第22話

 紫音さんが扉を開けると、翔琉君と麻斗さん、揚羽さんが私達を見た。

 テーブルに並ぶのは、キリエさんが準備してくれたティーカップが並んでいる。お茶菓子はフルーツが乗ったパンケーキ、キリエさんの趣味は意外と手が込んだものみたい。


「おおお、お茶はハーブティーです。ハーブの名前はですね」

「名前なんていいよキリエ。僕としたことが紫音に言い忘れるなんて」


 なんだかご機嫌ななめな翔琉君。もしかしてミルクティーを淹れるつもりだったのかな。

 紫音さんにうながされ、テーブルへと急ぐ。耳元に響く『マシュマロ、マカロン♪マシュマロ、マカロン♪』という紗羅ちゃんの呟き。

 揚羽さんが戻ってきたのが嬉しくてしょうがないみたい。揚羽さんっていうよりも、もらえるお菓子が楽しみでしょうがないんだな。

 麻斗さんの隣に座った私と、照れながらも翔琉君の隣に座った紗羅ちゃん。

 翔琉君は頬杖をつきながら、ティーカップを見つめている。


「みんな揃ったところで、話を始めようか。結論から言えば、蜃気楼という店は黒神夢衣の隠れ家さ」


 揚羽さんの手の上に現れた、小さな少女人形。

 広告の隅に写っていたものと同じ。人形はすぐに燃えて、灰になって消えた。


「黒神夢衣は、今見せた人形の中で生きているんだ。もっとも」


 揚羽さんはハーブティーを飲み私達を見回した。


「黒神夢衣から聞いたんじゃない。店の店主が言っていたことだ」


 パンケーキを食べた翔琉君が『まったく』と呟いた。


「人間界には物好きがいるんだな。目玉だらけの化け物を、孫と呼ぶ人間がいるなんて」

「孫? ……黒神夢衣を? 誰なんですか?」


 揚羽さんの艶やかな唇が笑みを浮かべた。


「店の店主さ、時雨愁という老人」


 時雨愁さん。

 どんな人なんだろう、夜にしか開かないアンティークショップ。人ではないものも訪れる場所。そこで働いてる時点で、普通の人じゃない気がするけど。


「面白い老人だった。僕を見るなり言ったんだから、『君は、漆黒の化け物の子供だね?』と。どうやらこの店は、人ではない者達の溜まり場らしい。そして僕もそのひとりになってしまったようだ。翔琉も新たな客人になってみろ」

「嫌だね。おぞましい化け物に混じって店に入るなんて」

「僕のように、化け物の体を持たない者が他にいるかもしれないのに?」

「ふん、そんな屁理屈聞くもんか」


 食堂を包む沈黙の中、キリエさんがパンケーキを食べる音が響きだした。私達の視線に気づくなり、慌てたように両手で口を覆う。翔琉君に言われた『黙って』という命令を聞き続けてるみたい。おかげでスムーズに話し合いが進むけど。


「これは僕の直感だが、時雨愁も人ではない何かだろう。どんな過去を持っているかは聞きだせなかったが、僕達が永遠とわの命を持つことを知っていた」

「永遠の命、むごく残酷なもの。どんなに足掻いても逃げられない」


 ふたりの話はひとつの疑問を呼び寄せる。

 どうして、今まで考えてなかったんだろう。この世界に来た時から知らなきゃいけないことだったのに。

 聞くのが怖い、それでも聞かなくちゃ。

 聞いて、受け止めなくちゃ。

 返ってくる、聞きたくない答えを。


「翔琉君。それって、私と麻斗さんも同じなの? この姿のまま……永遠に」

「今さら、何を聞いてくるのさ。そうだよ、ひかりは僕と同化したんだから。麻斗だって、元は僕が作りだしたんだし」


 この姿でずっと、生き続ける。

 それが意味することは、遠い未来にある家族との永遠の別れ。死ぬことも、生まれ変わることも許されないままに生き続ける。

 死ぬのは怖い。

 だけど、生き続けることにも恐れは生まれていく。1番の恐怖は、を知る人達すべてがいなくなる未来。家族だけじゃない、同級生や先生……私に関わった誰もがいなくなった世界を生き続けるなんて。

