第31話

 血に濡れた顔の中、金色の目が光輝く。

 それが私に見せる光景もの


 事故に遭い血に染まった過去。

 ざわめきと悲鳴、路上に転がったボールと立ち尽くす男の子。

 空に向け、伸ばされた血塗れの手。

 落ちてくる1枚の白い羽根。



「ボクはココア、会えた君も友達だね」

「友達? 嘘だ、信じられない」


 螺子と呼ばれる餓鬼の姿をした天使。

 揚羽さんから離れ、ココアに近づくなり座り込んだ小さな体。莉亜さんが差し出したハンカチと、キリエさんが食べさせようとしてるひとくちのパンケーキ。


「おおお、お客様‼︎ まっまずは落ち着いてください‼︎ ここっ、ここには嘘つきなんて」

「落ち着くのはキリエでしょ? 螺子は莉亜に任せてあの人の手当て。パンケーキはあと」


 揚羽さんを見るなり、キリエさんの顔から血の気がひいていく。落ち着くより先に揺れだした体。ざっくりと割れた頬は見てるだけで痛々しい。紗羅ちゃんが言うとおり手当てしなきゃいけないのに。


「血っ血がいっぱいです‼︎ あ、あああっ‼︎ どどっどうしたら」

「キリエ、君は黙っていなさい」


 銀縁眼鏡をかけ直しながら、揚羽さんに近づいた紫音さん。だけど揚羽さんは『待ってくれ』と微笑み、翔琉君に近づいていく。あんなに血が出てるのに、揚羽さん無理してなきゃいいけど。


「翔琉、手配してくれ。螺子とココアの部屋を」

「ココアは僕と同じ部屋。さっき決まったよ」

「それじゃぁ、螺子は」

「揚羽と一緒でいいんじゃない?」

「僕は客室に泊まってるだけさ。まいったな、僕は螺子を……ここに住まわせるつもりだったんだが」


 頭を掻く揚羽さんと私達を見回した螺子。『やっぱり』と呟くなりまた泣きだした。


「どこに行ったって嫌われる。揚羽がいなくなったら……本当に、ひとりぼっちなんだ」

「おおお、お客様‼︎ どどっどうか落ち着いて」

「だからっ、落ち着くのはキリエだってば‼︎ もうっ‼︎ 泣かないでよ螺子っ‼︎」

「おっ怒られた‼︎ 揚羽、なんでこんな所に」


『ほらね』と翔琉君。

 私に向けられた呆れ顔、だけど翔琉君が呆れてるのは。


「揚羽はやってくれたよ、残念なこと。話がまとまってからこれだ」

「残念ときたか。違う形で、螺子のことを切り出すべきだったかな」

「ひかりに免じてチャラにしてあげる。揚羽は動いちゃ駄目だから。ココア、螺子を連れてきて」


 席を立った翔琉君がココアに向けた手招き。ココアが手を握ってすぐ、ちっちゃな体が赤くなりだした。


「やめてよ、触らないで‼︎」

「友達がおいでって言ってるよ?」

「友達じゃないってば‼︎」


 真っ赤になった体でじたばたしてる。

 もしかして、あの子照れてるのかな。友達だって言われたことが恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからないんじゃ。


「あの子が化け物だって知ってるんだから‼︎ そうだわかったぞ、ボクを騙して食べるつもりなんだ‼︎」


 ボク?

 あの子、男の子なの?

 食べるなんて、翔琉君は考えてもいないのに。


「螺子君、翔琉君にそんなつもりは」

「ひかりは黙ってて。僕が化け物なのは本当だし」


 溶けだした翔琉君と食堂に響く螺子君の悲鳴。

 人の形が崩れ、黒い塊がテーブルの上を這いずる。床に落ちて割れていくティーカップ。私達を包む生臭さと、パンケーキを手にあとずさるキリエさん。

 ひとつだけの大きな目が、ココアと螺子君に向けられた。


「やっぱりだ‼︎ ほら、君も逃げないと」


 螺子君の真っ赤な手がココアの腕を掴む。逃げようとする螺子君と、座ったままのココアに絡みついたもの


「ねぇ君、逃げるんだよ‼︎」

「翔琉は琉架の子供。それにね、ひかりの友達なの」

「何言ってるの?」

「ボクはみんなが好き。翔琉も同じだよ」

「そんなこと……あるはずが」


 塊が螺子君の体を這いずり飲み込んでいく。ココアに向けられた大きな目。


「あるはずないよ、化け物は命を奪うんだから。怖いものが何を好きになるの? ボクは……天界の嫌われ者。ボクはひとりぼっちなのに、どうしてこんな……化け物が愛されるの?」

