第5話
驚いたな、テーブルで待ってると思ってたのに。紗羅ちゃんが背中を押すなんて思いもしなかった。
「大丈夫ですか?」
「麻斗さん、どうして」
「君の声が聞こえたので、出迎えようとここに」
麻斗さんから離れドレスの乱れを直す。白で統一された麻斗さんの服装と黒いドレス。着てるのが私じゃなければ、綺麗な
なんだか、ここにいることが恥ずかしい。
「ひかり様ってば、ずっこけるとは思わなかった」
髪に触れなぞる紗羅ちゃんの手。乱れを直してくれてるのかな。こんなことはるかもしてくれなかったのに。
「麻斗様がいてくれてよかった。友達に怪我させちゃったら合わせる顔がなくなっちゃうもん」
「友達? それはどういうものですか?」
麻斗さんの問いかけを前に、紗羅ちゃんはポカンと口を開けた。私を見た紗羅ちゃんの顔に浮かぶ困惑。どう答えようか考えてるのかな。
「ひかりさん、僕は妙なことを聞いたんでしょうか」
「いっいえ。紗羅ちゃん、翔琉君から何か聞いてる? 麻斗さんのこと」
「名前以外は何も、それがどうしたの?」
愛だけじゃないんだ。
友達や家族、繋がりと呼べるものを麻斗さんは知らない。思いも感情もない、物だったものから作られた命。麻斗さんが頼れるのは私だけ。
「仲良くすること、色々なことを一緒に楽しめる。それが友達だと思います」
「楽しむ……ですか」
「紗羅ちゃんは、この世界に来て最初に出来た友達なんです」
「僕も楽しむことが出来ますか? ひかりさん、君と一緒に」
穏やかな声が私を包む。
向けられた優しい目と差し出された手。
私にとっては、望みもしない作られた出会い。だけど麻斗さんには私しかいない。
「僕は、君と」
「話し中悪いけど」
紗羅ちゃんの声に、麻斗さんが驚いたように目を見開いた。私の心臓もバクバクと音を立てる。緊張なんて遠ざけたはずなのに。
「ハーブティー淹れ直そうか? 熱いほうが美味しいでしょ?」
「だっ大丈夫、冷たいのも好きだから」
「そう? じゃあ、仕事に戻ろうかな。ふたりとも、ごゆっくり」
ドアが閉められ、訪れた沈黙。
閉められたままのカーテンと、壁に飾られた何枚もの絵画。王子様とお姫様が何処からか現れそうな雰囲気。私……こんな所にいてもいいのかな。いけなくても元の世界には帰れないけど。
「ひかりさん、テーブルへ」
麻斗さんうながされ近づいたテーブル。
椅子に座り、麻斗さんに見られるまま手にしたティーカップ。ハーブティーの匂いが私を包み込んだ。
「呆れますよね、僕は知らないことばかりで」
「そんなことないです。私にも知らないことはありますから」
「ありがとう。君は優しい人だ」
麻斗さんは微笑み、ティーカップを口にした。ぬいぐるみの姿ならケーキやフルーツが似合いそうなのに。姿が変わるだけで、印象ってこんなにも変わるものなんだ。
「翔琉君と話をしたんです。彼が言っていたことがまだ信じられずにいる。君が化け物に喰われたことも、その化け物が彼だったことも。ここは、君がいた世界とは違うんですね。想像もつかないな、君がいた世界にあったものがなんなのか」
麻斗さんの手から離れ、テーブルに置かれたティーカップ。リボンが束ねる真っ白な髪が艶やかに揺れる。
「ひかりさん、君のために出来ることを教えてほしい。君が僕に望むことも」
「望むこと……ですか」
麻斗さんがそう言ってくれるのは、知っているのが私しかいないから。私じゃない誰かを知っていたら、違う名前を呼びながら同じことを語っている。
馬鹿だな私、もしものことを考えたってしょうがないのに。
翔琉君に作られた運命、これがひとつだけの現実。
麻斗さんには私しかいない。私は麻斗さんを愛していくと決めたんだから。
「出来るだけのことを、僕は」
ハーブティーを飲み干し、麻斗さんに近づいた。
「そばにいてください、何度でも……私に触れて」
「君に触れる?」
「出会った時、私があなたにそうしたように」
「それが、君が望むことですか?」
私から口づけたあの時。
ときめきも、喜びもなかった初めてのキス。
椅子から立ち、私を見る麻斗さんに歩み寄る。胸元に顔をうずめると、麻斗さんはゆっくりと私を引き寄せた。
「子供の頃、私はあなたを何度も抱きしめた」
「僕が無くした
答えずにうなづいた。
話せるだけのことを話して始めていこう、彼と私の作られた恋物語を。
「麻斗さんが知らないことを私は知ってるんです。麻斗さんは記憶を無くしたんじゃない、最初から……私以外の何も知らなかったんだから」
「それは……どういうことですか?」
