第24話

 ぴくりと揺れた翔琉君の体。


「母さんが……生きてた世界か」


 自分に言い聞かせるような呟きと私を見上げる顔。


「強くなったねひかりは。僕に向かって、言いたいことを言う。まるで」


 ——母さんみたいに。


 私の中を巡る来栖麻斗の記憶。

 彼の記憶越しに感じる琉架の優しさと母性。

 私は三嶋ひかり、それ以外の誰でもない。

 だけど、琉架の代わりに伝えることが出来る。

 ふたりが見てきた世界の美しさを、美しさの裏側にある醜さを。

 交差する優しさと苦しみ、紡がれていく繋がりと引き裂かれていく絆。


「お母さんは心の底からお父さんを愛していた。同じくらい、翔琉君のことも愛してたの。たぶん、お母さんは夢を見てたと思う。翔琉君を育てながら同じ世界を見ていくことを。私はお母さんにはなれないけど、同じ世界を見ることは出来る。翔琉君が作った世界で、一緒に暮らしているように」

「強すぎるよひかりは。連れてきた時は僕の言いなりだったのにさ」

「支配される怖さを教えられたからこんなに強くなれたんだよ。今度は私が翔琉君に教えてあげたいの。人間界にある自由や浮かぶ好奇心」

「母さんが生きた来栖家は」


 翔琉君の目が鏡に向けられた。

 私の体を映し見せるそれはたぶん、琉架が使っていた物だ。


「歴史ある名家だったらしい。両親は厳しくて、母さんは学業の他いくつかの学びを強いられていた。礼儀作法や料理……どこに嫁いでも恥ずかしくない美しい娘になるようにと。外に出る時には母親がそばにいた。来栖琉架として生き始めた時から決まっていたんだ。いつかの未来、顔も知らない男の元へ嫁ぐことが。両親が決めた相手、抵抗も拒否も許されない。僕は母さんのお腹の中で聞き続けた。自由を奪われ続けた失望と、僕に向けたひとつだけの嘆き。『愛しい子、生むことも育てることも許されない。願いは叶うかしら。いつかの未来、どこかの世界で。私の想いと共に……生きてくれることを』」


 外された眼鏡が床に落ちて乾いた音を立てた。


「僕はずっと、母さんの失望を感じ取ってたんだ。母さんのお腹の中で焼け死んで、漆黒の化け物に捕まった。僕はずっと夢を見てたのに。母さんを守ってあげる日々を。母さんと一緒に強くなれる僕でいたかった」


 琉架と同じ目が私を見上げ、開きかけた口を閉じた。

 何かを言おうとしている。

 言おうとして言えないこと。

 硬く閉じた心の壁。

 私が鍵を開けなくちゃ。


「翔琉君? 言いたいことは何?」


 翔琉君の頬が赤くなっていく。

 口元に柔らかな笑みが浮かんで。


「ひかり、僕は母さんが誇りに思ってくれる息子かな。父さんを父さんだとは思えない。化け物になって人を喰い殺してきた。それでも……こんな僕でも、母さんが愛してくれる息子かな。母さんが大好きだと言える息子でいいのかな」

「お母さんにとって、翔琉君は大切な子供なの。死ぬまで翔琉君を守ろうとした。大好きだと伝えたら、お母さんは喜ぶよ。お父さんを好きになってくれたらもっと喜ぶ。だって翔琉君は、いっぱいの愛の中から産まれてきたんだから」

「僕は母さんに会いたかった。だけどひかりは、母さんじゃない」

「そう、私は三嶋ひかり。翔琉君のことが大好きな、闇の世界の住人」


 にっこりと翔琉君が笑った。

 子供らしい、可愛らしい笑顔で。

 ご主人様を演じていた雰囲気とは違う。プライドを捨てて見せてくれたんだ。

 本当の翔琉君を。


「ねぇひかり、僕は人間界でどんな楽しみを見つけられるかな。怖いものは近づいてこないよね?」


 人を喰らう化け物。

 翔琉君より怖いものは近づいてこないと思うけどな。私が考えてるよりずっと、翔琉君は臆病な子なのかもしれない。


「驚いたな、翔琉が楽しみを見つけようなんて」

「興味がなかった訳じゃないんだ。ただ勇気を出せなかっただけ。だって僕は、化け物の体を持つ以外は普通の男の子だからね。ねぇひかり、人間界のこといっぱい教えてよ。ひかりが一緒なら、どこへでも行ける気がする」


