漆黒の残酷童話

月野璃子

漆黒の願い

第1話

 子供の頃大切だったクマのぬいぐるみ。

 ふさふさな白い毛と大きな目。

 首にかけられた青いリボン。

 可愛らしく笑っていたぬいぐるみは、友達がいない私のひとつだけの話し相手だった。

 私を仲間はずれにしてた女の子達のこと。誰にも言えなかったいっぱいの夢や、いつか出会えるはずの運命の人のこと。散歩中やベットの中でなんでも話した。

 

 ぬいぐるみとの別れは小学校を卒業前。お母さんに叱られ、家を飛び出したのが原因だった。

 冷たい風の中私とぬいぐるみを迎え入れた公園。赤く染まった空と静けさ、逢魔が時と呼ばれるひと時。誰もいない場所で、ベンチの冷たさに震えながら抱きしめたぬいぐるみ。

 空が闇に飲まれだし、空腹を感じた時だった。

 何処からか響いた悲鳴混じりの不気味な音。何かを砕き飲み込んでいくような。

 弾かれるように立って駆け出した。転びそうになりながら目指した公園の出口。寒さに感覚を奪われ、ぬいぐるみを落としたことに気づけなかった。

 泣きながら帰路についたあの日。恐怖に飲まれず、すぐ公園に戻っていれば無くしはしなかったのに。


 私の中で息づいている後悔。

 大学生になった今も、それは私を公園へと導いていく。



 誰もいない公園をひとり歩く。顔を上げ見えた赤く染まる空。夜が近づく静けさと夏の乾いた空気。

 あの日から長い時が過ぎた。

 ぬいぐるみがどうなったかは想像がつく。雨や雪に濡れ、泥だらけになった。わからないのは消えた経緯。誰かに捨てられたのか、いたずらの標的になってボロボロにされたのか。

 過去に戻らない限り、見つけることも抱きしめることも出来ないなんて。


「お姉さん」


 可愛らしい声が私を呼び止めた。

 振り向くと女の子が立っている。着ているのはパステルピンクのセーターと黄色いジャケット。どうして冬服なんだろう。梅雨が明けて暑い日が続いてる。夜が近い今は、暑さが少し和らいでるだけなのに。