 光に照らされれば迎えられる、消滅という名の死。

 だけど、与えられた命を自ら捨てることは許されない。


 もうひとつ、聞いておかなくちゃ。

 この姿で生き続ける、それが秘める恐ろしい意味を。


「翔琉君、私は子供を生むことは出来るの? 母親に……なれる時は」

「たぶん、生まれはしないよ。ひかりの命は僕に喰われて時を止めたんだから。紫音も召使い達も、時を止めた状態で生みだした」

「……そんな」


 どうして、考えてなかったんだろう。

 大切なことだったのに。

 幸せにだけ目を向けていた。ちょっと考えればすぐに気づいたはずなずのこと。

 少しずつ、受け止めていくしかない。

 だけど……だけど。


 力なく、席を立った。

 黒神夢衣のこと、アンティークショップのこと。みんなが私を助けようとしてくれてる。話し合いを続けなきゃいけないってわかってる。

 だけど頭の中がぐちゃぐちゃで、何も……考えられない。


「ごめんなさい。少し……休ませてください」

「ひかりさん?」


 麻斗さんが私を見つめている。

 優しさが痛みになって私を貫く。何度愛し合っても、子供を生むことは出来ない。愛する人の子供を宿せないなんて。時が止まることの残酷さを……こんな形で。


「顔色が悪い、僕も部屋に」

「ごめんなさい。少しだけ、ひとりにさせてくれませんか?」

「ひかりさん、大丈夫なの?」


 紗羅ちゃんが私を見上げている。

 ごめんね、心配させちゃって。

 私のための話し合い。

 黒神夢衣から守ろうと、みんなが動いてくれた。

 だけど今は、ここにはいられない。


「ごめんなさい、少しだけ休ませてください」


 力が入らない。

 それでも歩かなきゃ。

 今は、少しだけ眠ろう。何も……考えたくない。







 ***


 ベッドの中で目を閉じる。

 何も見えない闇、だけど眠れないまま静かな時が過ぎていく。


 眠りたい。

 眠りたい。

 お願いだから眠らせて。


 何も考えたくない。

 だから眠ることにだけ集中する。

 眠っても何も解決しない。

 わかってるのに眠ろうとする。私って……ほんとに馬鹿なんだから。


「赤ちゃん……お母さんに、なる」


 幸せなお嫁さんになること。

 それは子供の頃、1番最初に浮かんだ夢。

 お母さんを見ながら思ってた。大きくなったらお母さんみたいになりたいって。

 はるかが生まれた時のワクワクした気持ち。妹が出来たんだって喜びと、想像した子供達に囲まれた未来。


 眠りたい。

 夢を見ることが出来ればいいのに。子供を生んで、麻斗さんと育てていく日々を。リアルなほど惨めな気持ちになるんだろうな。それでも


「惨メ?」


 闇の中に声が響く。

 いくつもの声が混じったような声。

 もしかして、黒神夢衣?

 まさかね、この世界に現れっこない。

 ただの幻聴だ。


「幻聴?」


 また……聞こえた。


「ホントウニ、幻聴ダト思ウ?」


 私に問いかける声。

 まさか、近くにいるの?

 黒神夢衣が。


「イルワ。アナタガ、目ヲ閉ジテ作ッタ闇ノナカニ」


 目を……閉じて?


 黒神夢衣が、この世界に現れるはずはなかったのに。

 でも揚羽さんは、自在に闇を操っている。私が家に行った時がそうだった。すぐに家に行くか、距離を置いて近づいていくか。私が望んだように闇を操った。

 揚羽さんだけじゃない、翔琉君も黒神夢衣も……自在に闇を操れるんじゃ。


 逃げなくちゃ、黒神夢衣から。


 目を開けて、闇を消す。


「話ヲスルダケナノニ?」


 話?

 話をするだけって本当に?


「本当ヨ。私ハ、嘘ヲツクノガ嫌イダモノ。私ハ……嘘ヲツイタ人ニ殺サレテ、バラバラニサレタンダカラ」


 殺されて、体をバラバラにされた。

 原因になったのは彼女を騙した嘘。


「ソウヨ、私ヲ殺シタノハ嘘ツキ。聞イテクレル? 私ガ黒神夢衣ニナッタ理由ヲ」

 

 どうして、私に?


「アナタハ素直ナ人ダカラ。会ッテスグニ分カッタ、アナタハ私ヲワカッテクレル人ダッテ」


 黒神夢衣と話してる。

 翔琉君が知ったらどう思うだろう。たぶん、なんらかの憎まれ口を言ってくるんだろうな。


「不思議ナ人、アナタハ」


 どうして? 何が、不思議なの?


「自分ヲ喰ッタ化け物ト、仲良クシテルナンテ」


 仲良くなんてしてるつもりはないけど。

 生きていく場所も帰る場所もここしかないから。死んじゃってるのに生きてるなんて変だけど。

 それでもここが、この世界が今の私の大切な場所だから。


「ソウ。私モ……今ハ、幸セナノ。ヤット居場所ヲ、見ツケラレタカラ」


 アンティークショップのことね?

 揚羽さんから聞いた。

 店主さんが、あなたを孫だって。


「ソウヨ、私ヲ大切ニシテクレル。可愛イ人形ヲ、私ノ体ニシテクレタノ」


 闇の中に響く、いくつもの声が混じった笑い声。

 黒神夢衣が……笑ってる。


「私ガ人間ダッタ頃。殺サレル前ノ私ハ、友達ト喧嘩ヲシタアトダッタ。悲シクテ苦シクテ、ドウシテイイカワカラズニイタノ。私ニ近ヅイテ来タ男ハ、友達ノ恋人ダッタ。ダカラ信ジテシマッタノ。優シクシテクレルノハ、私ガ恋人ノ友達ダカラダト。ダケド」


 嫌な予想が私の中を巡る。

 絶対に当たってほしくないものが。


「彼ノマンションニ入ッテスグ、私ハ襲ワレタノ。彼ハ抵抗スル私ノ首を締メタ。死ンダ私ノ処理ニ困ッテ、彼ハ私ヲ……バラバラニシタ」


 やっぱり。

 彼女は理不尽な理由で命を奪われた。


「首ヲ締メラレナガラ、私ハ考エテタノ。嘘ヲ見抜ク力ガ欲シカッタッテ。人ノ思イヤ嘘ヲ見抜ケタラ、殺サレハシナカッタカラ。漆黒ノ化ケ物ハ私ニ力ヲクレタノ。思念ヲ読ミ取ル力ヲネ。最初ニ目ヲ奪ッタノハ……私ヲ

 殺シタ男」

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