「最初から愛されっこないよ。ひとりだったのは僕も同じだ。命の始まりは……なんだって孤独ひとりなんだから」


 閉ざされた目と動きを止めた塊。


「僕は化け物になりたくてなったんじゃない。君だって同じだろ? 黒い翼がほしかったんじゃない。それでも、与えられたものを受け入れるしかないじゃないか。命は投げだせないんだからさ……違う?」


 塊から伸ばされた黒い手がココアの頭を撫でる。ココアの大きな目が嬉しそうに輝いた。


「あったかい、翔琉の手はとっても優しいね」


 私の中を巡る来栖麻斗の記憶。彼と琉架がぬいぐるみを愛した過去。私達の前でココアを慈しむ翔琉君。

 親子の繋がりが見せる優しさがやけに眩しい。

 真っ白なクマのぬいぐるみ。無くしたまま家に帰った私を出迎えた家族の笑顔。それは……母さんに叱られた気まずさを和らげてくれた瞬間だった。


「僕は本当の体を見せた。螺子、今度は君の番だ」

「ボクの?」

「僕達が決めてあげるよ、黒い翼の価値がなんなのかを。僕が許可する、ココアと一緒に……僕の部屋に来ることを」


 塊が離れ、見えてきたのは餓鬼の姿じゃなかった。

 角と色が失われた子供の体。現れだしたふたつの黒い翼。


「綺麗‼︎ 明かりに照らされてキラキラ光ってる‼︎」


 紗羅ちゃんの大声に螺子君は目を丸くした。

 翼と同じ黒い髪と、揚羽さんと同じ金色の目。ココアと同じ背のちっちゃな体。


「嘘だ、ボクの翼は……真っ黒なんだ。こんな翼」

「ででっですから‼︎ こっここには嘘つきなんていないんです、お客様」

「ボクを怖がらなかったのは揚羽だけだった。揚羽だけがボクに優しかった。なのにボクは、揚羽を傷つけちゃったんだ」

「違うよ、螺子。この傷は餓鬼にやられたものだ。たった今、お前が倒した奴に」 

「何言ってるの? 変装をやめただけだよ」

「恐れという餓鬼を倒したんだ。きっかけは翔琉。化け物じゃない、この世界の主人あるじを名乗るお子様だよ」

「お子様? ボクより少しだけ、お兄さんかな?」


 溶けだした塊が人の姿を作っていく。

 黒い翼を揺らしながら、翔琉君に近づいていく螺子君。


「ねぇ、翔琉。嘘じゃないよね?」

「何が?」

「ボクがココアと一緒に……翔琉の部屋に行くって」

「嘘を言ってどうするのさ。……僕の部屋は、ひとりだと広すぎるからね。話はまとまったし、揚羽の手当てをお願いね」


 テーブルから離れ、ドアに近づいていく翔琉君。そのあとを追いかけるのはココアと螺子君。トコトコ歩きのココアの横で揺らめく黒い翼。莉亜さんがあとに続いたのは、部屋の整理を手伝うためかな。


「では、傷の手当てとしましょうか。どうぞこちらへ」


 紫音さんに背中を押され、揚羽さんがテーブルから離れていく。


 揚羽さんが私に見せた過去の光景。

 空に向け伸ばされた血塗れの手。

 揚羽さんが掴もうとした白い羽根は……誰のものだったんだろう。

 手当てが終わったら聞いてみようかな。


「よかったですね、ひかりさん。翔琉君の成長を喜んでる気がするんです。僕の命になった……もうひとりの僕も」


 麻斗さんの顔に浮かぶ穏やかな笑み。

 一瞬、地下室で出会った来栖麻斗の笑みが重なった。

 私のそばにいるのは、過去も今もないひとりだけの来栖麻斗。


 作られた恋物語の先に待っていたのは幸せな恋物語。



 漆黒の世界を照らし続ける、ときめきの光。

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