漆黒の螺子

第30話

 みんなが集まった食堂。

 並べられたティーカップとパンケーキ。

 テーブルの真ん中で私達を見てるクマのぬいぐるみ。たった今、話し合いで決まったこの子の名前はココア。

 私が考えた名前はクゥちゃんだったんだけど。


 ——ココアちゃんがいいと思うの‼︎ 翔琉様のミルクティーにぴったりな可愛いココアちゃん‼︎ 翔琉様、この子の名前これしかないと思います‼︎


 ——み、みんなはあるかな。紗羅の他にこれがいいって名前。


 紗羅ちゃんの大声のあと言いだすことが出来なかった。たぶんみんなも同じだった気がする。翔琉君もタジタジな紗羅ちゃんの迫力、誰も逆らえっこない。


 ——ボク、ココアって名前なの? 美味しそうなお名前嬉しいな。


 ココアの弾む声に切り込んだのはキリエさん。


 ——おっ美味しそう? そそ、そこは嬉しいと言うべきでは。


 ——ごめんなさい。ボク、言葉がよくわからなくて。


 ——わわ、私としたことが‼︎ いっ言ってはいけないことをうっかり……ああっ‼︎


『まったくもう』と呟きながら、紗羅ちゃんがキリエさんのおでこをぺちっ‼︎ キリエさんが落ち着いて終わった最初の話し合い。

 次に始まるのは


「じゃあ、ココアの部屋をどこにするかだけど」


 呆れたような翔琉君の声。

 決めようとしてるのはココアが誰の部屋で過ごすのか。

 プレゼントされたのは私だし普通に考えたら私の部屋。だけどそれは、ココアがただのぬいぐるみだったらってこと。

 ココアは生きてる、中身はちっちゃな男の子。

 ココアがいる部屋で、麻斗さんとふたりきりになりにくい。麻斗さんの部屋に決まったとしても、今度は私が行きにくくなっちゃう。


 ——私と麻斗さんは駄目、誰かの部屋がいいんだけど。


 相談を持ちかけた時の翔琉君の顔ったら。


 ——麻斗とひかりの部屋、かけもちでいいんじゃない?


