第2話

「よかった。うなされていたから」


 穏やかな声が胸の高鳴りを呼んだ。

 綺麗な顔立ち。こんな人に会えるなんて夢を見てるとしか思えない。


「僕は麻斗あさとといいます。僕が知っているのは来栖麻斗くるすあさとという名前と、君が三嶋ひかりさんだということ。それとひとつの記憶を持っています」

「記憶?」

「そう、君が話すことを聞き続けた記憶。仲間はずれにされていたことや叶えたい夢。いつか出会うはずの運命の」


 私の動揺に気づいたのか、麻斗さんは口を閉ざした。記憶ってどういうこと? 全部ぬいぐるみに話してたことなのに。


「ほかのことはわからないんです。気がつくと僕はここにいて君が眠っていた。僕は、自分の記憶を無くしている」

「……そんな」


 記憶を無くすほどの何かがあったとしたら。


 恐怖。

 苦しみ。


 まさかとは思うけど、私と同じことが麻斗さんにも起きたんじゃ。


「麻斗さんも公園にいたのかも。それで、化け物に襲われて」

「公園? 化け物……ですか?」

「私さっきまで公園にいたんです。化け物に襲われて……気がついたらここに」

「つまり君は、夢を見ていたと」

「夢?」

「うなされていたのは怖い夢を見ていたから。僕がなぜここにいるのかはわからないが」

「違う、私……襲われながら願ったんだから。死ぬのは嫌……だから、願えるだけの願いを」

「何を願ったんですか?」

「それはっ‼︎ ……その」


 言えない、運命の人に会うなんて。誰なのかわからない、初めて会った人には。



 コンコンッ


 ドアをノックする音。

 誰かが部屋の外にいる。


「ふたりとも、入っていいかな?」


 男の子の声だ。

 弾むような明るい声が室内に響く。

 ドアが開いて見えたのは眼鏡をかけた男の子。カフェ店員のような黒い服がやけに似合ってる。

 はるかに似た華奢な体つき。

 はるかが過ごす日々は私とは違う。友達に囲まれて好きな人と両思いになった。高校生になったばかりなのに羨ましいことばかり。


「なんだ、まだミルクティー飲んでないんだね」


 テーブルに近づくなり男の子は呆れるように私達を見た。

 雰囲気が木瀬正樹きせまさき君に似てる。中学生の時隣の席にいた男の子。消しゴムを拾ってくれたのがきっかけで話せるようになった。授業が始まる前にちょっとだけだったけど。


 ——三嶋って、意外とドジなんだな。


 ——宿題のプリント提出いつだっけ。部活のことで頭がいっぱいでさ。


 ——そのシャープペン、俺と色違いかな。書きやすいよね。


 木瀬君が声をかけてくるだけで早まった鼓動。

 同じ高校に行きたかったけど、志望校がどこかを私からは聞けなかった。勇気を出していたら今も木瀬君と話せていたのかな。友達じゃなくても、ちょっとした話で笑いあえる繋がりがもしかしたら。


「ふたりとも気分はどう?」


 男の子の問いかけを前に麻斗さんと顔を見合わせた。どうしてここにいるのか私達にはわからない。麻斗さんは記憶を無くしちゃってるし、気分がどうとか聞かれても答えようがないんだけど。


「自己紹介がまだだったね。僕は翔琉かける、君達のご主人様だ」

「ご主人……様?」


 呟いた私のそばで麻斗さんは首をかしげる。

 いきなり現れてご主人様って言われても。


「そんな顔しないでくれるかな、誰の自由も奪うつもりはないんだから。君達は今からこの世界の住人だよ」


 世界って何?

 住人ってどういうこと?