「美夜ちゃんっ‼︎」


 息を切らしながら駆け寄ってきた男の子。彼が着ているのは紺色のダッフルコート。美夜と呼ばれた女の子が無邪気な笑顔を見せた。


「何してるの美夜ちゃん。……あれ?」


 私を見るなり見開かれた男の子の目。なんで驚いてるの? 不思議なものを見るように。


「この人、美夜ちゃんが見えてるの?」

「そうだよとおる君。助けてあげられるね、お姉さんが怖い思いをしなくてすむ」

「うん。美夜ちゃんの優しさがやっと報われるんだ」


 顔を見合わせてふたりは嬉しそうに笑う。助けてあげるとか怖いとか、この子達はなんの話をしてるんだろう。


「ねぇ、君達の話」


 呆れるくらいうわずった声。相手は子供なのになんで緊張してるのかな。 


「お姉さん、僕も見えてるよね。すぐに帰ったほうがいい。ここは危ないんだ」

「え?」

「急いでよ、ほら早く」

「どうして君達は……冬の」


 男の子の口から苛立たしげな息が漏れる。服なんかいいとでも言うように。


「急いでってば‼︎ ……行こう美夜ちゃん、僕達がいたらお姉さんは動かないよ」

「待って透君、お姉さんは何も知らない。どうしてかを話さなきゃ、わかってもらえないよ」


 何かを警戒するように男の子はあたりを見回した。女の子のジャケットを黒く染めだした夜の闇。


「あのねお姉さん、私はクリスマスイブに生まれたの。透君と待ち合わせて、誕生日のパーティーをするはずだったんだけど」


 私達を包みだした生温かい風。夏の乾いたものとは違う、ねっとりと体に纏わりつくような。


「私達は体を無くしちゃった。お姉さん信じてくれる? 私達が亡霊だってこと」

「何を……言ってるの?」


 鮮やかなパステルピンクのセーター。こんなに可愛い子が亡霊だなんて誰が信じるだろう。大きな目と艶やかな長い髪。この子みたいに可愛くなりたかったな。


「本当なのお姉さん。私達は」

「だめだ、美夜ちゃん‼︎」


 男の子が叫んだ直後、私の足に何かが巻きついた。どろりとした感触と水のような冷たさ。それはピチャピチャと音を立てながら私の体を這いずってくる。

 見えるのは、私を覆っていくどす黒いもの

 生臭くて……気持ち悪い。


「馬鹿だな、お姉さん」


 私を見る男の子の悲しげな目と、闇に溶けだしたパステルピンクのセーター。


「早く帰れって言ったのに。喰い殺されるよ……化け物に」


 どくんっと体のどこかが音を立てた。

 化け物? 

 喰い殺されるって……そんなこと、あるはずが。


「ここには化け物が棲みついてるんだ。夜の訪れと同時に目を覚ますものが。僕達は喰い殺されたんだよ」

「透君は私を守ろうとしてくれたの。私も透君を助けたかった。だけど食べられて……体が無くなっちゃった」


 体のどこかが砕ける音を立てた。

 ぬいぐるみを無くしたあの日。聞こえてきた悲鳴混じりの不気味な音。あれが化け物に襲われた人のものだったとしたら。

 大切だったぬいぐるみ。

 もう一度抱きしめてあげたかった。


「お姉さん、願って‼︎ 死んじゃう前に」


 願う?

 願うって……何を?


「私ね、食べられながら願ったの。透君とずっと一緒にいたいって。叶ったんだよ。亡霊になって、透君と」

「そんな……こと」


 亡霊になんてなりたくない。

 だけど願わなきゃ死んじゃうのかな。体を粉々に砕かれて。


 喰い殺されるなんて嫌。


 死にたくない。

 死にたくないっ‼︎


「食べられる前に助けてあげたかった。助けたかったのに誰にも気づいてもらえなくて。話せたのはお姉さんだけだったのに。……ごめんね」


 どうして謝るの?

 幸せな誕生日を迎えるはずだった女の子。食べられて苦しんだのに。

 

 死にたくない。

 生きられるなら願わなきゃ。

 体を無くしても……それでも、生きていられるなら。


「私……私は」


 運命の人に会いたい。優しくて、私だけを見てくれるひとりだけの人に。美夜ちゃんと透君、この子達のように笑い合いたい。


 化け物に飲まれ、塞がれた口がごぼりと音を立てた。

 体が砕け、潰されていく。

 

 お願い。

 私を……見つけて。 


 私だけを愛してくれる……運命の人。



 「その願い、叶えてほしい?」


 闇の中、誰かが囁いた。


 「叶えてあげるよ、君の願いを。その代わり、僕の夢を叶えてもおうか」




 夢?

 何を……叶えるつもり……











「……さん、ひかりさん」


 誰かが私を呼んでる。

 知らない男性ひとの声。

 どうして私の名前を知ってるんだろう。


「ひかりさん」


 闇の中、響く声は優しくて心地いい。

 こんなふうに私を呼んでくれるなんて。


「ひかりさん、目を開けて」


 闇が薄れ見えた男性ひと

 襟元のボタンが外された白いシャツと、リボンが束ねる胸元まで伸びた真っ白な髪。彼を照らす明かりと知らない天井。


「ここは?」


 体を起こし見えたのは、白で統一されたカーテンと家具。ふたつのティーカップがテーブルの上に並んでる。私がいるのは、シルク生地のベットの中。

 どうしてこんな所にいるの?

 私の体は砕けて、潰されたはずなのに。化け物に喰われながら、美夜ちゃんに言われるまま願ってた。

 なのに……どうして?


「ひかりさん、体に痛みは?」

「……いえ」


 彼は優しく微笑む。

 夢を見てるのかな、男の人がこんなふうに笑ってくれるなんて。

 髪を束ねるリボン、ぬいぐるみと同じ青色だ。

 こんな偶然あるんだな。

 真っ白な髪によく似合ってる。

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