「知ろうとしないで。麻斗さんが知らなきゃいけないのは、愛が何かということ」
「愛……か」
噛みしめるように麻斗さんは呟いた。
目を閉じて訪れた暗闇。記憶を巡り、ぬいぐるみと出会った時を思いだす。誕生日にもらったプレゼント、お父さんとお母さんが選んでくれた。
ぬいぐるみに添えられたピンクのメッセージカード、書かれていたのは胸いっぱいの希望を君に……だったっけ。
「君の温もりを感じとることも、愛に繋がるでしょうか」
問いかけに答えるように、麻斗のさんの背中に伸ばした腕。シャツの感触が思いださせるぬいぐるみの柔らかい毛並み。
「ずっと探してたんです、子供の頃に無くしたあなたの温もりを。大切だった……私の最初の友達」
「愛を知ったら話してくれますか? 僕が何者なのか……君が知ることを」
「話さないと言ったら?」
「それでも僕は、愛を知ろうと思う。僕のそばにいる、ひとりだけの君のために」
麻斗さんの鼓動と息遣い。
指先に込められるだけの力を込めた。ぬいぐるみへの想いを、彼を受け入れた先にある喜びに変える決意を秘めて。
体を離し、再び訪れた沈黙。
微笑む麻斗さんの前で、私はどんな顔をしてるだろう。
「ひかりさん、お茶のおかわりは?」
「麻斗さんが飲むなら私も」
「では、召使いに頼みましょうか」
麻斗さんを追って歩きだした。ドレスの裾を上げ、転ばないように気をつけながら。
「そうだ、ミルクティー」
妙なことを思いだした。ミルクティーを淹れるのは翔琉君だけ、召使いの誰もが淹れることを許されない。
「麻斗さんどう思います? 翔琉君のミルクティーへのこだわり」
「何か、特別な思い入れがあるのでしょうね。僕には想像も出来ませんが」
客室から出てすぐに召使いを見つけた。肩まで伸びた黒髪と紫色の大きな目。キリエという珍しい名前の女の子。
「あの、キリエさん」
「はっ? ははは、はいっ‼︎」
慌てたような大声が廊下に響く。大きな目を見開いて、キリエさんは近づいてきた。持っているのはバケツとぞうきん、掃除に集中してたのを驚かせちゃったみたい。
「なな、なんでしょうか? おふたりとも、ふふっ、ふたりきりで何をしてらっしゃる」
「お茶を飲んでたの。もう一杯お願い出来たらと思って、ハーブティーなんだけど」
「おおお、おかわりですね? いっ今すぐに淹れてきます‼︎」
「キリエさん、急がなくても」
バケツを置くなり走りだしたキリエさん。バケツの中で揺れる水と廊下に跳ね落ちたぞうきん。あんなに慌てて……怪我しなきゃいいけど。
「ひかりさん、客室に戻りましょう」
「待って、ぞうきんを拾わなきゃ」
「お客様、お待ち下さい」
紫音さんが足早に近づいてくる。彼の白い燕尾服、麻斗さんが着ても似合いそう。ふたりは背の高さも同じくらいだし。
「僕がやります、召使いが見苦しいものを」
銀縁眼鏡をかけ直し、紫音さんはいまいましげに唇を噛む。キリエさんの慌てっぷりに呆れてるのかな。
紫音さんは手袋を外し、ぞうきんを拾うなり洗いだした。
「お客様、何かご不便はありませんか? 些細なことでも言って頂ければ」
「そう……ですね」
麻斗さんが考え込み、ぞうきんを洗う音が響く。紫音さん、本当に仕事熱心なんだな。キリエさんが戻るのを待つことも出来るのに。
「学べるものはありませんか? なんでもいいんです、彼女と一緒に」
「何か知りたいことが?」
「愛について、学んでみようかと」
紫音さんの手が止まり、赤い目が私達に向けられた。少しの沈黙のあと絞られたぞうきん。バケツのふちにぞうきんをかけ、紫音さんは立ち上がった。
「本はいかがですか。よろしければ、書庫室に案内しますが」
「ありがとう、お茶を飲み終えたら頼むとしましょう。ひかりさんは? 何かありますか?」
「……私は」
翔琉君から逃れる方法を探す。そのために必要なのは、屋敷の外に何があるかを知ること。帰れる場所はない。だけどこのまま、支配され続けるのは嫌。
「外に出られますか? 少しでいいんですけど」
「ふたりで散策、ということですね。翔琉坊っちゃまに聞いておきましょう。では」
深々と頭を下げ、離れていく紫音さんとすれ違うように現れたキリエさん。
トレイに乗せられたティーカップがガチャガチャと音を立てる。
「おおお、お待たせしました。ドドッ、ドアを開けてもらえると助かります」
ドアを開けた麻斗さんの前を、キリエさんはふらついた足取りで通りすぎた。勢いよく走って疲れてるのかな。
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