「翔琉君、私達にはなんのことだか」

「あぁ、わからないよね」


 翔琉君の顔に浮かぶ笑顔。

 目尻が細くなる所も木瀬君にそっくり。


「ここは僕が作った世界。こう見えても僕は長く生きてるんだ。数えきれないほどの命を喰らいながらね」


 ぐらりと、翔琉君の体が揺らいだ気がした。真っ白な部屋の中、影絵のようにどす黒く。


「ふたりとも信じられないって顔だね? まぁいいけどさ。この世界にルールはないし、僕を怒らせない限りお咎めもない。ねぇひかり、ベッドの居心地はどうかな? 僕が見てる前で彼と愛し合ってもいいんだけど」


 弾かれるようにベッドから飛び出した。麻斗さんから離れ近づいたテーブル。気まずさの中、私を包むミルクティーの匂い。


「ごめんごめん、冗談だよ。ほら、ミルクティーを飲んで落ち着こうか。熱いから一気には飲めないよ? あはははっ」


 悪びれた様子もなく翔琉君は笑った。

 冗談にしても言っていいことと悪いことがある。色々なことがありすぎて、どうしていいかわからないのに。


「大丈夫だよひかり。彼はなんのことかわかってないから」

「え?」


 振り向くと、麻斗さんは不思議そうに私を見つめている。気まずさや茶化されたことへの怒りを感じられない。


「ひかり」


 肩に触れた翔琉君の手。眼鏡を外した顔を私に近づけてくる。


「彼は何も知らない、ひかりのこと以外はね」


 体中がどくりと音を立てる。

 聞くのが怖い。

 ご主人様とか作った世界とか、言われたことを理解しきれてないのに。麻斗さんが生まれたばかりってどういうこと? 私しか知らないって……どうして?


「公園で子供達に会っただろ? 彼らを喰い殺したのは僕だよ」

「何を……言ってるの?」


 美夜ちゃんと透君、あの子達を喰い殺した?

 私のそばで笑ってる男の子が?

 まさか……そんなこと。


「僕は化け物なんだ。漆黒の化け物に生みだされた」


 嘘に決まってる。

 私を襲った化け物は黒い塊だったし、翔琉君は私をからかってるんだ。


「嘘はやめて」

「なんで嘘だと思うのさ。僕はひかりに言ったじゃないか。願いを叶えてあげるって」

「願い?」

「そう、聞こえたはずだ。僕の声が」


 ——その願い、叶えてほしい?


 ——叶えてあげるよ、その願いを。その代わり、僕の夢を叶えてもらおうか。


 闇の中に響いた声。

 あれは……翔琉君だったの?


「君を喰いながら願う声を聞いた。運命の人に会いたいってね。僕は知ってるんだよ、真っ白なクマのぬいぐるみ。ひかりは僕の力で願いを叶え、大切なものを取り戻したんだ。君だけを愛しそばにいる存在もの。それが彼だよ、来栖麻斗」

「青いリボン。真っ白な……髪」


 ぬいぐるみが麻斗さんになったっていうの?

 そんな、馬鹿なことが。


「どうしたのひかり、嬉しくないの?」


 ぬいぐるみを無くしたあの日。

 私がいなくなったあと、化け物がぬいぐるみを飲み込んでたとしたら。


「運命の人、ひかりの理想とは違うのか。麻斗が気に入らないなら、君達は消滅だね」


 翔琉君の手が私の頬をなぞり、ズブリと不気味な音を立てた。肉をなぞる感覚が体中を巡る。


「見なよひかり」


 翔琉君の手を濡らす赤いものが、床に落ちて黒く染まっていく。これ……私の血?


「君の血と肉は僕のものになったんだ。この意味がわかる? 僕は君を思うままに出来るということだよ。それは麻斗も同じだ」

「麻斗……さん」


 椅子に座ったまま麻斗さんは私を見つめている。動かない体、変わらない表情かお

 まさか、時が止まってるの?


「叶えたものが気に入らないなら、ひかりも麻斗も消えるだけだ。消えたくはないだろう? だったら与えたものを受け入れなよ。可愛らしいぬいぐるみが美しい青年ひとに生まれ変わったんだ。それは君にとって、夢のような奇跡だろう? ひかり」


 翔琉君は笑った。

 その目に宿るのは、冷酷な光。

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