わせ笑い合った。

 簡単なことで距離は縮まっていく。なんだかくすぐったいような……作られた繋がりでもこんな気持ちになれるんだ。


「紫音さんに見られなくてよかった。行きましょう、客室に」


 ドレスの乱れを直し、麻斗さんと肩を並べて歩く。麻斗さんが持ったままのぞうきんと窓の外に見える闇。


「麻斗さん、本を読むのが落ち着いたら」

「わかっています、外へ出るのでしょう? 楽しみです、君と一緒に何を見るのか」

「……私も」


 伸ばしかけた手を止めて固く握る。

 手を繋ぎたいような、触れるのが怖いような不思議な気持ち。


 作られた恋物語、それでも私は思い始めている。

 喜びも悲しみも分かち合い、痛みすら求め合える繋がり。心の奥底から、彼を愛する時が……いつかはやって来るのだと。




「お客様、それ」


 私達を呼び止めた莉亜さんの声。莉亜さんが見てるのは麻斗さんが持つぞうきん。


「どうしました? 召し使いの誰かが不手際を」

「これは……その」


 キリエさんの名前を出して大丈夫かな。

 莉亜さんは神妙な顔で私達を見てる。熱心な仕事ぶりは紫音さんに負けてなさそうだし、下手な答え方をすればキリエさんに雷が落ちかねない。

 麻斗の手が私の肩に触れた。

 向けられた笑みが私に語りかける。『僕に任せてください』と。


「すみません、僕が勝手に借りたものです。書庫室の椅子を拭かせてもらいました」

「そうでしたか。てっきり私達の配慮が足りないものとばかり」


 ぞうきんを受け取った莉亜さんの顔に浮かぶ安堵の笑み。艶やかな髪と整った顔立ち。私も莉亜さんみたいだったら……自分に自信が持てるのかな。


「これからはちゃんと声をかけますから。行きましょう、ひかりさん」


 優しさが私を包む。

 私を支え……守るために。


「そうだ、お茶菓子も準備してもらおうかな」

「お茶菓子?」

「クッキーやケーキ、甘くて美味しいんです。麻斗さんも気にいると思うけど」

「それは楽しみです。是非」


 嬉しそうに麻斗さんは笑った。

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