『やれやれ』と呟きながら揚羽さんは微笑む。揚羽さんの手の上に現れたミニカーを、翔琉君は目を輝かせて見つめている。

 麻斗さんの手が私の肩に触れた。


「翔琉君のような息子がいたら楽しいでしょうね」

「うん。私……麻斗さんと一緒なら信じられる。いつかはきっと、私達の子供が……この世界に」


 私達の子供を前に、翔琉君と紗羅ちゃんはどんな反応を見せるだろう。私達の子供が、ふたりのキューピッドになって、ちっぽけな幸せが広がっていく未来。

 考えるだけでワクワクする。


「さて、話し合いの続きとしようか。翔琉は店に行く気満々なようだが。三嶋ひかりさん、君は楽しそうに話してたな、黒神夢衣のことを」

「もしかしたらですけど、黒神夢衣は友達をほしがってると思うんです。過去のことも今も、いっぱい話してくれました。聞いてるうちに怖くないんだって思えてきて」

「ふむ、つまり君は、目玉だらけの体でも肩を並べてご飯が食べれると」

「いえ、それは……ちょっと」


 ゾッとしつつも想像しちゃう。

 飲食店の入り口。

 ショーケースの中のサンプルをギョロギョロと見つめる目玉の群れ。食べたいものをめぐって、目玉同士で喧嘩したりして。

 なんかこれ、ホラー映画に使えそうな気がしてきた。


「今は人を襲ってないと聞いて嬉しくなりました。いつか翔琉君も」


 翔琉君に聞こえないように声を密める。揚羽さんは地獄耳だし聞こえるよね。


「翔琉君にもそんな時がくればいいなって思うんです」


 少しくらいいてもいいと思う、人を襲わない化け物が。

 噂や都市伝説になったら楽しいかも。お子様な化け物は、美味しいミルクティーを淹れてくれる。


「翔琉君が都市伝説になったらいいのに」

「やだよそんなの、ひかりってば面白いこと言うね」






 ***


 翔琉君から相談がある。

 紫音さんに呼ばれるまま、みんなが集まった食堂。

 この頃の食堂、みんなが集まる憩いの場になってきてるの気のせいかな。

 翔琉君からの相談ってなんだろう。

 アンティークショップに行くのは相談が終わってからなんて。翔琉君にとって深刻な悩みなのかな。


「みんなありがとう、忙しい中集まってくれて」


 聞いたことがなかった翔琉君の挨拶に揚羽さんは目を丸くした。

 驚いてるのは揚羽さんだけじゃない。紗羅ちゃんやキリエさん、私も耳を疑った。

 翔琉君、どうしちゃったの?


「どうしたの? みんな」


 きょとんとしている翔琉君を前にみんなが固まってる。どうしたの? って聞きたいのは私達のほうだけど。

 場を取り繕うように響いた紫音さんの咳払い。だけど咳払いで事態が解決したら、世の中にはなんの苦労もない。


「翔琉君、どうしちゃったの?」


 私からの質問に『何が?』とぽつり。

 びっくりすることが起きた。

 人間界は今頃、雪が降りだしたかな。


「ごめん、紫音も莉亜達も仕事があるのに時間を取らせちゃって。僕ちょっと考えたんだけど、みんなのご主人様をやめようと思うんだ。いいかな?」


 翔琉君の提案にみんなが顔を見合わせてる。

 ご主人様をやめるってなんで?

 どういうこと?


「翔琉様? どういうことですか?」


 紗羅ちゃんの問いかけに『うん』と翔琉君。


「僕もみんなと同じでいたいなって思ったんだ。子供の僕がご主人様だなんて変だし……みんな、今までごめん」


 翔琉君の謝罪にハーブティーを溢したキリエさん。

 やっぱり変だ、翔琉君が謝るなんて。

 ご主人様をやめるとか謝るとか、頭を打ったんじゃないよね?


「みんなどう思う? 僕がご主人様をやめても、誰も困らないよね?」


 勢いよく椅子から立った紗羅ちゃん。


「困ります、ものすごく困ります‼︎」


 食堂に響いた紗羅ちゃんの大声と目を丸くした翔琉君

 君。

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