『それだと』と食い下がった私。『行ったり来たりはココアが疲れちゃうよ』と。


「誰かいるかな? ココアがいてもいいよって」


 手を上げようとした紗羅ちゃんと、顔を見合わせた紫音さんと莉亜さん。料理長の羅衣羅さんはパンケーキを食べることに夢中になってる。


「ココアはひかりさんになついてるんだし、ひかりさんの部屋がいいと思う」


 紗羅ちゃん、それだと麻斗さんが来にくくなっちゃうんだってば。


「そうですね。ひかりさんをお母さんだと思っているようですし、僕も賛成です」

「でも、麻斗さん」

「ひかりさん? 何か困ったことが?」


 ありすぎるよ。

 ココアがいる前じゃ、麻斗さんに近づくのも恥ずかしい。話すこともすることも限られちゃう。

 妙なものを見られてみんなに話されたりしたら。どうしよう、想像しただけで体が熱くなってきた。


「ふむ。世話の焼ける人だな、君は」


 面白いものを見るように揚羽さんが笑った。

 私が考えてることがわかったのかな。助けてくれたりからかったり、揚羽さんは本当に不思議な人。

 揚羽さんは席を立つなりドアに近づいていく。


「揚羽? どうしたの?」

「いいことを思いついた。ちょっと待っててくれ」

「ひかりのこと? じゃあ、僕も」

「ご主人様がいなくなったら話し合いがまとまらないだろ? すぐに戻る」


 何を思いついたんだろう。

 揚羽さんの行動は予想外でさっぱりわからない。

 揚羽さんがいなくなって訪れた沈黙。




「ねぇ、ひかりさん」


 駆け寄ってきた紗羅ちゃんがぽつり。


「あの人、あのままいなくならないよね?」

「どうして? 何か困ったことが」

「お菓子がもらえなくなっちゃうと思って。大丈夫だよね。ごめん、変なこと言って」


 ペロリと舌を出して紗羅ちゃんは笑った。

 お菓子か。

 ハロウィンのことを話したら、紗羅ちゃんはどんな顔をするだろう。揚羽さんってハロウィンの雰囲気がぴったりだし、紗羅ちゃんの苦手意識を無くすいい機会かも。


「ひかりさん、なんだと思いますか? 彼が思いついたこと、僕はわからなくて」

「さぁ、揚羽さんの行動は読めないものばかりだし」

「ふたりとも、期待しないほうがいいよ。揚羽はたまに残念なことをするからね」


 私達を見回したあと、翔琉君はミルクティーをひとくち。

 私を見るココアと目が合った。

 キラキラと輝く大きな目。

 ココアはどう思ってるだろう、部屋のことで話し合ってる私達を。この世界に連れて来るなり悲しい思いをさせてるんじゃ。

 私を好きって言ってくれた子。翔琉君が言うとおり、私と麻斗さんの部屋をかけもちさせようか。だけど恥ずかしいものを見られでもしたら。明かりを消しても声は聞こえ……こんなこと考えるから、みんなを困らせるんだ。


「まったく」


 翔琉君がぽつり。


「ひかりにとっては海よりも深い悩みみたい。僕の部屋が無難かな?」

「翔琉君……いいの?」

「要するに、子供同士なら問題ないんでしょ? そうなると僕と紗羅しかいないし」


 翔琉君に見られるなり、真っ赤になった紗羅ちゃんの顔。素直で正直で、いい子だな紗羅ちゃんは。

 私を見た翔琉君の呆れ顔。

 私の考えを察してるのは揚羽さんだけじゃなかったみたい。


「子供と言っても紗羅は女の子だし。僕しかいないかなぁって」


 本当に、翔琉君は変わった。

 出会った時とは違う、愛情と優しさ……欠けていたものが伝わってくる。

 思いも行動も、変えられないものってないんだな。

 この世界に来なければ、何も出来ない自分を責め続けてた。友達にも運命の人にも会えないままで。

 翔琉君も人を喰い殺し……家族の夢を見続けたままだった。私達はずっと苦しんでたんだ。

 孤独という……漆黒の闇の中で。


「翔琉君、ありが」


 私の声を遮ったのは、ココアの隣に落ちてきたもの。

 真っ青な体と頭に見える1本のつの

 あとに続いたドアを開ける音。


「待たせたね翔琉、その子と一緒に新しい部屋を手配出来ないか?」


 揚羽さんが指差したのは、ココアの隣のちっちゃな子。

 角があるってことは……もしかして鬼なんじゃ。


「揚羽、なんで餓鬼を連れてきたの?」

「違うよ翔琉。この子は餓鬼に変装し、この世界に隠れてたんだ。名前は螺子ねじ


 螺子? 変装?

 餓鬼の中にこんな子がいたなんて。


「螺子、元の姿に戻ったらどうだ?」


 大きな目が私達を見回した。

 何も言わず首を振る。


「もう隠れる必要はないんだ、螺子」

「やだよ」


 ココアよりも幼い声。

 男の子とも女の子ともわからない。


「元の姿なんて絶対にやだ。みんながいじめる、戻りたくないよ」


 青い体が震えだした。

 どうして怯えてるんだろう。ここには、怖いものなんて何もないのに。


「揚羽さん、もしかしてこの子も……漆黒の化け物に?」

「違う、螺子は天界の住人さ。元の姿は」

「やめてっ‼︎ 揚羽、言わないでよっ‼︎」

「天使……螺子は」

「やめてってば‼︎」


 揚羽さんに飛びつくなり、伸ばされた小さな手。鋭い爪が揚羽さんの頬を切り裂いた。ティーカップに落ちた血が溢れ、テーブルクロスを濡らしていく。


「黒い翼を持って生まれた異端の子だ」


 赤く染まった顔。だけど揚羽さんは、気にもせず餓鬼の頭を撫でる。


「しばらくの間、僕が屋敷にいようと思ったのは、螺子を助けてほしかったからだ。……三嶋ひかりさん」


 金色の目が私に向けられた。


「君は覚えてるか? 僕が言ったことを」

「私がたどり着く……未来を見させてもらう」

「そう、僕は期待したのかもしれない。不条理な運命を強いられた君が救いの象徴となることを。君が翔琉をわかってくれた時、それは翔琉が他者の不条理を受け入れる心を持った時だ。その時にはきっと螺子を助けてくれる。……僕は、そう信じてたんだ」


 餓鬼の青い手を、赤く染める揚羽さんの血。

 大きな目からぼろぼろと涙が落ちて


「大丈夫? 泣かないでよ」


 食堂を包みこむココアの声。

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